第23話 『プランM』
智悠と唯乃莉が、およそデートをしているカップルとは程遠い会話を繰り広げている一方で、ストーカー三姉妹はというと。
上手いこと(?)建物の陰に隠れ隠れしつつ、前を行く二人の背中を追いかけ回していた。
先頭から雪菜、その後ろにハナ。
そのさらに後ろに、少し遅れて紗織が続く。
並んで歩く二人を後方からじいっと眺めつつ、陰からひょこっと顔を覗かせると、
「……大変だわ、二人とも」
と、雪菜が神妙な呟きを漏らした。
「どうしたんですか、篠宮さん?」
「まさか、尾行がバレたとか?」
ハナと紗織が不安げに訊くが、雪菜はふるふると首を振る。
「いいえ、そうじゃないわ。この格好をしていれば、バレるわけがない」
今の自分たちは、言わば暗躍する忍びの者。
忍びはその姿を怪しまれるわけにはいかない。
だから、さっきからやたらと往来の人々が自分たちを見てくるのも、それも何やら珍奇な者を見るような視線を向けてくるのも、単なる思い過ごしに違いないのだ。
「だから、私たちの尾行は完璧よ」
「そ、そうですか……」
智悠と唯乃莉サイドにはとっくにバレているとも知らず、そんな悠長なことを言う雪菜に、紗織は思いっきりツッコみたい気持ちを何とか堪えた。
出会って間もない先輩にツッコむほどの度胸は、紗織にはない。
とは言え、これまでこの人と関わってきて薄々感づいてきたことだが、この先輩、ひょっとしたら学校での評判以上に変人なのではないだろうか。
学校内では変人として知られる篠宮雪菜先輩に会うということで、有志部を訪れた当初は結構緊張していた紗織。
だが、ここまでくれば、逆に安心できるというか———もう雪菜相手にそこまで臆していない自分がいることが、何だか不思議だった。
「で、結局何が大変なんですか?」
改めて紗織が尋ねると、雪菜は形の良い眉を顰めて、
「ここからだと、二人の姿は見えても、会話の内容までは聴き取れないということに気づいたのよ」
「今更ですか」
すんなりツッコミの言葉が出てくる紗織だった。
てっきりそれ込みで尾行しているものだと思っていたが、この先輩、会話の盗み聞きまでする気だったらしい。
「こういうことなら、事前に智悠君の服に盗聴器でも仕掛けておくべきだったかしら……」
「篠宮さん、流石にそれは……」
「発想が怖い……」
ストーカー三姉妹・長女の物騒な発言に、次女と三女が盛大に引いていた。
盗聴が犯罪になるかどうかは議論が分かれるところだろうが、およそ女子高生が持っていい発想ではあるまい。
紗織の中で、先ほどの疑惑が確信に変わった。
「まあ、それは流石に冗談だけれども———ッ」
と、そこで雪菜が慌てたような声を上げ、驚くべき身のこなしで建物の陰に引っ込んだ。
何が起こったのかわからぬまま、彼女につられるように、ハナと紗織も素早く身を隠す。
「ど、どうしたんですか?」
「……今、智悠君がこっちを見ていたわ」
ハナの問いに、雪菜は壁に背を預けた直立不動の姿勢でそう答える。
今確かに、前を行く智悠と目が合った。
「バレてしまいましたか?」
「やっぱりこの格好に無理があったんじゃ……」
ハナと紗織は口々に不安げな声を漏らすが、流石は最上級生と言ったところか、雪菜は至って冷静な分析をする。
「いや、ただ後ろを見ただけの可能性もあるわ。ほら、常に周りを気にする習性があるとか。彼、友達いないし」
「「な、なるほど……」」
この場に本人がいたら、さぞかしキレのあるツッコミを受けていた———否、普通にキレられていたであろう失礼な発言だった。
「とは言え、ここからはさらに慎重を期す必要があるわね。気を引き締めていきましょう」
既に自分の巨大なバストでバレているとは毫も知らない最上級生に従い。
ポンコツ女子高生たちは尾行を再開するのだった。
* * * * *
今回の水卜唯乃莉矯正計画。
