暴力令嬢が叩くのは貴方だけ
誤字報告本当にありがとうございます!
男爵家が、どこぞの娼婦との間に出来た娘を養子として迎え入れた。そんな噂を聞いた時、なぜそんな醜聞にしかならない事をするのかしら? と、他人事のように考えていました。その娘が、私達に関わって来るとも知らずに……。
「リチャード様ー。今日はクッキーを作ってみました! 良かったら召し上がってください!」
「ん? おぉ! ありがとう。さっそく――」
パチッ!!
私はリチャード殿下の手ごと、そのクッキーとやらをひっぱたいた。
「痛っ! れ、レイチェル。痛――」
「リチャード殿下。王族たるもの、毒見もされていない物を食べてはいけません。ましてや、卑賎な者が作った物などもってのほかです」
「そんな! 私、そんなんじゃ……それに、リチャード様のお手を叩くなんて……レイチェル様、酷いです!!」
卑賎な者が何かわめいているが、私の知った事ではありません。そもそも私は彼女に、名前を呼ぶ権利を与えていないのですから。
(これがあの男爵家の養子……相手にする価値はないわね)
「はぁ……そんなにクッキーが食べたいのなら私が準備致しますのでサロンに行きましょう。ほら、行きますよ」
サロンを使用できるのは、それなりの寄付金を納めている者のみ。男爵令嬢であるマリアさんがついてくれることは出来ません。(招待されれば別ですが)
「え、いや、別にクッキーが食べたい訳では――」
「……何か?」
何か言いかけたリチャード殿下に、私はにっこりとほほ笑みました。
「っ! い、いや! 何でもない! よし! サロンに行こう!」
「分かればいいのです。ほら、ちゃんとエスコートしてください」
「あ、ああ!」
ぎこちないながらも、リチャード殿下は私に手を差し伸べてくれます。
「ちょ! え、待って! 本当に行っちゃうの? 待って! 待ってよ!」
マリアさんが何かわめいていたが、私達はそれを気にすることなく、サロンへと向かいました。その後、私が準備した(侍女に言って専属の職人に作らせた)チョコクッキーはとても美味しかったです。
それからというもの、マリアさんは事あるごとに、私達に絡んできました。
「リチャード様ー。今日は刺繍をしたんです! ぜひ受け取ってください!」
「おぉ! ありがとう! どれどれ――」
パチッ!!
「痛っ!」
「リチャード殿下。王族たるもの、得体の知れない相手から直接プレゼントをもらってはいけません。ましてや卑賎な者からなどもってのほかです」
「ひ、ひどい……私はそんなんじゃ……」
「刺繍が欲しいのでしたら、私が用意いたします。ほら、行きますよ」
「あ、あぁ……」
「え、ちょっと! 私この刺繍刺すのに、3日も頑張ったのよ! 待って! 待ってよ!」
また、ある時は。
「リチャード様ー。私、リチャード殿下にどうしても知って頂きたい事があって、お手紙を書いたんです! ぜひ受け取ってください!」
「ん? あぁ、分かった。受け取――」
パチッ!!
