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夢と現の境界迷宮Ⅳ【機巧の子守歌】  作者: Thera
Ep.2【南迷宮都市ラフェンタ】
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【南迷宮都市ラフェンタ】


 それから十日後の、夕刻。

 太陽は極限まで傾き、鮮やかなオレンジ色と藍色が混ざり合っている、そんな時刻。

 ラフェンタの主街区を見下ろせる丘までたどり着いたチェリンたちは、眼下に広がる夜景に息を飲んだ。


「すっごく、きれいですね!宝石みたいにキラキラしてるですっ! 」


「……うん。とっても綺麗だね」


 無邪気なエミリアの表現に、チェリンは笑顔で頷いた。

 宝石箱。そんな言葉が、真っ先に思い浮かぶような港町だった。複雑な運河に区分された家々が、港に停泊する船や街灯が、みな色とりどりの硝子(ガラス)ランプで照らし出されている。

 星のように無数に輝く光、その中でひときわ異彩を放っていたのは、街の中央にある巨大な物体だった。

 ぐるりと円を描くようにそそり立つ石壁。とてつもなく巨大な建造物の上空には、紅緋色に輝く光の天蓋ドームが揺らめいている。


「あれが、『夢幻迷宮』……」


 沢山の冒険者が挑み、命を散らしている隔絶された空間。

 そんな恐ろしいものには到底思えないほど、その存在は神々しい光を放っていた。


「ねえ、チェリンさん!」


 肩布を引っ張られて、チェリンはハッと視線を下げた。

 背中に流している肩布をつかんで、エミリアが無邪気にこちらを見上げてきている。


「どうしたの、エミリアちゃん」


「あの、くるくるしてる白い塔は何ですか?」


「くるくる……あぁ、灯台のことかな」


 街外れの森、その先端に突き出した白亜の塔を認め、チェリンは微笑んだ。


「船が安全に港に付けるように、海を照らす役割の塔だよ」


 はしゃいではいるものの、やはり眠そうな女の子の頭を撫でると、チェリンは街に顔を向けた。


「やっと着きましたな」


「……ええ」


 チェリンは、深いため息をついた。


「すべてはこれからです。あたしにとっては」


 何も知らない商人は、その言葉をどう解釈したのだろうか。

 穏やかに目を細めると、娘の手を引いて歩き出した。


「では、行きましょうかな」


「はいです!」


 そのまま、街に向けて歩き出そうとしたチェリンと商人親子。その背後で。


「ふぐっ」


 約一名が、突然くぐもった声をあげてすっ転んだ。


「えっ 」「エリハルさん⁈」「ちょっ」


 チェリンは慌てて少年に駆け寄り、その身体を引っ張り上げた。


「だ、だいじょうぶ⁈ てか、いま何もないトコで転ばなかった?」


 ぷい、と。

 ハルは気まずそうに視線を逸らした。


「……。疲れているらしい」


「そ、そりゃそうだろうね。結局最後まで荷車引いてたし」


「エリハルさん、怪我はしてないですか?」


 心配そうに駆け寄るエミリア。

 彼女に、ハルはぶんぶんと首を振った。


「大事ない」


「まぁ、いまのだけで怪我してちゃキリが無いだろうけどさ……」


 チェリンはちょっと顔をしかめると、気を取り直して歩き出した。


「さ、早く行こう!」



◇◇◇



 白亜の壁に、赤い三角屋根。

 ガラス玉で装飾された壁には、様々な花を溢れんばかりに咲かせたプランターが吊るされている。


「もう夕方なのに、すごく活気がある街ですね」


 黄金色の柑橘が山ほど入った紙袋を抱えながら、ふらふらと歩く街人。

 路地の暗がりで、怪しげな露店を広げ構える老商人。

 上機嫌で騒ぎながら歩く、荒々しい冒険者の一団。


「……。そうだな」


 所々が赤く染まった包帯に身を埋め、沈痛な面持ちで歩く冒険者を目に留めながら、ハルは頷いた。


「…… 」


 怪我を負った冒険者の後ろ姿、それを目で追っていたチェリンは、不意に。


「あっ」「おっと」


 すれ違った二人組のうち、マントを纏った若い男に肩がぶつかってしまった。


