異世界、来たなあ! そのいち
薄暗い洞窟に朝日が差し込む。時間が過ぎるうちに、日差しは男の足を照らし、胴を照らし、そして顔を照らした。
「…ん、起きたか。」
男は大きく腕を上げて伸びをする。
「洞窟、か? うむ、もうここは異世界なんだよな。ふわ…」
ついでにあくびを一つ。
そうして完全に覚醒した男ーそう、私であるーは、むくりと起き上がり、身体のあちこちを確認し始める。
正直に言うと、私はかなり楽しみにしていた。一体どのような種族に生まれ変わったのかと。
やはり定番のゴブリンであろうか、いやいや、スライムも捨てがたい。まてまて、スケルトンを忘れるな。いやいや、気を衒って、四足歩行の生物はどうだ?
――鎧であった。艶消しの黒、所々に走る銀色のラインと装飾。
――紛う事なき、鎧であった。
「えぇ…。」
私、困惑である。古今東西魔物転生で中々にお目にかからない題材である。
鎧の生態系とか、知らないし。食事とか排泄とかどうするのだ? 脱げないぞ、コレ。
「いやいや、早まるな。きっと進化がある、あるはずだ。」
そう、女神も仰っていた。
優れた魔物は、世代を重ねる毎に進化していく、と。
「…しないじゃないか。」
私、愕然である。能動的成長の無い転生成り上がり物。一体、誰に得があるのか。
少し茫然としていたが、気を取り直して辺りを見廻す。
ここは浅い洞窟であるようだ、日の差し込む入口から、およそ十メートル程の奥行き、幅が五メートルほどであろうか。
洞窟はそこそこ高い位置にあるようで、木々の頭が外の景色として並んでいる。
ガチャ、ガチャ、と金属音を立てながら、洞窟の外に出る。
――素晴らしい。
前世、ついぞ地元から出なかった私は、自然の景色という物を見た事が無かった。それが、今世で初めて見た景色はどうだ!
雄大なる大自然、何処までも続くような木々は青々と繁り、生命の息吹を感じさせてくれる。
「これだけで、来てよかったと思えるな。」
洞窟の前は広場のようになっており、山沿いに開けた道が二本。右手は登り、左手は降りだ。どちらの道もこの世界の足である『引き車』が十分に倒れそうな程の広さがある。
私は迷わず登りの道を行く。この山は、見上げても大した高さでは無い。この体に慣れるためにも、山道をウォーキングである。
「ううむ、魔物は人種に比べて基礎能力が高いと聞いてはいたが、全然疲れないぞこの体。」
小走りをしてみたり、スキップを踏んでみたりしたが、全く息が上がらないのだ。ん? んん? いや、この体、息してないですね。
「まさかの不死種である。いや、薄々感づいてはいたのだが。」
この鎧、中身が入っていないのだ。中身、私かと思えば、鎧、私だったのだ。
「ふむ、まあそこに拘っても仕方あるまい。おっ、それよりも山頂だ。」
程なくして山頂に辿り着く、どうだこの景色は!
一面の木に覆われた樹海である事は間違いなく、驚くべきはその樹海が四つのエリアに分かれている事だ。
美しく花が咲き乱れる場所、天高く葉を伸ばす場所、燃えるように色付く場所、枯れ葉を舞い散らす寂しい場所。
これが周囲を見渡せば丁度4分割されていると分かる。
うん、そうだな、山に登ったのならアレをやってみよう。一度やってみたかったのだ。
私は大きく息を吸い込んだ。
「ヤッッッッホオーーーーーッ!!」
周囲に山が無いので響かないのは当然だが、うん。これは中々に気持ちの良いものだ。
十分に満足した私は、今度は山を降りてみることにした。
体の基礎的な能力は凡そ理解した。ならば、次は戦いを経験せねばならないだろう。
登りに比べると短い距離で山道は終わった。岩山である部分を境目に、適度に生い茂った森に入る。
戦いもさることながら、明るい内に洞窟に色々と物を運んでおきたい。
食事が必要ない事は既に分かっている。ならば何を探すかと言うと、この周辺の木材、及び有用そうな植物のサンプルだ。
魔物として生きる以上、これはサバイバルだ。ある程度のサバイバル知識は頭に入っている。生前に使う事は無かったのだが。
木の蔦や枯れ草を使えば火起こしが出来る。木材と石を組み合わせればある程度の道具が生まれる。
なんともまあ、やりがいのある事である。
なんせこの鎧だ、知性のない魔物よりも弱いという事は無いだろう。ならば、あの洞窟を拠点とし、装備を整え、戦いによる強さを磨き、いずれは最強の魔物へ。
そうだな、まずはこの周辺のボスを目指すのも面白いかもしれない。そんな事を考えながら、私は素材になりそうな物を集めていった。
結局、一度も敵対生物に出会う事なく、私は洞窟に帰還した。もしかしたら、想像より穏やかな場所なのかもしれない。
まあいい、早速持ち帰った資材を使い、寝床を作る。と言っても、ある程度の太さの木を並べ蔦で縛り、柔らかい枯れ草を敷くだけの簡単な物だが。
まあ、それでも有ると無いとでは違うだろう。ただでさえ鎧なので、岩と擦りあった時にうるさいのだ。
そうして作業をしていると、妙なことに気がついた。
この洞窟、どうやら奥に続いているようなのだ。横の壁と奥の壁で、材質が全く違う。しかも分かりやすく壁と壁の間に隙間があるのだ。
これはもしかすると、隠し部屋というやつなのでは? 作業を終えてあちこちを調べてみるも、何一つ見つからず、かくなる上は最後の手段、力づくで破壊するしかない。
「とはいえ、今の私の力では小ゆるぎもしないのだろうが。」
指で軽く弾くと、普通の岩ではあり得ないほどの硬質な手応え。もし仮にこれを砕く事が出来るようになったら、強い魔物に成り上がったと、胸を張って言えるのかもしれない。
「決意表明と言うか、まあ、一種の宣戦布告だな。大岩よ、いつか必ず、お前を砕いてみせるぞ。これがその証明だ!」
腰を落とした構えから、全力で正拳突きを繰り出す。
ゴッ! と言う大きな音と共に、何かを打ち抜く感覚、私はその光景を、衝撃を、口があればアングリと開いて見ていた。
まず、山が揺れた。比喩ではなく本当に揺れたのだ。そして殴った手は、肘の辺りまで岩に埋まり、その周辺は圧力が強すぎたのか、赤熱しており、さらにその外側が砂状に砕けている。
「えぇ…。」
そして、大岩にヒビが入る、まるでアニメの勿体ぶった演出のように、ピシッ、ピシピシッ、と放射状に拡がり。
崩壊した。
「えぇ…。」
困惑した。
暫くのちに混乱から回復した私は、瓦礫の山を退かしながら、奥へと進む。
道は緩やかに登っていて、外側に比べて少しだが整地しているように見える。
やがて五十メートル程の道を登り切る、そこにあったのは。
「なんと…、ここは神殿だったのか。」
岩山をくり抜いただけの大広間、しかし、その際奥に鎮座するのは、私を拾ってくれた女神様の像だった。