星の外
火だった。
『私』は火の中にいる。
黒い崩れた建物、焼けた後だろうか。
『私』が立ち上がる。私の前で
焼けた肉が急速に塞がっていく。
皮膚のコゲ、焼けた髪までもが元へ戻り、火に塗れて転倒した『私』が同じ顔をして立ち上がる。もっとも目線は合わない。
やがて『私』は振り向くと何かを見つける。
誰かが逃げているのが見つかる。
放火したのはアイツだ。
だから、私はあれを追いかけた。
楽園事変で霊長が零落してから人の世は荒れた。
異世界での知識に合わせていうならば、精霊だろうか?
楽園とは即ち、人の社会の目指すべき頂であり、問題が嵩むたびに諦められるものだ。或いは狂気により語られ、攻撃的に使われる道具としての側面すらある。
だからこそ、楽園を作った精霊に人は打ち掛かった。
然るべく楽園を作った精霊に挑み攻撃し、そして打ち砕かれた。
人が事を大きくしたく無いだけで事実上の戦争であったといえよう。
なぜ精霊はそんな事をしたのか。
物事は須くして始点を持つ。それは或いは大層ではなく。偉大な話でもなく。当然、勇猛さもない蛮勇や伝聞かもしれない。
楽園の精霊の場合は子供であった。
彼か彼女かとにかく近くに来た子供の望みを叶えた。
そして、一部の宗教に語られる神の契約に倣って子供に代償を指定した。
“君に人類は味方しない”
そうして、私の放浪は始まった。
禁忌を放った英雄のように、過分を願った私は永劫に生き続け死ぬ事はなく。ただ彷徨うことになった。
一体いつのことだったかはもう覚えていない。永劫となったのは神の如き精霊が気を遣った結果なのだろう。
なんとも本人がそう言っていた。
子供に何も与えずに行かせるのは酷だろう。超えられなければ試練にはならない。だったか。
パトカーのサイレンが聞こえる。
ひび割れた音だ。
『私』が、いく先を変えた。
うん。おそらく。先回りするのだろう。
目的は反撃。
私は少し考えて、『私』と違い放火犯の後をつけることにした。
ああ、転んだ。痛そうだ。
もがいている。随分動揺しているらしい。
そうして、ある路地に仮設テントの一段が現れる。
屋台だろうきっと、元は闇市だ。
もっとも汚れていることを思えば、店主はしょっ引かれて暫く経っている。
戦時中ではないが行政も司法も宗教もその殆どが崩壊した影響で生活にはそういう市場を頼ることが極自然となっている。
その布は下ろされていて、店主の顔や姿を確認できないようになっていた。
箱物でこそないものの客側が入り込む形式というわけだ。
すぐ直前に捲られた痕がある。
確か、思い付きで入ったんだ。
『どうぞ』
店の中から放火犯に対して声がかかる。
なんだか、笑ってしまった。自分を見るというのはなかなかにシュールなものだ。
熱かったからだろう。口調が殺気立っている。
彼は滑稽なほどに動揺すると、店主に化けた『私』に促される。
意を決したかのように彼は入っていく。
さてと
肉を通り掌から短剣が現れる。獅子の意匠だ。
ごく自然と逆手に持つとテントをくぐる。
そして
記憶の中の『私』が黒い銃でソレを射抜き、私の短剣がまた振り下ろされる。
キィイン
と硬質な杖に銃弾は弾かれ、短剣は“角”が受け止めていた。
男は私の前に跪き法衣をきて、羊飼いの杖を持ち、そして山羊の双角を生やしていた。
「神よ。誤解でございます」
男が顔を上げようとすると、音を立てて角が短剣を押し返し始める。
ああ、やっぱり探聖者だ。
「あなたが欲しがったから、忠誠を鳩羽さん、あなたに示したく矮小ながらもコレを送らせていただきたく思ったのでございます」
両手で捧げ持っているのは何かのいつの時代かのゲーム機だ。やった事はないが知っている。
