【百華の池2】
──【百華の池】。
薬草が採取できるという池の範囲に踏み入ったチェリンは、その美しさに息をのんだ。
池は相当の深さがあるようだ。岸辺は浅葱色だが、中央の方は深い瑠璃色をしている。
澄んだ水面下では、巨大な水草がゆらゆらと揺れていた。あれが、魔物の良い隠れ家になるのだろう。
「見えるかい、あそこに咲いている花」
ラティスに言われ、チェリンは池のふちに目を凝らした。
極彩色の花が咲き乱れる中、ひとつだけ地味な色合いの花が咲いている。つりがね型の花を鈴なりに実らせた植物。
あれが、採取を頼まれている釣鐘花なのだろう。
「あれ、半分水に浸かっちゃってますけど……採れます?」
「採るしかないね。残念だけど、他のヤツは収穫期に達してないみたいだ」
予備の短剣に手を伸ばすと、ラティスは三人の方を見やった。
「今回は俺が採取するよ。その間の警戒に当たって貰おうと思うんだけど、大丈夫かい」
「うん。」
ユウは腰に帯びていた小刀を両手に構えると、すぅっと目を細めた。
「ふたりとも、気を付けて。ここは、魔物がよく出る。」
その言葉に、ふたりが頷こうとした。その瞬間。
『ェエェエエェェエェエッ!』
顔の歪んだ赤ん坊が叫んだような、甲高い声が四人の耳朶を打った。
「なっ……⁈」
呆然とあたりを見回す間にも、叫び声は次々と増えて行き、脳を揺らすような輪唱を生み出していく。
「なにっ……これっ⁈」
鋭い聴覚が自慢の耳が、今回は仇となった。
たまらずに耳をひん曲げたチェリンのそばに、片耳を押さえたハルが駆け寄ってくる。涙目になったチェリンを、乱暴に突き飛ばした。
「っ?! 」
吹き飛ばされる身体。
何とか勢いを殺して停止し、顔をあげた瞬間──
『クエェェエェエェッ!』
──ぞっとした。
黒と赤の水玉模様をしたサンショウウオが、二匹。さっきまでチェリンが立っていた場所に、ずるりと這い上がってきたのだ。
「っ!」
歯のない咢を開いたサンショウウオの頭部に、ハルの蹴りが炸裂する。
その身体が池に落ちた音が合図であったかのように、次々と大量の魔物が這い上がってきた。
「なっ……⁈」
「大量発生だ。くそ、こんな時に……」
「泣きごと言うヒマあるなら、さっさと採取してきて。」
淡々と言い放ったユウは、小刀を鞘から引き抜いた。
その薄紫色の目は、獲物を狩る猫のような眼差しを取り戻している。
「おい、これ全部を相手取るのか」
短剣を構えたハルの問いに、ユウは鼻を鳴らした。
「見れば分かるでしょ。そんなの、ただの人間にできる芸当じゃない……はやいとこ、ずらかる。」
言い終わるや否や、跳躍。
空中から投刃の雨をお見舞いすると、魔物の上に降り立ち、次々と斬り払っていく。多すぎる敵に苛立ったのか、ユウが竜胆色の旋風を身に纏い始めたあたりで、ハルが言った。
「じゃあ、あいつは人間じゃないらしいな」
ユウの攻撃をすり抜けて襲ってきた魔物を強烈な蹴り技で吹き飛ばし、それでも追い払えない相手を短剣で仕留めて行く。
そんな少年と向かい合わせになるように動いていたチェリンの耳に、ぬちょ、という微かな音が飛び込んできた。
「ハルッ!」
警告を放ち、音のした方角に短槍を振るう。
繰り出した短槍を受け止めたのは、やたらと長いカエルの舌だった。力任せに引っ張ろうとしても、得物の柄はびくともしない。
『我が牙に宿れ』
歯を食いしばり、チェリンは自身の星沁を短槍を持つ手に集中させた。
紅緋色の光が舞うたびに、力の均衡が崩れて行く。少しずつ、少しずつ穂先に巻き付いた舌がこちら側にズレて──今だ。
「んっ……なろぉおおぉおぉっ!」
乳母によく『はしたない!』と言われた気合いの声を放ちながら、チェリンは思いっきり短槍を振り回した。
変な形状に歪んだカエルがすっ飛んで行くのを見て、ハルが呆れたような声をあげる。
「お前……。もうちょっと、マシな戦法は無かったのか」
「あるならやってるっ!」
言い返したチェリンは、釣鐘花の咲いている方を見てハッとした。
