第27話 『予期せぬ邂逅』
この駅ビルの大型書店は、上から見ると、いわゆるコの字形になっている。
そして丁度その中央、コの字の窪んだ部分に相当する場所には、コーヒーショップが併設されているのだ。
コーヒーでも飲みながら買った本をゆっくり読む場所を提供しようという意図なのか、はたまたそうでないのかはわからないけれど、ソファや長椅子まで用意されているところを見るに、おそらく前者なのだろう。
とは言え、空間がそのように作られていようと、誰もがその意図を汲んで、静謐に読書に興じてくれるとは限らない。
「あっれぇー? 水卜さんじゃーん」
————突如として耳朶を打った甲高い声は、そのコーヒーショップの方から聞こえてきた。
反射的に振り返る。
そこにいたのは、二人組のJKだった。
その内の一人、声をかけてきた方の少女。
ド派手に染め上げた金髪に、健康的な小麦色の肌。
素人目に見れば、とりあえず厚く塗りたくったような印象を受ける濃いメイク。
見た目だけで強烈なインパクトを放つその少女は、『百獣の王』ライオンを思わせる獰猛な笑みを、厚化粧に縁取られた瞳に浮かべていた。
女子なのに王というのもおかしな話だが。
そしてもう一人。
やや後方からこちらを覗き込む少女は、金髪の彼女とは対照的な印象を受ける女の子だ。
長く伸ばした黒髪に、厚くもなく薄くもない塩梅で施された化粧は、一見すると清楚そうな印象を与える。
しかし、よくよく見てみればわかる。
彼女の瞳————物陰に隠れて虎視眈々と獲物を狙う、蛇のようなその狡猾な瞳を見れば、彼女が清楚を『演じ』ているだけなのだと。
虎視なのに蛇というのもおかしな話だが。
休日にもかかわらず二人は何故か花魁ばりに着崩した制服を着ており、手にはそこのコーヒーショップで買ったのだろう、呪文のような長い横文字の新作フラペチーノを持っている。
これを、この生き物を『JK』と呼ばずして何と呼ぼうか。
桜井紗織がただの可愛い女子高生に思えるくらい、ベタベタな金髪ギャルと清楚風ギャルが、そこにはいた。
「……って、あれ?」
キツい雰囲気を惜しげもなく晒す女子高生を観察していた智悠は、そこでふと気づいた事実に首を捻った。
ギャル二人組が着ている制服は、胸元が大胆に開き、スカートが極限まで短くなっているものの、智悠たちが通う高校のものだ。
しかし智悠には、こんなイマドキとも言えない露骨なギャルたちに見覚えはない。
一体こいつらは誰なのかと思っていると、清楚風のギャルが口を開いた。
「こんなとこで会うなんてグーゼンじゃな〜い?」
妙に間延びした、甘ったるい作り物めいた声色で、馴れ馴れしく話しかけてくる。
「いやホント、マジでグーゼン。ちょーレアキャラじゃん。キャハ、ウケるー」
それに追従するように、金髪ギャルが器用にフラペチーノを持っている手を叩いて笑い出した。
そして、ひとしきり笑ったと思ったのも束の間、二人の視線が、今度は唯乃莉の服装に集中する。
「つーか、水卜さん、何その格好! すげぇー!」
「あ〜、それ、アタシ知ってる〜。オタクってやつでしょ〜?」
口々に「ウケる」「ウケる」と、その言葉しかプログラミングされていないコンピュータのように言い合うギャルたち。
二人が自分たちの世界に入り込んでいる間に、智悠は隣の唯乃莉に耳打ちした。
「おい。こいつら、お前の知り合いか?」
小さく問いかけるも、唯乃莉からの反応はない。
じっと、目の前で笑い合うJKを見つめている。
「……おい、水卜?」
「——ッ、な、何かな?」
やや声量を上げると、今度はちゃんと届いたようで、唯乃莉はこちらを振り向いた。
その様子を少しばかり訝しみつつも、
「いや、こいつら誰? 何かさっきお前のこと呼んでたみたいだけど」
「……ただのクラスメートだよ。それ以上はない」
もっとも。
それ以下ではあるかもしれないけれど。
と、彼女は言った。
その意味するところは測りかねるが、どうやらこの二人組は唯乃莉が所属する二年C組の生徒らしい。
