第12話 初夜
貴族の間では、生まれた時から婚約していても、結婚式の当日に初めて顔を合わせるということが珍しくなかった。
そして、その日のうちにいきなり同衾、つまり同じベッドに入ることも、わりとふつうだった。
アンジェリクとセルジュも同じだ。
今日初めて会ったばかりでも、今夜から同じベッドで寝るのだ。
全然、ふつうのことだ。
セロー夫人の手を借りて湯あみをし、一日の疲れと汚れを落とした。
ブール城には湯の湧き出る泉があり、釜で湯を沸かす必要がなかった。
「薪を買う余裕がないと聞いていましたから、この泉があってよかったです」
セロー夫人が優しく微笑みながら言った。
彼女はアンジェリクより十二歳年上の未亡人だった。ちょうど三十歳。アンジェリクの母が亡くなったのと同じ年だ。
夫は五年前にヴィニョアの中心の大きな町に出稼ぎに行き、その帰路で事故に巻き込まれて命を落としたと話してくれた。
十二歳と十歳の娘がいて、今は一緒に暮らしている母親が面倒をみているという。
「私がお母様を取ってしまって、お嬢さんたちが寂しがってない?」
セロー夫人は「どちらにしても、どこかで働かなければなりませんから」と微笑んだ。
「お城で仕事が見つかって、とても助かってるんです」
母親と娘が暮らす家までは歩いて行ける。
ただでさえ仕事の少ないブールで、休みも給金もきちんと決まっている仕事があることは本当にありがたいのだと言った。
「このあたりには酒場や遊郭すらないんです。男が畑をやってもろくに食べられないのに、女一人の働きで、どうやって家族四人が食べていけばいいのか、本当に途方に暮れてたんですよ」
夫人の話を聞くうちに、アンジェリクの顔はだんだん曇っていった。
なんという話だろう。
城のすぐ近くで暮らす一家でもこんなに困窮しているなんて。
どの領地でも、城下というのは最も栄えているものなのに。
その道の教育係ブリアン夫人の指示で侍女たちが揃えた、何やらやたらと生地の薄いナイトドレスに着替え、ガウンを羽織って二階の寝室に向かった。
扉の前で夫人は黙って頭を下げ、どこかへ行ってしまった。
「セルジュ」
アンジェリクは自分で扉を開けて寝室に入った。
バン! と勢いよく開けたので、所在なさげに立っていたセルジュが、驚いたようにパッと振り向いた。
「アンジェリク」
セルジュは美しい顔をなぜか赤く染めた。右手で口元を覆う。
「アンジェリク……、とても、その……魅力的だね」
アンジェリクはつかつかとセルジュに歩み寄った。
セルジュはアンジェリクの肩に手を置き、ナイトドレスの胸元を見下ろして、ごくりと喉を鳴らした。
そして、突然、広い胸に抱きしめた。
心臓がドキリと跳ねた。
だが、アンジェリクはそのドキリと一緒にセルジュの胸を押しやった。
「アンジェリク、会ったばかりで何を、と思うだろうけど……、僕はすっかり君のことが……」
再びアンジェリクを抱き寄せ、髪に鼻先を埋めてセルジュが何やら囁く。
しかし、アンジェリクはそれも制した。
「セルジュ、大事なお話があります」
「え……。あの、それは……、今……?」
「今。すぐにです」
セロー夫人の身の上を聞いてから、アンジェリクはだんだん腹が立ち始めた。
今はすっかり怒っている。
この男は……。
顔だけは綺麗なこの男は、二年も領主をしていながら、いったい何をやっていたのだ。
「ふだん、あなたはドラゴンの探求以外、何をしていますか」
「え……」
「毎日毎日、エリクやジャンと一緒に、森を飛び回ってるだけなんじゃないの?」
その通りだと、セルジュは戸惑ったように頷いた。
「バカ者!」
アンジェリクは怒りに任せて怒鳴った。
驚いたセルジュがベッドに尻もちをついた。
その身体を押し倒すようにセルジュの上に乗りあげて、アンジェリクは説教を始めた。
「あなたは領主なのよ。領主というのは、第一に領民の暮らしを考えるものなの。それをなんですか。来る日も来る日もドラゴンと遊んでいたなんて。荒れたまま放置されていた土地でも、二年もあれば、もっとどうにかなったはずよ。あなたが何もしなかった間に、食べるのにも困っていた人がどれだけいたか。あなた、わかってるの?」
アンジェリクを見上げてセルジュは目をぱちくりさせている。
青く透き通る目は悔しいほど美しかったが、アンジェリクは厳しい表情を崩さなかった。
「明日から、領地の見回りに行きます。問題点を洗い出して、手を付けられるところから、すぐに改善策を探して実施します。ドラゴンと遊ぶのは、それが終わってからです。いいですね」
「でも、明日は、ジャンたちと森に行く約束が……」
「おだまり!」
セルジュがぽかんと口を開ける。
「あなたは、ブールの領主。わかっていますね!」
「……はい」
アンジェリクは身体を起こした。
セルジュがごくりと唾をのむ。
「アンジェリク……?」
起き上がって腕を伸ばしてくるセルジュをかわして、アンジェリクは広いベッドの反対側に回った。
「朝から馬車で回りますから、今日はもう寝てください」
「ええっ!」
アンジェリクはふわりとした羽根布団をめくり、セルジュに背を向けて身を横たえた。
「アンジェリク……」
肩に手を掛けられて「うるさい」と払う。
「アンジェリク、僕たち……」
ぼそぼそと情けない声が自分の名前を呼ぶ。
その声を背中で聞きながら、アンジェリクは早々に眠りに就いた。
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