【邂逅の夜明け】
遠くから聞こえてきた人の声に、チェリンは目を覚ました。
軋む上体を即座に起こし、森の中の野営地を見回す。
もう少しで夜明けだろう。うす青い闇の中に、ねじれた木のシルエットが浮かび上がっていた。
(こんな山奥で、ひとの声……?)
フードを目深に被り、使い慣れた短槍を掴む。
周囲には見えにくい場所を野営地として選んだつもりだが、用心に越したことはないだろう。
息を潜め、じっと周囲の様子を伺っていると──
『っ!』
──チェリンが野営している崖の下に、小柄な少女が転がり込んできた。顔立ちは分からないが、艶やかな黒髪を背に流している。この辺りでは珍しい色だ。
退路が無いことが分かると、少女は正眼に構え直した。乱れる呼気を無理やり鎮め、木立から現れた男と相対する。
『ちょこまかと逃げ回りおって。だが、終わりだ。観念するんだな』
疲労困憊の少女を馬鹿にするように、丸々と太った男は指を鳴らした。その音に合わせて、幾人もの男たちが木立から姿を現す。彼らの出で立ちを見て、チェリンは事態を理解した。
(奴隷商の人狩りだ……)
中央の太った男は奴隷商、周りの男たちは商品を捕まえるための狩人たちだろう。
身寄りの無い人々を捕らえて秘密裏に売り捌く、最悪の盗賊集団だ。
『おい、依頼人さんよぉ、あんた、捕まえた奴隷のしつけは最初のうちに済ませておけよなぁ。とんだじゃじゃ馬馴らしだぜ』
湾刀を携えた狩人が、肩で息をしている人影を見て、下卑た笑いをこぼした。
『死なせるなよ。この年齢の奴は、高く売れるんだからな』
『殺しませんよぉ。それじゃ、俺らの取り分が減るじゃないですかぁ』
げははは、としゃがれた笑い声を上げる奴隷狩人たち。
獲物を取り囲み、油断しきっていた彼らは気付いていなかった。うつむいていた少女が、崖下に転がる石につま先をかけた事を。
『がっ⁈』
彼女の蹴り飛ばした礫は、狩人の喉に命中した。のけ反って倒れた男は、そのまま起き上がらない。突然の出来事に動きを止める奴隷商に、少女は告げた。
『誰が、大人しく生け捕られてやると言った』
手負いの獣のように、低く、唸る。その声を聞いて、チェリンは自分の認識が誤っていたことを悟った。
目の前で奴隷狩りに追い詰められている人間は少女ではなく、少年だ。
『最低でも一人は道連れにしてやる。命の惜しくない奴からかかって来い』
少年が威勢のいい啖呵を切ると、あたりはシンと静まり返った。
風が樹々を揺らし、木漏れた光がわずかに森を照らし出す。
『お、おいおい少年。素手で殺る気かよ』
ひとりがぽつりとこぼすと、狩人の間から苦笑が上がった。
湾刀を構えながら、徐々に包囲網を狭めていく。
「…… 」
チェリンは立ち上がった。
これ以上は、とてもじゃないが見ていられない。
「これで終わ」「ぜぁあぁあぁあっ!」
気声と共に、飛び降りる。
ぎょっと顔を上げた湾刀使いに放った跳び蹴りは、ぶじ顔面に炸裂した。
「なんっ……⁈」
男が振り上げていたはずの湾刀が宙を舞い、見当違いの地面に突き刺る。
動揺の抜けきらない奴隷商相手に、チェリンは飄々とうそぶいた。
「素手の相手をこんな多人数で襲うなんて、見下げた連中ね」
「な、なんだテメェは」
「旅人よ。それ以上の説明が必要?」
チェリンが外套を取り払うと、その場にいた全員が絶句した。
「女の、ガキ……?」
狩人のつぶやきが、絶句の理由そのものを体現していた。
まさか、こんな山奥で少女に遭遇するとは思っていなかったのだろう。
「その耳……お前、リセルト人だな。どこの属州の出自だ?」
リセルト人の特徴である尖った耳を、舐めるように凝視されたチェリンは、奴隷商を睨みつけた。
「女リセルトか、良いじゃねえか。今どき『長耳』は珍しいからな、取り分が増えるぞ」
『獲物が増えた』と、包囲網を狭め始める狩人たち。
やっちゃったなぁ、と思いつつも、チェリンは短槍を構えた。
「馬鹿、早く逃げろ!」
焦燥を滲ませて怒鳴る少年に、チェリンは肩をすくめて見せた。
「無理よ。この状況だもの」
絶句する少年をよそに、歩き出す。
無造作に短槍が届く間合いに入り、そして一閃。
「ぐっ…… 」「がっ……⁈」
悲鳴と共に崩れ落ちる狩人。
その一人が取りこぼした剣を、チェリンは穂先ですくい上げた。
「ほら。素手じゃ心もとないでしょ」
「……。」
