小さな御主人
奴隷市場はいつも薄汚れていた。10人にも及ぶ雑用奴隷が床を常に磨いていたが、それでも雨の石畳のようにいくつもの水溜まりができていた。
それの臭いをごまかすように大量のタバコが燃やされ、買うものと買われるもの、そして売るものとが魔女の鍋で煮込まれる。
食べるのは悪魔か死神か。
この地獄のような場所に今日は一人の子供がいた。
身なりは小綺麗にしているが、その目はまるで成人のように年をくい、不気味な雰囲気を醸し出していた。
直ぐに奴隷商は顎をしゃくって自分の奴隷を向かわせた。奴隷は服こそ二流だったが、腰に下げた血なまぐさい短剣が、ゆっりと時を刻むように揺れている。
あれこそが奴隷にもっとも嫌われる奴隷頭だ。
子供など追い出されるか、奴隷におとされるか。それしかないと思われた。
だが、子供は、ポケットから銀貨を取り出すと、中指と人差し指に銀貨を挟んで待っている。
奴隷頭は耳元に顔を近づけて何かを言った。
起きるべき最悪は起きず、奴隷頭はニコニコと次の客を探しに向かう。
子供は不気味な笑みを一瞬浮かべて、奴隷商を見ていた。
奴隷商は何のようなのか聞いてこいと奴隷に言った。それで奴隷商は子供のことから興味を失い、お気に入りの女奴隷の胸に手を置き、ニヤニヤと薄汚い話を続ける。一言聞けば子供のようなど事足りると思ったのだ。
話を聞きに行った奴隷は子供と握手をし、そして子供の横に座り込むと楽しそうに歌い始めた。奴隷商は何事かと気になって、「お前はここでまて」と女奴隷に告げて席をたったが、子供はそれを見て近づいてきた。
「こんな綺麗な奴隷をお持ちで? 羨ましいですね。ひとつ私にも見せていただきたい」
奴隷商は差し出された小さな手を握り、反射的に握手をした。その間も子供は女奴隷のことばかり見ている。だがけっして値踏みをするような目付きではない。古い友人に話すように声をかけ、あっという間に友人になってしまう。
まるで魔法だ。
周りの奴隷たちはその子供、まだ十歳にも満たない少年に釘付けだった。
少年は人を呼ぶとき、必ず銀貨を耳元に掲げる。人差し指と中指に挟んで。
次の瞬間には奴隷がかしづき、用件を聞いた。これでは誰の元で働いているかわからない。
今度は酒の注文をしているらしい。
「マッカランは? 響はあるかい?」
「ございません」
「ウイスキーは? 何でもいいから蒸留酒を」
こんなことを奴隷に耳打ちした後で、少年は奴隷商のお気に入りの女奴隷の腰に手を回し、自分の席に座らた。耳元でささやくのだ。クスクスと笑うその笑顔は全く汚れがない。奴隷市場はかつてない笑い声が溢れた。
奴隷商は自らの手のなかにあるグラスを転がして、実に悔しそうに口を開いた。金の使い方、その気持ちいいまでの豪遊は、簡単にできる物ではなかった。器がでかくない奴隷商にはとてもできなかった。
「どんな、奴隷がお好みですか?」
「奴隷ですか、それは、美しいものを好んでいます」
「ハハハ!!そうでしょうな!」
奴隷たちは身なりをただし、自分の手を舐めて顔を洗う。その小さな少年には人を引き付ける力があった。奴隷商は自分のお気に入りの女奴隷を押し退けてまで少年と話をしようとする。
奴隷たちは少しでも視線に入ろうとこぞって肩を突き合わせた。
少年はゆっくりと一人の奴隷の前に。奴隷商はニコニコとその後に続く。
少年は見上げるほど大きな奴隷に笑いかけると言った。
「なんキロまで持ち上げられる?」
「きろ?」
「どれくらい重いものまで持ち上げられる?」
「岩。」
女は、自分と同じくらいのサイズを指してぐるりと円を描く。
「気に入った」
少年は手招きをして耳を近づかさせると、その大きな黒狼の耳に、『僕を肩車して町中歩いて貰いたいんだ』なんて笑ってしまうようなことを言うのだった。