ゲーム機という奴は見たことがある。
ただ、電子機器は保存状態が良くても中身のバッテリーが劣化して動かない。
だから、私はやったことが無い。保存状態が良い書籍は読んだ。記録媒体の電子書類も目を通した。だが、どうにも動かないものはやったことが無い。
あの世界では、あの神様が既存の人類史をゴボウ抜きにして存在価値を奪ってしまった。
望みたいことをやらせ、望みを見つけ、成果たり得れば実らせる。ある意味、天才だけの世界。
別に天才じゃなくても死なないしなんだってできる場所だが、言うならば真の楽園だ。楽園計画のような不完全で終わるものじゃない。自我を保ち尊厳を保ち誇りを保つ。
私は入れないが
「それで、劣化しただけのバッテリーの発火で、“爆発”なんてするわけ?」
「ええ、ですから騙されたのでございます。信者になりすました背徳者めが私にあなたへ危害を加えさせた」
ですが、と探聖者は完全に顔を上げる。
その目は酷く濁っていた。
「神よ。貴方も悪うございます。貴方がいつまで経っても世情をお救いにならないから、信者たちも信じない」
奇跡を、とその男はいった。その濁り切った瞳は一片も疑ってはいない。
しかし、私は奇跡を起こせるとも神であるとも一言も言っていない。
死ななかったからどこかで勘違いされた。
そしていつの間にか狂信者達は発生し、ずうっと付け回されるようになったのだ。
「何度も言うけど、私は神ではない」
「何をおっしゃいますか」
いつのまにか。過去の『私』は消えていて、天幕も、ゲーム機だってどこにもなかった。
「この回廊、私めが異世界の神を騙る邪神レインボザに聞いた話であるところによると異世界間の通路にございますが、これだけの広さ。これだけの掘削。貴方の魂の大いなる大きさに由来しましょう」
それは、おそらく付属物の方だ。
“君に人類は味方しない”
己の種の放棄に見合う加護、おそらくはソレが原因だ。
私は異世界であるからか異世界間の通路を抜け“いつも通りに生き返る”。
「それはただの付属物だよ。私ではなくて、別の…」
ぎり、歯が擦り合わさる音がする。
ああ、そうだ。何度やっても
「だから!そういうのは!いいんです!」
金切り声が響く。
在るべき権利の喪失を訴える狂気の声
「もう、いいでしょう。もう沢山です“言う事を聞け”!」
ふわりと、悍ましい色の霧が立ち上る。
杖からだ。
嫌な悪寒がして2歩下がる。
しかし、男は容赦なく杖を私に突きつけた
「“言う事を!聞け!”」
ふわりとした霧が器官を蹂躙した。
頭の中にふわりとした感覚が満ちる。
覚えのある感覚だ。あの異世界の旅で何度も、霧として見えているのはここが特殊な環境であるからだろうか。
ああ、そうだ。全く気づかなかったけど
魔王だ。
「うん。そうだね」
口は勝手にソレを呟いている。
言うならばそう、尋常の魔王。
精神に介入し意識を強要する力
正しき論理に基づき逸れるものを正す。人の多くが思いそして維持しようとする。けして枠から外れた人ならざるものを赦しはしない。彼らこそが正義を持っているのである。
だからこそ、中身がそのまま魔王になったわけではなく外にはみ出ているのだ。アイツ本人と狂信的な集団だけの常識に由来している。
「ええ、よかった。貴方もまたわかってくれましたね。いいのです。ええ、いいのです」
探聖者は敬虔な信徒として両手を広げる。
金属音を立てて赤い獅子の短剣が転がる。
私の身体も同じように広げ、ーーーアレの側頭部に腕が当たる。
だから、私は力を抜く。ある精霊の祝福のままに、肉の阻害を緩め
肉の内側に樹脂製のグリップを感じた。
シュッと空気を切る。
短剣が腕の皮膚を破って飛び出し、探聖者の側頭部に衝撃を与える。
