第17話 『一人目の依頼人』
「———では、まずは自己紹介からお願いしてもいいかしら?」
有志部の部長、篠宮雪菜は、そう言って目の前に腰掛ける少女を見遣った。
それを受けた少女は、「は、はい」と、入室時よりも幾ばくか高くなった声で頷く。
尋常じゃないくらい肩が上がっており、緊張しているのがありありと伝わってきた。
彼女は部室に入ってきた時からずっとこの調子だ。
校内でも指折りの美女として名高い篠宮雪菜を前にして、緊張に緊張しまくっている。
この先輩に対して、畏る要素など皆無だと思うのだが。
机を挟んで向かい合う二人の様子はさながら圧迫面接のようで、雪菜の隣に移動した智悠も少しばかり身を固くして、同じように目を向けた。
ぱっと見の印象としては、何というか、キラキラした少女だ。
明るめに脱色された茶髪には緩くウェーブがかかり、目元や頬には薄っすらとメイクが施されている。
制服も大胆に着崩されており、ブラウスのボタンが上から三つほど外されているのに加え、スカートもかなり短めに改造されていた。
有り体に言えば、イマドキのイケイケ女子高生、といった風貌の女の子である。
正直に言って、こんなところに悩みを相談しにくるような人間にはとても思えない。
そんなJK少女は、切れ長の瞳を真っ直ぐこちらに向けると、
「二年C組の桜井紗織です」
と、萎縮しながらもはっきりとした口調で名乗った。
その自己紹介を聞いた雪菜は、机の上で大仰に手を組むと、
「桜井紗織さん、ね…………『さっさ』」
「え?」
雪菜の奇妙な発言に、紗織が眉を顰めた。
「私の見立てによれば、あなた、あだ名は『さっさ』ね?」
初対面の人間のあだ名を当てようとしている上級生がここにいた。
「………いや、普通に紗織って呼ばれてますけど」
「先輩、聞いてるこっちが恥ずかしいんで、そういうのやめてもらえますか」
隙あらばふざけようとする黒髪ロングの巨乳美女と、そんな彼女に怪訝な顔をするゆるふわウェーブのイマドキJK。
その絵面が見ていられなくて横槍を入れると、雪菜は不満げに唇を尖らせた。
普段は大人びた妖艶さを纏っているのに、こういう時は妙に子供っぽい上級生である。
「何よう。何だか緊張しているみたいだから、ちょっと場を和ませようとしただけなのに」
「和ませ方が斜め上すぎる……」
「ちなみに、智悠君のクラスでのあだ名は?」
「あだ名以前に、僕は名前すら呼ばれませんよ」
「悲しい告白ね」
「僕の名前が教室に響くのは、出欠確認の時くらいです」
「先生に呼ばれてるだけじゃない」
「多分ですけど、クラスメートには名前を覚えられてもいないですし」
「智悠って、割と珍しい漢字なのに覚えられていないなんて、なかなかのものね」
「まあ、キラキラネームとかもそうですけれど、名前の印象って、漢字よりも読み方に左右されますからね。読みは覚えても、漢字までちゃんと覚えてる人なんて稀でしょうし」
「確かに、人の名前って、呼びはするけれど書いたりはしないものね」
「そう言う先輩は、あだ名とかないんですか?」
「ないわね。もれなく全員『篠宮さん』と呼んでいるわ」
「めっちゃ距離置かれてる………」
「あの、二人とも、そろそろ話を聞いてあげませんか?」
名前について熱い議論を酌み交わしていたところへ、反対側から控えめな待ったがかかった。
振り返れば、ハナが顔を引きつらせてちょいちょいと前方を指差している。
その先、完全に置いてけぼりを食らっていた紗織は、手持ち無沙汰な様子で部室内をキョロキョロしていた。
「「す、すみません……」」
謝罪の言葉を口にし、二人揃ってしずしずと前に向き直る。
「………真白さんがいてくれて助かったわね」
「本当ですよ」
ハナに割り込んでもらわなければ、あと五分間くらいお名前談義が続き、挙句の果てには『桜井紗織のあだ名を考える』が悩みの内容にすり替わっていただろう。
我ながら勝手極まる愚行である。
「んん………それで、桜井さんのご用件は?」
気を取り直して、咳払いを一つ。
雪菜はようやくのこと本題に切り込んだ。
「有志部に来たということは、何か相談事があるのでしょう?」
