【とある王国の逸話】
「旋風? あぁ、ユウちゃんの二つ名ね」
カウンターから身を乗り出した女将は、頬杖をつきながら続けた。
「あの子達が監督役なら安心ね。あの子達、歳はあなた達とそう変わらないけれど、冒険者としての腕は一流なのよ。安心して試験を受けていらっしゃいな」
「はぁ……。」
ため息混じりの声で応えると、ハルは空になったジョッキを脇に押し退けた。
安酒に痛む頭を机に横たえ、もう一度嘆息。
「ちょっと飲み方が荒いわねぇ、エリハルくん」
カウンターごしにハルの様子を眺めていた女将が、くすりと微笑みを零した。
ピッチャーから冷水を注ぎ、ハルに手渡してくる。
「何かあったのかしら。ユウちゃん達に会った以外に、今日は、冒険者組合で何かあった? 」
「……。まぁ、いろいろと」
適当に答えを返し、グラスの水を口に含む。
ひんやりとした液体がのどを通過していくのを待っていると、女将が「あっ」と声を上げた。
「もしかして、チェリンちゃんと喧嘩でもした?なんだか彼女、様子がおかしかったけれど」
「……。」
飲み込んだ後で良かった。
そんな事を思いながら、ハルはこほんと咳払いした。
「別に喧嘩は、していない」
平然と言い切ったのに、女将は機嫌の良さそうな顔でハルのことを覗き込んできた。
こげ茶色の目を弓なりに細め、怪しげに微笑む。
「エリハルくんって嘘とか隠し事、苦手でしょう。目が泳いでいるわよ」
「喧嘩はしていない。それは本当だぞ」
明後日の方向に視線を向けたまま、ハルは弁明した。
「あいつは体調が悪いと言って、休んでいるだけだ。何なら本人に聞いてみればいい」
「別に、そこまでの野暮はしないわ……それじゃあ、面白くないもの」
肩をすくめると、女将は黒っぽい髪を後ろに払った。
「そうそう、別の話なんだけどね。毎年、謝肉祭の時期に街に来る芸人一座がいるの。エリハルくんは軽業師をしていたのよね? なら、この一座と一緒に発つのが良いと思うわ」
「……。」
ハルは答えなかった。
香辛料のにおいで満たされた空気に、チェリンという名前が宙づりになっていた。
(ここを発つ前に、借りは必ず返す。義理も果たす)
長い間流浪の暮らしを続けてきたハルにとって、元来人付き合いとはそういうものだった。
偶然に出会い、助け合い、そして別れを告げる。
今回の事だってそうだ。ハルは、少女とのやり取りを何度も繰り返されてきたサイクルの範疇に収めようとしてきた。
だが、何か……あっさりと割り切れない何かがあるのだ。古い麦酒のように、苦い後味を残す何か。
その正体が掴めなくて、ハルは悶々と唸り続けていた。
「エリハルくん?」
声をかけられて、ハルは思考を現実に引き戻した。
女将に応えようと顔を上げ、口を開こうとしたところで──
「腹減ったわー」
「ウィスタさん、飯食わせてくれー」
「なんだぁ、新入りの同胞がいるぞ」
──よく響く声と喧騒が、入店のベルを巻き込んで店内になだれ込んできた。
「あら、いらっしゃい。今日はもう上がりなの?」
女将の声に、褐色の肌をした男たちは「おうよ!」と元気よく答えた。
ハルの近くにわらわらと集まり、好き勝手に注文を始める。
「名前は? エリハルっつーのか。年は……十五だと? お前さん、背ぇ高いな」
「まぁ、俺らの中では、だけどな!」
横から飛んだ野次に、男達がいっせいに爆笑した。餌に群れる小鳥を彷彿とさせる、懐かしい騒がしさだ。ハルは思わず口元を緩めた。
「貴方がたは、隊商ではないようだな」
ハルの指摘に、いかにも労働者然とした服装の男達は頷いた。
「俺らは、この街の細工師組合で働いてるのさ。元々は細工物で生計を立てる一座だったんだが、近頃はそういうモンで生計を立てるのが難しくなってな。人狩りの被害も馬鹿にならねぇし……」
