【迷宮を目指す理由】
結論。
彼は、夕刻になってもピンピンしていた。脱力するチェリンをよそに、ハルは淡々と食事の用意を始めている。
「半刻ほど待っていろ」
そう言うと、ハルは獣のように森の奥地に立ち消えて行った。
静まり返った森を見て、エミリアが不安そうに顔を歪める。
「エリハルさん、何をしているんでしょうか……?」
「さぁ……」
落ち着かない空気のまま待つこと半刻。
日が沈む少し前に戻ってきたハルは、野草や木の実、おまけに大きなカモまで抱えていた。
「わっ、カモですか⁈」
「あぁ」
短く答えると、ハルは手早く獲物の処理を始めた。
カモを豪快な丸焼きにして、その間に採取物を加工する。採ってきたキノコと香草、それから干し肉で即席のシチューを作り、煮炊き袋をたき火に吊るす。
粘性のある植物の根を刻み、その中に潰した果実や花粉を混ぜ始めた時には、好奇心に負けたエミリアがハルの邪魔をしにかかった。
「エリハルさん、何を作ってるですか?」
ハルの腕を押しのけ、仔犬のようにわきに頭を突っ込んでくる少女。
最初はハルの事を異常なほど怖がっていたのだが、危険が無いと判断したのだろう。今では兄に対するような甘えっぷりを見せている。
「あぁ、こら、エミリア! そんな事をしては失礼だろう、離れなさい!」
「別に構わない」
慌てたように言う商人を見ることなく、ハルは言った。
「口を開けろ」
木彫りのスプーンにボウルの中身をすくい、エミリアの口に突っ込む。
『雛に餌を与える親鳥』というフィルター画像が、チェリンの脳内に浮かんで消えた。
「わっ、甘くて美味しいですっ!」
「肉や野草の味ばかりでは、飽きると思ってな。今は早生の野いちごが出る時期だったんで、これを作った。そのまま食っても良いし、パンに付けても良い」
「へぇ……キミって、料理が上手なんだね?」
チェリンの言葉に、ハルは肩をすくめた。
「保存食ばかりでは飽きるからな。どうにかして日々の食事に変化をつけられないかと、長らく研究していたんだ。そろそろ、焼けた頃だな」
油の滴る肉を火から下ろすと、その一部を刻んでシチューに投入し始める。
ジュワッと音を立てた煮炊き袋の芳香に、チェリンの喉がゴクリと鳴った。
「……。」
身を乗り出したチェリンを見て、瞬きすると。
ハルは、煮炊き袋に突っ込もうとしていた肉をパクリと食べた。
「あっ……」
しゅんとするチェリンの前で、ハルは平然と肉を咀嚼している。
「チェリンさん、エリハルさんにからかわれてるですー」
その言葉にハッとして、チェリンは真顔の少年を睨み付けた。
「……。いや、反応が面白いから、ついな」
「つい、じゃないわよっ?! 何がついなのよっ⁈」
猛然と言い募ると、少年はチェリンに向けて一礼した。
「ノリ反応に感謝」
「うっわぁ腹立つ。一発殴らせなさい、ちょっと一発殴らせなさいよ。ねっ?」
ギシッとこぶしを握ったチェリンの前に、ずいっと大きなものが突き出された。カモ肉だ。
「そんな事より、飯にするぞ」
その言葉に、チェリンはぐっと動きを止める事しかできなかった。
……人間、空腹には勝てないのだ。
◇◇◇
「チェリンさんたちは、何をしにラフェンタに行くですか?」
エミリアの唐突な質問に、チェリンは目を瞬かせた。
空腹だった四人はあっという間に食事を終え、火の周りで休息をとっている。
商人のドムサなどは、既にイビキをかいて爆睡しているほどだ。
「僕の方は、特別な理由があって目指しているわけじゃ無い。旅をするのは、流浪民の性だ」
「そういうものなんですか?」
「あぁ」
弄んでいた小枝を火に投げ込むと、ハルは少女を見下ろした。
「お前も、さっさと寝てしまえ。疲れただろう」
ハルの言葉に、エミリアはぷくぅと頬を膨らませた。宵っ張りな子なのだろう。
「嫌です。エミリア、もっと起きていたいです」
「……。大人しく寝たら、明日は別の甘味を作ってやる。見つかる食材にもよるが」
このひと言は効いた。
長らく乾パンしか食べていなかったのであろう少女は、すぐに頭まで毛布をかぶった。
最初は毛布ごとモゾモゾ動いていたが、すぐに穏やかな寝息が聞こえてくる。
「「…………」」
沈黙の下りた野営地に、しばらく火花の弾ける音だけが響いていた。
「……。『栄えある帝国が四方、神をも憩う聖地あり』 」
