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良き家に産まれて

神に最も近いのは、無垢な子供である。

 とても疲れた日だった。12月も終わりに差し掛かり、身を切るような冷たい風が吹いていた。

 俺は冷凍されたカチカチのイカみたい。肌に潤いもなければ、関節も動かない。何も感じなくなっていた。


 過度の就労、職場での人間関係構築の失敗、添加物たっぷりのお弁当。寝不足。社会不適合。体が不調を訴える原因は数え切れないほどあった。


 部屋の電気もつけず、ベッドに体を投げ出すと目蓋が重かった。そのまま目覚まし時計をかける間もなく睡魔が襲ってくる。

 ああ、風呂に入っていないな。

 歯磨きもしていない。


 その日の夜は凍えるほど寒かったことを覚えている。しかし、足先に氷を押し当てられているような冷たさの中で体はピクリとも動かなかった。


 俺は死ぬのか。二時間ばかり自問して再び眠りにつく。


 翌朝目が覚めると、良い匂いが香った。

 花の匂いだ。自分の使う柔軟剤とは違う匂い。薔薇の花のような少し主張の強い匂い。

 俺の体は内側から熱を持っていた。昨日は寝ぼけてエアコンをつけたまま眠ってしまったのか。やれやれ今月は出費が多いのに電気代も馬鹿にならないぞ。一人暮らしはこれだから困る。


 天井を見たが、見知った賃貸じゃない。

 本来薄汚れて雲の巣が張っていた天井が、花柄の刺繍がびっちりと施された金のかかっていそうな物へと変わっている。それは、遥か高い天井から床板まで続いていた。エアコンの姿はない。枕元にリモコンも無かった。


 リモコンを探して布団の中をまさぐると、あまりにも小さな手が自分のお腹に触れた。

 びっくりした。焼き立ての食パンみたいにふっくらとした手は自分の物だった。


 え?と思い恐る恐る体を見る。子供の体がそこにあった。


 見た目は子供だが、きちんと手を動かす感触がある。体にかけられた毛布のフワフワとした感触も感じることができたし、自分の鼻やほっぺたを触ることもできた。


 随分と良くできた夢だ。


 部屋の高い所にある窓から朝やけにもえる空が見えた。外は寒いらしく、窓ガラスには結露で水が垂れている。

 ふと人の足音がした。廊下からコツコツと硬い靴の音が近づいてくる。

 

 そして足音がドアの前で止まると、コンコンと小さくノックが二回聞こえた。


「どうぞ……」


 反射的に答えたが、まずかった。まだ自分がどこにいるのかも分かっていないのに不用意に人を入れるのは危険だ。相手が人殺しだったらどうする。泥棒だったら?俺は夢の中でも刺されれば痛い性分だ。


 毛布を頭まで引き上げて侵入者の足元を観察する。


 磨き上げられた革靴はまるで鏡のように反射している。その靴を覆うように丈の長いスカートが彼女の動きに合わせてゆっくりと揺れている。

 どうやら女らしい。


 女はゆっくりと窓の近づくと、手に持った鍋を木板の上に置いて窓の結露を拭き始めた。

 俺はその不思議な姿に釘付けとなった。


 背中から異様なものが生えていたのだった。光沢を帯びたその固まりはわずかな風を受けて少し捲れ上がり、内側の綿毛を覗かせた。それは羽だった。


 丁度肩甲骨のあたりから上へと伸びた翼は、肩のあたりで折れ、太もものあたりまで飾り羽が伸びている。幾重にも重なった羽は、装飾品というにはあまりにも大きく、そしてリアルだった。

 絵画に書かれるような天使の羽ではない。猛禽の羽をむしってそのままつけたような羽は、色を脱色したように完璧な白だった。


 窓を拭き終わると、こちらに近づいてくる。


 その顔は美しい。伏せ目がちな目から覗く緑色の宝石のような目と、筋の通った鼻筋。陶器のように白い肌、桃色の唇。そしてお胸。


 映画女優と紹介されても疑いようのない女性が今、布団の隣に膝をつき、布団をめくりあげる。すぐに冷気が襲って来て、思わず足をひっこめると、その美しい顔にうっすらと笑顔が見えた気がした。