弾かれた短剣を掴み取る。
能力の制御が緩んだのか。身体の制御が戻ったのだ。
「う、な何を!?何をするんです。神よ。」
探聖者は狼狽えて足を下げた。
私もまた、足を踏み出しーーー指の間の筋肉を緩める。
飛び出した仕込み刃が探聖者の足を列をなして切り刻んだ。
「“よ”」
空いた手で、倒れ込んだ山羊頭の魔王の口を封じる。
言葉を使う条件を持つ常識改変能力の魔王
ならば言えなければ何もできないと言うことだ。
そのまま私は、樹脂クリップの短剣を振り下ろした。
首だ。皮を裂き血管を抉る。
血が溢れ出した。
短剣を捻じ込み押し込むと地面に押しつける。
黒いモヤのような血液の中、やがてもがくニンゲンが動かなくなる。
短剣の刃を引き抜くと、道が現れる。
異世界への道だ。
いつもそうだ。ほぼ同じ場所へ送り出される。
憂鬱だった。こう言う事になるといつも憂鬱だ。
詰みにはされない。
あの精霊は私がどうしようもなくなる事は望まない。
ただ、抜けられると判断すれば容赦なく課してくる。
つまり今回は
獅子頭の魔王から逃げなければならない。
ーーー
すぐ側に、つい先にくぐった外門が見える。
「いくよローリー」
はい。心あらずで娘が呟く。
あの魔王はどこかへと消えた。
探聖者は死んでしまった。
いや、他にも何かしら複雑な感情があるのかもしれないがさておき逃げるべきだ。魔王を殺す事を使命としていても一旦離れて頭が冷えたのだ。
とにかく魔物の群れがこの地を覆い尽くす前に脱出しなくては
この街の逆襲に手を出すかは後の話だろう。そもそも計画されるのだろうかもわからない。
「どこへいく?」
剣を振り抜いたのは勘であった。
しかし、どれほどの意味があっただろうか。
獅子頭人身の魔王は痛痒にせず“首の皮”で受けたのだ。
「クッ」
背筋を走る恐れ。
通らない。即ち死なない。
腕が掲げられる。
咄嗟にローリーの前にでる。
猛獣の爪よりもなお殺害に特化した凶悪なそれが衝撃を伴い打ち抜く。
ぐちゃり、何か自分の体内が、めちゃめちゃに掻き回されるような不快感
ゲホッと血液と、真っ黒な煙が溢れ出る。
「ほう、もしや何かできると思っているのか?」
獣の残酷な顔が笑う。
ぼうっとしているローリーを叩き走らせる。
自分もまた逃げ出す。
「どうした。先ほどのように向かってこないのかね?」
出口はあの魔王がいる。
ならば、戻るしかない訳だが、仕方がないのか。
笑う。魔王は肉食獣がなぶるかの様に
遊ばれている。
望洋とした瞳のローリーを連れ魔物の群れに突っ込む事を覚悟する。
死ぬかもしれないと言うより、傷が多くつけば何処かで確実に力尽きるだろう。
しかし、走っている中に映る景色は壊れた街と、血液。
急いでいることもあって観察などはしていないが量が量だ。殺戮が行われたのは間違いがない。
ぴちゃり
水音を立てて通路を進む。
「うっ」
足場が悪くなっていく。生柔らかいものを踏み、ローリーは、もつれるようになる。
魔王を蒔くために何度目かの路地を抜けて、通りだ。
そして外周部へ向かおうとしたのであろう者たちが苦悶の顔を浮かべて屍を晒している。
人も魔物も、塵の山のように転がっている。
臭いが酷い。死臭だ。
山となった死体は踏めばなんとか越えられる。
だが、息の浅いローリーには越えられないかもしれない。
「まだ。来てない」
腹を括りローリーを肩に担ぎ今一度覚悟する。
「じ、自分で大丈夫です」
足をかける。やはり、何らかの魔物の甲殻や骨は滑りやすい。そして腐った肉は崩れやすい。
…思ったよりも厳しい。
「ローリー」
「先に行って」
「え?」
疑問をまたず、腕を振り上げて向こう側へと投げる。
「し、死ぬ気ですか?一人にするなんて、このっ野蛮じーーー…!」
