表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二度目の人生はロリ女神とともに  作者: 楽観的な落花生
第3章 患い少女は祈らない
31/66

第30話 『新たな舞台』


 ——壁に掛けられた時計は十七時を指し示していた。


 この部室にやってきてから、かれこれ三十分以上は経過している。


 眼下に広がるグラウンドでは、いつの間にかサッカー部が綺麗な列を作ってランニングをしていた。


 その様子を離れたところから眺めて、顧問と思しき体育教師が怒声を張り上げている。


 どうやらシュート練習時の悪ふざけを陰で見ていたらしく、今はそのペナルティの真っ最中らしい。


 率先してふざけていた三年生が先頭で集団を引っ張るその姿は、側から見ていると滑稽ですらあった。


 楽しい時間はそう長くは続かないのだ。


 ふとした瞬間にふとしたきっかけで、楽しさなんてものは簡単に瓦解する。


 それはきっと、誰にとっても同じことで。


「……これが、私と唯乃莉いのりの昔話」


 その呟きを最後に、桜井さくらい紗織さおりの『聞いてもらいたい話』は幕を閉じた。


 長らく続いていた彼女の一人語りが途切れると、部室の中には重苦しい沈黙だけが残される。


 放課後の教室。

 騒々しい雰囲気からはかけ離れた空間。

 そこにいるのは二人の男女だけ。


 そこだけを切り取るのなら、これほどラブコメチックな状況などそうそうないだろう。


 今にも告白イベントが始まりそうな雰囲気だ。


 けれど、ここにいる二人——小日向こひなた智悠ちひろと桜井紗織の間には、そんな雰囲気など皆無だった。


 彼女から告げられたのは甘酸っぱさなどかけらもない、苦い結末があるだけの告白で。


「……で。あんたは今の話を聞いて、どう思った?」


 重い空気を打ち破るように、紗織が智悠に水を向けた。


 その瞳には話す前と変わらない、薄く儚い微笑が浮かんでいる。


「面白かった? それとも可哀想って思った?」


 皮肉げに口の端を歪めて、ことさら明るい調子で訊いてくる。


 今ならわかる。

 この微笑みは、自嘲なのだ。


 かつての愚かな自分を目の前にして、思わず漏れてしまった失笑。


 だから、智悠の第一声は決まっていた。


「……小中のお前が、僕には及びもつかないくらいガチめの根暗だったってことに驚いた」


「……ぷっ。あははっ。何それ」


 結末には触れず、端的に抱いた感想だけを口にした智悠。


 割と辛辣なことを言ったつもりだったのに、紗織は小さく吹き出した。


 今度は彼女によく似合う、心からの笑みだった。


「まあ、そうだよね。自分でも喋っててちょっとうわーって思ったし」


「いや、別に根暗なことを否定したわけじゃない。僕も人のことは言えないしな。ただ、なんて言うか……、その、今のお前とのギャップがな」


 今目の前にいる桜井紗織という女の子は、どういう角度から眺めても、話に出てきたような内気少女には見えない。


 ウェーブがかった明るい茶髪に可愛さを引き立たせるメイク、ブラウスのボタンが三つほど外された制服。


 人と話すのが苦手な内気少女を名乗るには、いささか外見の派手さが目立つ。


 人を見た目で判断するのは良くないけれど、流石にこれは認めざるを得ないだろう。


「あー、うん。それは確かに」


 現に、本人もこう言っている。


「入学式までの間、かなり頑張ったからね」


 すると、おもむろに紗織はスマホを取り出した。


 何やらポチポチといじったかと思うと、スッと小さい画面を見せてくる。


「ほら、見て。これが昔の私」


 そこに映っていたのは、中学生と思しき制服姿の少女だった。


 黒髪のお下げに野暮ったい眼鏡、膝下まであるプリーツスカート。


 想像していた通り——いや、それ以上のおイモ少女が、画面の向こうでぎこちない笑みを浮かべていた。


