第12話 『ようこそ我が家へ』
「たでーまー」
「ちょっとお兄ちゃん、遅くない? こんな時間になるなら一本連絡入れておいてくれないと心配になるし、ていうかそもそもこんな時間まで何してたのうえええぇぇぇぇぇぇっ!?」
そういえば、彼女がいるのをすっかり忘れていた。
ずっと玄関の前で兄の帰りを待っていたのだろうか。
ドアを開けるなり———開扉一番に開口一番、怒涛の勢いで捲し立て、素っ頓狂な声を上げたのは、妹の真綾だった。
その視線は智悠———正確に言うと、その後ろのハナに向けられている。
天界に送還されないという不測の事態に対する窮余の一策、それは何を隠そう、智悠の家にハナを匿うことだった。
流石にあれ以上身体の明滅を繰り返してはご近所様の迷惑になると思い、とりあえず家に上げた形である。
「……お、お邪魔します」
初めての人間が暮らす家に緊張しているハナは、畏った様子でおずおずと敷居をまたいだ。
「お、お兄ちゃん、この子誰!?」
真綾は未だ目の前の状況を飲み込めていないようで、ハナの顔をじっと見ては智悠に疑問を投げかける。
「この子は真白ハナ。今日から家で一緒に暮らすことになったから、よろしく。仲良くしろよ」
「どういうこと!? 何でお兄ちゃんがいきなりパツキンの女の子を連れてくるの!? 何でその子と一緒に暮らすことになるの!?」
「世の中、不思議なこともあるもんだよなあ」
「はぐらかすな!」
靴を脱ぎ、喚く真綾を華麗に無視してリビングに直行する智悠。
だがしかし、そんなことで彼女の追及から逃れることなどできはしない。
「ねえ、どういうこと? ちゃんと説明してよ、お兄ちゃん」
なおも追いすがり、納得のいく説明を求めてくる真綾。
その背後から、どこか所在なさげなハナの顔が覗いた。
「わかったよ。後で詳しく説明するから」
とは言ったものの、果てさて、この状況をどう伝えれば良いのか智悠にもわからない。
だがしかし、事態が事態。納得のいく説明ができなければ、頭の上で疑問符を踊らせる妹は満足してくれないだろう。
さて、これはどう説明したものか————
* * * * *
「———ええーっ!? じゃあ、ハナさんはこの春からうちの学校に転入してきた留学生で、今日から一年間私たちの家にホームステイすることになったんですか!?」
果たして、真綾は、智悠のそんな説明をものの見事に鵜呑みにしてくれた。
悩みに悩んだ挙句、何とかして捻り出した苦肉のでっち上げだったのだけれど、妹がアホで助かった。
青みがかった黒瞳を丸くし、素直に驚いてくれるアホで助かった。
ちなみに智悠は我が高校の留学制度のことなど微塵も知らないし(そもそも存在するのかどうかも知らない)、ホームステイがどういうものなのかもさっぱりわからない。
一年間もかけることなのかすらも知らない留学にわかなのだが、都合上、交通事故に遭う前から智悠が秘密裏に受け入れの準備を進めていた———ということにした。
我ながら蜂の巣ばりに穴だらけな、ツッコミどころ満載の法螺話である。
いや、でも、あながち完全な嘘ではないのかもしれない。
見ようによっては、ハナは留学していると言えなくもないのだ。
外国から日本に———ではなく。
天界から人間界に———である。
そんな、あちこちつぎはぎだらけで、冷静になれば一発で看破されそうな稚拙極まりないでたらめなのだが、これ幸いなことに今の真綾は冷静ではなかった。
単純に普段から落ち着きのない性格というのもあるけれど、『兄が金髪の美少女を家に連れ込んだ』という事実が、思いの外、彼女にとっては衝撃だったらしい。
兄が女の子と関係を持っていることが、真っ赤な嘘が真実に聞こえるほど衝撃だったらしい。
先程からしきりに自分の頬をつねっては、これが現実であることを確認し、智悠に向かって信じられないものを見るような目を送っている。
あとは、金髪に碧眼と、ハナの容姿の幼女幼女———要所要所に異国の色がちりばめられているのも、信憑性を持たせるのに上手い具合に働いてくれた。
それにしても、いくら頭が足りないとはいえ、ここまで簡単に丸め込めてしまうと、妹想いの兄としてはいささか不安を覚えてしまう。
いつ悪い大人に騙されるかわかったものではない。
「真綾、もし誰かに壺を勧められたら、いの一番にお兄ちゃんに連絡するんだぞ」
「何言ってるの、お兄ちゃん?」
小馬鹿にしたような失笑を浮かべる妹は、壺ではなくとも、ハナの出自に関しては完全に信じ切ってくれたようで、
「いやー、それにしても、まさか噂の美少女転入生がハナさんだったとはね」
「あっ、やっぱりその話、一年の間にも広まってたのか」
雪菜たち三年生にもハナのことは知られていたし、真綾たち一年生にも広まっていてもおかしくはない。
「うん。でも、まさか転入先がお兄ちゃんのクラスだったとは知らなかったよ。しかも私たちの家に来るなんて驚きだね。驚きに驚きが重なって、これはもうおおどろきだね」
なんて頭の悪いことを言うくらいには、智悠の説明に満足してくれたようで何よりである。
真綾はテーブルの向かいに座るハナをしげしげと見つめると、
「はえー。二年生ってことは、ハナさんって私よりも年上ですよね?」
「は、はい。そういうことになりますね」
ハナは未だ緊張しているようで、そんな風に遠慮がちに答えるが、しかしどうだろう。
雪菜との挨拶の時にもちらと思ったことだが、女神であるハナに、年齢という概念はあるのだろうか。
