後編
ラジカセを持った白金と一緒に、俺はすぐ近くの廃材置き場に連れられた。彼女は振り返ろうとせず、会話もしなかった。今の彼女はいつもと違う。ラジカセを持って散歩なんて普通はしないはずだ。一緒に仲良く散歩とかそういう雰囲気ではなかった。
住宅街の真ん中にある空間には様々な機械や廃材が混ざっていた。両隣にある住宅と空間の広さからして、ここもかつて家があったんだろうか。ベニヤ板やら木材と一緒に、冷蔵庫、パソコン、テレビ、ありとあらゆる電化製品が無造作に積みあがって、一つの山を形成している。
廃材置き場に入ると、白金はがらくた山の裏側へと回った。そして彼女はラジカセを地面に置き、ふもとで横たわっている冷蔵庫に腰掛けた。一緒に座ろう、と言わんばかりに彼女は俺を見つめる。一人にしないで、と訴えかけているようにも見えた。そんな彼女を放っておけない。俺は彼女に優しく微笑みかけながら頷き、隣に座った。
沈みかけの太陽ががらくた山の大きな影を映す。大きな影が俺達二人を呑み込んでいく。柔らかく冷たい感触が俺の右手に伝わった。
「杁島……その、あたし……」
俺の右手には白金の左手が添えられていた。彼女は俺の顔を見上げられずにただ震えていた。
続きの台詞をなかなか言い出せない白金。何を伝えたいかは分かった気がした。だからこっちも緊張する。気持ちを抑え、平静を装う。
「………っ~!」
耐えきれなくなって白金は強く目を瞑ってしまった。
「分かった、白金」
「……っ!」
「分かったよ」
俺は彼女の小さな手を握り、小さな身体をそっと抱きしめた。
「いりじま……」
がらくた山が創る不気味な闇が優しい影に感じた。静かな、二人だけの空間が気持ちいい。彼女から伝わる優しい温もりを受け取る。
「杁島。あたし……ずっと前から好き」
緊張感がほどけた様子で、白金が伝えた。
「軽音部に入部した時は気が合いそうだなって思ってた。けど、周りに友達がいなくて、ずっと一人だった……昼ごはんの時とか。だけど二年生になって、杁島はあたしに優しくしてくれた。体験入部でしか会ってないのにいつもお昼は一緒だったし、時々一緒に帰ったりした」
まあ一緒に昼を食べるのはなんかこいつが放っとけないからだ。帰るときもそうだ……でも『放っとけない』ってどういうことだ。
「そして今日も一緒にラジカセを探してくれた。こんなぼろいラジカセのために」
優しい声が段々と涙声に変わっていく。
「だから……こんなあたしを大切にしてくれて……すごく嬉しい。一緒にご飯食べるとほっとするし、一緒に喋ると楽しいし――」
白金は一生懸命続きを話す。彼女の頭を押し付けている俺の胸が濡れていく。
「だから……あたし、杁島のことが好き」
伝えたい事を繰り返した白金は俺を強く抱きしめ、そして涙を流した。
俺はどうすればいいか。白金のことは正直『妹』のような存在だ。昼休みの時も、俺が誘う前は一人で食べていた。軽音部の体験入部の時も、彼女はどこか独特な空気を出していた。その時から一人が多いと聞いていたし、この子は平気なのかと思った。
などと考えているうちに彼女の涙は止まっていた。俺の手は無意識に彼女の頭から背中までを撫でている。その一方で、俺の中では分からない感情が込みあがっていた。
白金はやっぱり『妹』なんだろうか。俺は彼女のために、理由を問わずにラジカセを探した。好きでなかったら、こうやって彼女の答えを待たずに抱きしめる事なんてできるか。
「白金……俺はな」
ピクリと反応する動きが彼女から俺へと伝わる。この気持ちに対しどうすればいいのか。
「正直言って、今の気持ちはまだはっきりと分からないんだ」
「っ!」