「あ、はい。と言っても、私に関することじゃなくて、この子に関することなんですけど……」
そう言うと、紗織は隣の椅子に目を向けた。
———そこには、一人の少女が腰掛けていた。
制服の上にぶかぶかの黒パーカーを羽織った小柄な女の子だ。
フードで隠されているため、その顔は窺い知れない。
紗織と一緒に部室に入ってきたのだが、これまで一言も言葉を発さず、一ミリも動くことなく、パーカーのポケットに手を突っ込み、ただじっと座っているだけ。
校内一の有名人である雪菜を前にして緊張している紗織とは対照的に、未だ素顔すら見せない彼女は、どこか大物のような雰囲気を感じさせた。
いや、実際のところ、大物なのだ。
一人を除いて、この場にいる全員が彼女を知っているくらいには。
「あの………あなたは?」
この学校に来てまだ日が浅く、唯一彼女の素性を知らないハナが、おずおずと声をかける。
すると、今までずっと黙っていたパーカー少女は、すっと音もなく立ち上がった。
「———ようやく、ボクの出番がきたようだね」
ぼそりと呟くと、芝居がかった緩慢な動きでフードを脱ぎ、その顔が露わになる。
艶のある黒髪のショートボブが特徴的で、人形のような精巧で可愛らしい顔立ちをした少女だ。
片方の目を伸ばした前髪で隠し、一つだけ覗く瞳は紅の輝きを放っている。
その瞳に、少女は正面に座るハナを映した。
「そこの二人の無駄話がすぎるから、いい加減帰ろうかと思っていたところだったんだけれど、君のおかげでその必要もなくなりそうだ。感謝するよ、どうもありがとう」
「い、いえ……?」
黒パーカーから急に感謝の言葉を述べられ、ハナが困惑の色を浮かべる。
彼女はその反応に鷹揚に頷くと、
「それで、確か君が聞いたのはボクの名前だったよね。ボクを助けてくれた君に聞かれたならば、教えないわけにはいかない。こういう時は、まずは前置きを入れて会話のテンポを作るべきなんだろうけれど、如何せんボクは口下手だから、結論から先に述べさせてもらうよ。ボクの名は水卜唯乃莉。苗字の方は、水に卜。『卜』って書いて『うら』って読むんだ。変わってるよね。何でも、語源は『占い』からきているらしいんだけれど、まあ、こういう話は諸説あるのが常だし、話半分で聞いてもらえると嬉しいかな。占いが大好きな女子高生に、ボクが占いができるって誤解されても困るしね。それで下の名前は、唯一無二の『唯』に乃至の『乃』、そして草冠に利他的の利で『莉』、合わせて唯乃莉。そこの二人のさっきの無駄話じゃあないけれど、この名前もなかなかに珍しいよね。この世界でたった一人の大和撫子になれって意味だとボクは勝手に思ったり思わなかったりしてるんだけれど、いやはや、実際問題どうなんだろうね。案外、ボクの両親にとっては『いのり』って響きの方が重要で、漢字は後付けで考えたのかもしれないし。ああ、でも、勘違いしないで欲しい。ボクは別に自分の名前に不満があるわけじゃあないんだ。むしろ気に入っている。現代風に言えば、ファボっている。唯乃莉なんて、なかなかファンシーで可愛らしい名前じゃないか。名詮自性って言うなら、ボクもそうありたいものだね———と、ごめんごめん。ちょっとばかし、喋りすぎちゃったかな。いやー、ボクってば、ここに来てからずっと俯いていたもんだから、知らず知らずフラストレーションが溜まってたみたい。気持ちが憂鬱になっていたみたい。俯いて、鬱向いていたみたい。でも、あんまり自己開示してばっかりもいただけないし、そろそろ君のことも教えてもらえると嬉しいな。やっぱりコミュニケーションってのは双方向のものだからね。というわけで、君。金髪碧眼の可愛い君。まずは君の名前から聞かせてもらえるかな?」
だぼだぼパーカー少女———水卜唯乃莉は、そう言って、ハナへにこやかに微笑みかけた。
「「「…………」」」
対面に座す三人は、誰一人として、一言も言葉を発することができない。
名指しされたハナはもちろん、さっきまであれだけふざけていた雪菜と智悠も。
「……………はあ」
口を開けたまま固まる三人に代わり、紗織の漏らした深い深いため息だけが、やけに重々しく部室に響いたのだった。