【ヴィレッジ商会2】
「「は……?」」
自分が何を言っているのか分かっていない少女は、キラキラと輝く満面の笑みでチェリンたちを見上げている。
ルークの変態ぶりを裏付ける大暴露に、当然、前庭の空気は瞬間凍結した。
「んー、ミリーにも分かる時が来ると思うぜー」
しかし、公衆の面前で醜態を晒されたハズの青年は、相変わらず爽やかな笑みを浮かべ続けている。
((なんて……))
なんて、清々しい変態なんだろう。
予想の斜め上を行くエミリアの証言に絶句するしかない新米ふたりを見兼ねて、ユウが即、動き出した。
「よし、はやく行こ。この子は、早くこいつから離したほうがいい。」
ユウはエミリアの手を引き、空いている手でチェリンの腕を強く引っ張った。
「チェリンも来る。あなたも危険。触るな危険。」
「はぁ……」
ユウに押されて、扉の方に移動しようとする。
視線を感じて振り返ると、ハルがやたらと切なげな表情をして立ち尽くしていた。
「……」
『お前たち、僕をこの変態とふたりきりにさせる気なのか』、と。
まだ幼さの残る少年の顔の全面に、そう書いてあった。
「何かごめん」
「……。」
「おいおい、お〜いっ」
ルークは、ニヤニヤと笑いながらハルに近付いた。
「そんな心細そうな顔をしなくても大丈夫だぞ少年。いくら年下でも、男は守備範囲外だ。男がわさわさ集まってもムサいだけだからな、なぁチビハルくん。さっさと採寸終わらせようぜ」
「エリハルだ」
「あー、悪ぃなチビハル」
ピキッ、と。
何かが切れる音がした。ハルの額から。
「このっ……」
「んん? どーしたのかなチビハルくん」
「……。おい。お前、さっきから何」
一歩前に進み出て、ルークを見上げるハル。
「ほい 」「……。え?」
その進行を妨げるように、青年の指がハルの額を押さえた。そして──
「とぉっ!」「ふぐっ⁈」
──額面指撃。
勢いよくつんのめったハルは、呆然と額を押さえた。
「な、なっ……⁈」
痛かったのか、驚いたのか。
唖然とした表情をしているハルに、ルークはからからと笑いかけた。
「若いうちから額に皺寄せてんなよ。普段からそんくらい素直そうで可愛いげのある顔しとけばいいと思うぜ、チビハルくん?」
「……」
その言葉に、ハルは沈黙した。
そして、うつむいたまま、プルプルと小刻みに震え始める。
「な、なは……」
((なは……?))
チェリン、冒険者たち、ルーク、商会の職人、船夫たち。
前庭にいた全員が、固唾を飲んで状況を見守っていると。
「僕の名はエリハルだとっ」
少年はガバッと顔を上げ、吠えた。
「何度も言っているだろうが、いい加減に黙れよこの変態野郎がァアっーーー!」
感情を抑えることを知らない子供のような、盛大な罵声が前庭にこだまする。
「「おぉ……」」
「エリハルさんが怒ったの、初めて見たですー」
一見冷静に見えた少年の咆哮に人々が感心の声を上げる中、エミリアは息を荒げているハルを見て目を丸くした。
「人を怒らせる天才だからな、あいつは」
「まぁ、肩の力が抜けていいんじゃない。」
やれやれと嘆息するラティスの隣で、ユウが肩をすくめた。
「あのね、ハル。」
「……。何だ」
「そいつの耐久値、かなり高いから。遠慮せずに殴殺てもだいじょうぶだよ。」
「お〜? 」
ユウの言葉を聞きつけたルークは、少年の顔を覗き込み、腹立たしいことこの上ない表情で続けた。
「新米クンが熟練の鍛治師を殴殺ぅ? でっきるっかなぁあ?」
「貴様っ……。」
「なはは、怒った顔も可愛いぜボーヤ」
「〜っ!」
完全に挑発に乗せられ、歯ぎしりする少年。
その様子を見兼ねたラティスが、ハルとルークの間にそっと割り込んだ。
「ふたりとも、落ち着いて。無駄な怪我をするのは良くないよ……ルーク、あんまりからかってやるなよ」
「いやぁ、多感な年頃の子ってのは反応が面白いもんでな。つい、ちょっかい出したくなるんだよ。それに……」
唐突にラティスの頭に手を乗せ、ルークは少年の髪をくしゃくしゃっとかき混ぜた。
「肩の力を抜いてやった方が良いんだろ? お前もあんまり気負うなって、ラティス」
「……頭は止めろ、頭は」
