第16話 『水卜唯乃莉』
水卜唯乃莉という一人の女子高生について語ろうとすれば、まず真っ先に思い浮かぶ言葉は、何と言っても『病』の一言に他ならない。
彼女のことをよく知る人間にも、またよく知らない人間にも、ただの一つだけ、「水卜唯乃莉と言えば?」と質問を投げかければ、ほぼ百パーセントの確率で、「病」という答えが確立することは確実だ。
そう恥ずかしげもなく断言できるくらい、この女の子を的確に言い表す言葉は他に存在しない。
病は気から、ならぬ、病は貴から。
水卜唯乃莉は、自らが抱える病によって成り立っている。
いや、しかし、そうは言っても、彼女もこの世で生まれ、この世で生きる人間。
人間である以上、彼女を構成する要素がたったそれだけのはずがない。
例えば、髪の長さとか、髪の色とか、髪型とか、髪質とか、眉毛の太さとか、睫毛の長さとか、瞳の大きさとか、瞳の色とか、耳や鼻の形とか、口の大きさとか、唇の艶とか、頬の柔らかさとか、肌のきめ細やかさとか、身長とか、体重とか、手の大きさとか、脚の長さとか、スリーサイズとか。
微に入り細を穿って彼女の身体的特徴を記述しようとすれば、他にいくらでも言いようはあるし、またそれは良い様でもある。
何も身体的特徴だけではない。
例えば頭の出来だったり、運動神経だったり、もっと単純に、性格だったりも、彼女———水卜唯乃莉を構成する要素たり得る。
彼女のキャラクター性を描写するのならば、それだけで事足りるように感じるかもしれない。
だがしかし、さにあらず。
それでは足りない。全然足りない。
それら数多の特徴を並べ立ててなお、水卜唯乃莉の有する『病』には到底及ぶまい。
彼女は患っている。
煩わしいほどに———煩わしいことに。
患っているのだ。
もはやそれは、彼女のアイデンティティと言っても差し支えないだろう。
アイデンティティ———彼女らしさ。
水卜唯乃莉らしさ。
こんなことを本人に言ったところで、あの愉快な女子高生は、
「それは違うぞ。これはボクらしさではない。ボクだ。ボク自身なんだ」
なんて知ったようなことを、知ったような表情で、知った風に宣うのだろうが。
確固たる意志を持って、そんなかっこいいことを平気で言えるのが水卜唯乃莉らしさ———否、水卜唯乃莉なのだ。
彼女自身なのだ。
ここで一つ注釈を加えておきたいのは、この言からも推察できる通り、彼女は『病』ではあっても、決して『病弱』ではないということだ。
これがこの話のミソであり、また手前味噌でもあるのだけれど、彼女は弱くない。
水卜唯乃莉は弱くない。
むしろ強い———強靭なのだ。
当然だろう。
何たって彼女は———水卜唯乃莉は、こうしている今も、たった一人で闘い続けているのだから。