 彼女は足元にあった鍋の中に炭を入れると布団を戻して部屋から静かに退室した。

 面接真っ只中の就活生顔負けの態度は、正に本職と言ったところだ。


 ここはアキバか。新手のメイド喫茶か。

 というか夢だった。



 お布団がまた温かくなってきたので足を伸ばすと、ジュッと音がした。


「ぎゃっ!!」


 思わず声が出た。俺の小さな足の中指に赤い爛れができていた。火傷だ。ひーー冷やさないと。痛い痛い痛い。嫌な夢になってしまった。もうちょっと気を使って欲しいものだが、夢はそうもいかないようでジンジンとした痛みは本物さながらだった。

 足元に湯たんぽをむき出しで置かれれば、足を火傷するのもそりゃ仕方ないと思う。


 床に立って足の痛みで飛び上がり、やっと片足立ちで立つと、家具のすべてが大きかった。いや、自分が小さいのだ。


 家中から人が駆け寄ってくる音がする。


「坊ちゃんどうされました!?」


 やばいよ。ぼっちゃんだってよ。

 駆け付けた人々の女性率の高さよ。じつに8人中7人が女性だった。駆け寄って来て皆心配そうに足を見てくれた。いいー匂いがするんだなぁ女性って。そういえば職場には女性がいなかったので姿を見るのも二週間ぶり。心配されるのはいったいいつぶりだろうか。


 ほんの少し指先を火傷しただけなのでそんなに焦ることは無いのだけれど。

 一人年輩の男が俺の足をひねるようにして持ち上げた。

 痛い!!むしろ火傷よりもそっちの方が痛い!!


 おっさんは足を手で包むと、不思議な光を手の中に生み出した。そうとしか表現しようがない。祈るように合わさられた手の間から青い光が線上に伸びて、ちらちらと揺らめく。それは何か分からない怪しい物だと思った俺はとっさに目を逸らす。


 足を開放されると、痛みは残っていなかった。それどころか、焼けただれた傷も残っていない。


「誰にやられたんだ?」


 怖い。そんなに怖い顔で睨まないでほしい。眉間によった皺がその怒りを表現しているようで俺は怯えた。小便ちびりそうだ。この人は人を殺しそうな雰囲気がある。


「いいえ、誰にもやられていません。ぼ、僕は、自分で怪我をしました」


 おっさんは何かを言いかけて、ウッとそれを飲み込み俺の頭を撫でた。大きくゴツゴツとした手は手加減を言う知らず、ぐりぐりと頭ごと振られる。


「何かあればすぐに呼ぶのだぞ。……良い子に育ったな」


 おっさんは笑いながら部屋を後にした。身長二メートル近い大男の彼は、俺の親父だという。マジですか。凄く年が離れていると思いますがそれは?


 ええ?兄弟が上に7人!下に2人!!随分とお盛んで!!すいませんあの目で睨まれると俺は何も言えなくなります。元々人間関係はうまくできる方ではなかったのだから。

 そしてこれは夢ではなく、異世界転生という事で俺は納得した。


 そうするほか無い。すでに夢とするには明らかに長い。夢であれば覚めるような階段からの落下においても目が覚めることは無かった。


 そのかわりメイドさんが、かわるがわる付き添いに就くことになった。げへへへ幸せだぜ。

 我が親は大変な実業家で、世界に奴隷ラッシュがおきた時に巨万の富を築いた人だった。


 でも、奴隷が必要な理由もあるのだ。非難しないであげてくれ。元々この世界の人は魔法を持っていなかった。それまでの人は多くが50歳まで生きられず、子供は10人に一人しか成人しないという劣悪な環境で生きていた。それが魔法の発見により死ににくくなった。魔法とは俺の火傷を直した青い光のことだ。

 結果として人間は増えた。増えすぎた。やせた土地ではすべての人間の命を賄うほどの作物が取れず、他の大陸へと足を伸ばすことになった。そこにいたのは自分達とは身体的特徴の違う生き物と、魔物である。


 人類は食料を得るために大量の人的資源を必要としていた。世にいう奴隷貿易の始まりである。奴隷は当初より高く売れ、幾千人もの奴隷ハンターが巨万の富を夢見て荒野を走り回った。しかし相手も必死で殺しに来る。人類は魔法という武器を持ちながらも、多くの人間が命を落としていった。

 我が父は、それら人さらいが捕まえた奴隷達を一挙に買い上げ、本国の金持ちに売ることを仕事にすることを考えた。これが大成功。売り上げを片っ端から船の買い上げに使った父は、奴隷を売るために船に乗せなければいけない人からさらに金をむしり取り、恐らく孫の代まで使いきれないほどの資産と名声を手に入れた。

 邸宅は現在4軒、メイドは全部で13人。どれも美人ぞろいで、多種多様な血が混じった兄弟が僕にはいた。



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