「残った連中で路銀かき集めて、古い知り合いがいたこの街に、逃げ込んで来たってワケだ。まぁ、イウロ人と暮らすなんてごめんだって連中は、辺境の『迷い森』なんかに引きこもったって話だけどな」
『迷い森』……魔物が住み着き、立ち入った者を喰らい尽くすといわれている深い森だ。
ハルも何度か、よくない噂を聞いたことがあった。
「確かに、迷い森に好んで立ち入る人間は少ないだろうな」
ハルの相槌に、顔を赤らめた男が大げさに頷いた。
「帝国の連中はなァ、森に入るとリセルトの魔女に喰われると思ってんのよ」
ハルと同い年くらいの若い職人が、ビクビクしながら訊ねた。
「り、リセルトの魔女?何ですか、それ」
「んだオメェ、知らないのか。迷い森の奥には、リセルト人がこの辺りを支配してた時代から生きてる魔術師が暮らしててなぁ、森に迷い込んだイウロ人を、片っ端から喰らっちまうんだと! 聖地を荒らした連中が恨めしいんだろうな?」
「リセルト人と言えば……」
頬にそばかすのある職人が、思い出したようにハルを見て言った。
「俺、冒険者用品の納品で組合に行ってたんだが、見たぞ。お前と一緒にいた、背の高い娘っ子。あの子もリセルト人じゃねぇのか。
赤毛で、顎も妖精みたいに尖っていやがったしよ。いかにも『リセルトの魔女』って容貌じゃねぇか。俺らが近寄ったら、喰われちまう 」
冗談めかしてはいるが、怯えの色を含んだ言葉だ。ムッとしたハルは、不機嫌さを表に出して唸った。
「あの娘は僕の恩人だ。悪く言われると、抗議せざるを得ない」
「冗談だよ、そう怒るな坊主!」
豪快に背中を叩かれて、ハルは顔をしかめた。
注文していたものはあらかた片してしまったし、キリの良いところで退散すべきか、とハルが考え始めた時。
「そこ、ワタシもお邪魔していいかイ?」
妙な訛りのあるイウロ語。振り返ると、そこにはひとりの女が立っていた。十八、九ほどの年齢だろうか。濃い褐色の肌をしていて、瞳も黒に近い茶色。髪は淡い蜂蜜色だ。
「初めましテ、だネ」
女が笑うと、その肩に乗っていた黒ネズミが、鼻面をひくひく動かした。
人慣れしているのか、怯えた様子を見せることなく周囲を嗅ぎまわっている。
「ワタシはイノン。情報屋サ。よろしくナ、同胞」
「……。どうも」
情報屋というのは、信用はしても心を許してはいけない存在だ。
軽い挨拶だけで済ませようとしたハルをからかうように見据えると、情報屋はドカッとハルの座るカウンターに腰を下ろした。
「キミと一緒にいたリセルト人の女の子なら、ワタシも見たヨ。美人だったねェ。キミの幼馴染か何かカナ? 」
「さてな 」
情報屋にただで情報をくれてやるなんて、馬鹿のすることだ。
ハルが適当にはぐらかすと、情報屋はすぅっと目を細めた。
「まぁ……見る限リ、あの子はヴィリテ属国辺りの出身だろうけどネ」
全員の動きが止まった。
「ヴィリテって、確か……」
眉をひそめた女将に、情報屋は頷いた。
「三、四年くらい年前、帝国に制圧された辺境の島国サ。王宮で大虐殺が起きてネ、帝国兵に刃向かった人たちは皆殺し、無抵抗の人は奴隷市場行キ。
死体の顔がグチャグチャにされタせいデ、王位継承者の王女達の死体モ見つからなかっタらしくテ、国は未だに混乱してルらしいヨ。まァ、戦闘は止んでるみたイだけドネ。戦闘員不足デ」
「……。何故、彼女がそこの出身だと思ったんだ」
「行ったコトがあルんだヨ」
情報屋は、推し量るような目でハルを見据えた。
「あの辺りには赤い髪の人が多いシ、短槍の扱いにも長けていたからネ。違うかイ?」
