【崩れかけた均衡】
「冒険者の新規登録手続きですね。仮登録の証明書を発行致しますので、少々お待ちください」
カウンターに座る受付嬢が慣れた様子で手続きを進めていく間に、チェリンは周囲の光景を見回した。
淡い桜色を帯びた大理石で建てられた建造物は呆れるほど高い天井を有し、行きかう人々の声や金属のぶつかる音を反響させている。
その煩さに耐えかねたチェリンは、被っているフードを目深に引っ張りなおした。
「正規の冒険者登録をするには、支援官の監視の下で簡単な任務をこなして貰う必要があります。具体的には、実際に迷宮で戦闘とちょっとした採集をこなして貰い、最低限の生存能力があるかを確認する試験です。任務受領の意思はありますか?」
「……。」
確認するように視線をやってきた少年に、チェリンは頷いた。
「はい。受領します」
「結構です。では、指定された日時になりましたら、迷宮前の転移門前に集合してください。こちらが派遣した組合公認の専門指導員が探索に同行します」
チェリン達に小ぶりな銀色の金属板を手渡すと、受付嬢は傍らに置いていた水晶板に指を走らせ始めた。
光の文字が浮かんでは消えるそれは、術式が込められた代物なのだろう。興味を引かれたチェリンが、水晶板に顔を寄せようとした時だった。
「おいおい、新入りが入ったって聞いて見に来てみれば……青臭い属国民のガキじゃねえか」
高貴さなど欠片も感じられない金色の髪に、残酷そうな薄い水色の瞳。
高慢を絵に描いたようなイウロ人の冒険者たちが、チェリンたちの方を見てゲラゲラと笑いを零した。
「綺麗なツラした坊主だな。冒険者なんて止めておけよ。顔に傷でも付いたら、商売にならなくなるだろ?」
「おい、お前ら。金に困ってんなら、俺がまとめて買ってやろうか?属国民のガキふたり位なら、俺の小遣いでも手が届きそうだしなぁ……ひひっ」
下卑た笑いに、チェリンは目を細めた。短槍を握りしめ、顔を持ちあげようとする。
「無視しろ」
ハルが、表情を動かさずに囁いた。
「気色の悪い発言をするしか能のない連中というのは、どこにでもいる。構うのは体力の無駄だ」
淡々とした毒舌発言に、チェリンは不承不承ながらも頷いた。このまま無視し続けてやる、と、そう決意しかけた時。
「おい新人。先輩に顔くらい見せたらどうなんだ?」
急に伸びてきた手が、チェリンの外套を乱暴に引っ張った。フードがずれ落ち、豊かな赤髪が宙に舞う。
「触れるなっ!」
理性が制止をかける前に、身体が動いていた。怒声と共に繰り出した短槍がみぞおちを強く打つと、男はくぐもった声を上げて気を失った。
穂先を覆う堅革のカバーが無ければ、気絶どころでは済まなかっただろう。チェリンが放ってしまったのは、そういう一撃だった。
「てめっ……何しやがるっ⁈」
気絶した男の仲間たちが、憤然と得物を構えてチェリンの方に迫ってくる。
全員が見上げなければ目が合わないほどの体格で、腕はゴツゴツとした筋肉で覆い尽くされている。
力で押さえられたら、女のチェリンが勝てるはずがない。
「……っ!」
瞳を最大限に見開き、チェリンは短槍を構えた。
さらなる諍いの火種になるとは分かっていたものの、怯えた本能に理性は逆らえなかった。
「チェリン、駄目だ。下がれ」
短槍を押さえるようにして、ハルがチェリンの前に進み出た。
その緑色の瞳が『事を大きくするな』と告げている。
「おい、新入り。冒険者には、冒険者のルールってもんがあるんだよ。それが分かんねえ奴は……」
派手な鞘走りの音を立てて抜かれた長剣が、ふたりの目の前に振りあげられた。
周囲で事の成り行きを見守っていたギルド職員がハッと息を飲み、術師が眉をひそめ、剣士たちが二ヤついた嘲笑を浮かべる中。
『止めろ』
静かな声が、ゾッとその場にいた全員の首筋を凍りつかせた。
水に落ちたかのように、わずかに停滞した時間のあと、キィンッという高い音を立てて男の剣が弾き飛ばされる。
「……。」
剣を弾き飛ばしたのは、紫色の装備に身を包んだ少女だった。
男とハルの間に割って入り、脅すように忍刀をぎらつかせている。