「はは、すまんすまん。お前がオレより小さかった頃の感覚が、未だに抜けねーんだわ。時が経つのは早えなぁ」
「ルーク。その発言、おっさん臭い。」
「んー、お前らよりは歳食ってるからな。だがなユウ、オレの事は『おっさん』ではなく『ルークお兄さん』と呼びたまえ」
「絶対にイヤ。」
「はっはっは。ツンデレロリ娘に萌え萌えだぜ「天誅。」すいませんでした」
爽やかな笑顔を維持したまま、青年は前庭の隅に並べられた武器の方に歩み寄って行った。
後頭部に突き刺さっている苦無に関しては、きっとスルーして置いた方が良いのだろう。
「……まぁ、いいや。その子の採寸が終わったら声かけろよ、ルーク」
「おうよ」
ため息交じりのラティスに、ルークは笑って答えた。
盛大に頬を膨らませるエリハルに向かって、ちょいちょいと手招きする。
「ハル坊、こっち来な。まずは身長からだ」
その言葉に、エリハルは動きを止めた。
差し出された手を見上げ、目を擦り、首を傾げる。
(なんだ? いま……)
ハル坊と呼ばれた時、心に何かが引っ掛かった気がした。
エリハルはそのまま目の前の青年を凝視したが、それ以上の感覚はつかめない。
「……ん、どうした?」
「あ、いや……」
目を瞬かせたエリハルは、ニンジン色の髪を持つ青年を見上げ、ためらうように訊ねた。
「ルーク・ハイヴリッジ。僕とお前は、どこかで会ったことがあったか?」
その言葉に、ルークは動きを止めた。やや考えるようなそぶりを見せた後、巻き尺を手に膝を突く。
「……オレは、西のチチェリットって場所で修行してたんだ。だから、お前がそこに来たことがあるなら、会った事があるかもしれねぇよ。チチェリットに行った事は?」
チチェリット。確か、四方の迷宮都市のうちのひとつ。西にある迷宮都市で、『学院』が自治権を握っているという学院都市だ。
知識としては把握しているものの、心に響くものはない。エリハルは首を横に振った。
「……そうか」
ルークは、それ以上何も言わなかった。淡々と計測を終わらせ、画板に取り付けられた計測表に、淡々と数値を書き込んでいく。
前庭から見える運河は、日の光を反射して煌めいている。壁を這うように咲いている赤と黄色の花は、風に揺れている。
エリハルはそれらの景色をぼんやりと眺めながら違和感の正体について考えていたが、結局思い当たる要素がないまま、違和感は思考の隅に追いやられてしまった。
♢♢♢
「ほれ、チェリンちゃん」
言いながら、ルークはチェリンめがけて何かを放ってきた。
反射で受け止めると、それは短槍だった。柄は木製だが、表面に透明な加工が施してある。
「あの、これは? 」
「戦ってみな。ハル坊と」
両手で持った両刃大剣の重量を確かめるように上下させながら、ルークは言った。
「実力は言わずもがな、戦いのクセやリズム……特注の武器を作る前に、そういうモンを把握して置きたいのさ。ハル坊、これを持ってみな」
両刃大剣を目の前にして、ハルは無造作に両手を突き出した。
「重いぞ、気ィ付けろ」
「心得ている」
雨傘を受け取るような動作で、軽々と大剣を受け取る少年。
その様子を目の当たりにして、ルークはぽかんと口を開けた。
「お前さん、筋力上昇と重力操作系の装身具は付けて……ねぇな。そのナリで、いったいどんな腕力してんだ」
「さぁな」
ルークの言葉にただ肩をすくめ、ハルはチェリンの方を見やった。
「で、チェリンと戦えば良いのか?」
「おうよ。その方が、互いの動きも分かる。連携もしやすくなるだろ」
「なるほど。承知した」
身の丈ほどもある大剣を肩に乗せ、構える。
華奢な体格に似合わぬ少年の存在感に、チェリンは喉を鳴らした。
「ぼーっとしてないで、お前も構えろ」
「分かってるよ 」
短槍を手の中で一回転させて、腰を落とす。
深く息を吸うと、周囲の喧騒がすぅ……と波のように引いて行った。
永遠とも思える、一瞬の停滞。それを破るかのように、少年の足がぶれるのが見えた瞬間。
「──っ!」
水晶のように鋭い殺気に貫かれ、チェリンの身体がゾクリと震え上がった。
何を考える間も無く、大きく後ろに飛び退る。眼下からせり上がってきた白い光を避けると、鋭い緑の瞳と視線が交差した。
──速いっ!