唐突にハルがつぶやいた言葉に、チェリンは顔を上げた。
少年の横顔が、揺らぐ炎に照らされている。
「 『何人をも魅了する神秘の楽園、亡き民の栄光に満つ夢の跡。されど近づく事なかれ、彼の地には魔が集う。天秤に汝が命をかけるなら、獣に満ちた楽園に、汝、決して踏み入る事なかれ 』 」
「……それ、何の詩?」
「迷宮冒険譚の一節だ。吟遊詩人の友人が、よく歌っていた」
ハルは、淡々と続けた。
「神聖イウロ帝国の各地には、古代リセルト人の遺跡が数多く存在する。その中で最も有名なものが、『夢幻迷宮』と呼ばれる神殿廃墟だ」
「…… 」
「夢幻迷宮は帝国の四方にひとつずつ存在し、結界に閉ざされた空間の中に、独自の生態系を発展させている。確か、お前が目指しているラフェンタ公国都市も、その神殿とやらがある街だったな」
「うん、そうだよ」
「……確か迷宮は、リセルト人にとっての聖地でもあったな。旅の目的は巡礼か?」
「んー……それもなくはないんだけど」
チェリンは、ハルの事をまっすぐに見た。
「あたしね、兄を探してるの。たった一人の家族なんだけど、私が子供の時にはぐれて、それっきりなの。
あたしがもし、迷宮冒険者として名をあげれば、名声を聞き付けた兄の方から見つけて貰えるんじゃないかって……そう思って」
「……。」
迷宮冒険者。
魔物と戦い、未知の領域を踏破していく命知らずとして周知されている職業だ。
四つ存在する迷宮、それに付随する迷宮都市ごとに冒険者の組合が存在しており、南のラフェンタに存在する組合は、四方最多の冒険者を有している。
「なるほどな。兄の氏族と、名前はなんて言うんだ?」
「兄の名前はディアダっていうの。氏族は……もう無いから、名乗るほどでもないよ」
「そうか。珍しい名前でもないな」
兄しか肉親がいない。そして氏族が存在しない。つまりこの娘の一族は、内戦で滅んでしまったと言う事だろう。
「……。僕は」
短槍を抱えて座るチェリンを一瞥すると、ハルは言葉を落とした。
「僕は物心ついた時から孤児だったし、一箇所に留まるという事をしてきた記憶はない。
だから、お前の家族に会う為だけに命を賭けるという精神は、正直言って理解できない。
だが、その目的は……お前にとって、大事な事なんだろう」
「……うん」
「会えるといいな、お前の家族に」
穏やかなエリハルの言葉に、チェリンは旅布を握りしめながら頷く。
穏やかに爆ぜる火の暖かさが、ふたりの間を満たしていた。
「だが、若干心配だな」
ハルは火をつつきながら、にやりと笑った。
「お前はわりと、世間知らずみたいだからな。護衛の相場も知らないのでは、ぼったくられるぞ。そういう依頼を受ける前に、勉強しておいた方がいい」
「えー、じゃあ教えてよ。勉強しろって言ったって、教科書があるわけじゃないもの」
チェリンがふてくされながら言った言葉に、エリハルは目を見開いた。
「教科書ってお前……文字が読めるのか?」
「え? ええ、もちろん。イウロ語は読めるし、書けるよ」
「教えてくれないか。僕は計算はできるが、文字を読めない。読みたいと思うことは幾度もあったんだが、読める人間が周囲にいなかったんだ」
ハルは身を乗り出した。
流浪民の血を表すオリーブ色の肌が、明るい炎に照らし出される。
「キミ、すごい難しい言葉遣いしてるから、本とか読んでるんだと思ってたよ」
「最初にイウロ語を教えてくれた人が、こういう喋り方だったんだ。本を読んだりしていたわけではない」
「ふぅん」
チェリンは目を瞬かせつつも、頷いた。
「じゃあ、教えてあげる。代わりにキミは、あたしに護衛士の常識を教えてよ」
「といってもな。何から話すべきなのか分からん」
「えーと、じゃあ相場から教えて! あたしみたいな短槍使いが護衛士をやる場合、どのくらいの日当が妥当なの?」
「実力から言えばそれなりの値段を取れるはずだが、お前は性別や年齢の事があるし、そもそも紹介者がいないからな。
最初は熟練者に弟子入りして、紹介状を貰えるようになるのが妥当だろう。だが迷宮都市なら、そのシステムを使わずとも実力は示せるわけだから……」
チェリンが何度も手を上げて質問して、エリハルは腕組みしながらそれに答える。
元気な声と静かな声が交互に飛び交う問答の時間は、ラフェンタ公国都市に到着するまで毎夜続いたのだった。