「知らない」
ハルは即座に席を立った。
「もし知っていても、お前には教えない」
「ツレないねェ」
ニヤニヤ笑いを浮かべる情報屋を、ハルは軽く睨み付けた。
「今の僕は、お前が買いたがるような情報を持ち合わせてはいない。失礼する」
硬貨をカウンターに置き、ハルはまっすぐに自分の部屋に繋がる階段を目指した。
追いかけてくる視線が遮られるまで階段を上り、静まり返った廊下に出たところで、ずるりと壁にもたれかかる。
ヴィリテ島の大虐殺。
あれは、世間を震撼させた事件だった。ヴィリテ王国という、リセルト人の島国に降伏勧告を出しに行った帝国兵が殺され、それが王宮での大虐殺に発展したのだ。
大虐殺から数年経った今でも、その事件の恐ろしさは人々の心に忘れられずに残っている。
(もし、本当にチェリンがヴィリテ島の出身なのだとしたら……)
そこまで考えて、ハルはブルブルと首を振った。
詮索するような真似は好きじゃ無いし、それに、どう見たって『訳アリ』の人間の事情に深入りしても、ロクなことにならないのは確かだ。
まずは、自分が今後食い繋ぐ事。そちらを先に考えなければ。芸人たちが来る時期までは少女の探索を手伝うが、それ以上の関わりを持つ必要はないだろう。そのはずだ。
深いため息をついて、部屋の扉を開けかけたハルは、動きを停止した。
部屋に、誰かいる。
「……。」
慎重に、慎重に扉を開ける。
テーブルと丸椅子、流しと化粧用の鏡台。木の板を敷いた床に沿って視線を奥に移動させていくと──いた。
ベッドの上で、猫のように丸まっている赤髪の少女が。
「……。っ! 」
即座に部屋から顔を出し、部屋番号を確認するが、間違いなく自分の部屋だ。
人様の部屋で爆睡しているあの少女は、うっかり部屋を間違えたのだろうか、いや、それとも自分を待っているうちに眠ってしまったのだろうか。
部屋に鍵をかけていなかった事が、今更ながら悔やまれた。
それと同時に、なるほどこういう状況を防ぐために鍵というものは存在していたのか、とも納得する。
「どうすれば良いんだ、この状況……。」
選択肢はそう残されていない。
下に降りて、チェリンが起きるのを待つか、このまま部屋に入って、あの不法侵入者を叩き起こすか。
彼女の部屋に代わりに入るという手がない訳ではないが、婦女の部屋に立ち入るというのは、あまり宜しくない選択肢のような気がする。
だが、下にはまだ例の情報屋が居座っている。再び階下に降りて行くのも気まずかった。
となると、選択肢はひとつだ。
「……。」
ため息をついて、ハルは部屋の中に立ち入った。
「おい、起きろ……。おい」
何度声をかけても、少女はピクリとも動かない。
げっそりしながら近寄り、少女の肩を揺すろうとしたところで、ハルはハッとして手を止めた。
チェリンの頬に、涙の跡が残っている。泣いていたのだろうか。
「ん…… 」
半立ちのまま動きを止めるハルの前で、チェリンが目を開けた。
琥珀色の瞳がぼんやりとハルを見据え、わずかに首を動かし、次の瞬間。
「曲者っ!」
ぎょっとするようなセリフと共に、小さなナイフが襲い掛かってきた。
◇◇◇
眼前にいた人物は、素早い動作でチェリンの前から飛び退いた。
「……。」
まだ若い男だ。
なめらかなオリーブ色の肌をしており、艶のある黒髪は、肩の辺りで切り揃えられている。
そして彼の耳には、緑石のピアスが揺れていた。
「あ……」
「どうしたのチェリンちゃん⁈」
バキョバキョッという凄まじい音がして、部屋の扉が蹴破られた。
振り返ると、円月輪を構えた女将が部屋の外に仁王立ちしている。
「なんでぇ、さっきの坊主じゃねぇか」
「リセルト人の女の子も一緒ですね」