こちらからの一方的な要請である都合上、デートプランは全て有志部側に一任されている。
月曜日の放課後。
雪菜の提案から紗織が連絡を入れ、唯乃莉から了承の返事をもらってから今日までの四日間、有志部メンバーに紗織を加えた四人は、ひたすらに有効的なデートプランを練っていたのだ。
有志部初の依頼ということで皆気合いが入り、議論は実に難航した。
「やっぱり、まずは手始めにホテルじゃないかしら?」
雪菜が情熱的なエスコートを企て。
「日向ぼっこなんていかがでしょうか!」
ハナが童心溢れるプランを提案し。
「彼女どころか友達とも出かけたことないから、さっぱりわからん」
智悠が己の無力に打ちひしがれつつも、必死に頭を悩ませた。
それぞれがそれぞれの主義主張をぶつけ合い、案を出しては吟味、否定、修正を繰り返し、悩みに悩み抜いた末にたどり着いた、水卜唯乃莉攻略へのデートプランは————、
「———映画館だ!」
「ザ・普通だね」
いつになくテンションを上げた智悠だったが、唯乃莉の反応はこの通り、大分鈍かった。
駅の南口に林立する商業施設の一角。
映画館がはいっている建物の入口に、二人は並んで立っていた。
「それにしても、最初が映画とは。『デートスポット 初めて 無難』で検索したら真っ先にヒットしそうなチョイスだね」
「そう言ってやるなよ。一応これは桜井が考えてくれたプランなんだから」
有志部の中だけではどうしても意見がまとまらず、第三者的なアドバイザーとして紗織の意見も参考にさせてもらった————というか、最終的に決まったプランのほとんどが紗織の意見だった。
三人の会議を眺める傍らで、しきりにため息を吐いていた彼女の姿が思い出される。
「まあ、あの子なら、そうか」
納得したように呟き、唯乃莉が自動ドアをくぐる。
智悠もそれに続いた。
入ってすぐにあるゲームセンターを右に折れると、奥のエリアが映画館となっている。
休日ということもあって、館内はそれなりに混雑していた。
どうやら、今日から公開予定の新作映画があるらしい。
そのチケットを買い求める客で、カウンターには長い列ができていた。
「今日は何の映画を観るのかな?」
現在公開されている映画のスケジュールが表示されたディスプレイを眺めながら、唯乃莉が訊いてくる。
「今話題の新作映画かい?」
彼女が言う新作映画は、残り座席数が『△』と表示されている。
それは座席数が残りわずかであることを示すマーク。
「生憎、僕は気になる映画は公開終了直前に観に行くような人間なんだ」
「奇遇だね。ボクもだよ」
列は予想以上に進みが早く、あと数人で智悠たちの番がくるところまで来ていた。
「今日は恋愛映画を観るつもりだ」
先程の問いに、智悠は遅れて答えた。
「恋愛映画か。これまたオーソドックスだね」
「これも桜井の案だけどな。男女が距離を縮めるには効果的らしいぞ」
何でも、今をときめく俳優と女優がダブルで主演を務め、カップルの間で大人気の映画があるらしい。
公開してから何日かが経っているが、まだまだその勢いが衰える気配はないと話に聞いている。
智悠はタイトルを教えられてもさっぱりわからなかったけれど、目的達成のためだ、今回はその映画にお世話になることにしよう。
「デートに映画で、しかもジャンルが恋愛なんて、本当に普通の高校生みたいだね」
「そりゃあ、普通の高校生だからな」
「普通の高校生は、こんなわけのわからない事情で男女で出掛けたりなんかしないよ」
クスクス笑っていた唯乃莉は、そこでカウンター脇に設置されている大型ポスターに目を留めた。
智悠もつられて視線を向ける。
それは『シリーズ史上最恐』を謳い文句にしたホラー映画の広告で、不穏な雰囲気を醸し出す暗闇の背景に、センターには大口を開けてニタリと嗤う少女の顔のアップ。
公開日からは既に何週間かが経過している。
それでもまだ目立つ場所にポスターが置かれているのは人気がある証拠か、あるいは一際目を引くインパクトゆえか。
