第2話 見知らぬ見慣れた世界
地球に帰還してから、あっという間に一ヶ月がすぎた。
俺が色々考えていたことはほとんど杞憂だった。
二十年前――あの頃はまだ俺は十六歳で、妹の萌花は九歳。父の康次郎と母の小夜子は三十九歳と三十七歳だった。
あの時からずいぶん時間は経ったけど、家族はすぐに俺のことをわかってくれた。
長年離れててもわかるものなんだなと感心したな。こっちも家族のことはすぐわかったし、これが絆の力。
……というのは少しセンチすぎるか、何歳になっても面影は残ってるものなんだろう。それにきっと、俺がまだまだ若いってことだ。やるじゃん俺。
異世界への亀裂に呑み込まれたのが学校帰りだったんで、学生証を持ってたのも良かった。万が一のときのために、二十年間肌身離さず持ってたのが生きたな。
それにしても、妹と両親の顔、俺をひと目見た瞬間の顔。
あっけにとられたっていうのはああいう顔のことを言うんだろう。辞書に例としてのせられるくらいの表情だった。
その後はずっと泣いてて話にならなくて大変だった。俺は異世界で平常心を鍛えてきたから、全然余裕だったけど。いや、泣いてないよ本当にね! ガチで!
俺のことはいいんだ、ともかくそんな感じで家族にはすんなり受け入れられたんだが……心配はまだあって、社会的な諸々だ。
だが結論から言うと、そっちも全然なんとかなった。
失踪して七年経つと公には死亡となる……と俺は何かで見て思い込んでいたのだが、それは家族が届けを出せば死亡扱いにできるという話で、俺の家族は生きて帰ってくるかもしれないからと届けを出していなかったので、俺は単なる行方不明扱いのままだった。
こうなると警察に、見つかったので捜索しなくて大丈夫ですと連絡するだけでほぼ話は終わるので、驚くほどあっさり俺は社会復帰することができたのだ。
もちろん保険とか身分証とかそういう諸々は再発行しなきゃいけないので面倒くさかったけど、異世界に行ってたのにその程度で済むなら上等だろう。
そうしてなんやかんやと手続き的なものがなんとか終わり、ようやく落ち着いたのが今日このごろ、七月五日。
もう高校生じゃないってこと以外は前と同じ日常が戻ってきた。
『みんな見てる? 十三階層の探索始めるよー』
俺は窓の外の青空から、音声を発したノートPCの画面に視線を移した。
そこにはまるで冒険者のような、それでいてデザインは現代風でかわいく冒険者にしては露出も多めで、そんな格好をした女性が石造りの迷宮を背景にこちらを見ていた。
『昨日ついに十二層突破して、ついに初十三層! どうなるか楽しみだね。みんな熱~い応援よろしくね!』
ダンジョンの中にいる冒険者の女性が喋っている。
まるで異世界のようだが、これは正真正銘こっちの世界のこと。
――前と違うこともある。
――大いに違うことがある。
俺がいない間に、この世界にはダンジョンが出現していたのだ。
それは二十年前、俺が“裂け目”に飲み込まれた数週間後のことだった。
東京は渋谷のスクランブル交差点の真ん中に、地面に半分めりこみドーム状になった黒い球体が出現した。
前代未聞のパニックの中でその半球の調査は進み、それは中に入ることができ、入った先には謎の迷宮があること、その迷宮には地球の動物とは異なる生物が徘徊していること、そして、中に入った者は特殊な力を得ることができるとわかった。
間違いなくそれは、ダンジョン、モンスター、魔法やスキルと同じだ。
その時点ですでに世界は沸き立っていたらしい。
突如現れた未知のフロンティア、しかもそこで未知の力が手に入るのだ。
その熱狂を決定的にしたのは、ダンジョンの中でしか見つからない魔石の存在だ。火力や原子力以上の効率で大量のエネルギーを取り出せる上に、魔石を利用して高性能な新規素材、新機能を持つ品物を作ることもできた。
それはダンジョンに潜る個人にとっても金になるということであり、夢のため金のため使命のため、多くの人がダンジョンの探索者となる大航海時代ならぬ大ダンジョン時代の始まりだ。
これが俺のいない二十年の間に世界に起きた激変であった。
「まさか、地球まで異世界みたいになってるとはね」
異世界に行く前の俺に言っても信じないだろうな。だが、今なら受け入れられる。異世界で散々ファンタジックなことは見てきたんだから、地球でもそもありなんだ。
それは俺の家族も同じで、異世界に行ってたなんていう説明をあっさりと信じてくれたのは、この世界にもダンジョンや魔法やモンスターが実在するようになったからってこともあるだろう。
さて、ダンジョンが当たり前の日常となった地球では、俺にとって素晴らしい、大きな変化がもう一つあった。それが、
『この階層は……なんだろう石造りの建物みたいな迷宮だね。ちょっとじめじめしてる。なんか空気が重苦しいなあ……わっ!? 見て、鉄格子! もしかして、牢獄なのここ? え、こわ。やだ。ホラー苦手なんだけど私!』
“こっわ”
“俺達がついてるぞあやち”
“あやちの悲鳴に期待”
【¥10000】
“この前の新スキンお披露目いけなかった分! めちゃかわヨだよあやち! ちょっとお姉さんっぽいのも最高!”
