【血の盟約】
「おはよ。よく寝れた?」
ソファにもたれ掛かっているハルを覗き込んでいたのは、紫がかった水色の瞳をした少女だった。
外は夜だが、部屋はやたらと明るい。天井に吊るされている豪奢な灯りのせいだろう。
どうやら、チェリンが泣き止むのを待っているうちに眠り込んでしまったらしい。
「他の奴らは?」
身体に掛けられていたケープを手渡しながら訊ねると、ユウは肩をすくめた。
「チェリン、服着替えてる。らてぃ、仕事中。ふたりが戻ったら、ご飯しよ。」
そう言って彼女が指さしたのは、ワゴンに乗せられた料理の山だった。
調理法は豪快な丸焼きや果物など質素なモノが多いのだが、量だけは半端ないことになっている。
「これは……。凄いな?」
「厨房に言ってね、上品なのは要らないから、量をありったけ出してって、頼んだ。」
度肝を抜かれているハルを見て、ユウは笑みを浮かべた。
ハルやチェリンと、そう年齢は変わらないのだろう。その笑顔は、年相応の無邪気なものだった。
「……。この際だから聞くが」
「ん。なぁに。」
テーブルに腰掛け、足をぶらつかせている少女に、ハルは訊ねた。
「お前たちは、専門に訓練された『諜報員』と解釈して良いのか。冒険者ではなく」
「それなりの頻度で『裏の仕事』みたいな事、やってる。それは確か。でも、専用に育成された諜報員、って訳じゃない。」
ユウは、ぴょこんとテーブルから飛び降りた。
「わたしは、この都市に来る前から、そういう技術、持ってた。治安維持の任務を引き受ける代わりに、都市に置いてもらってる。それに、任務後には給金も出る。」
「じゃあ、お前たちは訳ありなのか」
「この部屋にいるひと、皆そうでしょ。」
「僕は、ただ巻き込まれただけだ。目撃者として」
「それは、どうかな。」
ユウは真顔で言った。
ワゴンに歩み寄り、銀のナイフを持ち上げる。
「目撃者が出たのは、迷宮なんだよ。」
指先で器用に回したナイフを、少女は果実に突き刺した。
貫かれた果実を持ち上げ、食らいつく。
「目撃者だからって理由だけなら、もっと簡単に処理する方法、あった。でも、主人は、あなたを回収させた。たぶん、あなたに利用価値があるって思った。わたしは、そう思う。」
口を封じたいなら、殺した方が早かった。
少女が言いたいのはそう言うことだろう。確かに、理にはかなっている。幸せそうに果物を頬張る少女を横目に見ながら、ハルは盛大にため息をついた。
「普通の顔して、穏やかじゃ無い事を言う奴だな」
「だって、事実だもの。」
最後のひとかけを飲み込むと、少女はハルに向かってニコリと笑いかけた。
「雲上人さんはね、民衆を駒にしか思ってない。勝手に遊戯盤から逃げる駒、壊されちゃう。そういうものだと思って、おとなしくしてた方が、良い事あるんだよ。」
◇◇◇
服を着替え、居間のような場所に戻ったチェリンを待っていたのは、これでもかというくらい山積みにされた食料の山だった。
料理を厨房に頼んだ張本人──つまり監視員たちは、無言で食べ物を口に運んでいる。
きっと、迷宮から戻ってからあまり食事を取っていなかったのだろう。
ふたりの表情は、どこか幸せそうだった。
「食べないのか」
唐突に問いかけられ、チェリンはビクッと肩を揺らした。
「た、食べるよ。食べるけどさ……」
「毒の心配はいらないと思うぞ。入れる意味も、無いだろうが」
チェリンの隣に座るハルは、淡々と揚げ鶏の山を崩しにかかっていた。
監視役の人間と食事するという奇妙な状況に、見事に適応している。肝が据わりすぎだ。
「キミ、本当にただの旅芸人なの? 肝据わりすぎでしょ」
「旅芸人として育てられていたのは事実だ」
うんざりとした声で問うたチェリンに、ハルはさらりと答えた。
「早く食べると良い。次にまともに食事ができるのがいつになるか、分からないんだぞ」
それだけ言うと、素知らぬ顔で食事に戻るハル。
その横顔をしばらく眺めていたチェリンは、手近にあった海老の煮込みに手を伸ばした。少年の言う通り、ここで食べ溜めをしないのは大損だろう。
寝続けていて胃が空だったせいか、食べ始めたら止まらなかった。
次々と料理の山を平らげていき、ようやく人心地ついた頃には、ほとんどの皿が空になっていた。
「さて、と……」
チェリンたちの手が止まるのを待っていたのだろう。静かに紅茶を飲んでいたラティスが、カップをテーブルに置いた。
