第18話 『彼女の正体』
水卜唯乃莉の冗長極まる一方的な事故紹介、もとい自己紹介により、部室内の空気は一瞬にして静まり返った。
誰も何も言わず、気まずい、と言うよりは戸惑っている空気が広がっているのをひしひしと感じる。
有志部の面々は三者一様、皆口をぽかんと開けて閉口している。
隣席に腰掛ける同行者、桜井紗織は、頭痛を堪えるかのように、額に手を当てて小さいため息を吐いた。
その顔が朱に染まっているのは、チークのせいだけではないのだろう。
気が重くなるような静寂ののち、いち早く我に返ったハナが、慌ててぺこりと頭を下げた。
「ま、真白ハナです。よろしくお願いします」
そして、促された通りに名を名乗る。
その内容は、名前と挨拶の一言のみ。
簡潔かつ明瞭な、まさに理想の自己紹介だった。
間違っても、長ったらしい断りだったり、自身の名前の由来だったり、それに対する自分の解釈だったり、くだらない駄洒落だったりを余計に盛り込むなんてことはしない。
『私は◯◯と言います。あなたは?』という一言を、冗漫に冗漫を重ねて、息つく間もなくつらつらと、のべつ幕無しに言い募ることなどするわけもない。
それをしてのけた、してのけてしまった張本人は、大仰に腕を組み、うんうんと頷いていた。
「真白ハナさん、か。うん、可憐で華麗な良い名前だと思う。真白ってのも、君から溢れ出る純真なオーラに合っていて素晴らしい。ところで、リボンの色が赤ってことは、ハナはボクと同じ二年生だよね。そうじゃないのなら、ボクは年功序列に従って、これからは口調を改めないといけないんだけど」
「あ、はい。二年生です」
未だ会話のペースが掴めないのか、ハナが戸惑いながらも肯定した。
「———ああ、そうか。確か、二のBに転入生が来たって騒いでいたっけ。金髪で異国風の美少女っていう噂だったから、一体全体どんな人なのかとボクも気になっていたんだ。でも、そうか。ハナ……あ、さっきから勝手に呼んじゃってるけど、呼び方、ハナで良い?」
「え、あ、はい」
「ありがとう。ハナがその転入生だったわけだ」
何やら一人で納得しているご様子だった。
それにしても、本当によく喋る女の子だ。
こちらが一訊けば、十どころか百千万と返ってくる。
何なら訊かなくても返ってくる。
お喋りという点では、有志部が誇る黒髪痴女、現在は思考停止している篠宮雪菜も大概だが、水卜唯乃莉のそれは、彼女とはベクトルが違うように思う。
彼女から受けた印象を端的に言い表すのなら———水卜唯乃莉は、言い回しがくどいのだ。
話が長いのではなく、話がくどい。
一言で済むところを二言三言で話し、訊いてもいない情報を恣意的に付け加える。
仰々しい言い回し、難解な台詞、どこか芝居がかった口調や態度———それらが指し示す事実は一つしかない。
つまるところ、水卜唯乃莉は———
「唯乃莉、ちょっと黙って」
頭の中の結論が言葉になる直前、智悠の思考を遮ったのは、紗織の冷ややかな声音だった。
見れば、紗織は唯乃莉が着ているパーカーの袖口をがっと掴み、俯いてぷるぷる震えている。
その顔は羞恥で真っ赤に染まり、今にもボンッと爆発しそうだ。
いきなり袖を掴まれた唯乃莉は、こてりと可愛らしく小首を傾げた。
短めの黒髪がさらりと揺れる。
「紗織? 急にどうしたんだい?」
「いいから。座って」
今度は強い口調で言って、切れ長な瞳でキッと睨みつける紗織。
唯乃莉はわけがわからないと瞳を丸くしながらも、その視線に何かを感じ取ったのか、渋々その言葉に従って腰を下ろした。
会話がなくなり、再び部室に森閑とした空気が流れる。
「……桜井さん?」
ようやく頭が回り始めた雪菜が、気遣わしげに声をかけた。
紗織は何でもないと首を振り、すっと居住まいを正す。
未だ顔は赤いままだが、その表情は真剣そのもの。
自然、対面に座るこちらも背筋が伸びる。
やがて、彼女は一つ大きく息を吐くと、
「これでわかったと思いますが、この子———唯乃莉は、病気なんです」
と言った。
病気。
その言葉に、二人は揃って「やっぱり」と言いたげな顔をする。
だが、一人だけ———ハナだけは、その言葉に食い気味の反応を見せた。
「病気って、そんな………た、確かにちょっとだけ話していておかしいなとは思いましたが、でも、それで病気だなんて……」
「………いいえ。真白さん、それは違うわ」
唯乃莉を擁護しようとしたハナを、雪菜の冷静な声音が遮った。
「え?」
予想外の否定の言葉に、ハナの瞳に困惑が宿る。
雪菜は続いて、隣に座る智悠に「そうよね?」との意図を込めた視線を送ってきた。
それに智悠は軽い頷きを返し、久方ぶりに口を開いた。
「安心しろ、ハナ。こいつは確かに病気だが、それはハナが思ってるような病気じゃない」
「えっと、それはどういう……?」
形の良い眉を顰めるハナに、智悠は眼前の少女を形容するのに最適な答えを告げた。
「こいつは———水卜唯乃莉は、中二病だ」
* * * * *
「ちゅーにびょう?」
聞き慣れない単語に、ハナが口をウの字にして首を傾げた。
まるで幼子のキス顔みたいで何とも可愛らしいが、そんなことを言っている場合ではない。
中二病。
わざわざ説明するまでもないくらい、今や誰もが耳にしたことのある言葉。
中学二年生の時期に選ばれしチルドレンが発症すると言われる、原因不明にして、医療技術の進歩著しい現代ですら特効薬が開発されていない恐ろしい病である。
