【切通しの盗賊】
一連の旅装備を整え、ハルとチェリンが宿場町を発ったのは、翌日の早朝だった。
「もう少しで切通しに入る。用心しろよ」
慣れた様子で歩くハルが、チェリンに警告する。むき出しにした赤髪をかき上げ、チェリンは首を傾げた。
「切通しって……岩に両端を囲まれた地形って事よね」
ハルは頷いた。
「盗賊にとって、旨い商隊が必ず通る道だからな。僕たちも急襲される可能性が高い」
少年の言葉に、チェリンは唇をひん曲げた。
「こんな街の近くなのに盗賊が出るって、どうなの。治安悪すぎない?」
「まぁ、森の中で道が分かるってだけで、十分ありがたいと……。」
ハルは、そこで言葉を切った。
「どうしたの?」
無言で彼が指差したのは、風上にあるシダの茂みだった。その中でしきりに動いているのは、巨大な野牛だ。
「うわ、あれって」
「大角野牛だ」
泥浴びをしているのだろうか。何度も地面に倒れ込み、ブルブルと頭を振っている。その隣で甘え鳴きをしている幼獣の姿を見つけて、ふたりは同時に顔をしかめた。
「子連れって事は、お母さんだねー……」
チェリンは、巨大な親子を驚かさないように後退しはじめた。
野牛は草食で大人しい生き物だが、子連れの母牛は違う。何が何でも子供を死守せんとして、死ぬ物狂いで襲い掛かってくるのだ。
幸いなことに、二人がいるのは風下だ。派手な動きをしなければ、気付かれることはないだろう。そう思っていたチェリン達の前で、母牛がガバッと顔をあげた。
「気付かれたか?」
身を硬くするエリハルの前で、チェリンは鋭く伸びた耳を揺らした。
「いや、違うみたい。これは……」
チェリンが言いかけると同時に、絹の裂けるような悲鳴が遠くから聴こえてきた。
……道の先で、誰かが襲われているらしい。
「盗賊か!」
事態に気付くと、ハルは即座に立ち上がった。人目に付きにくい藪に荷物を落とし、街で購入した片手半剣のみを持って、走り出す。
「もう……自分から面倒ごとに顔突っ込まなくてもいいのに」
愚痴を言いつつチェリンも後に続くが、少年のうしろ姿はどんどん遠ざかっていく。
なんて足の速さだ。狼と駆けっこをしてる気分だと心の中で愚痴りながら、地面を蹴り飛ばす。
「っ!」
チェリンが飛び出した場所には、少年の言った通りの光景が広がっていた。
切り立った岩に、両端を囲まれた切通し。
横転した荷車に縋り付くのは、商人の男と、その娘らしき女の子。悲鳴の主は、おそらくあの女の子だろう。
「奴隷商の次は、訳あり商人を襲う盗賊か。まったく、次から次へと……」
チェリンは嘆息すると、足元に落ちていたこぶし大の石を拾い上げた。
「せぇ……のっ!」
距離が近いのが幸いして、チェリン渾身のつぶて打ちは盗賊のこめかみに命中した。うめき声を上げて崩れ落ちる盗賊を視界の隅で確認してから、商人たちに駆け寄る。
「大丈夫? そこの岩の下へ入って」
青い顔をして頷いた商人が、女の子を押して荷車の下に潜り込む。
少年に助太刀を、そう考えて踏み出そうとしたチェリンの首筋に、ぞくりと迫るものがあった。
「っ?! 」
反射的に振りかぶった穂先に当たって砕けたのは、矢だった。上から狙い撃ちにされたらしい。
(盗賊如きが、調子に乗って)
舌打ちすると、チェリンは短槍を手に駆け出した。
ここからでは、射手は狙えない。荷車を襲おうとする盗賊を先に片付ける事に決め、チェリンは切通しの中央に躍り出た。
「どけぇえぇえぇっ!」
長さと回転を活かした広域攻撃で、馬車の近くにいた盗賊ふたりを吹っ飛ばす。
「げっ」「がぁっ⁈」
追撃しようとチェリンが構えた瞬間、無防備になっていた盗賊に矢が刺さった。
最初は崖上の射手が誤射したのかと思ったが、違う。
「……。」
盗賊を射たのは、ハルだった。片手半剣を鞘に戻し、短弓を手にしている。
たった今、盗賊から弓矢を奪い取ったのだろう。
「チェリン、的をやれ!」
「的ぉ⁈」
ギョッとするチェリンを無視して、ハルは木立に転がり込んだ。確かに、その位置からなら狙い撃ちされる事は無くなる。崖上から狙えるのは、無防備に突っ立っているチェリンのみだ。
「くっそー、覚えといてよっ!」
歯軋りすると、チェリンは荷車の上に飛び乗っった。両方向から飛んでくる敵の矢を何とか弾くと、背後の木立から援護射撃が放たれる。
『ぎゃあっ⁈』『がぁっ!』
崖上から、立て続けに上がる悲鳴。
木立にいるハルが、チェリンが射られるのを見て、射手のいる位置を特定しているのだ。一撃で決めている所を見ると、弓の腕は確からしい。
「っ! 」
避けては護り、避けては護りのしんどい戦闘を繰り返しているうちに、遠隔攻撃が止んだ。
崖上から、慌てたような雰囲気が伝わってくる。
「んなろぉおぉっ!」
矢に遮られる事なく跳躍すると、チェリンは崖上に躍り出た。
そこには、腕に矢を受けて悶絶する射手たちと、首領格と思しき盗賊がいる。
「「…… 」」
盗賊と顔を見合わせること、数秒。
チェリンは、にこりと笑って跳躍した。
◇◇◇