「これは……」


「どう? 酷いでしょ?」


 これじゃあ、あんな目に遭っても仕方ないよね。


 まるで他人事のようにせせら笑う紗織。


 その表情は、いっそ笑い飛ばしてくれとでも希うかのような、見ているこちらが苦しくなるくらいの哀切に満ちていた。


 そうすることで本当に彼女の気が晴れるのなら、いくらでも笑ってやっただろう。


 涙を湛えて膝を叩き、抱腹絶倒してあげただろう——でも。


「……別に、酷くなんかねぇよ。普通だ、普通。どこにでもいる中学生の女の子だ」


 責める言葉も慰める言葉もなしに、智悠は思ったままを口にした。


 一切笑うことなく。真剣そのものの表情で。


 出来るわけがない。


 今の彼女の顔を見て——こんなに悲しい顔を見て、なお笑い飛ばすことなんて、出来るわけがない。


「僕の中学にもいたぞ。こういう見た目で、いつも一人で、誰とも話さずにずっと本読んでるような女の子」


 記憶は大分おぼろげだけれど。

 名前も思い出せないけれど。


「……その子も、私と同じ目に遭ったの?」


「いや、そんなことはなかったと思うけれど……でも、仮にそうだったとしても、別に外見が理由とは限らないだろ」


「それは……」


 智悠の指摘に声を詰まらせる紗織。


 そう。原因なんていくらでもある。


 それは名も知らない彼女だけでなく、紗織や唯乃莉のことだって。


 もちろん、側から見ても野暮ったい写真の中の姿が原因だった可能性はあるだろう。


 あるいは紗織や唯乃莉が無自覚に、そのカースト上位の女子とやらの恨みを買っていたこともあり得る。


 可能性を考え出したらキリがない。


 そもそも原因が一つとは限らないし、あるいは——明確な理由なんてなかったのかもしれない。


 ただ何となく、話題にするのにちょうど良い二人が目についたから。

 ただ何となく、目立たない二人が楽しそうに喋っているのが気に食わなかったから。


 ただ何となく、そういう空気だったから。


 理屈なんて関係ない。


 たったそれだけの『何となく』で、人はどこまでも残酷になれる。


「——この世に特別な人間などいない。それはつまり皆が特別だということだ」


 いつだったか、中二病患者が言っていた台詞を口にする。


 おそらく深い意味はない。

 ただそれっぽいことを言ってみただけの戯言だろうけれど——なるほど、言い得て妙だ。


 この世に特別な人間などいない。


 誰かが『特別』になるのは、そう扱おうとする誰かがいるから。


 良い意味でも悪い意味でも、状況次第で皆が特別なり得る。


 だから外見が酷いとか中身が悪いとか、そんなことを考えるだけ無駄なのだ——と、これも一つの解釈に過ぎないのだけれど。


 ただ確実に言えるのは、これまでの話が現実にあったということ。


 ——そして、それは全て過去のことだということ。


 もう終わった物語だということだ。


 そして、だからこそ。


「桜井——早く続きを聞かせてくれ」


「……続き?」


 キョトンと首を傾ける紗織。

 まるで何を言われたのかわからないとでも言いたげだ。


「いや、だから、さっきの話の続きだよ。まさかあれで終わりじゃないだろ?」


 智悠の問いを置き去りに、唐突に始まった昔話。

 だけど彼女は、それを『聞いてもらいたい話』だと言った。

 つまりこれは、先の質問への布石なのだろう。


 だとしたら、二人の物語にはまだ続きがあるはずだ。


「……はあ」


 その辺りのことを説明すると、紗織は呆れたようなため息を吐いて、


「……ご明察」


 と、どこかの誰かを彷彿とさせる芝居がかった仕草で答えた。


「おい、何で一回とぼけたんだよ」


「何となく」


 さっきの今でこの切り返し。

 この少女、なかなかの皮肉屋らしい。


 紗織は一度こほんと咳払いすると、


