第10話 城の人たち
一階の居間はホール同様、荒れ果てていた。
東側にある食堂はいくらかマシだった。
ソファもカウチも壊れたまま積み上げられている居間を横目に、晩餐用のテーブルでお茶を飲んだ。
お茶自体はふつうに美味しかった。
「お菓子がなくてごめんね」
セルジュが謝る。
「大丈夫です。私、お肉派なので」
アンジェリクの答えに、みんな一斉に「へ?」という顔をした。
女子にしては長身なほうだが、ほっそりとして肌も髪も美しいアンジェリクは、どこからどう見ても公爵家のお嬢様だ。甘い砂糖菓子がぴったりだと思ったのだろう。
「若い娘さんは、みんなお菓子が好きなんだと思ってました」
料理人のドニが意外そうにつぶやいた。
実を言うと城には菓子職人がいないらしい。
自分も菓子は作れるが、専門家にはかなわない。それでよければ、食べたい時には食べたいと言ってくれれば頑張ると、どことなく怪しい言い回しで請け合った。
アンジェリクは礼を言った。
自分は肉派だが、菓子職人はいずれ必要になるだろうと、頭の片隅にメモしておく。
ほかには執事のエミール、従僕兼門番のエリクとジャン、アンジェリクのために新しく来てもらったセロー夫人を紹介された。
それで全部だった。
思った以上に使用人の数が少ない。
これでは掃除が行き届かないのも無理はないと思った。
本気で箒を手にする必要があると覚悟を決める。
だが、それにしてはさっきはずいぶんたくさんの人がアンジェリクの荷物を運んでくれた。
「さっきの方々は、近くの領民ですか?」
疑問に思って口にすると、それが本題だとばかりにセルジュが身を乗り出した。
「あの者たちはドラゴン使いだ」
「ドラゴン使い?」
「僕が、ほかの土地ではなく、このブールを領地に望んだのもそのためだ」
「ちょっと待って」
ドラゴン……。
「ドラゴンて、実在するんですか?」
セルジュが大きく頷く。
「北の森にいる」
ブールに来たのはそのためだと言う。
昔、北の外れに広がる森を歩いている時に、セルジュはドラゴンに会ったのだと続けた。
「六歳の時に」
「六歳……」
セルジュはエルネストと同じ年だと聞いたから、今年二十二歳だ。
六歳ということは、十六年前の話になる。
アンジェリクは慎重に頷いた。
何かの見間違いでは?
そう口にしたくなる。
でも、アンジェリクは何も言わなかった。
子どもたちの世話をする保育施設にも、アンジェリクはたびたび慰問に行っている。
子どもは夢で見たことを本当だと思い込んだり、空想と現実の区別がつかなかったりすることがある。
彼らにとって、それらは全て真実なのだ。
彼らが信じていることを、他人が安易に嘘だと言うべきではない。
それに……。
その中には「本当のこと」が含まれる場合がある。
夢や空想ではなく、本当に見たままを話していることがあるのだ。
そういう子どもに向かって「おまえの言っていることは嘘だ」、「全部、空想だ」、「本当のことではない」などと、言ってしまったら、正直な人を嘘つき呼ばわりすることになる。
自分が「知らない」からと言って、誰かの言うことを「嘘だ」とは言いたくなかった。
できれば疑うことも、したくない。
たとえ相手が二十二歳のいい大人でも。
それが、十六年も前の話でも。
黙って頷き、否定も疑問も口にしないアンジェリクに、城の使用人たちが顔を見合わせる。
セルジュが聞いた。
「僕の話を信じるの?」
「否定したり、疑ったりするだけの経験も知識もありません」
アンジェリクの知る限り、空想の生きものだと考えられているようだ。だが、それはまだ本物に会った人がいないというだけのことだと続けた。
「あなたが見たと言うなら、それは本当のこととして、お聞きしたいです」
エリクが叫んだ。
「旦那様、この奥方様はすばらしい」
ジャンも嬉しそうに頷く。
「美しいだけのご令嬢ではないようですな」
セルジュも青い目をきらきらと輝かせた。
「お茶を飲んだら、うちのドラゴンに会ってくれるか?」
「ドラゴンに……? ドラゴンがいるの?」
怖いかと聞かれて首を振った。
「本当に、ドラゴンに会えるの? 会いたいわ!」
目を見開き、顔を輝かせたアンジェリクに、城中の者が温かい目を向けた。
セルジュは何かに打たれたように目を瞠っている。
執事のエミールがにっこり笑った。
「結婚式は、盛大なものにしたいですな」
それからぼそりと「できる範囲で」と付け加えた。
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