「痛っ!」
「リチャード殿下。王族たるもの、正規のルートを通っていない陳情書を受け取ってはいけません。ましてや卑賎な者からなどもってのほかです」
「ひ、ひどい……私はそんなんじゃ……というか、陳情書って!」
「そんなもの貰わずとも、リチャード殿下が処理しなければならない陳情書は山ほどあります。ほら、行きますよ」
「あ、あぁ……」
「だから早いって! ねぇ待って! 待ってよ!」
と言った具合に、手を変え品を変え、マリアさんはリチャード殿下に近づこうとしてきます。ほぼ毎日のようにやってくるマリアさんに、ある種の感心の気持ちを持ち始めていた頃、ついに事件がおきました。
その日、用事があり教室を離れていた私が教室に戻ろうとすると、教室内から聞き覚えのある声が聞こえてきました。
「リチャード様! レイチェル様が……レイチェル様が!!」
「ん? レイチェルがどうした? って! どうしたその顔は!? 赤くなっているじゃないか!?」
そっと教室をのぞいてみると、案の定、マリアさんが私達の教室でリチャード殿下に絡んでいました。
「うぅ……さっきレイチェル様に……生意気だって……叩かれて……」
「な、なんだと!?!?」
マリアさんの告発に、リチャード殿下は驚きを隠せないようです。
(王族たるもの、いかなる時も冷静でいなければなりません。後で一発ですね。それにしても…………)
卑賎な者だと思っていましたが、なかなかどうして。赤くなっている頬に手を添え、痛みをこらえているように見せつつ、それでもターゲットが気付くように上手く隙間を残すという芸当は、見事というほかありませんでした。
「リチャード様ぁ。わたし、わたしぃ…………」
「おのれ、レイチェル!!」
リチャード殿下にすがるマリアさん。怒りに燃えるリチャード殿下。それを怪訝な目で見つめる大半のクラスメイトと、残念な者を見る目で見つめるごく一部のクラスメイト。マリアさんに憐みの目を向ける人がいない点は、さすが、上級貴族の皆さんと言ったところでしょうか。
(おっと。そろそろ収拾をつけないとまずそうね)
(リチャード殿下以外の)クラスメイト達が優秀であることを再確認しつつ、私は事態を収拾するために教室に足を踏み入れました。
「リチャード殿下。お話ししたいことがあるので――」
「きゃーー!!! こないで!!」
私がリチャード殿下を連れ出そうとすると、マリアさんは大声で叫び、リチャード殿下の背に隠れてしまいました。
「いやぁ! いやぁ! また叩かれる!!」
「レイチェル!! お前!!」
(あ、ヤバいかも……)
ある事を察し、私は慌てて場所を移動しようとしましたが、間に合いませんでした。
「リチャード殿下! まずはこちらに――!」
「お前! なぜ俺以外の人間を叩いた!!!」
「「「「「…………え?」」」」」
リチャード殿下の『なぜ、マリアさんを叩いた!』ではなく、『なぜ、俺以外の人間を叩いた!』という言葉。その言葉からは、人を殴った事への非難ではなく、自分以外を殴った事への嫉妬の感情があふれていました。
(あーあ。言っちゃった……)
私と、ごく一部のクラスメイトが頭を抱える中、マリアさんが、リチャード殿下に声をかけます。
「あ、あの、リチャード殿下? わたし、レイチェル様に叩かれて……」
困惑した様子で問いかけるマリアさんに対しリチャード殿下は、怒りをあらわしました。
「ふざけるな! レイチェルに叩かれていいのは俺だけだぞ! なんでお前が叩かれている!? そもそもお前は誰だ!?」
「え?」
「「「「…………え?」」」」
私を含めたクラスメイト全員が、リチャード殿下の言葉に衝撃をうけました。リチャード殿下に卑賎な者が付きまとっている事は、クラスメイト全員の共通認識だと思っていましたが、まさか本人が気づいていなかったとは……。
(そう言えば、リチャード殿下がマリアさんのお名前を呼んだ事って、一度もなかったような……)
今更の気付きに私は、自分の未熟さを実感しました。
「リチャード殿下。彼女はマリアさんと言って、男爵家が養子として引き取った元平民です」
「そうか。だが、それがどうした!? なぜ、レイチェルがこの者を叩いてやる必要がある!?」
「私は、マリアさんを叩いていませんよ。マリアさんの虚言です」
「なんだと!? …………そうか。ならいい。帰るぞ」
「「「「!?!?」」」」
そう言って、教室を後にするリチャード殿下。マリアさんと大半のクラスメイトは、訳が分からないと言った様子で、私を見てきます。
(まぁ、分からないわよね……あぁ、そうだ)
私は放心するマリアさんの耳元で囁きました。
「マリアさん。リチャード殿下が在籍されているこの学園には、至る所に影がいます。この意味、分かりますよね? 今回の件、うやむやに出来ると思われませんように」
「――!?」
殿下に虚偽の報告をし、公爵令嬢を貶めようとした。普通に考えれば、不敬罪で首と胴体がお別れする事になるでしょう。まぁ、私の知った事ではありませんが。