少年は戸惑いながらも、落ちてきた湾刀を片手で軽々と受けた。身のこなしからして、何かしらの訓練を受けているのだろう。
「キミ、かなり疲れてるみたいだしね。手伝うよ」
少年が応えるよりも早く、チェリンは動き出した。
奴隷狩人たちの脚を素早く打ち、よろけて剥き出しになった弱点を的確に突いていく。
「め、メスガキがぁっ⁈」
味方を倒された男たちが、いっせいに飛びかかってくる。
そこに乱入してきたのは、先ほどの少年だった。
「……。っ!」
ギョッと目を剥く男の肩を踏み台にして、一回転。着地する寸前で剣を振るうと、今度は男の身体を掴み上げた。
「っ!」
飛んできた矢を男の身体で防ぎ、矢を継ごうとしていた二人めがけて投げ飛ばす。仲間だったモノに押し倒された男たちを、チェリンはすかさず追撃した。
「キミ、やるじゃない」
狩人を倒したチェリンが微笑みかけると、少年は無言でそっぽを向いた。……可愛くない。
「さて、と」
立っているのがやっと、といった体の少年から目を背け、チェリンは落ち着いて歩き出した。
「あとはあんただけだよ、奴隷商さん?」
穂先を突きつけると、太った奴隷商はヒクッと喉を鳴らした。
「た、助け……」
丸々と肥えた、金髪の豚。多人種を見下す、純血の帝国人。生かしておく理由も無いと、心臓の真上に穂先を据えた。そのまま、短槍を突き下ろそうとした時。
「待て」
少年が、静かにチェリンの手を止めた。
「……? 」
眉をひそめるチェリンをよそに、少年は奴隷商に歩み寄った。静かな気迫に押され、奴隷商はヒッと声を上げる。
「た、助けてくれぇ。お前の事はもう追わない、だから」
少年は、奴隷商の首を掴んだ。片手で楽々と成人男性を持ち上げ、無表情に告げる。
「僕の耳飾りを返せ。そうすれば、見逃してやる」
奴隷商の顔が輝いた。
「あ、あれを返せば見逃してくれるのか?本当か?」
「さっさとしろ」
奴隷商のノドが、妙な音を立てる。
首を掴む力が、きつくなったようだ。
「わ、分かった。分かったとも!」
しきりに頷くと、奴隷商は懐から革袋を落とした。貴金属をまとめたのであろう革袋からは、緑石のピアスが覗いている。それを認めた少年は、奴隷商を離した。
「……」
少年に殺意は無いようだ。
気勢が削がれてしまったチェリンは、深いため息をついた。
「有り金、全部置いて行きなよ。命が助かると思えば、安いものでしょ」
「し、しかし」
チェリンは、短槍を突いた。
首元に突きつけられた刃に、奴隷商の動きが止まる。
「言っとくけどね」
チェリンは冷徹に告げた。
「あたしは、そこの子みたいに忍耐強い方じゃあ無いの。さっさとしないと、あんたの首と胴体が離婚しちゃうかもよ?」
穂先を僅かに食い込ませると、赤い色が男の首筋を伝った。
「いっ……いぎゃあぁあぁあっ⁈」
堪え兼ねたのか、奴隷商は奇声と共に巾着袋を放り出した。穂先が身体から離れた瞬間、どたどたと無様に走り去っていく。
「「……」」
生じた沈黙を破ったのは、少年だった。
「こいつら、殺したのか」
「生かしておいたら、キミやあたしを追ってくるでしょ」
チェリンの指摘に、少年は唸った。
「危ないところを、助けて貰ったな。礼を言う」
「ん」
少年が地面に放り出されたピアスを拾うのを見て、チェリンは首を傾げた。
「それ、大切なものなの?」
「あぁ 」
「そう。なら、取り戻せて良かったね」
少年に対して微笑みかけると、チェリンは巾着袋を拾い上げた。人を売って得た金だろう。中には、かなりの金額が入っている。
「ここを離れましょ。血の臭いに惹かれて、けものが寄ってくる前に。歩ける?」
少年は、ゆるゆると首を振った。
「歩く程度の体力なら、残っている。あとは、自分で森を抜ける……世話になった」
「キミ、一人で森を抜ける気? 死ぬよ」
「大丈夫だ。構わないでくれ」
近寄ろうとするチェリンを遮り、少年はよろよろと歩き出そうとする。
しかし、疲労のせいだろう。立ち眩みを起こした少年は、グラリと体勢を崩した。
「ちょ、ちょっと⁈」
うつ伏せに倒れた少年に駆け寄ると、チェリンはその身体をひっくり返した。
「ぅ……。」
少年は目を硬く閉じ、荒い呼吸をしている。溜め込んでいた疲労が、限界に達してしまったのだろう。
完全に気絶している少年を見下ろすと、チェリンはむむ、と唸った。
「ええー……どうしよっかなぁ、この子」
呆然と佇むチェリンの頭上で、東の空は、すでに白み始めていた。