(この子、昨日の……)
街を歩いていた時、酒場の場所まで案内してくれた二人組の片割れだ。
思いがけない再会に息を飲むチェリンには目を向けず、少女は淡々と構えをとり続けている。
「う、旋風……」
恐れをなしたように後退る男。彼は、いつの間にか背後に佇んでいた人物に衝突した。
振り返り、怯えたように息を飲む。
「喧嘩は良くないですよ」
男を見て微笑んでいるのも、昨夜会った少年だった。
今日はマントを着ていないので、身に付けている装備が露わになっている。
冒険者にしては痩せた体型、ベルトやケープなど、何気ない場所に宝石が据えた装備を身に付けているのを見ると、術師なのだろう。
「ここは、引いていただけませんか?」
穏やかだが、静かな威圧感を持つ声に男の喉がひくりと鳴った。追い打ちをかけるように、忍刀を手にした少女が言い募る。
「それとも、戦う? その気があるなら、わたし達が、相手する。あなた達が、動けなくなるまで。」
「……っ」
男は舌打ちして、チェリンたちに背を向けた。
うめいている仲間を担ぎ、野次馬の群れを乱暴にかき分けて消えていく。
「「…………」」
同時に安堵の息をこぼすチェリンとハル。ふたりを振り返ると、少年は肩をすくめた。
「何かと縁があるみたいだね、君たちとは」
「ありがとうございます。また助けていただいて……」
チェリンの言葉に、小柄な少女が応えた。
「困った時は、お互いさま。」
言いながら、少女はぐっとチェリンに顔を寄せてきた。
「あ、あの……?」
「昨日も気になったんだけど、あなた、変わった顔してる。顎とか耳が、ちょっとだけ尖ってる。面白いね。」
「は、はぁ」
面白いものを見つけた猫のように、チェリンを覗き込んでくる少女。
無遠慮だが、悪意を感じない無邪気な視線の集中砲火に冷や汗を垂らしていると、「こら」という声と共に少女が遠ざかった。相棒の少年に襟首を掴まれて、移動させられたらしい。
「その辺にしておきなよ。困ってるじゃないか」
「ムッ……。」
頬を膨らませる少女を地面に下ろすと、少年はまた微笑んだ。
深い海のような、濃い蒼色の瞳が弓なりに緩められる。
「君たち、名前はなんて言うの?」
二度も助けて貰ったのに名乗らないのは、失礼だろう。チェリンがこぶしを胸に当て、名乗ろうとした時。
「あらー、やっぱり若い子達がたくさんいると可愛いわねぇ。眼福、眼福ぅ」
幼い子供のような、甲高い声が四人の間に割り入って来た。
「シェスカ補佐官?」
蒼い目の少年が、ぎょっと声の方向を振り返った。
「直接いらしたんですか? これからそちらに向かう所でしたのに」
「たまたま廊下を歩いていたら、ちょうど騒ぎを聞きつけてねぇ。最初から最後まで、ぜんぶ見てたわぁ」
歩み寄ってきたのは、痩身の護衛を伴った女性だった。
化粧はほとんどしておらず、桃茶色の髪もシンプルな一本結びでまとめている。
彼女はチェリン達のすぐ側まで歩み寄ると、ニカッと唇をつり上げた。
「初めまして、新入りさん。私はシェスカ・ペスカトーラン領主補佐官。帝国、あるいはラフェンタ公から、この都市の冒険者に与えられる任務の管理を任されている者よ」
領主補佐官、つまりこの女性は、国政に携わる上官のひとりという事だ。
チェリンは身を硬くしたが、補佐官の女性はチェリンではなく、ハルの事を凝視していた。
「……。あの、何か?」
ハルが居心地悪そうに身じろぎすると、補佐官は目を瞬かせた。
「アナタの目、綺麗な緑色をしているのねぇ。黒や茶の目が多いアーク族には、とても珍しい色だわぁ。名前は?」
「……。エリハル・オードラン」
「そう、オードラン……」
補佐官は、もう一度少年を見て、それからチェリンに視線を向けた。
独特の色と文様が描かれた短槍を一瞥し、何かに気付いたように目を細める。
「それで、アナタの名前は?」
何もかもを見透かそうとするような眼光に、身体が震えた。
それでも毅然とした態度を保ち、チェリンは名乗った。
「チェリン・グエナエルです」
「……そう。組合登録試験は、これから?」
チェリンが頷くと、補佐官は視線をふたり組の冒険者の方に移した。