絶句する声。
いいや、モリビトもまた絶句している。その肉の山を玉座のように座り、何かの肉を酒のつまみにでもするかのように食っている獅子の頭を魔王
テラリとした肉食獣の舌が覗く。
尊厳もなく無造作に肉片を捨てた。最低な気分にさせる頭蓋骨だ。
足元まで転がってきたソレはこちら見ている。
生々しく生物的な悍ましさに、次はーーーだと告げている。
「もしや、何かできると思っていたのかね」
魔王はその手で器用にローリーを掴む。
「お前たちがまごまごしている間に私は100周はしてきたぞ」
その言葉にハッと気付く。ここは初めてこの魔王と出会った通りだ。
「記念だとも、私がこの地に現れることができた事へのな。案ずるな見ての通りケーキの苺より肉が好きだ」
獅子の頭で嘲笑うと、肉の山を滑り降りてくる。
「さて、記念の贄は処女としよう。故に、お前からだ」
ああ、そうだ。
まだ試していなかった。
水の精霊が言っていた。何度だって言っていた。
あそこに居たどの精霊もがいい顔はしなかったが、お前の血は呪いなのだと。
お前の血は魔王を殺せると
その血の義務であり、この国の権利であると
「ほう、もしや何かできると思っているのか?」
獣の残酷な顔が笑う。
「走れっ」
遠くで脱然としているローリーを睨みつけ大声を出して走らせる。
「どうした。まだ希望を持っているのかね?いかんなソレは」
笑う魔王の前で剣を振るう。
自らの腕にだ。
ぷつりと、血の玉が浮かぶ
まるで毒ガスの様に黒く悪夢の様な霧になって霧散しようとする。
そのままの勢いで振るう。
「ほう、実際に何かできるとはな。当たればだが」
つままれた。
人差し指と親指。
自らの体は吊るされていた。
いつの間にか真横に立っていた魔王により武器はまるで子供のおもちゃゃの様に取り上げられていたのだ。
「なるほどな。楽になるのが遅いと思ったぞ。貴様、魔王を殺すために生まれたな?実に無意味だが」
魔王は初めて脚を上げ、押し蹴りを打ち込んだ。
「よって念入りに行う」
爆風の様に内臓がひっくり返る。
溢れかえる胃液とグロテスクな内容物が自分が消化する過程を無意味に教えてくれる。
「お、おうぇええ」
「では、好きな武器を使うがいい」
その魔王は悠々と立ち、見下ろしていた。
何がだ。
内心で苛立ちを懐に握りしめると、冷たい感触を感じる。
壁にぶつかった時に落ちたのだろうか金属製の柄が、何かしらの詰め所の武器が手に触れた。
どうやらどこかの兵士詰め所の様なところらしい。
いいや、空いた壁からは高くつまれた死体の山が見える。ほど近い。
「待っているぞ。全ての武器を用いいるがいい。くだらぬ力を使うがいい」
魔王は死骸の肉の山を抉り出し腰掛ける。
「その全てを我は否定する。お前たちの行いと全ての努力、発展が無駄であるとしれ。人は、その全てにおいて我に及ばぬ」
まずいか?
槍を握ると、血液を直接塗りつける。
血液による力は空気中に触れると直ぐに効果がなくなる。塗った後も直ぐに消えていくが
だが、染みるまでが遅い。
「まずは槍だな?」
魔王はすでに目の前に立っている。
無造作に払い除けられ槍が甲高い音を立てて何処かへ消えていく。
「欠陥だな」
魔王は笑う。
転がり逃れて、次の武器を拾う。手斧か。
普通に当てても意味がない。
だが、奴の言う通りこうがあるならばーーー
急激に身を屈める。
奴の爪が頭上をよぎる。
やはり、隙がないか。
移動をしなッ
「1秒未満、遅かったな?」
手斧が何処かへ滑っていく。
次は、曲刀?
獅子の顔が笑う。筋肉が怒張し、次の攻撃を告げていた。
突進だ。
二度目は避けられた。
感覚のなくなってきた腕を滑らせ、斬りつける。
当たった!