『わー! ありがとうまーぶるさん! そうでしょお姉さんっぽいでしょ、また後でしっかりお礼させてね』
ノートPCの画面には、現代ダンジョン探索者の女性が、ダンジョンを進んでいく映像が映し出され、それとともに、この映像を今見ているリスナーたちのコメントが表示されていた。
“あやちかわいい”“うんうん”“今回は本当に迷宮らしい迷宮だね十二層は変化球だったけど”と言った見ている人が打ち込んだコメントが、画面に表示され下から上へと流れていく。
これがダンジョン配信。
ダンジョンにいる人の様子をリアルタイム生放送で、PCやスマホで見ることができ、それに感想や応援をコメントできるのだ。
これ、かなり面白い。
ダンジョンなんて自分で攻略することばっかりだったから、他人がダンジョンを進む様子を見るのが新鮮なんだ。ビクビクしながら進んだり、大胆に走ったり、なるべくモンスターから隠れたり積極的に戦ったり、笑いながらゴブリンを切る人も入れば、倒したモンスターにお経を読む僧の人まで探索者してるし。
そんな千差万別のダンジョン攻略の様子を自分の部屋のベッドで見ながら、「おっ、ゴブリンエリートをサクッと倒すとはやりますねえ」とか「あー、やっぱり最初はマボロシマッシュの群れは苦戦するよな~」とか、他人のダンジョン攻略を肴に飲むレモンサワーが最高にうまいんだ。
「お、ついに十三層初の接敵だ。さて、あやちどこまでやれるかな」
俺はベッドの上のノートPCに集中する。
あやチャンネル。通称あやち。
さいたまダンジョンをメインに活動している人気ダンジョン配信者。
探索者としての実力も上位でなかなかだが、その人気の秘訣は透き通ったきれいな可愛い声(通称カワボ)、銀髪ロングで儚げなお嬢様のようなビジュ、そして配信を見ているリスナーとの丁々発止のやりとり、何よりも彼女のキャラクター性が面白くて、俺や他にも多数の人が彼女の配信を見ている。
あやちが石造りの通路を抜け、壊れた鉄格子の隙間をぬって巨大な牢獄のような部屋に入ると、ブフー、フブー、と鼻息が聞こえてきた。
牢獄の暗闇から現れたのは、身の丈があやちの倍以上もあり、あやちの全身より太い腕を持つ、巨鬼トロールだった。
『おっきぃ……』
“でかすぎんだろ……”
“でっかぁ♡”
“ぐへへ”
コメントも今日初めてのモンスターに盛り上がっている。……盛り上がり方これでいいのか?
ともかくここからは目が離せない。
これは生配信、かつ本物のダンジョンで本物のモンスター、ここから何が起きるかは誰もわからない。俺も真剣に見よう。
『モンスター退治、頑張るよ。みんなっ、あやちの応援よろしくね❤』
あやちが俺を見てウィンクしてくれた。こんな健気でカワボな冒険者がいるなんて地球って本当に素晴らしいな。思わず「あやち~♡」と口にしかけた。
“うおおウィンクかわええ”
“ありがとうございます! ありがとうございます!”