それを機に、部屋の空気が重い霧を帯びたように変化する。
「そろそろ、今後についての話をしようか」
「……!」
無意識のうちに、チェリンの喉が鳴った。
『この時がようやく来たか』という安堵の思いと、『この時が来て欲しくなかった』という矛盾した思いが、胸中で錯綜する。
「話す前から、そんな辛そうな顔をしないでくれよ。俺たちも、出来うる限りの事はして来たからね」
困ったような笑みを浮かべると、ラティスはユウに目配せした。
頷いたユウは袖に手を入れ、和紙で作られた蝶をそっと取り出す。戦闘の時にも用いていた、術式媒介の式神だ。
「んっ。」
ユウが手を一振りすると、式神は乾いた音を立てて姿を変えた。
式神が存在したはずの空中に出現したのは、丁寧に丸められた羊皮紙だ。机を介して渡されたそれには、南都市政府公認を示す蝋印が押してある。
羊皮紙を取り上げ、一番上に記載されているイウロ文字を読んだチェリンは、眉をひそめた。
「冒険者ギルドの、登録申請書……?」
それは、冒険者が小規模なギルドを作って探索する時、本部に申請するための書類だった。
名簿を記載する欄には、よっつの名前──この場にいる四人全員の名前が、既に記入してある。
「これ、どういう事ですか」
「文字通り。あなた達は街に戻り、冒険者として南迷宮に挑戦し続ける。わたし達と一緒に。」
「お前達と?」
「うん。」
ユウは頷き、組んだ手の上に顎を乗せた。
「迷宮の術式、強制的に発動させる能力。夢幻迷宮の攻略をする上で、非常に有効。そんな能力を持つあなたが、自分から冒険者になるというのは、南公国からすると、願っても無いこと。良いこと。」
淡々と言葉を紡ぐ少女の目が、猫のものであるかのように細まった。
「でも、勝手に泳がせるわけにはいかない。死なれたり、他のひとの前で、この前みたいなことが起きると困る。帝国とか、他の迷宮派閥のひとにあなたを横取りされる、良くない。それは、南公国の損失。」
チェリンは、わずかに顎を引きながら言った。
「だから、監視と護衛役を兼ねて貴方たちが一緒に攻略すると」
「うん……たぶんね。」
「たぶん?」
「俺とユウが話し合った結果では、多分そういう事じゃないかなぁ、という事で解決しているよ。俺らは下っ端だからね、そこまで説明しては貰えない」
微笑むと、ラティスは懐から別の羊皮紙を取り出した。細かい文字で、びっしりと書かれている文字の羅列。
イウロ文字ではない。巫術師が用いる、いにしえの文字だ。
『謳え、盟約の民。我と共に、我らと共に。契りの歌、盟約の理を、汝が言葉として刻み給え 』
シャンデリアの明かりが揺らぎ、心なしか部屋が昏さを帯びた。
滑らかに紡がれる詠唱に呼応するように、水色の星沁が術師から立ち昇る。
『我、盟約の民の名において、天秤の理を導こう。左手に汝の望み。右手には、汝が夢の代償を』
肩を強張らせるチェリンの眼前で、ラティスは自らの指の腹を噛み、空中にたゆたう羊皮紙に血を滴らせた。羊皮紙に触れた瞬間、それは星沁の粒へと変化し、波紋を広げながら溶けていく。
『天秤の理が乱れし時、汝は盟約に従い裁かれる。秩序の標が呪いに変わり、汝が魂を縛る鎖とならんことを』
詠唱が終わると、羊皮紙は水中にあるかのように緩やかに、緩やかに重力に従って沈んできた。
「……もし、君たちが契約書を介して、契約に同意をするのなら」
緩やかに落下してきた羊皮紙を掴んだ術師は、慎重に言葉を継いだ。
「南迷宮都市の名にかけて、君たちの為に出来うる限りの事をしよう。君たちは、試験を突破した新米冒険者として街に戻り、迷宮探索をしながら日々を過ごす事になる。帝国の慰み者になったり、路頭に迷ったりする事は無い」
手の一振りで、ラティスは羊皮紙をチェリン達の方にふわりと移動させた。
真新しい羊皮紙は、術式を受けて青白く発光している。
「契約の内容は、君たち自身の目で確かめると良いよ。俺の真似をして血を垂らしてくれれば、それで契約は完了する」
目線で促されて、チェリンは羊皮紙に目を落とした。
───契約の内容は、悪くない。むしろ、非常に魅力的だった。
『情報の保護』『支援官の同行』の他にも『宿泊施設の確保』『初期装備の支給』『定期的な情報の提供』など、至れり尽くせりの条件が提示されている。
こちらに要求されている条件の方は、後半に示されていた。