「あんたの予想通り、この話には続きがあるの」


 と前置きした。


 こちらの返す言葉は決まっている。


「聞かせてくれ、桜井。——お前が『新たな舞台に降り立った』後の話だ」






 * * * * *






「高校に入って頑張ってお洒落して、それでもやっぱり何にも変わらなかった……なんてことはなかった」


 桜井紗織の物語の続きは、そんな口上から始まった。


「入学式が終わって、教室で一人一人自己紹介した後、すぐに声をかけられたの。それがマコとカナだった」


「誠かな? 嘘なの?」


「……マコとカナ。あんたたちが駅で会ったあの二人の名前。黒髪の方がマコで、金髪の方がカナ」


 それくらい知っとけと言わんばかりに呆れた表情をされた。


 なるほど、あのギャル二人組はマコとカナと言うのか。


 覚えておこう。多分この教室を出た瞬間に忘れるだろうが。


「信じられる? あの二人って別に同中でもないのに、入学式前にすぐ友達になったんだって」


「まあ、そういう奴はいるわな」


 新たな学び舎で友達を作るために、まずすべきことは何か。


 答えは『自分と同類を探す』だ。


 基準は何でもいい。

 直感やフィーリングで同じ匂いを持つ人間を選定し、とりあえず徒党を組む。


 それができてしまえば、あとは流れで自然に関係性は築き上げられていく。


 連中が得意な『ノリ』というやつだ。


 そして、逆にそれができない奴が孤立の道を辿ることになる。


「何とか女子高生っぽくはなったけど、それでも私はやっぱり不安だった。またあんな目に遭うんじゃないかって。またあの目を向けられるんじゃないかって」


 一年前のことを思い出したのか、声を震わせる紗織。


「でも、いざ蓋を開けてみると、本当に呆気なく友達ができちゃった。声かけられて、その流れで遊びに行って、すぐに二人と仲良くなった」


「すげぇな、ギャルの行動力」


「私も最初は戸惑ったけれど……でも、普通に楽しかったよ」


「……楽しかった、ね」


「うん、楽しかった。私、ちゃんと女子高生やれてるって感じがした……何、その目?」


「いや、何でもない」


 胡乱げな紗織の指摘に頭を振って、嫌味な思考を追い払った。


 大丈夫——彼女は『本当に』楽しいと思った学校生活を語っている。


 口元に浮かべられた微笑みがそれを教えてくれている。


「……あんたの言いたいことはわかる。私が無理してあの二人に合わせてるんじゃないかって、そう思ってるんでしょ?」


「何で全部言っちゃうんだよ。せっかくクールに黙っておこうと思ったのに」


「元・根暗の観察眼、舐めないでよね」


 そう言って紗織は不敵に笑う。

 その嫌味な笑顔は、やはり誰かに似ている気がした。


 同じ穴の狢。


「……まあ何にせよ、純粋に楽しかったってんなら良かったじゃん。眠れるコミュ力が開花したとか?」


 冗談めかして言うと、彼女は肩を竦めて、


「……人って不思議だよね。つい最近まで全然人と話せなかったのに、見た目を変えただけで普通に話せるようになるんだから」


 と言う。


 だが、すぐにゆるゆると首を振った。


「……いや、違うか。そうじゃない。……多分、嬉しかったんだと思う。これまで誰とも関われなかった……認識すらされてこなかった私が、ああいう子たちと友達になれたことが、嬉しかった」


 嘲笑ではなく、嗤笑でもなく、純粋な友への笑顔を向けられることが嬉しかった。


 それは、どん底を経験した彼女だからこそ口にできる、悲愴なまでの独白だった。


「……そうか」


「うん。嬉しくて、楽しくて……報われた。一緒にご飯食べたり、駄弁ったり、買い物したり、カラオケ行ったり……そうやって毎日過ごしている内に、一年が経って」


 ——そして彼女は、二年生になった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