目測したところ、ハナの身長はおよそ百四十五センチメートル程度。
顔立ちもあどけなく、見た目は身体の一部分を除けば完全に小学生のそれなのだが、ひょっとしたら智悠や真綾、雪菜よりもずっと歳を重ねている可能性もある。
これは年齢の概念というより、時間の概念か。
その辺りの事情は後に本人から聞くとして、今は家族会議の時間である。
真綾とハナの会話はなおも続いていた。
「年上かー。こう言ったら失礼かもしれないけど、正直全然見えないなー」
「まあ、決して女子の中でも背が高いとは言えないお前よりも、ハナの背はさらに低いからな」
「そうだね。決して男子の中でも背が高いとは言えないお兄ちゃんよりも、ハナさんの背はさらに低いからね」
「それ、言う必要あった?」
ただ智悠の背が高校生男子の平均と比べて低めだという事実が強調されただけである。
「最初はお兄ちゃんがついに女子小学生を誑かしてきたのかと思ったけど、本当に高校生だったんですね」
「おい、お前は実の兄のことを女子小学生を誑かすような男だと思ってたのか………え? ついに?」
「はい、しっかりと高校二年生です。ほら、この通り」
そう言うと、ハナはその豊満な胸元を飾るリボンを指し示した。
智悠たちが通う高校は、学年ごとに、男子はネクタイの色、女子はリボンの色がそれぞれ異なっている。
順番に三年生が青色、二年生が赤色、一年生が緑色だ。
ハナが着ている制服のリボンは赤色———二年生の証である。
ちなみに学年然り、学校生活を送る上で覚えておくべき制度云々は、校舎を案内している時にハナにはあらかた説明してある。
真綾は改めてリボンの色を確認すると、驚きを宿した目をハナに向けた。
「いやー、未だに信じられないなー。こんなに小さくて可愛らしい子が、まさか先輩だなんて」
「そ、そんな、可愛いなんて、照れます……」
「………ねえ、お兄ちゃん。この人めちゃくちゃ可愛いんですけど。照れてモジモジしてる感じとか、先輩ってこと忘れてギュッて抱き締めたくなるんですけど」
「まあ、気持ちはわかる」
「ち、智悠さん!」
真綾に便乗する智悠に、ハナは顔を赤くして可愛らしく憤慨した。
あまり褒め慣れていないのか、羞恥で瞳を潤ませている。
そんな仕草も自分の可愛さを倍増させていることに、この女神様は気づいていないようだ。
「ささ、挨拶はこのくらいにして、そろそろ飯にしようぜ。腹減った」
時計の針は、十九時を指し示している。
ぼちぼち夕食の時間だ。
手を叩いて智悠が提案すると、真綾もコクリと頷いた。
「そうだね。じゃあテーブルに並べるから、お兄ちゃんは手伝って」
智悠が帰る前に既に支度は済ませてあったようで、そう言うと真綾は小走りにキッチンの方へと向かって行った。
智悠も手伝い、料理が乗せられた皿を次々に運んでいく。
と、並べた手料理を前にして、ふと気がつくことがあった。
「………何か、今日の夕食多くない?」
真綾が夕食を作った段階ではハナが来ることなど予想していなかったはずなので、これはいつも通り二人分の量と見て間違いない。
だが、それにしてはいつもより一皿一皿の量が多い気がする。
卓上に所狭しと並べられた料理の数々を見て、智悠は首を傾げた。
料理長である真綾は恥ずかしそうに頰を指で掻くと、
「いやー、今日はお兄ちゃんの学校復帰祝いってことで、お兄ちゃんの好物ばっかを作ってたら、ついつい作り過ぎちゃってさ」
「真綾……」
言われて見れば、今夜の献立は智悠が好きな魚介類をふんだんに使った料理ばかりだ。
真綾なりに病み上がりの兄を気遣ってくれたことに、感謝の思いが込み上げる。
クラスメートには全くもって相手にされなかった智悠だけれど———妹の心遣いには、胸に響くものがあった。
「ありがとうな、真綾」
素直な感謝の気持ちを伝えると、真綾は照れ臭そうに、でも誇らしげな笑みを浮かべた。
「えへへー………でも、そう考えると、ハナさんが来てくれて助かったね。流石に二人でこの量は食べ切れなかっただろうし」
「そうだな」
と、そのハナが横から遠慮がちに口を開いた。
「………話には聞いていましたが、優しい妹さんなのですね」
二人のやり取りを眺めていたハナは、深い慈愛のこもった瞳で智悠に言った。
それは、天界で未練について話していた時のことを言っているのだろう。
だがそんなことなど知る由もない真綾は、
「え、お兄ちゃん、ハナさんに私のこと何か話したの?」
「ああ。キュートでラブリーな、マイスィートシスターって言ってた」
「エンジェルが抜けてるよ、お兄ちゃん」
「褒め言葉にダメ出しされた!?」
そんな小っ恥ずかしいやり取りもそこそこに、三人は揃って席に着いた。
それぞれに用意された麦茶を手に取ると、真綾が立ち上がり、音頭を取る。
「じゃあ、ハナさんとの出会い、ついでにお兄ちゃんの復帰を祝して———乾杯!」
「おい、この流れでついで扱いとはどういう了見」
「乾杯!」
智悠の抗議の声を掻き消すように、グラスが合わさる小気味好い音がリビングに響いた。
新しい仲間が加わり、より一層賑やかになった食卓。
社交性の高い真綾とハナはすぐに打ち解け、語るに足りない雑談を交えながら、大好物で彩られた手料理に舌鼓を打つ。
途中、真綾にハナのことを聞かれ、何度かバレないかとハラハラした場面もあったけれど。
ハナを迎えた我が家での新たな生活は、そんな感じで、このまま順風満帆にいくものだと思っていた——————その夜までは。