「白金の事はただの友達じゃない。それは自信を持って言える。だけど、本当に白金の事が好きかどうかっていうのはよく分からない」
「…………」
残念がっているのか、白金の頭が下に傾いた。同時に彼女の腕から力が弱まる。
「だから、俺は白金の事がもっと知りたい。お前さ、普段はあまり喋らないから、よく分からない所とか沢山あると思うんだ」
すると彼女は俺の顔を見上げてきた。
「毎日一緒に昼飯食べるのもそうだけど、これからも一緒に帰ろうぜ。あと……そうだな、いつかは街へ遊びにいくとかいいかもね」
「……っ!」
何かを言おうと彼女は口を開きかけたが、何も言わずに笑顔で頭を胸の中にうずめた。
「な、だから明日も一緒にいようぜ」
白金はすぐ頭をあげ、ぶるぶると横に振った。
「ありがとう……すごく嬉しい。けど、あたしが言いたいのはそれよりも大事な事で……」
「ああ、何だい?」
「ちょっと腕を離して」
腕を解くと、彼女は地面に置いたラジカセを拾い上げた。
「みんなには内緒」
「それってお前の親も含めてか?」
「親は分かっているから大丈夫。そのラジカセの事なんだけど……」
白金はラジカセの底に付いた土を払い、自身の膝の上に置いた。
「ちゃんと動くのかこれ?」
「壊れててもうダメ」
「じゃあなんで大事なんだ?」
と聞いたその瞬間。
彼女がいきなり外装を剥がすではないか。剥がした外装をどうするかというと、彼女はそれを自身の口に近付けた。小さな口を目いっぱい開けながら。まさかこれから食べようとするんじゃないよな。
「ちょっと待て、一体何をする気なんだ?」
俺は慌てて彼女の右手を掴んだ。
「いいからちょっと放して」
白金にしては強い腕の力で、握られている俺の手を引き離す。そして右手にあるラジカセの破片を改めて口に入れ、バリボリと噛み砕いてしまった。
今、起こっている現象を俺は理解出来なかった。いや、理解したくはなかった。だってこんなちいさな女の子がラジカセを食べてるんだぜ。こんな事があってたまるか。ってか俺はてっきりあいつが告白すると思って、自分から気持ちを整理してたのに……どうしてこうなった。
「……これってラジカセだよな?」
至極当たり前の事を問いかける。
「らりかへらよ」
至極当たり前の答えが返ってきた。
「ラジカセの形をしたお菓子……じゃないよな」
「おかひひゃらい……ばりばり」
金属の屑となった破片を噛み砕きながら白金が答える。細かくなった破片は白金の喉の奥へと呑み込まれていった。
「あたし……金属が好きなんだ。特にレアメタルとか極上な味がする。このラジカセはすごいんだ。金属じゃないけど、数世代前のシリコンを使ってて、これがとてもコクがあってマイルドでビンテージなんだ」
口の中で基板をもぐもぐさせながら白金はうっとりとして語る。
「それで……これ、中に変わった金属が入ってる。インジウムとか、プラチナとか、他にもいっぱい。お父さんが色んな機械のパーツを寄せ集めて作ったものだからそういう金属が入っている。ほら」
細い腕がラジカセを真っ二つにして、中身を見せる。「ほら」と言われてもどうなのかよく分からない。
「金属の味なんて全然分からないが、それがお前の内緒の事か?」
白金は頷く。
「それで、食べるためのラジカセを探すのにどうして俺にお願いしたんだ?」
二つに裂けた残骸を見詰めつつ、白金は言った。
「このラジカセ、お父さんからあたしへの初めての誕生日プレゼントなんだ」
「だったらなんでそんな思い出深いものを食べるんだ?」
「金属を食べているのはただ美味しいって事だけじゃない。食べるとね、その金属を手にした人とか、思いとか、色々分かるの。このラジカセもそう。お父さんが工房で一生懸命組み立てる所とか、誕生日の思い出とか、これでラジオを聞いてた事とか」
