【戦闘・冥府の番人2】
「ラティス・クリアウォーター……?」
名前を呼ぶと、ケープを纏った少年は穏やかに微笑んだ。
片膝をついた状態のふたりを振り返り、ひどく冷静な態度で首を傾げる。
「君たち、まだ戦えるかな」
「……。あぁ」
ハルはチェリンよりも先に立ち上がり、剣を薙いだ。
「僕は大丈夫だ」
「そっか。君は大丈夫?」
「あたしは……」
だいじょうぶ。
その形に歪んだ口が、声にならない息を漏らした。
「大丈夫じゃなさそうだね。どこか怪我をした?」
異常に気付いたラティスが、チェリンに向き直った。
「平気です」
弱々しい声で応え、立ち上がろうとしたチェリンを、ラティスが「待つんだ」と引き留めた。
「すぐ回復をかける。二人ともまだ前に出ないで」
走り出したユウと黒狼に頷いたラティスは、欠けたハルの剣を一瞥して眉をひそめた。
「俺のを使ってくれ。間合いは短いけど、名匠の作だ。丈夫にできてる」
そう言って差し出されたのは、流麗な銀色の鞘に入った業物の短剣だった。細かい水流模様が為された柄には、澄んだ蒼色の宝玉が嵌め込まれている。
「しかし、これは」
「現時点では、君の方が活用できる」
強引に押しつけると、ラティスは柄の宝玉を指差して言った。
「その石は術石だ。あらかじめ、術式と起動用の星沁を蓄積してある。『氷獄』と唱えれば発動するから、使ってくれ」
ハルの返答を聞かずに、ラティスは不思議な調子の歌を唄い始めた。
低く、高く、複雑に震える音に混ざり、ザザ、と葉擦れの音が連鎖する。歌声に合わせて、樹々がざわめいているのだ。
「これは……」
呆然とするハルの前で、樹々が、花が、微かな星沁光を放ち始めた。
色とりどりの光は導かれるように揺らめき、高く掲げられた術師の手に触れた瞬間水色に変わる。
──植物から、星沁を盗んでいる。
他者の生命を吸い取り、自らの力に変換する術式。【巫術医】と呼ばれる術師が用いる、古い呪術の一種だ。
『謳え、謳え、土の民。我と共に、我らと共に……』
滑らかな詠唱の終わりと同時に、ラティスの手から星沁が拡散した。
水の波紋のように広がった光の波はハルの上にも降り注ぎ、肌に触れた瞬間雪のように甘く溶ける。
「これは……」
驚くほど軽くなった身体に戸惑っていると、ラティスが微笑んだ。
「星沁力の回復。そう何回もできる技じゃないから、過度な期待はしないでね」
直後、笑みを霧散させた少年は短弓を引き絞った。
それを合図に、ハル達も彫像目掛けて走り出す。
「きもいね、あなた。」
風を纏い、軽々と彫像をいなしていたユウが目を細めた。
「わたし、きもいのは嫌いなの。」
死刑宣告のように、彫像に指を差す。
優雅な蝶の姿をした式神たちは、風鳴りの音と共に彫像に突撃した。
『■■■……■■⁈』
再生は終えていたものの、視界を遮られた彫像は停止する。
「エリハル。」
行きなさい。言葉の続きを読み取って、ハルは彫像めがけて駆け出した。
『氷獄!』
告げられたばかりの言霊を唱えると、短剣の刃が氷霧を纏った。
攻撃系の付与術式だ。
「……っ!」
たったひと言で術式が発動するからくりに内心で驚きつつ、ハルは彫像の足に斬りつけた。
『■■■■⁈』
足が凍り付き、ボロリと破砕した彫像が大きく体勢を崩す。
(まだだ……)
蛇のように伸ばされた触手を短剣で受け流し、凍り付いたそれを踏み台に駆け登る。
(まだっ……!)
頭部に足をかけ、前転しながら。
彫像の翼の付け根。弱点があるであろう位置の裏側から、短剣を突き刺す。
『■■◼︎◼︎ 』
ギギッ、と。
動きがあからさまに鈍った彫像の翼に片手で捕まり、ハルは右手を彫像の胸の中に突き込んだ。
『■■◼︎◼︎◾︎◾︎……』
急激に冷やされ、脆くなった石材の中に、乱暴に短剣を突っ込む。果たして。
一瞬だけ、手応えがあった。
『◼︎◾︎◾︎■■■!』
悲鳴に近い声を上げた彫像は、大きくのけ反った。
体勢を崩しかけたハルめがけて、彫像を覆っていた流動体を、一斉に襲いかからせる。
「ハルっ⁈」
皮膚を焼く流動体。
その効果を体験済みのチェリンが、彫像から視線を逸らす。その刹那の時に、太い触手がチェリンを弾き飛ばした。
「がっ……⁈」
バキバキと、少女のあばらが嫌な音をたてた。
『■■■■!』
半ば制御を失いながらも、彫像は宙を舞う少女に触手を伸ばそうとする。
「させないよ。」
触手を強引に吹き飛ばすと、ユウは落下した少女をふわりと風で受け止めた。
「だいじょうぶ。」
振り返って訊ねると、少女は苦しそうに歯を食いしばりながら頷いた。
「あばらを少し。でも、護布があったから、平気よ 」
チェリンの怪我を確認したユウは、即座に前を向いた。直後。
「忌々しい」
短い悪態をついて、彫像の胸部に腕を突っ込む少年の姿を見た。
「ちょっとっ。」
肉が焦げる、嫌なにおいが周囲を覆った。
胸から溢れ出た流動体が、少年の腕を焼いているのだ。今はまだ表層だけだろうが、真皮まで届いた火傷を治すのは至難の技だ。最悪の場合、一生腕が使い物にならなくなる。
「何してるの、止めなさいっ。」
ユウが怒鳴っても、触手に腕を焼かれても、少年は無表情だった。
そして無表情のまま、平然と彫像のかけらを掴み抜く。
「えっ……⁈」
ハルの腕を見たユウは、呆然と声をこぼした。
流動体に触れた衣類は焼け焦げて煙を上げているものの、ハルの皮膚自体は殆ど爛れていないのだ。
いや、正確には。
(再生してる……?)