「あ、ごめんなさい」


「構いませんよ」


 少年は微笑んだ。

 ハルやチェリンよりは、僅かに年上だろうか。背が高く、大人びた雰囲気をしている。

 彼が首を傾けると、亜麻色の髪がふわりと揺れた。


「見たところ、皆さんはこの街に来たばかりのようですね。何かお探しですか?」


「彼らは商業組合の本部を。僕らは宿を探している」


「そうなんですか」


 少年は、濃い色の目を弓なりに細めた。


「商業組合も宿も目的地の途中にあるので、案内しましょうか?別に、心付料(チップ)は取りませんから」


「……」


 警戒心が先立ち、押し黙る。そんなチェリンを見て、二人組のもう一方がふらりと前に出た。


「そこの、フードかぶった槍のひと。」


 たどたどしい、だが凛とした声音の少女だった。

 不思議な青紫色の髪をひと束ねにして、口元は竜胆色のマフラーで覆っている。


「わたし達が、信用ならないと思ったなら、あなたの、その槍で突けば良いの。とても単純な話。そうでしょ?」


「えっ 」


「お前なぁ、物騒なこと言うなよ」


 少年は困ったように笑うと、一行に背を向けて歩き出した。


「ついて来てください。路地裏(ちかみち)は使わないで、人通りのある大通りだけを抜けるようにしますから」


 その言葉に、チェリンは躊躇いつつも歩き出した。

一行が付いて来ているのを確認して、竜胆色マフラーの少女は満足げな表情になる。


「おふたりは、この街に長く住んでるですか?」


「住んでる。この街は狭いけど、とても豊かな、良い街。国として独立できたくらいだから。」


 少女はつと、空に目を向けてから言った。


「イウロ帝国の属国であること。それには、変わりがないけど。国主公爵の意向で、きほん自治国みたくなってるから。ここは、とても、居心地がいいんだよ。」


 すみれ色の瞳につられて、ハルたちも顔をあげる。

 満天の星影。きらきらと輝く銀沙(ぎんさ)を瞳に灯した少女は、チェリンの方を振り返った。


「行こう。まだ、すこし距離がある。」


 少女はマフラーを口元まで押し上げると、音もなく歩き出した。驚くほどキビキビとした動きで、複雑な街路を進んでいく。

 少年の方も同様で、一行が付いてきているかどうかを時折確認するものの、するすると人の群れを避けて歩いている。

 だんだん人の増え始めた通りに辟易(へきえき)しながら、少し早足に追っていると。


「着いたよ。」


 少女は、ある建物の前で立ち止まった。


「これは…… 」


 壁そのものは、他の建物と同様の白壁。

 ただ、そこには人型の大穴が開いており、内側から木板を打ち付けられている。

 紫地の看板には、【魅惑の音楽亭】という金の装飾文字。

 店の中からは、しゃら〜んという擬声音が似合いそうな音楽が溢れ出ている。

 ……要するに、ものすごく怪しげな店だった。


「大丈夫ですか、この店。すごく怪しげですけど……」


「ここは、夜の蝶のたまり場。淫乱(いんらん)魔窟(まくつ)。」


「え、ウソ。真面目にそういう店ですか?」


 絶句したチェリンに、亜麻色の髪の少年が苦笑した。


「みたいな紛らわしい外装をしてるけどね、中は普通なんだ。君がしているような心配は全く無いと思うよ」


 その言葉にチェリンが胸をなで下ろす中、ふいにエミリアがハルの裾を引っ張った。


「エリハルさん、チェリンさんが心配してる事って、どういうものです?」


「……。いや、それは」


 エミリアの質問に、さすがのハルも眉を曲げた。

 まさか、十歳にも満たないような幼女に『あいつはここが娼館まがいの店かと危惧していたんだぞ 』なんて、言えないだろう。

 無言になるハルを見兼ねたのか、少年が助け舟を出した。


「君はお父さんに『危ないから行っちゃいけないよ』って言われたお店があるんじゃないかな」


「はい、あるです」


「このお姉さんはね、ここもそういう危ないお店のひとつじゃないかなって、心配していたんだよ。怖いお兄さん達がたくさんいる事があるからね」