嬉しそうに、ゆっくりと語る白金。
「あたしが金属を食べ始めたのは、中一のころからなんだ。それより前にも、校庭の鉄棒を舐めたり齧ったりしたことはあるんだけど。その時の鉄の味と、頭が宙ぶらりんってする気分がたまらなかったの。だからこっそり、机の脚をがりっと齧った。一度齧ったら夢中になっちゃって、気づいたら穴が空いてしまった」
さっきまで嬉しそうに語っていた白金の表情が曇っていく。
「で、しばらく繰り返しているうちに、先生にみつかっちゃった。すぐ病院に連れてかれて、薬を飲んだり、食べたものを吐かされたり、検査とか受けた。すぐに退院したけど。親にも怒られて、心配された。机を食べるなんてあり得ないって。
じゃあ机じゃなければいいかと思って、今度はスチール缶を食べてみた。誰にも見られないようにこっそりとね。食べる金属も種類が段々と増えてきて、アルミ缶やら、銅の鍋やら、電池も色々食べた。それで、冬くらいに教室でガジガジってアルカリ電池を二十本くらい食べていたんだけど、それをクラスメイトに見られちゃった。あの時も大変だった。保健の先生を呼ばれたかと思ったらまた救急車で運ばれちゃって……手術までされた。どこもおかしくなかったのに。
むしろ入院している間が大変だった。金属が足りない、金属が足りないって唸るようになってさ。夜も寝られなかったり、起き上がるのにも苦労した。最初は電池を食べて中毒を起こしたからかと色んな手術を受けたけど、一向に良くならなくってしばらくは大変だった。だから看護師とか他の患者の目を盗んで金属を探し求め、そして食べた。空き缶のゴミ箱ごとトイレに運んだこともしょっちゅうあった」
白金は段々と顔を俯かせた。がらくたの影で彼女の表情が見えにくい。
「そうやって金属分を補給して、一か月で何とか退院できたんだ。で、学校に戻ったらいじめが待っていた。よく女子トイレで張り倒されて、タイルを舐めさせられた。先生がいない間に、口にちりとりを咥えさせられたり、画びょうを流し込まれたこともあった。金属なのにとても不味かったのは覚えてる。周りのみんなの汚い心が伝わったからかな……」
声が小さくなり、喋るペースが落ちてきた。これ以上は放っておけない気がした。
「辛かったら無理しなくてもいいからな」
「大丈夫……それで中学校の間はずっといじめられてたんだ。ひどくってひどくって学校に行けなくなった。だから行かないようになった。心配した親はあたしのために、街を引っ越したんだ。その頃にはなんか私の体質の事を理解してくれてた。引っ越してからはご飯の鉄分が多めになったんだ。代わりに、外では金属を食べちゃダメって言われた。だから我慢したんだ。けど、最近抑えきれなくなっちゃって……。
たまにここでがらくたを食べるようになったんだ。学校の帰りに、親に内緒で。あと、軽音部に入ろうとしたのも金属が手に入りそうだから。結局部活が面白くなかったから辞めちゃったけど」
顔をあげる白金。瞳には涙が溜まっている。
「それで……。杁島……こんなあたしでも一緒にいられる?このままあたし自身の事を隠すのが苦しい。だから……今日ラジカセ探しをお願いした。……っ、金属を食べないと生きていけない身体になっちゃったあたしなんて嫌でしょ?」
まったく、さっき告白したのはどこのどいつなんだ? って告白させたのは俺か。
「そんな事言うなよ」
「?」
「確かに驚いたよ。普通、人間は金属なんて食べないからな。別に俺は何とも思っちゃいない……いや、お前の事を一つ知ることができた。だから嬉しいんだ」
「っ!」