いいや、外れていた
「哀れだな小僧、何せ1mmずれていれば当たったと言うのに」
明らかに余裕のある魔王は嘲り、無造作に蹴った。
振り切った姿勢からはかわすことすらままならず、激しく転がりのたうつ。
先ほどまでの曲刀にはモクモクと薄い煙の様な跡を残すのが見える。
転がっている曲刀に飛び付いた。
まだ、血の力が残っているのだ。
「諦めよ」
魔王は嘲り踏み割った。
割れた刀身がモリビトの前で転がる。
「ぐっ」
滑る様に剣先の破片を持ち、切り掛かった。
魔王は避けずに腕を掴んだ。
肉食性の強い顔を真正面に片手で吊るされている。
まずい。まずい。
「見るがいい。諦めた様だぞ」
魔王は指差す。
外だ。
「アレは…」
肉塊が死体が動いている。逃げる様に?
「無意味な奴らだ。何もできずに、何も成せずに、ただ恐れている」
魔王はせせら笑いを浮かべる。
「あまりにも怖くて死んだ後も逃げているのだよ。貴様等はこう呼ぶのだったな」
ソレらは生きていない。
肉はより合わさり、かつての姿を忘れ腕の様に変わっていく。
彼らに関節も個体の自我もない。
ただ、筋肉も作用として動く。
ーーーお、おおおおおおおおお
「魔物だ。アレがな」
無理だ。不可能だ。安定性がないって、恐怖してるから無力からは逃げていく。
だが、同時に助けてくれと生者に願い。そして、お前もまた無力だ。だから、俺様に従えと脚を引っ張ろうとする。
無力の魔王に喰われた生命のなれはて
そこにはこの国を守っていた警備司令も、先に戦ったガマも、蜘蛛の魔物ですら意思を持たない。
「びっくりしたぞ。中々、魔物が生まれなかった。この国も間抜けは信仰を願っていたのだろう。だが、ここで終い。貴様の無様さに嘆き倒れ伏したのだ」
…なんだ。
誰だ?
「しかし、やった甲斐があったと言うものだ。まさしく無様!」
今まさに蠢き出した肉の山にソレは立っていた。
立っていたのは死者だ。
獅子の魔王が現れて確実に死んだ女。
ニンゲン二人の丸い目を受け、漸く、であるものの僅かな時間で気付いた魔王の上に落下する。
短剣を手に頭蓋に突き立てようと
あの、今まで一切の傷がつけられていないあの頭部に
生きている理由はわからないが、それでも顔見知り以上の知り合いだ。
無駄死になど見過ごせない。
しかし
やめておけ、そうは言えなかった。
魔王が攻撃姿勢を取ったのだ。
思わず、武器で身体を庇う。
そのまま振り返り爪牙を振るう。
「な、ぬ」
獅子の頭のまま驚愕の声が漏れ出。
風船が弾けるように、それでいて湿った物が悍ましく潰れる。
あの娘の肉体が分断された。
それでも、怯んだのは魔王の方だった。
上半身だけで転がり落ちながらも少女は手を伸ばす。
そのまま、手に持った獅子の彫刻を持つ短剣を眼球に突き込んだ。
赤い血が溢れ、黒いもやとなる。
そして確かに、眼球一つすら刃物を受け付けなかった肉体は繊細な水晶体を欠損した。
「うぐああああぁぁぁぁっぁあ」
眼球を抑え苦痛の声を上げた。
ーーーーーー
強烈な振り落としにより当然のように傷が増える。
戻るまでジッとしながら見上げる。完全に死にきらなければ楽なものだ。
指の間から覗くのは血みどろになった眼球。
その咆哮には苦痛、の他に驚愕が含まれていたのかもしれない。
魔王の身体は今まで一切傷ついていないのだから
覆われた指の隙間から充血した赤い目が覗く。