ギャーッという悲鳴が山中に響いた後。
その辺の木に盗賊たちをくくりつけた上で、チェリンとハルは商人たちに向き合った。
「足を怪我したようだな?」
ハルの指摘に、商人は青い顔で頷いた。
「子供連れが護衛も無しに山越えというのは、どういうつもりだったんだ。護衛士の一人でもつけるべきだろう」
ハルが責めるように訊ねると、商人は疲れた顔で首を振った。
「地元で商売に失敗してな。人を雇うだけの余裕が無かったんだよ。行路を行かないのも、そのせいだ……金貸しというのは、なかなかしつこいものでね」
「……なるほどね」
チェリンはため息をついた。この商人はおそらく、家族を借金のカタにするぞとでも脅されているのだろう。
イウロ帝国での人身売買は表向き違法ということになっているが、抜け穴なんていくらでもある。そもそも、イウロ人以外の人間や流れ者の人間には、【法律対象外】が数多く存在しているのだ。
「そういう理由なら、仕方ないかもしれませんね。でも、この先には魔物も多い、危険な道ですよ。どこへ向かう気なんですか?」
「エミリアたちは、ラフェンタ公国に行きたいんです!」
「ラフェンタに?」
「あぁ。あそこには、むかし看板を分けてやった奴が働いている組合があってね。そのツテを頼るつもりだったんだ。子供も雇ってくれると言うし」
「はい! エミリアも働きますっ」
飛び跳ねる女の子の年齢は、九つか十と言ったところだろうか。
奉公に出るにはまだ若いが、働けない年齢ではない。
「そっか」
それでも、この歳で故郷を離れ、働かざるを得ないという状況は辛いものだろう。
「エミリアちゃんは偉いんだね。お姉さん、感心しちゃった」
頭を撫でると、少女は人懐こい笑みを浮かべた。
「んにゃ……ありがとうです」
「……。おい」
ハルの声に、チェリンは振り返った。
「ん?」
「お前の行き先も、ラフェンタ公国都市だったな」
「ラフェンタに行くですか? エミリアたちと同じですっ!」
ハルはエミリアを見て頷いたが、少女は怯えたように飛び上がった。
睨まれたと思ったのだろうか。チェリンの背中に隠れる少女には構わずに、ハルは言葉を続けた。
「僕の名はエリハルと言う。貴方の名は?」
「ドムサと言います」
「ではドムサ、僕たちを雇わないか。僕たちの行き先もラフェンタだから」
その言葉に、商人は目を見開いた。
「願ってもみない提案だが、しかし……」
ハルは、無言で手を突き出した。
指を三本立てている。
「三百ディルだ。ふたり合わせて六百」
護衛士の相場の分からないチェリンが無言でいると、ハルは淡々と言葉を継いだ。
「組合に所属している正規護衛士の一日当たりの給金の相場は、八十から百ディルほどだ。ここからラフェンタまでは半月ほどの距離だから、正規の護衛士をひとり雇うだけでも倍の千二百ディル以上はかかる計算になる。ふたり分の戦力を正規の半額で雇えるのだから、悪くない話だろう」
商人は躊躇ったが、手を差し出した。
背に腹は代えられぬといったところだろう。
「この足では、誰かの助けがないと動けそうにない。君たちをその値段で雇わせてもらうよ」
「交渉成立だな」
ハルはチェリンを見やった。
「お前もそれで、構わないだろう。どうせ道は同じなんだ」
「だいじょうぶよ」
チェリンが頷くと、ハルは荷車に歩み寄った。
荷車を瞬時に起き上がらせると、淡々と点検を始める。
「壊れてはいないようだな。僕が荷車を引いていくから、貴方は荷台に乗っていてくれ」
「しかし、それでは」
慌てた商人に、ハルは言い切った。
「今の貴方に速度を合わせていては、いつまで経っても進めない。それよりは、さっさと足を治してくれた方が助かる」
商人が荷台に乗るのを手伝うと、ハルはチェリンにしがみ付いている女の子を振り返った。
「お前も荷台に乗れ、チビっ子」
「え、でも……」「良いから」
慌てる少女を持ち上げて荷台に乗せると、ハルは言った。
「僕は力持ちだから、お前程度の重さが加わったところで、根をあげたりはしないんだ。だから、大人しく乗っていろ」
その口調が穏やかで、少年の気遣いがにじみ出ていたからだろう。
ふわふわ髪の少女は、こくんと頷いた。
「はいです。おとなしく、乗ってるです」
「良い子だ」
軽く口元を緩めると、ハルは荷車を引き始めた。
先程より歩く速さが落ちたが、それでもチェリンの歩速度と変わらないような速さだ。
「お前も背囊を乗せろ。どちらかひとりは、いつでも動ける状況にしておいた方が良い」
いつけものや魔物、盗賊に襲われるか分からないからだろう。
チェリンは素直に頷いた。
「疲れたら言ってね。少しの間でよければ、交代するから」
気遣いから出た言葉だったが、ハルは口を歪めて言い返した。
「問題ない。お前が普通に歩くのと同じ速さで、進める自信がある」
『ハンデありでもお前に勝つのは余裕』と遠回しに言われたチェリンは、ムッと眉をひそめた。
「その言葉、覚えておきなさいよ。キミがバテた時、思いっきり笑ってやるんだから」