【ヴィレッジ商会】
昼下がり。
公設市場を抜け、商業系ギルドの工房が集う区画に向かっていた時のことだ。
「わぁ!」
幼い子供のように辺りを見回していたチェリンが、集団の少し後ろを歩いていたハルを振り返った。
「見てよハル! 建物が水の上に浮いてるわ!」
橋の上で無邪気に跳ねている少女は、天真爛漫な仔鹿のようだ。
『はしゃぐな通行人の視線が痛い』という台詞をぐっと飲み込んで、ハルはチェリンが立っている石橋の上まで辿り着いた。
「なるほど、運河があるのか」
「凄いよね。海の上に建物を建ててるなんて」
「……いや。この下は、恐らく干潟だろう」
「干潟だと、海に建物を建てるのと何か違うの?」
石橋の下を通行する小舟を見下ろして、ハルは肩を竦めた。
「干潟は遠浅の砂地だから、比較的環境が安定している。獲れる魚の種類も多いし、海戦での防御に優れているらしいぞ」
「海戦での……それは、どういう事?」
「どういう事、と言われても。伝聞しか知らないぞ」
「伝聞でも構わないよ。知ってること、教えて」
『戦』の単語に目の色を変えるチェリン。
ハルは、少し躊躇いながらもそれに応えた。
「遠浅の沿岸で、大型の戦艦を操作するのは困難だろう? こういう場所での戦いは、俊敏な小舟を乗りこなし、潮の満ち引きと海流を知り尽くした地元民が有利になるんだそうだ」
「これだけ財を成しているラフェンタが、他国の襲撃を受けていない理由……海戦での圧倒的な強さに起因しているって、あなたはそう言いたいの?」
想像以上の勢いで食い付いてきた少女に困り果て、ハルは眉を曲げた。
「別に、そこまで深い意味を考えて言ったワケでは……」
「正解だぜ、嬢ちゃん。ここの住人は、日常的に船を使う事に慣れてるから、海戦にめっぽう強いんだ。この運河も、よその都市でいう道路みたいなもんだしな」
チェリンの言葉をうまく流すと、青年はたれ目がちの目を細めた。
「おっとチビハルくん。その顔は、分からない事があってムズムズしてるって顔だな。聞きたい事があんなら、おにーさんが手取り足取り優しく教えてやんぞ」
「エリハルだ。あと、その表現は何かキモいから止めろ」
「なはは、悪ぃ悪ぃ」
ムッとして言い返すと、ルークは悪びれもせずに謝罪の言葉を吐き出した。
ハルとしては『呆れた』という意図を込めて青年を見つめているつもりだったのだが、怒っているように見えたのだろう。
ルークは、ハルの頭をかき回してから言った。
「そんな怖い顔すんなってば。んで、何が聞きたいんだ? 聞きたい事があんのは確かだろ?」
「……。この運河の水だ」
ハルは、ぼんやりと水底が見えている水路を指差して続けた。
「この運河では、流水に何か特殊な処理でもしているのか。水がそれなりに澄んでいるし、下水の臭いも薄い。他の水辺の街より、水がずっと清潔だ」
「良い着眼だ。あそこを見てみな」
ルークはキラリと白い歯をチラつかせると、水路沿いの家に取り付けられた排水口を指差した。
「各家の排水口に、迷宮素材を使った浄化装置が付いているんでね。生態面への配慮から、川からの水はそんままにしてるが、この街で水が原因の疫病が流行るこたぁ、まず無ェよ」
思いがけず得られた真面目な知識に、ハルは瞬きした。
「それは……。良い話だな」
「だろ? この水路は、観光地としての機能も兼ねてっからな。なるたけ綺麗に魅せたいワケだよ、商人としては」
ルークは水路に並ぶ小舟の方へ歩み寄って行くと、船夫にギルドカードを提示した。
「おっちゃん、五人よろしくな!」
「船に乗っていくんですか?」
あごを引いたチェリンに、ルークは対岸に見えている区画を指差して言った。
「商業系ギルドの工房は、全部あっち側の地区に集められてんだよ」
「それは、火元の管理と、技術の保守の為……ですか?」
鋭い洞察力を見せたチェリンに、ルークは驚いたように目を見開いた。
「あぁ。ここでは最新技術の開発も行ってるからな。ヨソの商人との交渉は、さっきの公市か港沿いの外人商館でやることになってんだ。てか、よく分かったな嬢ちゃん」
「嬢ちゃんはむず痒いので、名前で呼んで下さい。チェリンです」
鍛治師は「チェリンな。覚えたぜ」と、ハルに見せた態度とは真逆の対応で頷くと、四人が座れるように場所を詰めた。
「足元揺れる。気をつけて。」
身軽な動きで船に飛び移ったユウに続き、チェリンが慎重に船に足を乗せる。