それならば、智悠の方に見覚えがないのも頷ける。
何せ、自分のクラスメートの顔すら未だに覚えられていないのだから。
況や他クラスをや。
「いやー、学校で着てるあのぶっかぶかのパーカーもウケるけど、これはヤバい……って、あん?」
と、そこで。
自分たちの遊女めいた格好を棚上げにして、唯乃莉のファッションに腹を抱えていた金髪ギャルが、ふと智悠に視線を向けた。
ずっと隣にいたのに、まるで今初めて存在を認識したかのように、長い睫毛に縁取られた目をパチクリと瞬かせる。
そして、頭のてっぺんから爪先まで、全身を舐め回すように眺めた後、最後にもう一度、顔面をまじまじと見つめてきて。
智悠は悟る。
これは、あの目だ————他人を値踏みする時の、あの目だ。
「——ぷっ」
やがて金髪ギャルは、口元を小さく膨らませると。
「アッハッハッハッ! えぇー、マジ!? 何、水卜さん男連れ!? ちょーウケるんだけど!」
本屋の雰囲気をぶち壊す不躾な大声で、せっかくのフラペチーノを溢さんばかりのオーバーリアクションで、盛大に吹き出した。
周りにいる他の客が何事かとこちらを一瞥したが、ギャルたちの顔を見た途端にサッと視線を逸らす。
当たり前だ。
誰が好き好んで、こんな身なりをした奴らのいざこざに、わざわざ首を突っ込もうと思うのか。
彼女の隣では、声は上げないまでも、清楚風ギャルも同じようにクスクスと笑っている————否、嗤っている。
そう、嗤い。嗤笑。
この二人は、『小日向智悠と一緒にいる水卜唯乃莉』を見て、確かに嗤ったのだ。
明言はされていない。
直截的に、何か言葉をぶつけられたわけでもない。
だが、それが意味するところに気づかないほど、智悠は鈍感にはなれない。
「水卜さん、大人しそうな顔してるくせに、やることやってんじゃーん!」
「ちょっと〜、あんた、ヤることとか言わないでよ〜。こんな時間からヤラシ〜」
「えー、アタシは別にそーゆー意味で言ったわけじゃないしー。ケンゼンなお付き合い的なやつだしー。そう言うあんたの方がヤラシー」
口ではお互いを否定しつつも、二人は顔を見合わせてクスクスと仲良く笑い合う。
これはまずい。
こんなことを言われて、この饒舌な中二病が黙っているわけが————、
「おい、水卜……」
声をかけようとして、しかしその言葉は続かなかった。
「————」
唯乃莉の身体が、震えていたからだ。
あくまで視線は眼前のJKたちに固定したまま、しかしその紅の瞳は不安げに揺れ。
——それは記憶に新しい、ホラー映画を観ていた時の表情に、酷く似ていて。
でも、その時に抱いていた感情とは、多分、おそらく、酷く違くて。
だから智悠は戸惑ってしまう。
あの、水卜唯乃莉が。
一を訊いたら十どころか百千万と返ってくる、照れ隠しでものべつ幕なしに回りくどく喋っていた中二病が。
一言も言葉を発さず、ただ震えているだなんて————怯えているだなんて。
目の前の二人に沈黙が立ち込めている空気も読まずに、ギャル二人組は自分たちの話を続ける。
それは会話のようで会話ではない。
ただただ一方通行のコミュニケーションだ。
「まっさか、あの水卜さんに彼氏がいるなんてねー。全然気づかなかったわー」
「水卜さん、いっつも教室で一人でいるもんね〜」
「ほんそれ。誰かと喋ってるとこ見たことないよねー」
「授業で喋ったと思ったらわけわかんないことばっか言うし〜。そんなに頭良く見られたいのかな〜?」
「そーゆーの、むしろ見ててカワイソーってゆーかー。でも、ぼっちのくせに彼氏クンとはラブラブデートとか、なーんかチョーシ乗ってるくない?」
「ほんそれ。……まあ、でも、お似合いなんじゃない……ねぇ?」
そこで、清楚風ギャルが智悠の方をチラチラ見ながら言った。
その口元に、抑え切れない嘲笑を浮かべて。
「ぷっ、確かに。暗ーい人同士、末長くお幸せにってカンジ? キャハハ!」
それに同調して、金髪ギャルがあけすけに見下した笑い声を上げる。
教室での唯乃莉の様子から、今度は智悠を巻き込んで二人への嘲笑。
