第26話 懐妊
城の修繕は順調に進んでいた。
崩れた壁を積み直し、屋根も綺麗に葺き替えられて、外観はすっかり元通りである。
風が吹き込まなくなったし、最近は薪も十分買えるようになった。城の中は暖かく快適だった。
あとは内装を整えれば、小さいながらも美しい城の完成である。
聖なる神子の生誕祭が行われた十二月のある日、食堂のテーブルにはドニが腕に縒りをかけて作ったご馳走が並んでいた。
七面鳥の丸焼きと子牛のカツレツ、ぶつ切り肉と根菜がごろごろ入った濃厚なシチュウ、甘いパンプディングなどだ。
「アンジェリク様、肉を取り分けましょうか」
エミールに聞かれて、アンジェリクはいつものようににこにこ笑って頷いた。
けれど、ふいに肉の匂いから顔を背けたくなった。胃が圧迫されるような不快感が襲ってきて、慌てて口元を抑える。
「ごめんなさい……」
急いで席を立ち、バスルームに駆け込んだ。ムカムカする胃を手で押さえ、鈴の付いた紐を引っ張る。
セロー夫人が足早にやってきた。
「どうなさいました?」
「なんだか、気分が悪くて……」
言葉の途中で、うえっとえずいて台の上の洗面器に顔を突っ込む。背中をさすっていたセロー夫人が耳元で囁いた。
「あの……、奥様。このところ、お月のものがございませんし、もしや……」
「え……」
すばやく頭の中を検索し、ブリアン夫人の教えにたどり着く。
「あ、赤ちゃん……?」
「ええ。おそらく」
セロー夫人が嬉しそうに頷く。
「お医者様をお願いいたしましょう」
「そうね。セルジュには……」
「はっきりしてからお話したほうが、よろしいかもしれません。もし違っていた時に、殿方は誤解をすることがありますから」
兆候があった段階で打ち明けて、調べた結果妊娠していなかった時、それがただの勘違いだったということが理解できない男性は多いらしい。
できたと思ったのならできたのではないかと言い続けたり、違ったと言っただけで、子どもが死んだと思ってしまう人までいるとか。
「知識がないので、仕方ないのです」
セロー夫人は苦笑する。
「旦那様は聡明な方ですから、勘違いだったと言ってもおわかりいただけると思いますが、一度期待してしまいますと、違った時の落胆も大きいでしょうし」
それは、そうかもしれないと思い、アンジェリクはセロー夫人の言葉に従うことにした。
しかし、ふだん元気なアンジェリクが医者を呼んでほしいと言ったことで、城の中は大騒ぎになってしまった。
「奥様が、肉をお召し上がりにならなかったそうだ」
「肉を? そんなバカな……」
「肉をお残しになるなんて、よほどお悪いに違いない」
ドラゴン使い兼従僕のエリクとジャンや、ドラゴン使い兼城の下働きの六人の若者たちが、心配そうにドニやエミールに様子を聞きに来る。
セルジュは何も手につかなくなり、ひたすら城の中を歩き回っていた。
セロー夫人から話を聞いたアンジェリクは、ベッドの中で焦った。
「私は大丈夫だって、みんなに言ってあげて」
「すぐにエミールがお医者様をお連れします。少しだけ、心配していていただきましょう」
エミールが医者を馬車から下ろすと、一同はかたずをのんで後をついてきた。ぞろぞろと後ろを歩く男たちに、医者は「あっちへ行っててください」と、とても嫌そうに眉をひそめて言った。
一同が部屋の外で待つことしばし。
しばし……。
ついにセロー夫人が扉を開け、高らかに宣言した。
「ご懐妊です」
一瞬、しんとなった後、割れんばかりの歓声が廊下に響き渡った。
あたふたとまろぶように部屋に転がり込んできたセルジュが、感極まった声でアンジェリクの名を呼んだ。
「アンジェリク……」
頬を染めて微笑むアンジェリクをセルジュはぎゅっと抱きしめて、それから慌てて優しく抱き直した。
「ああ。アンジェリク、僕はなんて幸せ者なんだろう」
「私もよ、セルジュ」
「身体を大事にして、元気な子を産んでくれ。領地のことは、僕がちゃんとやるから、きみは安心して休んでいてほしい」
「ありがとう。期待してるわ」
聖なる神子の生誕祭の宴の席は、いっそう華やかなものになった。
セロー夫人に頼んで扉を開けてもらい、階下のにぎわいに耳を澄ませる。
ドニの料理が食べられなかったことは残念だったが、アンジェリクの胸は幸せでいっぱいだった。
それからしばらくして、サリとラッセの間にも卵が二つ産まれた。
つわりが楽な時、アンジェリクはサリに会いに行き「一緒に頑張りましょうね」と声をかけた。サリはグルルと喉を鳴らして、アンジェリクに鼻先をくっつけてきた。
ドラゴンの卵は半年ほどで孵るらしい。
「サリのほうが先にお母さんになるのね」
グルルとサリが返事をする。きっと笑っているのだ。
お互い、いいお母さんになろうねと、言われた気がした。
厩舎の中はとても寒い。
野生のドラゴンは外で暮らすのだから、それでいいのだとわかっていても、ラッセと交代で二つの卵を抱いているサリを見ると、どうか無事に孵りますようにと祈らずにいられなかった。
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