「貴様…不死身だったか」
この身体に宿る精霊の奇跡を不死身と呼ぶならば、不死身となったのは、ごく幼い時だ。
故に知らないというのは
「なるほど、双子ってわけじゃないわけだ」
立ち上がりながら皮肉を吐く。思ったより困らない。
撃破も可能性に加わる。
「気に入らんな」
立ち直った獅子の片目が不愉快そうに見下す。
「お前は何か勘違いしている。何をしようと或いは何ができようと多少奇っ怪であっても所詮は人間。我を超えはせん」
「つまり、お前の力は人類より強いってだけのものか」
「無力なだけの小娘が、よく無駄口を叩く」
立ち上がり短剣を一本構える。
そうだ。私は使い方を知っている。
「なるほど、確かに私に力はない。暴力も権力も金銭も、でもそれは無力を意味しない。ナイフ一本あれば繊細な目玉に傷を負わせることなんて容易い」
魔王は目を細める。私もまた目を細める。無力、こいつは私をそう言った。
ああ、そうだ。私は確かに無力感を抱えている。
救いを願ったものの自身が主導したわけではなく方法も分からない。故に何もできない。
ある日、朝起きて、朝食を食べて、歯を磨いて
行ってきますと玄関を開けたら、見知らぬ誰かから言われるのだ。
お前が人類史を破壊し尽くした。
少なくとも私は理解できなかたし意味がわからなかった。
そして、棲家を追われる事になる。ただの子供が生き残れるはずもなく。
その精神には無力を抱える事になる。
なるほど無力だ。これがあの魔王の正体。
人が裏側に抱える何かしらの悪感情それが何らかの形で表側へ現れ、そしてそれが力を持ったもの。
堕落を否定したものの前に欲に誘う者が現れるように
為したものの前に現れる威圧者
「ハッ、どんな悪魔に魂を売った?」
「お前より化け物だったかな」
「なるほどな。では手始めに貴様を殺す」
魔王は踏み出した。
人はチーターの速さでも目で追える。
いかにも故に速いだけでは決定打にならない。が、速い。
加速も最高速も故に私は、対応できなかった。
腹に何かが突き刺さる。
内臓を引き裂きながらも引っ張り込まれ、強制的に退避させられる。
肉の戻りを感じる。
「邪魔するか?英雄になれはしない。早々に諦める事だな」
引き離された事で余裕が戻ったのか向きなおり魔王はせせら嗤う。
「死なないから無事だね?。なら悪いけど、アレについて教えてほしいかな」
「そうだね。撒けるならね」
いいね。
モリビトは笑う。
腹に刺さった槍をどこか楽しそうに引き抜く。血が飛び散る。
痛っ
痛覚がないわけじゃないんだけど
ピシャリ
散らされた血液に魔王が怯んだ。
“私”を警戒している。
それも反応しきれてない。慣れないことのように
私がアレの首を刎ねれば死ぬのか。
短剣もそう、ただの血液もそう。
武器でも肉体でもアレに土をつける事ができる。
遺憾ながら、アレは人なら文明でもなんでも遮断し凌駕するのだろう。
しかして、人の外には特に効力を持たない。
「なら、『これ』もどうだ」
血に怯んだのを確認したのだろうか
モリビトはそこらにあったであろう尖った廃材で自らの腕を刺す。
皮膚が弾け黒い煙のように血液を吹き出す。
なんだ?
いいや、見た事がある。
血の染みたソレを投げつけると
「ぬ、う」
確かにその魔王の腕を貫通した。
魔王が一歩下がる。
確かに、怯んだのだ。
慣れていない。それよりも
このままいけるかも?