 遠回しだが、的確な答えだ。

 完璧な笑みを維持する少年を見て、エミリアは『ふぅん?』と首を傾げた。


「別に、ここは安全だし安い。関係ないこと。」


 エミリアに追求させるのを避けるように、少女はすぐ言葉を継いだ。


「商人組合は、南通り。ここは西通りだから、すこし距離がある。そこの小さいの、眠そうだけど、歩ける?」


「えっと。はい、です」


 いかにも眠たげな様子のエミリアを見て、少女はばっさりと「その様子じゃあ、無理だね。」と切り捨てた。


「らてぃ、この子背負って。籐籠(これ)は持っててあげるから。」


「はいはい」


 少年は柔和な笑みを浮かべると、膝をついた。


「ほら、おぶさっていいよ」


「え、でも……わるいです」


「大丈夫だよ」


 言うと、少年は慣れた動きでエミリアを背負って立ち上がった。


「商人のひとも。早くしないと、置いていく。」


「あ、いや……少しだけ待ってくれ」


 ドムサは懐から二つの水晶瓶を取り出すと、ハルの手にそれを押し付けた。


「これを君たちに。旅の途中で購入した回復薬だ。あぁ、本当にありがとう。助かった。君たちのおかげで、無事にたどり着けた」


 目尻に涙を溜めながら、猛烈な勢いで頭を振り下ろしす。

 最初はハルを避ける動作をしていたが、旅の間に認識を改めてくれたようだった。ヒュンッと風を切る高威力の頭突きを避けると、ハルは苦笑した。


「次は、無茶をしない方がいい」


「はは、そうする事にし」「ちょっと、商人のひと。」


 言いかけた商人の言葉を、不機嫌そうな少女が遮った。


「感激するのはいいけど、はやく行く。わたし達だって、ひまじゃない。宿に着くまでが冒険なんだよ。」


「え、あ、すまない。では、改めて礼に……」


 少女に叱られ、ついには首根っこを掴まれるドムサ。

 少女は空いている右腕の力のみで、楽々と大の男を引きずり始めた。


「あ、改めて礼に〜っ! 」


 商人の姿は、小出しの頭突き(おじぎ)を繰り返しながらどんどん遠ざかっていく。

 その光景をぽかーんと見ていた二人は、少年の「じゃあ、俺もこれで 」という言葉でハッと意識を引き戻した。


「世話になったな」


「どういたしまして。それじゃあ」


 四人の後ろ姿が徐々に遠ざかり、曲がり角に消える。


「「……」」


 取り残されたふたりは、目前の建物を見上げた。

 【魅惑の音楽亭】から聴こえる扇情的とも言える音楽、神殿のお香のような香りに、チェリンは眉をひそめる。

 対するハルは、安堵したように肩の力を抜いて言った。


「ここは、懐かしい感じがするな」


「え?」


 チェリンは思わず聞き返したが、ハルは気にしていないようだった。

 ハルの横顔には、何かを期待しているような表情が浮かんでいる。軋んだ音を立てて酒場の扉が開くと、ツンとするにおいが鼻をくすぐった。


「あぁらぁ、いらっしゃい」


 飛び込んできた酒場の光景に、チェリンは目を瞬かせた。

 確かに怪しげな民族音楽が流れ、慣れないにおいがするものの、店内はいたって清潔だったからだ。


「魅惑の音楽亭へようこそ、可愛い旅人さん。私はこの店の女将、ウィスタよ」


 入店者に気付いて近寄ってきたのは、オンナの塊のような扇情的な女性だった。

 やたらと腰の左右移動が激しい彼女の肌色は……ハルと同じ、オリーブ色だ。


「ここはね、アークの民が集う酒場なのよ。料理も、木の実や香辛料をたっぷり使ったアーク好みのものが多いの」


 チェリンの視線に気付いた女将は、ハルによく似た切れ長の目を細めた。


「街を訪れたアーク族の一座は、ここで歌や踊りを披露するの。だから、芸術を楽しめないような騒がしいお客サマは、お こ と わ り」


 うふ、と女将が指さした先には、大きなひと型の穴が空いている。

 まるで腹を立てたアーク族の芸人、あるいは女将にぶん投げられたかのような、見るも無残な痕跡だ。


「今日は公演がないから、普段は控えとして貸している部屋が空いているの。二階の一番端にあるふた部屋を使ってちょうだい」


感謝する(イライケ)