俺は白金をそっと抱きしめた。とても小さな温もりだが、俺にとっては大きな支えだった。昼の何気ない発言や行動、今日こうやって白金の家に行ってきた事。放っておけないんじゃなくて、俺は彼女が気になってた。やっぱり白金は『妹』以上の存在だ。
「俺、白金の事が好きだ」
俺は彼女の唇にキスをした。彼女の頬は真っ赤に染まったが、いつぞやのように沸騰せず、穏やかにキスを受け入れた。
彼女の唇の味は、甘くて、どこか懐かしいものだった。お世辞にも格好良いとは言えないラジカセを作る白金父。プレゼントをもらって喜ぶ白金。嬉しそうにラジオを聴く白金。大切ながらくたにこもった光景が脳内をかす幽かによ過ぎる。
金属が美味しく感じるのが分かる気がした。
こうして俺と白金鈴音は自他共に認めるカップルとなった。付きあってるんじゃない、と相変わらずクラスメートが言うので堂々とカミングアウトした結果、やっぱりなという言葉が返ってきた。今、こうやって白金と昼食を共にしても噂話をする人はいない。
「今日もニラレバ炒めなんだな……それと小魚の唐揚げもあるか。鉄分に加えてカルシウムも多めなんだな」
俺は白金の弁当を覗いた。ちなみに俺の弁当は目玉焼きサンドイッチだ。いつも弁当を作ってくれてる母はハムとレタスも入れるつもりだったが、どうやら忘れてたらしくこんな貧相なサンドイッチになってしまった。おまけに何のソースもかかっていない。
「ニラレバ炒めを分けたげる」
「ありがとう、とても嬉しい」
白金は箸で炒めものをつまみあげ、俺の口に向けた。
「はい、あーん」
表情を変えずに、彼女はニラレバ炒めを食べるよう催促する。何が起きようとしているのかを周りは察知したようで、クラスの空気が変わった。しかし、箸を向けている本人はそれに気付いていない。かなり恥ずかしいけどやってみるか。
俺は白金の箸の先に食らいついた。レバーの独特な味と、絡みついたオイスターソースの旨味が口の中に広がる。
「おいひいよ、ありがとう」
グーサインを出しながら俺は白金に感謝した。ニラレバ炒めを恵んだ本人はとても幸せそうだ。周りの歓声が聞こえない位に。
「でもみんながいる教室でいきなりこれってなかなか大胆だね」
「……っ!」
何気ない俺からの指摘で、白金はやっと周囲の状況を把握した。オーバーヒートしているかのように赤面になり、鼻と口からやかんの笛みたいな音が鳴った。
「これでお湯が沸かせられるな。お茶とかできそうだ」
「できないもん!」
恥ずかしがりながら白金がつっこむ。クラス内は笑い声でいっぱいになった。
「それでさ、ゴールデンウィークだけど駅前のがらくた市に行かないか?」
周囲の笑いが収まった頃に俺はそう提案した。クラスメート達は俺達を気にせず、思い思いに昼休みを満喫している。みんなカップルの邪魔をしないように心がけているみたいだ。
「がらくた市……行きたい!」
がらくた市という言葉に白金は食い付いた。
「ということは、デート……になるのか」
唐揚げを食べながら彼女は聞いてきた。
「そんな大それたものじゃないけどな。機械も色々市場で売ってるぞ」
「それは楽しそうだ。廃材置き場とは違う、新鮮ながらくたも良さそう。ちょっとお洒落するの考えるか」
ぽつりと白金がつぶやく。その言葉で、週末の『デート』がますます楽しみになる俺だった。
杁島落ちるの早すぎだろ、って改めて読んで思いました。結構短い作品なんだなって感じます。
本作品は大学の機関誌のテーマ『ガラクタ』に沿って書いた作品です。人生3作目になります(ちなみに2作目は『どいつにも真似できない麺を作る!』です)。
大学文藝部内では割と好評だったようで、長編としてのリメイクを目指しています。それはここで掲載するかは未定です。