背筋が凍るような速さに、チェリンは戦慄した。
槍を傾けて斬撃を流しながら、半回転させた柄をぶち当てる。
「……!」
ハルは腕当てでとっさに防御したものの、わずかによろけた。
その隙を突いて、チェリンは大剣の間合いから飛び退いた。剣の届かない間合いを取れば、丈の長い短槍の方が有利に働くことができる。
──あんな速さで、間合いに入るなんて。
ほんの数秒の攻防に疲労を感じながら、チェリンは誘うように攻撃を繰り出した。ハルの攻撃をしゃがんで回避し、振り向きざまに剣先を叩き落とす。
大剣の弱点は、その重量だ。
一度攻撃の流れを遮ってしまえば、短槍の動きに付いて来れるほどの速度を咄嗟に出すことはできない。
「ぁああぁあぁああっ!」
大剣を足がかりに跳躍、ハルの上空に躍り出る。
勢いに任せて、短槍を打ち付けようとした瞬間。
少年は、大剣を手離した。
「えっ……⁈」
自分から得物を。なぜ。
そんな思考に捉われるチェリンの刺突をやすやすと躱し、ハルはぐんっと身を沈めた。
「──っ⁈」
不味い、避けろと本能が叫ぶが、間に合わない。
チェリンの身体は、無防備な体勢で空中に晒されている。
「……!」
悪い予感は的中した。
攻撃を躱されたチェリンのどてっ腹に、身軽になったハルのまわし蹴りが命中する。
手加減はされているのだろうが、チェリンを壁まで吹き飛ばすのには十分な威力の攻撃だった。
「っ……!」
チェリンは身体をひねると、眼前に迫った赤レンガの壁を蹴って駆け登った。
既に大剣を手にしているハルめがけて、上空からの突撃を再び繰り出す。
「……」「っ!」
チェリン渾身の一撃は、平然と受け止められた。
このままでは、ハルが剣を一振りした瞬間に吹き飛ばされて終わりだ。だが──
「我が、牙に」
──星沁を付与した術式攻撃なら。
目を見開くハルを見下ろしながら、チェリンは咆哮した。
「──宿れっ! 」
チェリンの短槍を包み込んだ紅の光が、火花を上げて大剣に対抗する。
「……っ」
生身の人間であれば一瞬で吹き飛ばせるような術式を発動しているはずなのに、ハルは拮抗してきた。
きつい鍔迫り合いの最中、得物ごしに目が合った二人は、凶暴に歯をむき出した。
「「せっ……あぁあああぁああっ‼」」
完全に相殺し合った力に弾かれ、チェリンとハルは互いに吹き飛んだ。
──面白い。
無意識のうちに、チェリンは笑っていた。
術式を使い出したチェリンの動きに付いて来れるほどの腕の持ち主は、森には殆どいなかった。床に爪を立てて勢いを殺し、即座に飛び退く。
叩きつけられる大剣を回避したチェリンは、短槍を下段に構え、大地を蹴り飛ばす──
「よし、そこまで!」
──不意に声を掛けられて、チェリンを包んでいた集中の膜がパチンと弾けた。
長靴の底を鳴らして停止すると、深く息を吐いた。次の瞬間。
「「「______‼」」」
剣戟以外の音が消えていた世界に、わぁっと大音量が飛び込んできた。
前庭や運河から戦いを見ていた人々が、歓声を上げているのだ。
「チェリンさん、エリハルさん、凄いですー!」
無邪気な声に微笑んで、チェリンは短槍を地面に突いた。
集中が途切れたせいだろう、戦いの疲労が、徐々に肩にのしかかって来る。顔を無造作に拭うと、チェリンは声の主を振り返った。
「終わりですか?」
「おうよ。今ので、大体の特徴が見えた」
ルークはチェリンとハルの間に割り入ると、チェリンを指差しながら言った。
「チェリンちゃんは、対人戦に強い戦い方だ。相手の動きを誘導して隙を作ったりするやり方は、魔物相手でも通用する。動きの型を守り過ぎてる感じがしなくもないが、実戦慣れすれば臨機応変な動きにも対応できるようになるだろう。そんで……」
ハルの方を見やると、ルークは肩をすくめた。
「逆にハル坊は、最低限の基礎だけ教わって、後は魔物との実戦で鍛えたクチだな? 肝が据わった、思い切りの良い攻撃は強力だ。だが、細かい駆け引きみたいなモンには慣れてねぇ。お前さん、何か攻撃系の術式は使えるか?」
「さぁな。使えるように見えるか?」
無愛想な応えに、ルークは苦笑した。
「……まぁ、お前さんの馬鹿力があれば術式無しでも相当強いだろうがな。お前さんの剣に入れる刻印は、補助的な物にしよう。星沁をやたら消費するような術式は、前衛に向いてねぇしな」
言いながら、ルークはそわそわと足を動かした。
その様子を静かに見ていたラティスが、レンガ造りの壁に寄りかかりながら苦笑する。
「楽しそうだね」
「おうよ! 久しぶりだぜ、骨のある新米の武器を見繕うのはよ。ここん所、見掛け倒しのムサいおっさん共しか見てなかったからな」
若草色の目を眩しそうに細めて、ルークは笑った。
「……楽しみだよ。お前さん達が、どんな冒険者になって行くのかな」




