復活の呪文
ここで異文化交流における問題に俺は頭を抱えていた。
それは文化の違いである。特に信仰というのは同じ宗派であっても独特な儀式、崇拝の方法などがある。
同じ教でも一言言葉を唱えれば極楽に行けるという宗派もあれば、俗世の物を排除した者だけが真の極楽に行けるという考えがあるのがいい例である。
世界が違い、国も違えば信仰の形は全く違った。
あの翼が生えた人たちが信仰していたのは太陽だった。日々を明るく照らし、作物を育てる太陽は地球でも多くの宗派で信仰の対象であった。だからそこは珍しくないのだが、その儀式が独特だった。
彼らは神様に捧げものをすることに救いを求めた。信仰が近年薄れ、ヤギや牛等の生き血を捧げているそうだったのだが、先日の俺のやらかした問題によって錆びついた信仰が復活してしまったらしい。
元々はヤギや牛ではなく、彼らは敵の戦士の心臓を神様にささげていたのだ。
それも祭壇で長い戦いでは毎週行っていたらしい。
もう一度言うが、神様への捧げものは生きた心臓である。
ちょっと思う所があって、君たちの故郷に石でできた祭壇があるのではないかと聞くと、彼らは顔を見合わせて強く頷いた。
俺はこの文明によく似た信仰を知っている。彼らには核融合の光が太陽に見えたために、少なくない羨望の眼差しを向けて来ているのだった。居心地悪いことこの上ない。信仰は自由であるから好きにして良いと思うのだが、実際に肉の塊を出されたいま、そうも言っていられなかった。
彼らはずっと考えていた。空に浮かぶ太陽にどうやって捧げものを届けるのか。古くは燃やしてその煙を天へと上げることによって送り届けていたが、神様は煙で満足されているのか。自分たちは匂いだけではなく飯も食べたい。こういう訳で生きた心臓が、木で作られた皿に乗って目の前に差し出された。幸いなことにいつも遥かな天を見上げて思っていた神が、目の前にいるのである。彼らにとったそれは奇跡であった。
俺は表情を変えないことに注意しなければならなかった。時に宗教は心の最後のよりどころとなるからだ。彼らからこれを奪うことは、とても残酷なことに思う。彼らにはもう帰る家も家族も無いのだから。
真っ赤な肉の塊は、綺麗な飾りを彫り込まれた皿に乗せられて床に突っ伏した若者が頭上高くささげている。
その皿の模様は、大勢の人々が小さな男にひれ伏している図柄で、小さな男が手に光る石を持っている姿が描かれていた。
恐らくは、俺の姿を描いた物であると思われる。
しかしこれは奇跡でも何でもなく、戦略用の武器だったので一抹の申し訳なさと、だましているような後ろめたさが胸の中で渦巻いた。
「うむ。いただこう」
彼らは捧げものを受け取ってもらえないと引くに引けないと思って受け取った。そしたらみんな見てくるのだ。じーっと見る者もいればチラチラ見てくる者もいる。
中には指でつまんで食べる動作をする者までいた。
口には出さないが、食べている所を見せて欲しいと言っているのだ。
いやだ。食べたくない。だっておいしそうじゃないんだもの。
でも彼らは、本当にこの瞬間を待ち望んでいて、それこそもう熱望していて、固唾をのんで見守ってくるのである。
仕方がないので、一時的に魔法を使って人間性を失い、狼としてそれを食べた。
その様子を見ていた捕虜は驚き言葉を失った。
自分が子供だと思っていた神は、身長2メートルばかりの狼となり、しかも腕を失った子供を一瞬にして元に戻したのである。それだけではなく、怪我を負った者もほどけた包帯の下から失った肉が盛り上がっていった。
甲板の木はすでにフローリングのように薄く加工され、死んでいたにもかかわらず、節から枝が伸び、白く美しい花が咲いて、どこからか飛んできた蝶が美しいダンスを踊った。
船の周りでは海を泳いでいた魚が皆大きくなり、一様に船に向かって泳いで、中には甲板に自ら飛び上がってくるものもあった。
まるで自分を食べてくださいと言わんばかりだ。
戦士の中には自分の上着の胸元を開いて差し出す者もいた。心臓をもっと食べられるようにと自らを捧げることに全く躊躇が無かったのである。