第62話 『クラスマッチ』
クラスマッチ。
姫川凛依によって黒板にデカデカと書かれたそれは、智悠たちが通う高校でこの時期に開催される、毎年恒例の競技大会である。
世間一般では『体育祭』というのがオーソドックスな呼び方であろう。流石は進学校、隙あらば横文字を使いたがる。『スポーツ・フェスティバル』ではなかっただけまだマシか。
体育祭といえば、紅組と白組の二組に分かれて競う形式が一般的である。しかし、この高校は少しばかり趣を異にする。
『クラスマッチ』の名が示す通り、一学年から三学年、A組からG組まで、全二十一クラス対抗のバトルロイヤル。とは言っても、別に全クラス入り乱れて殴り合うわけではない。きちんとした土俵が用意されている。
というのも、
「今年も昨年と同じく、行われる競技は五種目です。必ず一人一競技ずつ、五つの中から選択して出場していただきます」
そう言って、凛依は黒板に競技名を箇条書きしていく。
サッカー。
バスケットボール。
バレーボール。
卓球。
モルック。
去年とまったく同じ五つの種目が並んだ。
どの種目も『体育祭といえば』というお題で真っ先に挙げられそうな、いたって無難なものばかりである。オリジナリティのかけらもない。
凛依は続けて、
「ちなみにこれも毎年のことですが、自分が所属している部活動の種目には出ることができませんので注意してください」
つまり、サッカー部に所属している生徒はサッカーは選べないし、モルック部所属の生徒はモルックを選ぶことはできない。
勝負に公平を期すための最低限の措置だ。全校生徒八百四十人、それぞれの運動能力ごとにハンデキャップなど考えてはいられない。人には言えない大人の事情——否、ただの現実問題である。
凛依の説明を受けて、クラスの男子生徒から早速手が挙がった。言わずもがな名前は知らない。
凛依が視線で発言を促すと、男子生徒は手を挙げた姿勢のまま話し出す。
「もしルールを破って出場した場合はどうなるんですか?」
「退学していただきます」
「急に学園黙示録」
「というのは冗談です。実際には、ルール違反が発覚した時点で不戦敗となります。とはいえ、出場するメンバーは事前に申請を出すので、その時点で不正はわかってしまいますが」
続けて、廊下側、教室後方に座る男子生徒も手を挙げる。ちなみに名前は以下略。
「姫ちゃん先生ー。俺、サッカー部とバスケ部とバレー部と卓球部とモルック部兼部してるんだけど、その場合はどうすればいいですか?」
どうやらこのクラスには一人の怪物がいるらしかった。これから彼のことは『ミライ⭐︎モンスター』と呼ぶことにする。
ミライ⭐︎モンスターからの質問はどうやら想定内だったようで、凛依は臆することなくにこやかに返す。
「ええ、もちろん知っていますよ。頑張っていますね、素晴らしいです」
パチパチと小さく拍手する凛依。ミライ⭐︎モンスターは満更でもなさそうに頬を染めている。野郎が頬を染めている。将来の金メダリストでなければ殴り倒していたかもしれない。
それから凛依は変わらぬ笑顔で、
「ですが顧問の先生たちに確認したところ、あなたはすべての部活動で幽霊部員とのことだったので、今回は特別にどの競技に出場してもかまいません。自由に選んでください」
どうやらミライ⭐︎モンスターはブライ⭐︎モンスターの間違いだったようだ。五つの部活すべてで戦力外、頼りが無さすぎる。ここで殴り倒しておくべきだろうか。
それはともかくとして、意外にも凛依の火力の高さに戦々恐々とする智悠であった。ただ優しいだけではないところも、この美人教師が全校生徒から人気を博している所以か。
凛依の発言で、クラス内がどっと笑いに包まれる。ブライ⭐︎モンスター君も一緒になって笑っている。凛依からの返しも含めて、この場を盛り上げるためのエンターテイメントなのだろう。コミュニケーションという名の。
案の定その輪の外に位置している智悠は、一人静かに窓の外を眺めるしかすることがない。その冷めた態度はまさにドライ⭐︎モンスター。三回目ともなると流石にくどい。
とはいえ、この疎外感もまた日常。
もはや安心感すら覚える。
誰もいない校庭を眺めながらどうでもいいことを考えているうちにも、担任教師の丁寧な解説は続く。
「大会形式はトーナメント戦。これはどの競技を選んでも同じです。まずは学年ごとに予選トーナメントを行い、勝ち抜いた三クラスが決勝戦に進みます。決勝戦は総当たり。二勝したクラスが種目優勝。最も優勝した競技の多いクラスが総合優勝になります」
すなわち、どの競技においても、最終的には各学年の精鋭クラスが集う三つ巴の戦いとなるわけだ。
「凛依姫。この学校は一学年七クラス。トーナメント戦だと一クラスあぶれることになりますが、そのあたりはどうなっているのでしょうか?」