視線で促されたハルが乗り、最後にラティスが船に乗り込むと、船はあっという間に水路を横断した。
「毎度ありぃ!」
「あいよー」
野太い掛け声をかける船夫に手を振ると、ルークはすぐ目の前にある立派な建築を手で示した。
「ここがオレんとこの職場、ヴィレッジ商会の工房だよ。中に入んな」
思った以上に強い力で背中を押され、ハルはよろめくようにして工房の中に踏み入る。
この男、絶対わざとやってるだろうと思いながら工房を見回したハルは、思わず声をこぼした。
「うわ、すげぇ……。」
そこは、ハルが想像していた【工房】とは異なる、趣のある空間だった。
ほのかな暖色で統一された部屋の中は、質素で品がいい。
作業机で布や革を縫製している職人の大半は、楽しげに談笑する女性たちだ。
「男はいないのか?」
「ここは軽防具の作業場だからな。火を使う工房は奥だ」
促され、作業机の間を縫って歩き出す。
ていねいに整頓された機材を見て、チェリンが「あの 」と声をあげた。
「これだけの規模の工房だと、国内の重客が来る可能性もありますよね。入り口に、待合室のようなものは作らないんですか」
「うちはな、わざと待合室を奥に作ってんだよ。てか、やっぱ鋭いなー」
鍛治師は、垂れがちの目を弓なりにして続けた。
「お前さん、ここに入った時どう思った?」
「清潔感があるなぁ……って、思いました。お洒落だし」
「おぅ。それを狙ってんだよ」
ルークはニカッと顔全体で笑った。
「簡単な物を作る工房を前面に出すことで、こうして清潔な空間で物を作ってますよって宣伝してんだ。いつ客が来るか分からないってなると、皆もちゃんと片付けるし。ま、これはオレの部下が出した案なんだけどよ」
「「へぇ……。」」
解説をハルとチェリンが聞き入っていると、静かに話を聞いていたラティスが前に進み出た。
「ルーク、少しいいか」
仕事の話だ、と、彼が目で言っているのに気付いたのだろう。
「おうよ」
鍛治師は即座に頷くと、工房の奥に続くアーチ状の扉をハルたちに示した。
「奥に座るとこもあっから、そこで待っててくれな」
ルークの言葉に、ユウがこくんと頷いた。
「ん。ふたりとも行くよ。」
「あぁ……。」
少女に付いて扉を抜けたふたりは、奥に広がっていた光景にまた目を丸くした。
そこは、水路に面した前庭だった。
椅子や丸テーブル、植物などで涼しげに仕立てられたその場所で、職人たちが生き生きと船から資材を運び出している。
「ねぇユウ。ここの建物って、どうやって水の上に建ててるの?」
「主街区と違って、ここは、干潟の上だから。普通の建て方したら、建物が沈んじゃう。だから、建物の土台を工夫してるんだよ。」
「土台というと……」
「干潟に木の杭を刺して、その上に石の土台を乗せてから、建物を作る。木は泥で丈夫になるし、石なら塩水で腐食しない。一石二鳥。」
「そっか。そういう手があるんだ」
「そういう話、すきなんだね。」
目元を緩めたユウに、チェリンは一瞬だけ寂しげな表情をしてから、即座に笑顔を浮かべた。
「建物の作りって、その土地の地理と文化にすごく影響されるでしょ。調べ甲斐があるじゃない」
「そっか。」
マフラーを僅かにずらすと、ユウは水揚げをする職人たちを指差した。
「あの荷船にも、工夫があるんだよ。なんだか分かる?」
「うーん、そうだね……」
上目遣いに答えを待つユウと、船を凝視するチェリンの様子を見て、ハルは僅かに口元を緩めた。
ハルの方も、自分の興味を惹く物を好きに覗き込んでいき、気の良い職人たちの解説を聞いていたが──
「……っ!」
──見てしまった。ぽんと置かれた剣、その柄に取り付けられた値札に並ぶ、ゼロの数を。
◇◇◇
「待たせたなー」
爽やかな笑顔を伴って前庭に入ってきたルークは、積み荷の前で硬直している黒髪の少年を見て、目を瞬かせた。
「ん、どした?」
「いや、これ……。高く、ないか」
「え? どれどれ……っ⁈」
珍しくこわばった口調のハルの横から、荷を覗き込む。
そこに置かれた片手半剣の値札を見て、チェリンはハル同様に硬直した。
「「…………。」」
「あー」
魔物の【石化】攻撃を喰らったが如く停止するふたりを見て、鍛治師がぼりぼりと頬をかく。
「普通の鋼で作ると、すぐ魔物に噛み砕かれたり、溶かされたりしちまうからな。迷宮用の装備は、どうしても値が張っちまうんだよ。槍なら穂先だけを替えていけば良いが、剣の場合はそうも行かねぇんだわ。ラティスから、お前らの事情はおおよそ聞いたが……」
