「これも令外、あれも令外、たぶん令外、きっと令外」(令外官、幕府って何だ?)
早速ですが官位から話しましょう。官位とは早い話、天皇を頂点とした公家や武家のランク付けです。官は官職、たとえば征夷大将軍とか、関白とかいうやつです。位階とは、ざっくり言うと「あんた上から何番目にえらいよ」ということです。両者は関連性が深く「この位階なら、妥当な官職はあれとそれ」という具合に決まっていました。
なぜこの制度は導入されたかというと、くどいようですが天皇を中心とした中央集権国家をつくるために必要だったからです。大陸から輸入した律令体制の下、貴族をランク付けしたかったのですね。
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さて、本題たる令外官です。今回は話が早いですね。
「律令のうち、律は今で言う刑法、令は行政法のこと」
前回こう書きました。歴史の単語とは単に暗記するだけでは意味がありませんし、暗記だけだと直に忘れてしまいます。単語の意味を理解して覚えたほうが長く記憶に残ります。では令外官はどうでしょう。令外の官、つまり通常の行政法の外にある官位ということになりますね。
これを現代に当てはめるなら「内閣府特命担当大臣」でしょうか。専門の役所はないけど、いくつかの役所にまたがる仕事や、内閣の重要課題を専門に行うために設けられる大臣ポストです。
さて、ではどんなポストが「令外官」なのでしょうか。ウィキさん、かもーん。
摂政
関白
内大臣
中納言
参議
蔵人(蔵人頭)天皇の公式秘書官
文章博士、あの作品の主人公のやつですね
明法博士
ここから下は軍事・警察ポスト
征夷大将軍
鎮守府将軍
勘解由使
検非違使
押領使
追捕使
…逆に「令外官」じゃない役職あるの?ぐらいの勢いですね。元からあるポストで思い浮かぶのを上から言っていくなら、太政大臣・左大臣と右大臣・大納言と少納言(小豆の種類じゃないですよ)ぐらいでしょうか。これでは歴史の教科書に出てくるほとんどが「特命担当大臣」ということになります。なんじゃいこれはと思いますよね。
くどいようですが律令制度は大陸の法体系です。そのまま取り入れようとしても、大陸と日本は政治風土も文化も違います。大陸では必要はないけど、日本には必要となる新しい仕事が生まれ、そして令(行政法)で想定されていない場合、どうしたらいいのか。
「臨時で新しく役職つくろうか。継続的に必要となれば正式に律令に書き込めばいいんだし」
で、結局書き込まれないままにずるずると続いたわけですね。一度国家の総力を挙げて制定した法律って改正するのは難しいんですよね。ましてずるずると律令体制が崩壊していく中において、その根幹たるものを弄ろうとすれば…
しかし、上の一覧リストを見れば見るほどひどいものです。ひょっこり浮かぶ浮島の「摂政、関白、太政大臣!」のうち、二つまでが臨時ポスト。これではドンもお怒りになるでしょう。カバチョ・ガバチョ。
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さて、これをどう考えるべきでしょう。日本の政治システムの柔軟性と捉えるべきか、そんなことだから本来の目的たる中央集権体制の構築に失敗したのだと受け止めるべきか。私としてはなるようになったのだし、ある程度柔軟に解釈できる余地があったからこそ、明治維新のときも何とかなったのだと考えています。
まあ、それはともかく。ちょっと征夷大将軍というポストについて軽く考えて見ましょう。
幕府のトップは誰でしょうか?征夷大将軍ですね(鎮守府将軍はこの際、話を単純化するために無視します)。鎌倉も室町も江戸もそうでした。征夷大将軍となり、幕府を開くと。
では幕府とは何でしょう?
こういうときは単語を分解するのが一番です。征夷大将軍。大将軍はいいとして、征夷。つまり夷を征する。この夷とは蝦夷のことです。主に東北や北海道の、中央に服属していない勢力や人を指してこういいました。無論、今は関係ありません。ですので、どこかの酒造メーカーの2代目みたいなことをいってはいけませんよ。そもそも熊襲とは九州でヤマトタケルに成敗されたほうのことですしね。
閑話休題
さて征伐のための軍隊のトップが征夷大将軍です。征伐すれば、それまで統治されていなかった新しい土地が領地として組み込まれます。しかし当然ながら、まだ行政システムは完成していません。ですが占領地では日々行政の仕事が必要となります。
幕府とは、征夷大将軍をトップとする占領地の軍政システムなんですね。ですから征夷大将軍であれば、鎌倉や江戸のように在京しなくてもいいんです(そもそも占領軍の司令官ですし)。そして室町のように在京していてもよい。
最初、このシステムに目をつけたのは河内源氏の御曹司にして初代鎌倉幕府将軍の源頼朝です。関東の「武士による武士の武士のための」政権を作りたかった彼は、弟である義経追討と捕縛を名目に、後白河法皇の弱みに付け込む形で政治的な実権や権限を京都から分捕り、幕府の体制をととのえました。
室町においては公武合体政権でしたが、公武で重なる分野を整理するなどして、制度的に改善が図られました。室町とはどうしても江戸とくらべて弱体な幕府と思ってしまいますが、やることはやっていたのです。そして再度関東に拠点をおいた江戸幕府。朝廷の統制にある程度成功したものの、ずるずると朝廷の権威は回復して明治維新により「幕府」という軍事独裁(?)体制は終わりました。
また明治政府は関白や摂政、そして空席であった征夷大将軍といった令外官の多くを廃止し、新しい律令体制を作り上げようとしました。いつまでも小手先の「特命担当大臣」では限界があったのですね。つまり「憲法」たる律令を改正し、省庁再編したのです。
節操がないようにも思えますが、こうした懐の深さ(ある意味でのいい加減さ)が明治維新を可能にしたのかもしれませんね。まじめに中央集権体制をやり続けた大陸は、結局、近代化が出来ずに日清戦争で日本に敗北しました。禍福は糾える縄の如しというやつでしょうか。
とりあえず今回はここまでといたします。お付き合い頂きありがとうございました。
次は(仮)「こっふんだ(古墳だ)!」「とんでもねえ、わたしが平泉澄だよ」でお会いしましょう。