「そういう事か。やるな坊主」
女将の背後から覗き込んでいるアーク族の職人達が、口々に好き勝手な事を言い始めている。
元々、複数人での共同生活を営む民族だ。
流浪の民に、覗き見という概念は薄いのかもしれない。
「チェリンちゃん、エリハルくん……? まさかこれは」
「「ちっ、違う違う! 」」
喜色が浮かんだ女将の声に、チェリンとハルは、手と首を同時に振った。
「ご、ゴキです。ゴキブリ! ベッドの下から急に出てきたから、あたし驚いて」
「茶翅の暴君が出たですって⁈ エリハルくん、ちゃんと倒したんでしょうね⁈」
ガッと剣幕を向けられたハルは、視線を明後日の方向に向けながら言った。
「た、倒そうとしたんだが、扉の下を通って逃……」
そこまで言った瞬間、女将が急激に方向転換した。
職人たちを跳ね飛ばしながら階下に降り、『見つけたわ、逃がさないわよーっ!』などと叫んでいる。
__どうやら、本当にいたようだ。ゴキ様が。
「おい坊主。お前、見た目の割にやるな」
「安心しろ、俺たちは何にも言わねぇから」
「う、うまくやって下さい……」
また好き勝手言うと、職人たちはスススと扉を閉めた。
複数人が階下に降りていく音がして、部屋は静寂に包まれる。
「……。で、誰が曲者だって?」
ボソッと呟かれた言葉に赤面すると、チェリンは頭を下げた。
「ご、ごめんっ。あの、その」
おろおろと手を動かしながら、チェリンは先刻の自分の行動を思い返した。
冒険者組合から戻ってからどうしても気分が晴れず、ゴロゴロと寝転がっているのにも耐え兼ね、ハルを尋ねたが不在。
待っていればいずれ帰ってくるだろうとベットに腰かけ、そのままうたた寝に移行してしまったのち、寝ぼけて部屋の主を急襲。あぁ、最悪だ。
「ごめんね、本当に……」
曲げられる限界まで首をたわめ、何回も謝罪の言葉を繰り返していると、眼前の少年がため息をついた。
「構わないと言っているだろう。こちらも驚かせた」
疲れたように目頭を押さえると、ハルは少し離れたところにあった丸椅子に座った。
「何か用があったのか?」
そのあっさりとした態度の変化に内心で驚きつつ、チェリンは首を振った。
「い、いえ。用があったわけじゃ無いわ。まだ寝るには早かったから、何となくキミを待つ事にして」
「寝ぼけた、と」
「それは、その……」
しゅん、と頭を下げる。
脳内に吹き荒れる自己嫌悪の嵐に肩を狭めて耐えていると、唐突に。
「お前、僕を何かに見間違えたな」
鷹のような瞳が、チェリンを真っ直ぐに射抜いた。
「それ、は」
チェリンの喉が、意図に反して収縮した。
息が詰まり、手先が震える。
半開きになった口から、ヒュッと空気が漏れはしたが、それだけだった。
「……。僕は、お前が何者なのか、無理に知る気はない」
チェリンが無言でいるのを見て、少年は、ゆっくりと言葉を区切りながら言った。
「だが僕は、お前に借りがある。だから」
困ったように髪をかき回すと、ハルはチェリンを見据えた。
「手助けが必要なら言え。出来る範囲の事はする」
チェリンが目を瞬かせながら見ると、少年は困ったように顔を背けた。
「えっと」
「言いたいのはそれだけだ。分かったらさっさと自分の部屋に帰れ。そして二度と、寝ぼけて僕を斬り付けるような真似はするな。心臓に悪い」
ぐいぐいとチェリンの背を押して追い出すと、ハルは部屋の扉を乱暴に閉めた。
薄暗い廊下にひとり残されたチェリンは、ただただ唖然とするしかない。
ようやく思考の整理が落ち着いたとき、チェリンの口からこぼれたのは、拍子抜けな言葉だった。
「変な子……」
つぶやいた声は、淡い月光の中にかすんで消えた。