部屋の壁にもたれているラティスを目線で示すと、真面目な顔で言葉を続けた。
「入り口んとこで素材拾いしてるそこらの冒険者ならともかく、まじめに探索して魔物と殺り合おうとか思ったら、どうしても迷宮素材で作るか、刻印で強化した刀身の剣が必要だぜ」
「……。」
ハルは、一瞬だけ目を泳がせたものの、即座に首を振った。
「僕には、刻印剣を買えるような蓄えは無い。普通の剣で……」
「あ、そこはなんとかするらしいぞ」
「え?」
キョトンとした表情を見せたハルに、ルークはラティスを顎で示した。
「だろ、公務員どの?」
唇の端をつり上げる青年を軽く睨み付けると、ラティスは頷いた。
「あぁ、ここは俺が持つよ。君は値段を気にしないで、自分に合った武器を作れば良い」
「しかし、それは悪い」
慌てて首を振ったハルに、ラティスは満面の笑みを浮かべながら「大丈夫だよ、経費にツケとくから」と、言い切った。
「初期装備は必要経費で下りるって事になってたから……たぶん」
「多分で良いのか⁈」
「領収書はしっかり書いてやんよ」
安心しろよ、と言われ、眉をひそめるハルの眼下に。
「難しいこと、考えなくていいんだよ。」
ひょっこりと、ユウが顔をのぞかせた。
「だって、あなたは迷宮に入らされてるひとなんだもん。どうせなら、一番いい武器をふんだくれば良いじゃない。」
「お前、『入らせている』側の人間だろ」
顔をしかめたハルに、ユウはえっへんとばかりに腕組みをして見せた。
「お金出すのは、わたしじゃないもん。」
「は、はぁ……。」
「うっし、決まりだな」
ニカッと笑い、ルークは壁に取り付けられた金属筒に向かって声をかけた。
「おーい、ミリーはいるか。いたら、前庭に武器用の採寸道具一式を持ってきてくれー」
壁に取り付けられた金属筒は、通話機のようだ。
少しすると、金属筒から『はいです、いま行くです!』と、少女の愛らしい高音声が言葉に応えた。
小鳥のように軽やかなその声には、聞き覚えがある。
「いまの声、もしかして?」
チェリンは、ハルと顔を見合わせた。
互いの目に確信の色を見て取り、ぱたぱたと聴こえてくる足音の方向に顔を向ける。
「はい、お待たせしましたです!」
扉から姿を現したのは、木箱を抱えた少女だった。
可愛らしい桃色のワンピースに身を包み、ふわふわの茶髪は、仔犬の耳の様なツインテールにまとめている。
「エミリアちゃん!」「エミリア!」
「チェリンさん、エリハルさんっ!」
エミリアはこちらに気付くと、チェリンの腕の中にぴょんと飛び込んできた。
「エミリアちゃん、元気にしてた?」
「はいですっ! チェリンさんとエリハルさんのおかげですっ!」
少女はチェリンの腕の中で破顔すると、くるりと方向を変えて停止。
ハルのことを、期待の眼差しで見上げた。
「お前、ここで働いているのか」
「はいですっ!」
静かに訊ねたハルに、エミリアはぴょこんとツインテールを跳ねさせた。
「エミリアはここで、お針子見習いとして革防具の作成をしてるです!」
「楽しいか?」
「はいですっ!」
ハルは僅かに目元を緩めた。
「そうか。なら、良かった」
背伸びする少女の頭に、ぽんと手のひらを乗せる。
「うにゅ…… くすぐったいですぅ」
そう言いつつも、嬉しそうにハルの手を引っ張るエミリアを見て、ルークが目を瞬かせた。
「お前ら、知り合いだったの?」
「その子をラフェンタまで護衛したのが、このふたりなんだよ」
ラティスの言葉に、ルークは納得の色を見せた。
「あー、そういう事か」
ルークは「なるほどー」などと言いながらこちら──正確には、ハルと、その腕にじゃれている少女に視線を向けた。
「おい、エミリア」
ハルは、ハッとしたように訊ねた。
「はい?」
「あの男に、変なことをされたりはしてはいないな」
小声で耳打ちしたハルに、エミリアはちょこんと首をかしげた。
「はい。ルークさんはいい人ですよ?」
あっけらかんとした少女の言葉に、チェリンとハルが安堵のため息をつこうとした、その瞬間。
「あ、でも『大きくなったらもっと仲良くしようなー』とか、『ロリ看板娘は最高のステータスなんだぜー』って、よく言われるです!」
エミリアは、純真なる大暴露をハルに向かってぶち撒けた。