『支援官及びそれに連なる者に、危害を加えない事』『こちらが提示した任務は、必ず受領する事』『自身と支援官の身分を、第三者に明かさない事』。
要約すると、帝国ではなく、南迷宮都市のためだけに働け。黙して働く犬である限り、身分を露呈させないようにする、という契約内容だ。
(我が南公国において、汝らが損害をもたらす存在であると判断されない限り、この契約は確固たるものである……か)
つまり、状況が変化したときには容赦なく切り捨てる、という事。
羊皮紙の最後に記された文に嘆息していると、隣から羊皮紙を覗き込んでいたハルが、困ったような顔で言った。
「おい、チェリン。悪いが、全体を読み上げてくれるか」
「うん、分かった」
チェリンは頷いた。
文字の羅列を、分かりやすいように指で示しながら、ゆっくりと契約書の全文を読み上げる。
『契約内容』を静かに聞いていたハルは、最後の一文を聞いて鼻を鳴らした。
「なるほど。まるで、悪魔との契約だな。魅力的な条件をありったけ提示しておいて、最終的には 」
その先を言わずに、黒髪の少年は肩をすくめた。
呪いの掛かった契約書を提示してきたラティスを『悪魔』に例え、揶揄しているのだ。
「……。わたしも、らてぃも、できる限りのことをした。悪魔呼ばわり、良くない。」
あからさまに顔をしかめるユウと、半ばやけくそ気味のハルが睨み合いに入る。
火花が飛び交いそうな視線の交錯を、揶揄された本人は穏やかに遮った。
「悪魔が願いを叶える対価として求めるのは、人の魂だ。契約者は、死んだ後にも不幸を引きずる」
低い声で言ってから、ラティスはおどけたような笑みを浮かべた。
「それに比べたら、はるかに安全度の高い契約なんじゃないかな? 仮に君たちが迷宮で倒れてもさ、普通に迷宮の肥やしになるってだけ「天誅っ。」痛いっ⁈」
相棒の後頭部を拳骨で強打し、ユウはふんっと鼻を鳴らした。
一連の動作に合わせて拡散した星沁の光が、ラティスの頭、ユウの拳から煙のように立ち昇る。
「ユウ、何すんだよ……」
「あんまし、怖がらせない。良くない。」
呆れ顔で指摘されて、ラティスは目を瞬かせた。
「えっ……ごめん。怖かったの今の」
「下からのライトアップを受けた状態で、満面の笑みを浮かべていれば、ふつう、怖いでしょ。」
「……」
真面目に考え込み始めた相棒を一瞥して、ユウはチェリン達に向き直った。
「さぁ、どうする? 強要はしない。選ぶの、わたし達じゃない。あなた達自身。」
「応じない、と言ったらどうなるの? 」
「そうなると、わたし達の管轄からは、外れる。わたし達、あなた達を、別の人に引き渡す。その後のこと、わたし達には分からない。」
淡々と説明する少女の言葉に、おそらく嘘はないのだろう。チェリンは下唇を噛んだ。
(ここで南迷宮都市の保護を受ければ、きっと、迷宮探索自体は最も安全に行える)
しかし、状況が変化した時、最も逃げ場のない立場に置かれる事も確かだ。
安全のために帝国の靴を舐めるか、誇りを保つために命を絶つか。選択肢はふたつにひとつだ。
「……。」
先に動いたのは、ハルだった。
自らの指に犬歯を突き立て、術師の見よう見まねで契約書に血を垂らそうとする。
「ま……待って!」
チェリンに動きを制されたハルの顔に、表情はない。
何を考えているのか分からない少年を見据え、チェリンは言った。
「ハル、君は知らないのかもしれないけど、この契約書に掛かってる呪いは」
「血の盟約」
ハルは、淡々と言った。
「強力な暗示能力と、血液情報を以ってで相手を支配する高位術式。契約内容を意図して破った者には、術者の規定した呪いが付与される巫術だ。解約の条件は死か、呪いをかけた本人の解呪のみ」
『そうだろう』と、確認を持ちかけられたラティスは、ニコッと微笑んだ。
「死に至るような呪いはかけていないよ。一時的に動きを封じる程度の術は、掛けてるけどね」
「よく笑っていられますね」
この後に及んでも笑顔を崩さない術師を軽く睨み、チェリンはハルに向き直った。
「エリハル。キミは、あたしとたまたま関わっただけの第三者であって、直接的な関わりがあった訳じゃない。だから、迷宮都市に今後立ち入らないだとか、情報を口にしないとか、記憶の操作とか……別の事に関する血の盟約を交わせば、この契約を交わす必要は、ないかもしれないんだよ。だから、こんなモノは」