固まってしまったマリアさんを放置し、私は、リチャード殿下を追いかける事にしました。
学園の門に着くと、リチャード殿下が馬車の前で私を待っておられました。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」
「いや、いい。それより――」
「?」
リチャード殿下何かを言いたげにもじもじされています。
「……だけ……だからな?」
「はい?」
リチャード殿下のお声が小さく、よく聞き取れませんでした。ここで聞き返してしまった事を、私は後悔します。
「だから! 俺だけだからな! お前が叩いていいのは!」
「―――!?」
時刻は放課後。学園の門には、帰宅しようとする生徒がそれなりにいました。その生徒達が、何事かとこちらを見てきます。
(殿下……声が大きいです……)
今更言っても仕方ありません。これは後で一発と心に決めて、今はこの場から去る事を優先しました。
「リチャード殿下。その件も含めて後でお話ししましょう。まずは、ちゃんとエスコートしてください」
「――! あぁ! もちろん!」
私は、リチャード殿下に手を引かれ、馬車に乗り込むのでした。
さて、周囲が動揺するリチャード殿下の言動。その原因は、不本意ながら、私のせいという事になっております。曰く、リチャード殿下と私が婚約した時のあの事がきっかけだとか。
私がリチャード殿下と婚約したのは、もう10年も前の事になります。当時5歳だった私は、その年で宰相であったお父様と政治の話が出来るほど、頭のいい子だったそうです。
(まぁ、私はただ、大好きなお父様とお話ししたかっただけなんですけどね)
そんな私の噂が王家にも伝わり、同い年の第一王子、リチャード殿下と婚約を結んで欲しいと頼まれたのでした。王家からの頼まれごとは事実上の王命です。断れるはずもなく、しっかりと着飾って挑んだ顔合わせの場で、リチャード殿下は私を見るなり――
「こんな色気のない娘と婚約なんてしたくない!!」
――と、暴言を吐き捨てたのでした。
これに大慌てしたのが、陛下と王妃様。怒り心頭で今にも帰ろうとするお父様をなんと説得しようと必死になっています。
(まぁ、私が第二王子や他の上級貴族と婚約を結んだら、パワーバランスが崩れて国が割れますものね)
自分に対する暴言だからこそ、お父様より冷静でいられた私は、仲裁に乗り出す事にしました。
「お父様、落ち着いて下さい。この婚約が、国にとって必要な事は、お父様も理解されているはずです」
「っ! レイチェル。お前って娘は……だが――」
「――国王陛下。この婚約を結ぶにあたり、1つお約束頂きたい事がございます」
何とかこの婚約を成立させたい陛下は、私の言葉に飛びつきました。
「おお! 何じゃ? 申してみよ」
「私に『リチャード殿下を敬わなくてもいい』権利をください!」
「「「「…………は??」」」」
リチャード殿下をふくめたこの場の全員が、ポカンとした顔で私を見ます。
「『敬わなくてもいい』とは……どういう意味じゃ?」
陛下の質問に私はにっこりと笑って答えます。
「リチャード殿下は、いずれこの国を背負われるお方。しかし、失礼ながら、現状は色々と足りていない物があるご様子。このままでは将来大変な目にあってしまう可能性が高いです!」
「う、うむ……」
仮にお父様が同じことを指摘していたら、いくら事実とはいえ、陛下は不敬罪で罰を下していたでしょう。ですが、5歳の私にそのような事は言えなかったようです。
「そのような事にならぬよう、リチャード殿下を教育するのは、婚約者の責任かと存じます」
「……ほう」
陛下の目の色が変わりました。良い兆候です。私はここで一旦言葉を区切り、困った顔を浮かべました。
「ですが、リチャード殿下に色々お伝えするにあたり、敬った態度をとれない場合ございます。責任もってこれに対応するために、『敬わなくてもいい』権利を頂きたいのです!」
「レイチェル……それは――」
「よろしい! 許可しようではないか!」
多くの家庭教師が、リチャード殿下の教育に失敗していて、困っていたのでしょう。もしくは、私を5歳児と甘く見たのか、国王陛下は簡単に許可してくださいました。『お前がそんな重荷を背負う必要はない』と言いかけていたお父様も、国王陛下が許可を出してしまった以上、口を挟むことは出来ません。
「よし! そうと決まれば、さっそく契約するのじゃ」
陛下のお言葉により、速やかに婚約の契約書が作成されます。
「…………ええ。これで問題ありません」
私は、作成された契約書に、『リチャード殿下を敬わなくてもいい』権利が含まれている事を確認してから、署名を行いました。
「リチャード!!」
「…………ふんっ!」
陛下に促され、いやいやながらリチャード殿下も署名されます。
「これで契約成立ですね。リチャード殿下、これからよろしくお願いいたします」
「ちっ! 婚約したからっていい気になるなよ! お前みたいな色気のない女を、俺が好きになると――」
バッコーン!!!