焼け爛れるそばから、急速な勢いで再生を繰り返している。
術式を付与していないのにどうして、と、素早く視線を走らせたユウが目に留めたのは、少年の左肩に入った刺青だった。
歯車のようなものを掴んで飛ぶ、鷲の紋章。
巻いていた包帯が燃え、露わになった刻印が、淡い緑色の光をこぼして脈動している。
(あれは、術式刻印!)
身体に直接式句を刻んで発動させる形式の術式だ。
詠唱を省ける特性から、発動速度が早いという利点はあるが、身体刻印には高額な金銭、それに気が狂う程の激痛が代償として要求される。
一介の流浪民が、戦闘に特化した刻印をしているなんて事、あるはずがない。
「……。」
少年は目を細めると、燐光を纏った左腕を彫像に叩きつけた。
嫌な音をたてて、しかしすぐに再生する左腕。対して、ガラス質な音を立てて砕けた彫像の胸部、その中央に。
『■…■…■… 』
見つけた。
怯えるように脈動する、赤い宝玉。
鷹のような目を細めて、ハルは、右手の短剣を振りかぶった。
「失せろ 」
ただ、ひと言。
冷酷な宣告とともに、氷雪を纏った短剣が彫像の核を打ち砕いた。
♢♢♢
『◼︎……◼︎◼︎…… 』
彫像を覆っていた黄土色の触手が、ボロボロと崩れて風に舞う。
『◾︎…… 』
それらがすべて砂に帰したとたん、彫像は抜け殻のようにチカラを失い、その場でピタリと停止した。
(やったのか……?)
粉々に砕けた宝玉を手にしたまま佇むハルの背に、きつい陽射しが照りつけてきた。
先ほどまで重い霧に封じられていた空間が、花が咲き乱れ、小川の流れる、のんきな南国の森の空き地に戻っている。
「……。」
疲労は、もう最高潮に達していた。
戦闘が終わった事に、ハルの気が緩んだ、その瞬間。
「ごめんね。」
突然、左腕が焼けつくように痛んだ。
ギョッとして飛び退ると、険しい表情をしたユウと視線が交錯する。
「お前、何を」
「……。ごめん。」
ふいに、視界がぶれた。急速に下降し、身体が地面に叩きつけられる。
自分が倒れたのだ、という認識は後から遅れてやって来た。
「……っ⁈」
即座に立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
短剣に手を伸ばそうにも、腕が麻痺して動かなかった。
唯一動く目で少女を見上げると、その袖口から黄緑の液体で濡れた投剣が覗いているのが見えた。
「ハルッ⁈」
こちらに向かって駆け出そうとしたチェリンの前に、黒狼が音もなく進み出た。
「武器を下ろして」
挟み討ちのように、チェリンの背後に歩み寄ったラティスが言った。
「武器を下ろすんだ。聞こえているだろう?」
チェリンはラティスを睨み付けた。
短槍を持つ手に、力が入る。
「何をする気なの」
「勘違いしないで。俺たちだって、君らに危害を加えたくは無いよ。でも、その為にはハッキリさせなきゃいけない事があるんだ」
ラティスは、静かな声で問うた。
「君はいったい何なんだい、チェリン」
「何って、どういう」
「傀儡や式神の類いはね、それを作製した本人にしか使役出来ないはずなんだよ。
途中から君の制御下を離れて暴走していたけれど、君があの傀儡を発動したのは確かだ……だから、聞いているんだよ。君は何なのかって」
じり、と後退りするチェリンに、ユウが悲痛そうな声をあげた。
「お願いだから、質問に答えて。チェリン。」
「し……知らない」
少女の声に、チェリンは震えながら応えた。
「知らない、本当に知らないの。あたし、この街には、兄さまを探しにきただけで、本当に……何も」
「その兄さまというのは」
短槍を強く握りしめる少女を見やり、ラティスはため息をついた。
「ドィアダ・ディリス・アングハラードって名前だったりしないかい?」
「え……」
ディアダ。チェリンが教えてくれた、兄の名前。だが、彼らはその名を聞いていないはずだ。
「どう、して……?」
チェリンとエリハルが動きを止めた、直後。ため息をついたラティスを中心にして、地面に方陣が広がった。
「っ⁈」
無詠唱からの、唐突な術式展開。
足元に広がった方陣に捉われ、チェリンの膝ががくんと折れた。
「……!」
止めろ。
そう叫ぼうとした喉から、掠れた音の羅列が漏れる。腕をついて立ち上がろうとしたその時、眼前に夜闇色の装靴を履いた人影が立ち塞がった。
見上げると、無表情な……しかし、どこか哀しげな雰囲気の漂う少女と目が合った。
「本当に、ごめん。」
そんな言葉を聞いたのを最後に、ハルの意識はぶつりと途絶えた。