回避方法を必死で言い募ったチェリンに対して、ハルは呆れたようなため息をついた。
「お前さ、結構な死に急ぎ女だよな」
「……? 」
チェリンは瞬きした。
一瞬、何を言われたのか分からなかったのだ。
「ちょ……ちょっと、何言ってるのよ⁈ あたしは、普通にキミの心配をして」
「旅暮らしをしているとな」
憤慨するチェリンを遮って、ハルは淡々と言葉を継いだ。
「自らの夢を追う前に、自分の命を繋ぐ事を最優先に考えなければならない時が、必ずやって来る。僕にとっては、今がその時だ」
指先を伝って落ちた雫は羊皮紙に当たり、若草色の燐光に変化した。
蛍のように舞った光は、羊皮紙の最下行にある空欄に吸い込まれ、【Eriharu Audrain】という文字の羅列を浮かびあがらせる。
「……。」
椅子の背もたれに寄りかかり、ハルは浅くため息をついた。
ふわふわと漂う羊皮紙をチェリンの方に軽く押しやり、肩をすくめる。
「尊厳などというモノは、全くもって腹の足しにはならない。食えないモノの為に、生命を捨てる必要が、何処にある?」
「……そうしなければならない時が、王族にはあるのよ」
卓上のろうそく立てを引っ掴んで、尖った方向を自分に向ける。
「っ!」
同期した動きでチェリンの腕に押し当てられた、ユウの苦無。
麻痺毒を塗ってあるのであろう刃が、皮膚を切り裂く寸前で停止しているのを見下ろし、チェリンはため息をついた。
「でも、そうだね。あたしが死ぬべき時は、きっと今じゃない……目的も、増えちゃったから」
「……。目的が増えた?」
「うん」
ろうそく立ての先に指をかすらせ、チェリンは傷ついた指をそっと前に差し出した。少年に言われた言葉を頭の中で反芻させながら、自らに向けて言い募る。
「第一の目的は、この公国都市で、兄を探すこと。これは第一優先事項よ。第二の目的は……あたしの背中に託されたものの正体を、突き止める事」
羊皮紙に触れたチェリンの命のかけらが、淡い光の粒になって溶け込んでいく。
ひとりでに丸まり、巫術師の手に収まる契約書。術師が手を一振りすると、それは、煙のように霞んで消えた。
「死んだ母様は【巫女王の印章】を、ただ王位継承者が引き継ぐ決まりの刻印だとしか言わなかった。でも、託されたものが、単なる伝統以外の意味を持つものだったなら……」
それを知りたい。チェリンは己の願いを言い放つと、椅子に座りなおした。
「これで満足ですか。政府の犬の、おふたりさん」
チェリンはため息をつくと、席向かいに座るふたりを睨み付けた。苦無を袖の下に戻した少女は、自らの胸にトン、と手を置いて見せる。
「……祐だよ。紫玖 祐。こっちは、ラティス・クリアウォーター、だよ。」
ユウの表情は、迷子になった子供のそれに、よく似ていた。
相棒の態度を見たラティスは、頬をかきながら言った。
「わんころなのは否定しないけど……できたら名前を覚えてくれると嬉しいな、ネチェルトさん。これから、短くない付き合いになると思うからね」
そう言って少年は、目元を緩めた。
今までの人形のような笑顔とは違い、寂しげな色を湛えた微笑を浮かべる。もしかすると、笑顔を絶やさないでいたのは、少年なりの誠意なのだったのかもしれない。
少しだけ後ろめたくなったチェリンは、不機嫌そうな声はそのままに言った。
「チェリン・グエナエルです。島を出てから今までずっと、名前が必要なときには、そう名乗ってきました。チェリンって呼んでください。あたしも貴方達の事、名前で呼びます」
初めはキョトンとしていたラティスとユウは、互いに顔を見合わせ、相好を崩した。
「そうして貰えると嬉しいよ」
チェリンはため息をついた。
迷い森からここに来るまでの問題たちも、行き当たりばったりで突破してきたのだ。今回の事も、もう成り行きに任せて行くしかないのだろう。
「足引っ張る気満々なんで、よろしくお願いします 」
「ばっち来い。」
ユウは机を回りこみ、すっと握りこぶしを突き出してきた。
夜のような色をした瞳が、獰猛な山猫のような笑みに彩られている。
「先輩のチカラ、見せつけたげる。新米には、普通に負けないから。余裕。」
チェリンは鼻を鳴らし、拳を持ち上げた。
「新米の底力、ナメないでくださいよ」
互いを睨み合った少女たちは、互いの拳に向けて、己の拳を勢いよく突き出した。