 イウロ語ではない言葉で女将に感謝を述べ、宿泊費を払うハル。その横顔には、初めて見る表情が浮かんでいた。思いがけず欲しかったものが得られたというような、幸せそうな微笑だ。


「……」


「お嬢ちゃん」


 なめらかなイウロ語で声をかけられて、チェリンは飛び上がった。


「は、はいっ?」


「疲れたでしょう。ゆっくり休んで頂戴ね」


 女将の微笑に、チェリンの頬も自然と緩んだ。


「……はい、ありがとうございます」



◇◇◇



 あてがわれた部屋は、狭いが清潔な小部屋だった。

 チェリンにとって何よりも嬉しかったのは、施錠可能な扉だという事だったのだが、同行者の少年はあまり関心が無いようだった。

 現に『失くすと後が面倒くさい』と、チェリンに自分の部屋の鍵を預けてしまったくらいだ。施錠するという概念があまり無いらしい。


「……」


 久しぶりのまともな寝床に倒れこみ、チェリンは天井を見上げた。

 むき出しの梁に、洒落た色ガラスの明かりがぶら下がっている。

 どういう仕組みなのか、火もないのに明かりを放ち続けるそれを眺めていると、ふいに、扉をノックする音が聞こえた。


「いま開けるわ」


 小刀が仕込まれた長靴で部屋を縦断し、扉に手をかける。

 扉を開けると、ほとんど背丈の変わらない少年が廊下に立っていた。


「どうしたの?」


「……。」


 無言でハルが差し出してきたのは、革袋だった。質感からして、入っているのは硬貨だろう。


「お金は受け取らないよ 」


チェリンははっきりと拒絶した。


「それは、キミに必要なものだわ。あたしには受け取れない 」

 

「……。そう言うんじゃないかとは、思っていた」


 ハルはため息をついた。革袋を持った腕を下ろすと、チェリンを見据える。


「後の事なんだが 」


 ハルは、ためらうような動作をしながら言った。


「僕は、この街にアーク民の芸人一座が来るのを待って、それと共に旅立つ。それまでは、冒険者組合とやらに所属して食い繋ぐつもりだ。明日、登録に行く」


「そっか」


 チェリンは、淡い笑みを浮かべた。

 白い傷跡がたくさん残る少年の腕に目線を合わせながら、言葉を継ぐ。


「ここにいれば、いつかは同胞の人が来るものね。キミに、行くあてが見つかりそうで良かった」


 ハルは、チェリンを真っ直ぐに見つめ返してきた。

 何かを言いたげに眉をひそめ、だらりと肩の力を緩める。


「夜遅くに訪ねてきて悪かったな。もう戻る」


 そう言ってきびすを返したハルは、ぽいっと後ろ手に何かを放ってきた。

 リンと音を立てて落ちてきたそれを、チェリンは両手で受け止め、見下ろす。


「……?」


 それは、小さな飾り袋だった。

 小鈴の付いた紐で縛られたそれには品の良い刺繍があり、何やら良い香りもする。


「これ、なに?」


「護符だ」


 ハルは言った。


「香を焚いた煙は必ず天に上ることから、香を焚きしめた護符は、正しい道へ旅人を導くと信じられている」


 『金では無いのだから受け取れ』とばかりに、ハルは自室の扉を閉ざした。

チェリンが金銭を受け取らない事を見越して、購入していたのだろうか。


「正しい道へ、か……」


 護符を手に立ち尽くすチェリンの耳に、異国の曲はもう聴こえて来なかった。




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