“ファイト!!”
“負けないで”
“あやち~がんばぇ~”
あやちはアイテムボックスから武器を取り出す。右手に持ったのは、ごつごつした巨大な棍棒――グレートクラブと呼ばれる代物だった。
長さはあやちの身長くらいあるし、幅はあやちの太ももより太い。
普通に見たら人間が扱える武器ではないが、しかしダンジョン内では満ちた魔力によって身体能力も強化される。またダンジョンを進みモンスターを倒せばさらに強化されるのも、異世界と同じ。だから普通じゃ持ち上げることすらできないような武器だって振り回せる。
あやちはその力でもってモンスターとのバトルを始めた。
先手をとったのはトロール。丸太のような腕をぶんぶん振り回して攻撃してくる。あやちはまずは様子見か、自分からは攻撃せずにうまく間合いを取りながら回避する。
しばらくのらりくらりと避けていると、トロールが『ブフー!』と怒ってるみたいな鼻息を荒げた。そして両手を組み合わせて激しく打ち下ろす。あやちはそれもひらりと華麗に可憐に身をかわすが、トロールの組んだ拳は石床を砕き、砕けた石が雹のように飛散しあやちの体に浴びせられた。
『くぅっ…………』
“あやち!?”
“てめっ、あやちに顔に傷つけるなモンスター!”
あやちは痛みに耐えるようにじっと立っている。
と思うと、ぷるぷると震えはじめ、グレートクラブを握りしめる手にみしみしと力が入り、両手でクラブを振り上げ、
『死ねええええええええ!!!!!』
“!?!?!?”
“本性きたああああああああああ”
“すいませんさっきまでいた清楚お嬢様はどこに行ったのですか?”
“やべー女すぎるw”
コメント欄が一気に加速する。
戦闘が激化したからというよりあやちの豹変に。
台詞だけじゃなく、振る舞いも代わり、力任せに両手で握ったグレートクラブを振り回し殴りつけている。トロールが気圧され頭をかばいながら後に下がるほどだ。
「美しい…………、人の戦う姿はなんて美しいんだ」
勢いよくグレートクラブを振り回すたびに反動で髪が揺れ、ひらひらとアレンジされた冒険者服の生地が揺れる。
他人の戦うところをこんな風に眺めることなんてこれまでなかった。だがよく見るようになってわかった。戦う顔は美しい。
「それにしてもあやちさっきまでとキャラ変わりすぎだろ、おもしれー女w」
ダンジョンを進みながらコメントと会話してる時のかわいさから一変、ゴリゴリ戦っているあやちだが、しかしトロールもただやられているだけでなく強引に反撃してくる。
あやちはクラブで受け止めるが、勢いで後の壁まで運ばれる。
『さっ……すがに、新階層のモンスターは強いよね』
“くっそ! このモンスタータフすぎだろ!”
“グレートクラブで殴られても平気で立ってるのなんなん?”
“あやち~がんばぇ~”
あやちは大ダメージを受けたわけではないようだが、しかしトロールにも決定打を与えられていない。コメント欄もモンスターのタフさに驚いているし、実際トロールって頑丈さが取り柄なんだよな。体力も防御力も回復力もあって、異世界でも弱点をつかないとなかなか倒せないタフなモンスターの代表格だった。
「……ん? あれは?」
その時、俺は画面の奥にかすかに見えるモンスターの姿に気づいた。
まだ遠いけど、この大部屋の反対側、いやそこから伸びる通路かもしれないが、遠くにもう一体トロールがいる。お互いまだ気づいてはいないみたいだが、あんま長引いてるとあいつが来て厄介なことになりかねない。
「……ったく、世話がやけるなあやちは。やられるのを見過ごすわけにはいかないし、ちょっとアドバイスしてやるか」
トロールは異世界で何百匹も倒してきた。
弱点も何もかも知り尽くしてる。後輩が痛い目にあわないよう、倒し方をしっかり指示してあげないとな、経験者として。