「アナタ達。この二人の試験監督をやりなさい」
「え。」「はい?」
きょとんとした声が転がり落ちた。
「あっ、もちろん昨日の任務報告が先ね。任務の報告が終わったら即、指導官としての任務を受領で。というわけで、ラティスくんもユウちゃんも、こっちいらっしゃーい」
「シェスカ補佐官、それはその、急過ぎませんか?しかも俺たち、ここの所休暇なしで……」
慌てた様子の少年に、補佐官は満面の笑みで応えた。
「なーに言ってんの。新入りの指導官なんて、アナタ達にとっては休暇みたいなもんでしょうに」
少年は顔をしかめた。
「それとこれは、話が別です。何かある日とない日の差は大事だと」
「ラティス・クリアウォーター」
補佐官は少年の名前を呼ぶと、するりとその脇を通り抜けた。彼女にすれ違いざま何かを言われた少年は、目に見えて動揺の色を見せる。
「早くいらっしゃいよぉ」
補佐官は、そう言うと鼻歌交じりで廊下を曲がって行った。
亜麻色の髪の少年は振り返り、凍り付いたように補佐官の背中を眺めている。
「らてぃ?」
相棒の少女が声をかけると、少年はハッとしたように肩を揺らした。
「え? あ、あぁ……じゃあ、俺たちは失礼するよ。そう遠くないうちに、会う事になりそうだけどね」
「あの、すみません……いろいろと」
どうやら自分が、彼らに休暇なしの任務を吹っ掛ける原因を作ってしまったらしい。
その事を理解したチェリンが俯くと、ぽふっと柔らかい感触が頭部に訪れた。
「別に、あなたの責任じゃない。謝らなくて良い。」
「えっと……」
「じゃあね。こんど、また、ゆっくり話そ。」
チェリンの頭上でポフポフと手を上下させると、少女は踵を返した。
ふたり組は補佐官が消えた方向に姿を消し、チェリン達は、低いざわめきの中に取り残される。
「……」
チェリンは、そっと自分の手を見下ろした。
男を殴りつけてしまった手には、まだ、鈍い感触が残っている。感情のままに動いてしまうなんて、鍛練が足りない証拠だ。
もっと自分を律して動かなければ。心を、平静に保たなければならない。そんな言葉を自分自身に繰り返し言い聞かせていると、ふいに、ぽたりと透明な雫が手に零れ落ちた。
「……?」
それは、自分の目からあふれた涙だった。
袖で何度も目をこするが、雫の流出はいつまでたっても止まらない。
「……。おい」
「ごめん、なんか……ちょっと、疲れてるみたいでさ」
苦しい弁明を吐くチェリンに歩み寄ると、ハルは顔のすぐそばに手を伸ばしてきた。
身を硬くするチェリンには構わず、ずれ落ちていたフードを目深に被せなおしてくる。
「帰るぞ。腹が減った」
混乱して動きを止めるチェリンの頭に、今度はゴスッという、決して軽くはない衝撃が訪れた。
すれ違いざま、ハルがチェリンの頭を叩いていったのだ。
普段のチェリンならすぐさま拳を握りしめて反撃に出ていたところだが、今日ばかりはその気が起きてこなかった。
殴られてジンジンと痛む頭を片手で押さえ、唇を尖らせる。
「……覚えときなさいよ。忘れたころに、仕返ししてあげるんだから」
振り返った少年は、「へぇ?」と、生意気そうに口元をつり上げて見せた。
「やってみるといい。今まで通り、全部返り討ちにしてやる」
やや元気のない少女に笑いかけなら外に出ると、強い日差しが目を焼いた。海辺特有の濃い青空に、太陽の光が映えている。
しばらく日光の温かさに浸ってから、ハルはふと思い出したように言った。
「そういえば……シェスカ補佐官とか言ったか? あの女、あいつに何を言ったんだろうな」
「あいつ?」
「僕たちを助けてくれた男がいただろ。亜麻色の髪で、北方系の顔をした……確かラティスとか呼ばれてたか?」
「あぁ、それなら聞いてたよ」
常人よりも優れているらしい耳を揺らし、チェリンは空を見上げた。手を顔の前にかざし、眩しそうに琥珀色の目を細める。
「気になるなら、自分の目で確かめてきなさい……だって」
「……。どういう意味だ、それ」
「……さぁ」
眉をひそめるエリハルに、涙の痕を残すチェリンは淡々と生返事を返すだけだった。