前列に座る眼鏡男子(名前不詳)が本体の眼鏡をクイッと持ち上げ、そんな質問を投げかける。
どうなっているのでしょうかも何も、去年も同じイベントを経験しているのだからレギュレーションは知っているはずなのに。あの眼鏡、おそらくこの現実がアニメーションになったら実況解説モブに回されるタイプだ。あと二人称が気持ち悪い。
気持ち悪い呼び名など意に介さず、凛依はこれまた朗らかに眼鏡男子を向いて、
「各学年、一クラスはシード扱いになります。シードのクラスは競技ごとにランダムで選ばれるシステムです」
「シードのクラスはもう決まっているんですか?」
「はい。他の学年のことはわかりませんが……二学年に関してはすでに決まっています」
「どうやって決めたんですか?」
「教師飲み会の二次会の賭け麻雀で」
どうやらこの学校には最低でも七人の教師失格者がいるらしかった。生徒を賭け事の道具に使わないで欲しい。
「……」
先ほどまで「姫ちゃん先生」とか「凛依姫」とか宣っていた彼らも、流石にこれにはドン引きした様子。それくらい、美女の口から出る「賭け麻雀」なる単語のインパクトには凄まじいものがある。
唖然とする生徒たちを見て、凛依はコホンと咳払い、仕切り直す。
「……というのは冗談でして、本当は厳正なる抽選で決めました」
茶目っ気たっぷりにウィンクする年齢不詳の女教師。
先ほどから薄々感じていたけれど……この人、あの黒髪痴女と付き合っているせいで、悪い影響を受けているのではないだろうか。
姫川凛依は智悠のクラスの担任教師でありながら、智悠が所属する有志部の顧問でもある。必然、部長である黒髪痴女、もとい篠宮雪菜と関わる機会も多いだろう。
雪菜の悪戯好きは折り紙つきだ。かく言う智悠もこれまで何度からかわれ、苦汁を舐めさせられたかわからない。彼女と長く接するうちに良からぬ影響を受けていても何ら不思議ではない。
善良だと思っていた先生の思わぬ闇堕ちに若干テンションを落としていると、凛依は眼鏡男子に向けて笑顔で言った。
「ですので、あんまり度がすぎる呼び方は控えてくださいね? 社会に出てから困らないように」
「は、はい……すみません、凛依姫様」
訂正。ただ気持ち悪い二人称にお灸を据えたかっただけのようだ。ばっちり意に介していた。良識ある大人である。
生徒第一主義の温厚な先生は健在だ。
そして眼鏡男子よ、おそらくそういうことではない。
さて、紆余曲折ありながらも、これで大方のルール説明は終わった。というより毎年恒例のイベントなので、このクラスの皆が去年——入学した年に同じことを経験している。一年前とはいえ、大まかな大会ルール自体は皆の頭の中に入っているだろう。
別段大きな変更点もない。では、何故わざわざこんな懇切丁寧に説明する必要があるのか——。
「——智悠さん、智悠さん」
——否、一人だけいた。
去年のクラスにはいなかったし、この学校にもいなかった——もっと言えばこの世界にすらいなかった超自然的存在。
自由奔放な女神様——真白ハナ。
世の理を捻じ曲げてまでこの人間界を渇望していた女神様は、無尽蔵の好奇心を持っている。『好奇心は猫をも殺す』とはよく言ったものだけれど、人間界のことわざなど彼女には通用しない。
だって神だもの。ルサンチマンとは無縁の生活を送る智悠は、『神は死んだ』とは口にしない。
九つの命などなくとも、神は生き生きと生きている。今も彼の目の前で。
学校という空間に人一倍、もとい神一倍憧れを持つ彼女にとって、こうしたイベントごとは大歓迎だろう。さぞ興奮しているに違いない。
そう思いながら、呼びかけに応じて隣のハナを振り向くと——予想に反して、彼女の表情は冴えない。
形の良い眉は八の字に、浅葱色の瞳は忙しなく揺れている。
「どうした、ハナ?」
何か困りごとだろうか。もしかして、説明で分からないところがあったとか。
凛依の説明は分かりやすかったと思うけれど、それは智悠が経験者だからそう感じただけかもしれない。
人間界に精通していない女神様は、もっと噛み砕いた流動食をご所望か。
仕方ない。今は部活動の時間ではないが、これもボランティアだ。幸いなことに有志は競技に含まれていない。
以前彼女への奉仕は採点には含まれないと言われたけれど、隣の席の好しみだ、このくらい造作もない。点数稼ぎは中間テストでお腹いっぱいである。
「何かわからないことがあるなら遠慮なく言ってくれ。僕から補足するよ」
気安い調子でそう告げると、ハナは「えっと……」と適切な言葉を探すような間を置いてから、
「先ほどから……というか、以前クラスの方からクラスマッチの種目についてお聞きした時にも思ったことなのですが」
「うん」
そして真白ハナは、黒板を指差して言った。
「モルックだけ場違い感すごくないですか?」