短剣に飛び込んで更に斬り込む。
しかし、魔王は大きく下がった。
「うっっとうしい!」
魔王は腕を“溜める”
位置関係は腕の間合いから遥か遠く。
仮に振り回したとしてもぶつけれるわけがない。
だが、反射的に伏せる。
物凄く嫌な感じだった。
その両腕を振り回し出す。
石の壁、肉の山が削げる。
暴力的な腕力が弾き飛ばしたのだ。
いいや、それだけじゃない。
手が届く範囲だけじゃない。
腕の外まで広がっている。
一振りしただけでドッと音を立てて、建物を倒壊する。
見ていないのが幸いしているのだ。
打点が高く偶々当たらない。
「こっちだ」
モリビトに手を引っ張られて逃げ出す。
倒壊した路地だ。
攻撃の余波を受け、揺れては細かくなる中を走り抜ける。
ローリーはどこにも見当たらない。無事だといいのだけれど
「それで、アレにどうやって攻撃を入れたんだ?」
「短剣で刺しただけだよ」
思考を割いて結論を問う声に反射的に答える。
確証がないから、見たまましか答えにはならないのだ。
恐らく人の領分を出れば…
「君は知らないかもしれないけど、あの魔王にはどうにも真っ当な武器は通用しない」
「それはわかってるけど」
あくまで、恐らくと前置きをする。
「多分、肉体の素材が似通ってるからじゃないかな」
モリビトは言い様に顔を顰めた。
「素材?人体に使う言葉じゃないけど」
「私も人間のつもりだよ。あの無力の魔王は私から発生した。生物が進化の過程で取得した知性は肉体の行動をを制御する。自殺はその究極なわけでどれだけ強くても生存本能を上回ればできないわけじゃない。平たく言ってしまうと、きっと私自身と同じ肉体を持っているから攻撃が通じた」
動物には自殺という異常行動がある。
ドルフィンハウスのピーターは最後には狭い水槽に閉じ込められたイルカが呼吸しなくなったと、イルカの噴気孔は自ら制御している。それゆえに自殺と言われた。が、反論として存在するのが社会性の刺激の喪失による鬱病、鎮痛剤による活動の低下などだ。
三つの絶望、うつ病による衰弱、筋肉の弛緩。いずれにしても生存本能を死ぬ要因が上回った事による死であろう。
勿論、人間も自殺する。
将来への希望の喪失、精神的な負担からこの先の生存の保持に意味を見出せない、社会活動による自己の磨耗。
拘禁状態によるストレスは自然界において自殺行為を行わない動物に過大な負荷をかけることで鬱となる。
人もまた、ストレス社会は容易に拘禁状態を作りだし生存本能を捩じ伏せる。
時間的拘束や社会的拘束により自由を剥奪し思考を奪う。
その優れた知性で人間は自らの拘禁を悟るのだろう。
ではここで、人間が舌を噛み切るのを邪魔できるかと言う話だ。
当然だが否だ。それだけの負荷がかかっている以上は物理的に止めても負荷で壊れる事は必然的といえよう。
無力の魔王の防御を上回り殺せるのは起点となった人間の力であり、取り敢えずはその一つなのではないだろうか
しかし、生物は生存を主として生きている。
「でも、自傷くらいならともかく“自殺”に対抗する生存本能を超えるのは難しい」
当然だ。
生存本能を上回り自害するというのは自己の制御。
「だから、私としては貴方のやった攻撃の方が気になる」
モリビトの目が私を見据える。
そう二つ目だ。
口を開こうとしたのか空気を吸う音がする。
瓦礫を崩して起き上がる者がいた。
人ではない。
様々な生き物の混じった巨大な腕のようなーーー魔物だ。
モリビトは目で捉えると、槍を振るい。“自らの”腕に走らせる。
ぷくりと血が溢れて、煙のように散る。
「時間がなくてね」
隣を通り過ぎた二人を追跡する魔物を足を止めずに当然のように両断して見せた。
「大軍がいても倒せそうだね」
「いいや、自傷なんてやってたら先に死んじゃうよ」
モリビトは真顔で答える。
「それで、貴方のそれはなぜ簡単に魔物を倒せてる?」
「僕は、魔王を殺せるとだけ聞いている」
魔王は人間などの裏側に発生する感情に由来するものだ。
悪感情は好感情で封じ込められる事があれば、疲労もまた怨恨に飲まれる事もある。
故に、二つ目の無力の魔王の防御の破り方は
「その力、魔王と同じものね」
「魔王ではないよ。僕の血肉はかつて捨てられた悪意を出産前の母体に詰め込んで造られている。でも、あくまで人工的に魔王に近い肉体を造ってるのであって魔王そのものじゃない」
「人間ではないって事か」
「いいや、人間のつもりだよ。だから、使命にも従っているし今の世を否定してない」
「常識外のものは化け物だろ。僕は内側にいる」
そもそも、とモリビトは続けた。
「君の復活も十分人外っぽいけどね」
「少なくとも基本性能は人間。例外なのは精霊の方だよ」
「なら、僕もおかしいのは考えた輩だね」
魔王由来の素材で、防御能力を削れる事だ。
再びモリビトは問いかける。
「それで、どうやって仕掛ける?」