嘲る対象が目まぐるしく変わる。
外見だけで智悠を『暗い』と判断したことに思うところはあるが————そこでようやく、先の唯乃莉の発言の意味が理解できた。
なるほど————これは確かに、それ以下だ。
初対面の人間を、クラスメートを、ここまでコケにできるなんて。
それからもギャルたちは智悠と唯乃莉を出しにしてひとしきり爆笑し、やがて満足したのか、終いには、
「あー、面白かった。ひっさびさこんな笑ったわー」
「水卜さん、ありがと〜。彼氏クンも〜」
長い爪で目元を拭い、皮肉な感謝の言葉を残して、一方的にその場を去って行った。
未だに笑っているのが、肩を揺らす後ろ姿からもわかった。
「……」
「……」
取り残された二人は何も言わない。
いや、言えない。
まるで台風が去った直後のようだ。
しかしながら、台風一過の晴れ間とは裏腹に、智悠たちの間にあるのは、ただただ重たい沈黙のみ。
「…………悪い」
その沈黙に耐えられず、智悠がぼそりと呟く。
「……どうして君が謝るんだい?」
随分久しぶりに、唯乃莉の声を聞いた気がした。
「いや……、何か、言い返してやった方が良かったのかと思って」
「……別に、君が気にすることじゃないよ。むしろ、ボクの方が君に感謝しなきゃいけない立場なんだから」
「感謝?」
「波風立てないようにしてくれたんだろう? その配慮をふいにするほど、ボクは未熟者ではありたくない」
「……」
その言葉に、今度こそ智悠は何も言えなくなる。
それを無言の肯定と受け取った唯乃莉は、
「ボクの方こそ、悪かった。見苦しいところを見せてしまったね。君にも酷いことをした」
「……いや、僕は別に構わないけれど……、それに、お前が何かしたってわけじゃないだろ」
「慣れてるものだと思っていたけれど、いやはや、まさかこんなところで遭遇するとは思わなんだ。あまりに突然過ぎて、少しばかり動揺してしまったよ。ボクとしたことが、情けない」
まるでさっきまでの時間を取り戻そうとするかのように、いつも通りにつらつらと舌を踊らせる唯乃莉。
でも、その横顔は、とても『いつも通り』には思えなくて。
知り合って間もない智悠が、こんなこと、言えた口ではないけれど。
「おい、水卜——」
動揺と。
果たして、あれがそんな言葉で片付けてしまって良いほどの様子だっただろうか。
「……さて、もうそろそろ良い時間だし、帰るとしようか」
智悠の呼びかけを遮り、唯乃莉が書店の時計を見ながらそう言った。
つられて智悠も視線を向ける。
時刻は午後四時を過ぎたところだった。
「……ああ、そうだな」
言わないということは、言いたくないということなのだろう。
ならば、これ以上の詮索は無粋だ。
ここは彼女の意向を汲むことにする。
流石に、この状況でデートを続行しようと思うほど、智悠は鋼のメンタルを持ち合わせてはいない。
智悠の返答に安堵の息を吐き、唯乃莉が小さく「恩に着るよ」と感謝の言葉を口にした。
それから、ワンピースの裾を翻して書店を出て行こうとする。
智悠も遅れてそれに続いた————と。
「あ……」
その視線の先に、雪菜たち三人の姿を見つけた。
三人とも、既に変装グッズは全て外している。
どうやら、一部始終を後ろから見ていたらしい。知っていたけれど。
まさかいきなり振り向かれるとは思っていなかったようだ。
あるいは、隠れることを忘れるくらい、目にした光景が衝撃的だったのかもしれない。
ばつの悪い表情をしながらも、何と声をかければ良いのかわからず、呆然と立ち尽くす三人。
唯乃莉は一瞬だけ足を止めたが、構わずに横を通り抜けようと————、
「あっ、い、唯乃莉……」
ただ一人、紗織が掠れた声を漏らした。
だが、咄嗟にまろび出ただけの言葉は続かず、意味のない音となって消えていく。
そんな彼女の顔を見ることもなく、唯乃莉はすれ違いざまに、ぽつりと。
「——やっぱり、君は、そうなんだね」
その諦念めいた呟きは、彼女以外の誰にも聞かれることはなかった。