再び暴言を吐き始めたリチャード殿下に、私は渾身の右ストレートをおみまいしました。
「「……は?」」
「「え!?」」
国王陛下と王妃様は何が起きたか理解できず、部屋にいた護衛の騎士さんも混乱されています。
「リチャード殿下。いくら婚約者とはいえ、初対面の女性にそのような言葉を使ってはなりません」
「……………………」
皆さんが混乱されている中、私はリチャード殿下にお声を掛けました。対するリチャード殿下は、放心されているようで、私の言葉に反応されません。
「……リチャード殿下? 聞いていますか? 無視は良くないですよ」
私は右手を引き絞りながら、再びリチャード殿下にお声がけしました。
「っ! 聞いている! 聞いているぞ!」
「そうですか。でしたらきちんと返事をしてくださいよろしいですね?」
「あ、ああ……って違う! そうじゃない! 貴様! 今、俺を殴ったな!?!?」
「ええ、殴りましたよ。それが何か?」
「っ!?」
リチャード殿下にとって、あまりに想定外の言葉だったようです。口をパクパクとされたまま、言葉を失ってしまいました。
「の、のう、レイチェル嬢や。流石に殴るのは不敬が過ぎるのじゃが……」
「ええ。ですが、私はリチャード殿下を敬わなくてもいい権利を持っておりますので、不敬でも問題ないですよね?」
リチャード殿下に代わり、陛下が声をかけてくださいますが、私の言葉に、陛下も言葉を失ってしまいました。
「では、そういう事で。今後ともよろしくお願いいたしますね。リチャード殿下?」
「――!!」
リチャード殿下は声を出されることはありませんでしたが、ぎりぎり顔を縦に振ってくださったので、今日の所はこれで良しとしましょう。
ちなみに、この日初めて人のお顔を殴った私は、『人の顔をグーで殴ると、とても手が痛くなる』という事を学び、それからは、平手打ちする事にいたしました。
それからというもの、私はリチャード殿下を何度も叩きながら、様々な事をお伝え致しました。その結果、リチャード殿下はまだまだ至らない点があるものの、以前のような横暴さはなりを潜め、『ちょっと抜けたところがある王子様』くらいには成長されました。
事情をご存じの方達からは感謝されましたが、一部事情を知らない方達から、私は、『暴力令嬢』と呼ばれるようになってしまいました。
(まぁ、各家の情報収集力を測る事が出来ましたので、よしとしましょう)
私としてはこれでめでたしめでたしとなるはずだったのですが……何をどう勘違いしたのか、リチャード殿下は私の平手打ちを喜ぶようになったのです。曰く『痛いのは嫌だ。でもレイチェルの平手には愛がある』だ、そうです。
はっきり言って、意味が分かりません。リチャード殿下に、そういう趣味があるわけではない事だけが、唯一の救いでしょうか。
普通の婚約でしたら、婚約破棄待ったなしなのですが、私達は王家と公爵家。その婚約はそう簡単に破棄できる物ではありません。王家側から要望があれば、破棄できるかもしれませんが、陛下はリチャード殿下の教育を私に押し付けられて満足している様子。望みは薄いでしょう。
まぁ、まだまだ色々足りないところはあるものの、一度(叩いて)教えた間違いを繰り返す事はほとんどないリチャード殿下を、好ましく思っていないわけではないので、最近は、諦めの気持ちもあるのですが…………。
そんなリチャード殿下が、産まれて来た我が子に、自分がされたように叩いて教育しようとして、私にグーで殴られるのは、そう遠くない未来のお話です。