ラティスと黒狼が戦闘に加わってしまっている。これだけ大量の魔物がいるのだ、採集どころでは無かったらしい。
「……。ねぇハル」
「何だっ」
短剣の間合いが短く、慣れない付与術式に頼らなければならないからだろう。
チェリンに比べると余裕が少ないハルを振り返り、チェリンはニッコリと笑った。
「これ、オフェロスであたしを『的』にしたお返しって事で許してね」
「は?いったい何を……」
ハルが言い終わる前に、チェリンは短槍を高く掲げた。
『始原の風、天翔る焔に仇なす蛮族共よ』
詠唱と共に練り上げられた星沁の光が、池を眩く照らし出す。
その場にいる者の視線がこちらに集中するのを感じながら、チェリンは謳い続けた。
『巫女王姫の名において命ず。栄誉が欲しくば、此処に集え!』
詠唱の終わりと同時に、掲げていた短槍をガンッと手近な岩に叩きつける。
広がった光の波紋に惹かれるようにして、バラバラだった魔物の群れがいっせいにチェリン達の方に押し寄せてきた。
「んなっ……。」
「イヤ、本当にごめん。一緒にがんばろ?」
ハルに飛び掛かろうとした魔物を斬り捨てながら笑いかけると、少年は短剣に氷霧を纏わせながら叫んだ。
「どんな悪夢だっ!」
一閃した短剣からほとばしった氷霧が、氷柱を生み出しながら魔物に迫る。
足元を氷漬けにされた魔物が動きを止めるのを見もせずに、ハルは横から飛び出してきたオタマジャクシもどきを蹴り飛ばした。
(このまま、採取が終わるまで時間を稼げれば……)
多勢に無勢のこの状況でも、何とかできるかもしれない。
複数方向から迫ったムカデのような魔物を、頭から貫いたときだった。
「っ! 」
チェリンの頭上に、カエルの巨大な影が落ちた。
迎撃は間に合わない。すぐ防御に回ろうとするが、モノを貫いたままの短槍をとっさに動かすことができない。
『ゲェエエェエェ……ガッ⁈』
ふいに、魔物の声がひしゃげた。
飛来した短剣が、目玉をかすったのだ。
『ゲェェエエェエェェエエェエェッ!』
怒りに満ちた声をあげ、地面に落ちたカエルはこちらに舌を突き出してきた。
ハルと同時に飛びのいて回避するが、攻撃の動きはそれで終わらなかった。
「っ……?! 」
地面に当たった舌は、急激に方向転換した。
その進行方向にいたハルはとっさに腕を突き出すが、星沁の生成が間に合わない。
相手を片付け、こちらに駆け寄ってきたユウ。根が付いた釣鐘花を掴んで、立ち上がったラティス。彼を護る黒狼。短槍を、中途半端な位置で停止させたチェリン。
「「あ…………」」
全員が絶句するなかで、魔物の舌先が、ハルの腕から頬までをれろーんと撫であげた。
「うぐっ……。」
カエルの粘液に触れて硬直したハルは、直後、半分浸水した草地に崩れ落ちた。
「ハルっ⁈」
カエルの魔物に止めを刺したチェリンが声をかけても、少年は応えない。
腕をついて立ち上がろうとしているが、四肢に力が入らないようだ。
「ちょっとハル、しっかり……」
「触るなチェリン、麻痺毒だ!」
ラティスの鋭い声が、チェリンの動きを止めた。
「ユウ、麻痺解除!」「承知。」
ラティスが投げ上げた試験管を難なく受け止めたユウは、チェリンたちの上空に跳躍した。
『唸れ、風閃の盾っ!』
最高まで圧縮された術式の起動句と共に、ユウを覆う旋風が収束、解放される。
『ゲッ⁈』『ゲコッ⁈』
たまらず吹き飛んだ魔物たちの間に降り立つと、ユウは試験管の中身を容赦なくハルにぶち撒けた。
「う……。」
「ぐずぐずしてないで、立ちなさいっ。」
うめくハルを容赦なく引っ張って立たせると、ユウは懐から黒色の球体を取り出した。
「ふたりとも。合図したら、入り口まで走って。逃げるよ。」
「逃げるって、どうやって?!この数に背を向けたりしたら、それこそやられちゃうわっ!」
未だ麻痺の残るハルを支えながら反論するが、ユウはあくまで冷静だった。
一番遠距離にいたラティスが、地面に突き刺さった短剣を拾った時点で振り返り、ニヤリと笑う。
「だから、こうするっ。」
勢いよく投げられた球体は、全力疾走するラティスのすぐ背後にポトリと落下し──爆発した。