見ているだけで背筋が粟立つようなポスターを、唯乃莉は小さく口を開けてじっと見つめていた。
片方だけ覗く紅眼には、期待と興奮が入り混じった子どものようなそれがあった。
「————」
列が進み、ようやく二人の番が来る。
「すいません、チケット二枚お願いします」
スタッフにそう言って智悠が指し示したのは、話題の恋愛映画ではなく、ホラー映画だった。
ついさっきまで見ていたポスターの映画。
座席を指定し、チケットを購入する。
「え……?」
唯乃莉が目を見開いて智悠の横顔を見ていた。
前髪で隠れていてわからないが、おそらくもう片方の目も、同じように大きく見開かれていることだろう。
無事二枚のチケットを受け取ると、
「ほい」
「あ……」
唯乃莉の分の半券を渡し、映画のお供を購入しようと売店に足を向けた。
チケット売り場と同じく、いやそれ以上に売店には人が並んでいる。
これは結構かかりそうだ。
最後尾に並ぶと、数歩遅れて、パタパタと唯乃莉が駆けてきた。
「ちょ、ちょっと、今日は恋愛映画を観るんじゃなかったのかい? さっきそう言ってたじゃないか」
渡した半券を握り締め、そんなことを言う。
「まあ、そうだな。さっきはそう言ったな」
「なら……」
「でも、観たいんだろ? その映画」
彼女が握る半券に視線を落とす。
あのポスターを眺めていた彼女の目は、確かにそう言っていた。
「だったら、観たい映画を観るべきだろ。別に桜井に提案されたってだけで、僕が恋愛映画を観たかったわけじゃないし」
あくまで作戦を上手く運ぶために都合が良かったというだけの話。
そこに当人の意思が加わるのなら、プラン変更など造作もない。
「それはそうかもしれないけど……」
なおも言い募ろうとした唯乃莉だったが、流石に分が悪いと思ったらしく、それ以上は続かなかった。
代わりに、
「……何か、嫌だ」
「は?」
「君にいいように扱われたみたいで、何か嫌だ」
ジトっとした目つきで智悠を睨めつけ、そう恨み言をこぼす。
それを見ていたら、自然と笑みがこぼれ出た。
「まあ気にすんな。僕が持つ百八のモテテクの一つを披露したまでだ」
だからこそ、ここは思ってもいない軽口で応じる。
「……そういうことはわざわざ言わずに、無意識にさらっとこなすから効果があるものだと思うけれど」
「僕は、明らかにヒロインの好感度が上がる行動をとった後に、『別に、俺としては当たり前のことをしただけなんだけどな……』ってモノローグで語るような鈍感系ラブコメ主人公が嫌いなんだよ」
例えば女の子に素で「可愛い」と言ったりだとか、そんなところ。
大体、その後に『どういうわけか顔を真っ赤にしていた』と続くのだ。
そんな当たり前があってたまるものか。
恋愛と打算は表裏一体なのだ。
「まあ、僕、恋愛したことないんだけれども」
「今の一言で一気に説得力がなくなったね」
唯乃莉は呆れたような吐息をこぼす。
それからふっと破顔して、
「……ほんの少し、君に興味が湧いてきたよ」
と言った。
どういうわけか、顔を真っ赤にしてはいなかったけれど。
「そうか。それは何よりだ」
努めて素っ気なく返しつつ、二人は行列が進むのを待った。
程なくしてスタッフの目の前にたどり着く。
「いらっしゃいませ。ご注文は?」
元気のいい若いスタッフの問いかけに、
「ポップコーンの塩味」
「ポップコーンのキャラメル味」
智悠と唯乃莉、二人の声が重なった。
「…………」
「…………」
無言で、お互い、顔を見合わせる。
一瞬のアイコンタクト。
疑問、理解、納得、妥協———二人の思考が瞬時に交錯する。
同時に頷き合い、再び前に向き直った。
二人の口が一斉に開く。
「ポップコーンの塩味」
「ポップコーンのキャラメル味」
それからも二人の声が揃うことはなく。
若い店員が、営業スマイルを引きつらせて固まっていた。