何でも、この奇病を患った者は、側から見ているだけでも痛々しい言動の数々に侵されるのだとか。
中二病と聞いてまず真っ先に思い浮かべるのは、所謂『邪気眼系』というやつだろう。
フィクションでよくある不思議な力や超常的な異能に憧れを持ち、自分にもそれらが備わっているのだと空想する。
もちろんそんな能力を持った奴が普通の人間のはずがないので、やれ自分はドラゴンの生まれ変わりだとか、魔王の血をひいているだとか言って、自らを特別な存在に仕立て上げる。
そして、平凡な一般市民との差別化を図るために、怪我もしていないのに眼帯や包帯、絆創膏をしたり、身体のどこかに謎の紋様を描いたり、カラーコンタクトを入れたり、よくわからん十字架のネックレスをつけたりする。
あとは、闇属性や陰魔法への適性が高いので、やけに黒っぽい衣装を好んで着る。
そうして作り上げた設定に基づき、世界に定められた運命に従い、彼らは闘い続けるのだ。頭の中で。
———だがしかし、中二病の定義はそれだけに止まらない。
中二病が思春期特有の痛々しい背伸びした言動を指すのなら、この水卜唯乃莉も立派な患者だと言える。
むしろ、原義としてはこちらの方が正しい。
達観したような回りくどい台詞回しや語尾を好み、小難しい二字熟語や四字熟語をやたらと使って喋ろうとする。
水卜唯乃莉の場合、まず間違いなく後者だろう。
レッツトライ。
確かめるべく、智悠は唯乃莉に話しかけた。
「水卜、お前は自分が特別な人間だと思うか?」
「愚問だね。この世に特別な人間などいない。それはつまり皆が特別だということだ」
はい中二病。
第一声が『愚問だね』ってところが特に。
このように、どこかで聞き齧ったような哲学を宣うのも、中二病患者の典型例だ。
アニメやラノベ、ゲームが広く普及している昨今、この世界では中二病と聞けば誰もがピンとくるはずなのだが、俗世と隔離された天界までは、どうやらその余波は届いていないらしい。
中二病の何たるか、智悠の説明を受けたハナは、頬に手を当ててしきりに首を捻っていた。
大きな瞳が「イミワカンナイ……」と雄弁に語っている。
初めて知る概念に戸惑うのも無理はないし、女神は不安よな。
雪菜、動きます。
「真白さんも、ちょっと大人の真似事をしてみようと思ったことはあるでしょう? それが行き過ぎたと言うか、度が過ぎたものと思ってくれればいいわ」
「なるほど………」
大分噛み砕いた流動食のような補足説明だったが、存外ハナにとってはわかりやすかったらしい。
どうやら自身にも思い当たる節があるようだった。
正直、大人でもあんなコミュニケーションの取り方はしないと思うが。
むしろ大人だからこそしないと思うが。
と、ハナへの中二病解説が終わって一息ついたところで、智悠はふと視線を感じて顔を上げた。
机を挟んだ正面、唯乃莉が片方の紅眼でじっと智悠を見つめている。
無言で「あの……何か?」と視線を送ると、唯乃莉はゆるゆると首を振って肩を竦めた。
「いや、そう言えば君の名前をまだ聞いていないと思ってね。有名人である篠宮先輩のことはもちろん存じ上げているけれど、ほら、ボクって男友達がいないからさ。男子生徒の情報には疎くて疎くて」
その言を聞いた横の紗織が何か言いたそうな苦い顔をしたが、唯乃莉はそれに気づかない。
「ああ、そう言えば自己紹介がまだだったな。僕の名前は小日向智悠だ」
先のハナに倣って簡潔に名乗ると、唯乃莉は顎に手を当ててふむと頷く。
「小日向智悠か………さしずめ、『陽光の賢者』といったところかな」
「は? 陽光の賢者?」
何かよくわからない中二病じみたあだ名をつけられた。
何だろう、純真なオーラと形容されたハナよろしく、智悠からも賢そうで晴々しいオーラが出ているのだろうか。
人生初のあだ名に当惑していると、側で聞いていた雪菜が思案顔になる。
しばらく考えていたと思ったら、得心がいったように手を打った。
「なるほど。察するに、小日向の『日向』から『陽光』、智悠の『智』から『賢い』を連想したみたいね」
「うわぁ、安直だな………でも、確かに。智恵とか叡智とか言いますもんね」
「あとは奸智とかね」
「それはあんただ」
「字面的には、姦智と言った方がわかりやすいかしら」
「勘違いされるんでやめてもらえますか」
失礼なことを言い出した雪菜に苦言を呈すると、ハナが聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でぼそりと呟いた。
「奸智………勘違い………」
「ハナ、そこはスルーしてくれると助かる」
自分の拙いボケを反芻されるほど恥ずかしいことはない。
とはいえ、ハナへの教授で大分時間を費やしてしまったが、これでこの場にいる五人の素性は大方共有できたはずだ。
ようやくのこと話を前に進めることができる。
「して、桜井さん」
雪菜は喉の調子を整えると、元々の発言者、桜井紗織へと水を向けた。
「は、はい」
真面目な話が始まる雰囲気を感じ取り、腕を組んで瞑目している唯乃莉以外の皆が、すっと背筋を伸ばす。
それに満足げに笑むと、有志部の部長は、依頼人の目を真っ直ぐに見つめて、言った。
「あなたのお願いを聞かせてもらえる?」
話は、ようやく本題に差し掛かろうとしていた。