「どわぁあぁあぁあっ⁈」『ギャワンッ⁈』
吹っ飛んできたラティスの襟首を乱暴に掴み、引きずりながら、ユウは叫んだ。
「走って、チェリン!」
「っ! 」
声に蹴り飛ばされるようにして走り出しながら、チェリンはチラッと背後を振り返った。
爆発によって湧き上がった煙幕には、催涙ガスのようなものが仕込まれていたらしい。混乱し、絶叫する魔物の声が聞こえてくる。
「チェリ、離……自分で走……」
「うっさい、集中させてっ!」
ずり落ちそうになるハルの腕を掴み上げ、チェリンは前に向き直った。
生い茂る草木を蹴飛ばし、石柱を飛び越え、硬い石畳で舗装された地面が見えたとき──
「きゃっ⁈」「へぶっ!」
──小石に足を取られ、チェリンはハルともども地面にひっくり返った。
「「…………。」」
寝返りを打ったチェリンは、瞬きした。
生い茂った樹枝のあいだから、薄い光膜に包まれた空が見える。風にそよいだ花が、草地に投げ出した指先を突っついている。
先ほどの逃走劇が夢だったかのように、のどかな光景が目の前に広がっていた。
「……ハル、生きてる?」
横に向かって声をかけると、ハルはうつ伏せのまま手をあげた。
肘をついて起きあがり、げっそりと嘆息する。
「迷惑をかけたな。すまなかった」
「お互いさまでしょ。短剣投げてくれてありがと、助かったよ」
深く息をついて、チェリンも身を起こした。
少し前の方には、服に付いた泥を『風』で乾かしているユウと、しきりにせき込むラティスがいる。ケープを掴んで引きずられたため、首が絞まっていたようだ。
「ユウ、お前……ひとを爆発に巻き込むなよ……」
「生きてるから、万事解決。ねー、リシュナ。」
『ワウッ!』
嬉しそうに尻尾を振る黒狼。
その頭を撫でるユウにため息をついて、ラティスは言った。
「これだけ派手な大量発生が起きているんだ。百華の池には、しばらく注意勧告を出してもらった方が良いだろうね。シェスカさんに言っておかないと……」
そんな事を言いながら、取り出した手帳に何かを書き連ねていく。
その作業をぼんやりと見ていたチェリンの頬に、ビシャッと冷たい液体がかかった。
「きゃっ⁈」
水源はハッキリしていた。
薬液を頭からぶっかけられたハルが、チェリンの隣で犬のように身を震わせたのだ。
「ちょっ、かかってるかかってるっ!」
「悪い。だが、わりとそれどころじゃない」
悪びれもせずに言った少年にひと言いってやろうと、振り返ったときだった。
「な、何よそれっ?!」
チェリンは思わず噴き出した。
ハルは予想通りびしょ濡れだったのだが、それだけではない。綺麗な黒髪はあちこちに跳ねまくり、水草が乗っかっている。
おまけに、ハルの服には小ぶりのザリガニがたくさん付いていた。倒れたときに、血に反応してくっついて来たのだろうか。半端ない量がいる。
「はがすのを手伝ってくれると、非常に助かるんだが。麻痺であまり感じていなかったが、こいつら、地味に痛い」
真顔で言われて、チェリンはこくこくと無言で頷いた。
声をあげると、爆笑が止まらなくなりそうだったからだ。しばらく無言でザリガニはがしに専念して、最後の一匹を引きはがした瞬間、ハルが呟いた。
「……。こいつら、食えるだろうか」
「いやいや、なんで食べる気になったの」
「食われてばかりでは気が済まない。ここは、食い返すのが筋だろう」
「何よその理屈。もう、意味わかんないよキミ」
自然と、顔がほころんでいたのだと思う。
本気で料理する気なのか、革袋にザリガニを詰め終えたハルが立ち上がり、唐突に言ったのだ。
「……。お前、やはり笑ってた方がいい」
「え?」
しゃがみ込んだままキョトンとしていると、ハルは振り返った。
「毒見は、お前の担当な」
モゾモゾとうごめく革袋を持ちあげ、ニヤッと笑う。
その綺麗な笑顔にポカンと呆けてから、チェリンは、不敵な笑顔を返した。
「良いよ、毒見してあげても。ただし、マズかったり毒があったりしたら、その場でたたっ斬るからね」




