小休止 / 始動―深夜の街角 / 女科学者の研究室―
更新遅くなってごめんなさい。少し長めです。
酒場を出ると、その時間帯故か人通りは少なく、探し人―白衣を纏った女―は簡単に見つかった。小走りで追いつくと幾分か華奢な肩が驚きに跳ねる。飛び上がるようにこちらに振り向くユーベルだったが、己の肩を叩いたのがヤスターだとわかるとその表情を安堵に緩める。
「何だ、ヤスター君か。驚かせないでくれ給えよ。」
確かに驚かせたのは悪かったかもしれないが言い方というものがあるだろう。自分から呼んでおいて招かれざる客が来訪したときのようなセリフを向けるのは失礼なことだと親から教わらなかったのだろうか?
「呼びつけておいて何だとはご挨拶だな。」
とは言うもののこの程度のことで険悪な雰囲気が立ち込めないほどには気の置けない関係だ。
「ところで、ユーベル。俺たち今どこに向かってるんだ?」
「僕の研究所さ。」
しばらく無言で仄明るい夜夜中の街を歩く。幸いにして沈黙が気まずさを喚ぶことはない間柄である。空になったエナジードリンクの缶や何が入っていたともしれぬビニール袋、その他諸々人間の生活感を具現化したような雑多な塵が横たわる通りを抜けると、街の外れに吹きさらしのまま放置されている背の低い廃墟に辿り着いた。コンクリートは罅割れ、表面を蔦が這い、嘗て其の内に人間の活動があったことをまるで感じさせない荒廃ぶりである。
「ここだ。」
ユーベルは其の尋常でなく朽ちた廃屋の前で足を止め、錆びた扉に手をかけた。ここが研究所?俄には信じ難い。こんなところで研究に勤しむくらいならいっそガンジス川にでも行ったほうがマシであろう。しかし来いと言われたからには行くしかあるまい。懐疑の念を押し殺しつつユーベルの後に続く。中に入ると―。
近未来的な機械や青白く発光する謎のモニターなど当然あろうはずもなく、外見に違わぬ何も無さ。ひょっとして自分は迂遠なドッキリ、所謂嫌がらせを受けているのではないだろうか、先程の言い草といいなにか自分の預かり知らないところでユーベルの機嫌を損ねたのではないだろうか。街路を歩いていたときの沈黙もやっぱり気不味いものだったような気がしてくる。あれこれと思考を巡らせるが、心当たりはない。となれば取れる手段は一つ。本人が目の前にいるのだから聞くしかない。
「なあ…ユーベル、もしかして俺お前になんかしたか?その…機嫌を損ねる様なことをしたなら謝るから教えてほしいんだが…」
当の本人はといえば何やらしゃがみこんで床を触っている。本当にこの女は何をしているのだろうかという疑問が頭をかすめると同時、床板が跳ね上がって下から銀色の光沢を持った棒―ちょうど消防士が出動時に使う滑り棒のように見える―が突き上がってきた。
「ん?ヤスター君、なにか言ったかい?見ての通り今僕は少し作業をしていたのでね。端的に言うと聞いていなかった。もう一度頼むよ。」
「あ、いや。すまん。なんでもない。」
「そうかい?ならいいんだけど。」
その可能性に思い至らなかったヤスターが自分の迂闊さを自覚する。そうだ。別に研究室が地上でなければいけない道理はない。更にこの女の性格を考えればもう確定と言っていい。つまり。研究室は地下にあったのだ。
「それじゃあ、ヤスター君。この下に僕の研究室があるから、この棒にしがみついて下に滑り降りてくれたまえ。僕は先に行って待っているよ―。」
言い終えるか終えないかほどでドップラー効果を残しながら地下へと消えていくユーベル。少し待って欲しい。ドップラー効果が起きているということは…どれほどの速さで落ちているのだろう?急速に不安が鎌首をもたげるが、ここまで来て降りないという選択肢はあるまい。手足にこれでもかと力を加え、瞼を固く閉じてしばし浮遊感に身を任せる。
そう長くない時間の後に地(地下なのに地とはこれ如何に)に足がつき慣性力を感じなくなったので目を開けると、思わず息を呑み、興奮せずにはいられない浪漫溢れる光景が広がっていた。
まず目を引くのは大きなモニター。SF味溢れる薄青い蛍光色の光で地球やリボルバーのシルエット、何らかの文章が描かれており、更にはスクリームマスクのようなものも大きく映し出されている。モニターの下にはコンソールがしっかりと存在し、これまた薄青く発光するキーボードである。キーボードからは何本かコードが伸び、天井からはメカニカルなマニピュレーターが垂れ下がっている。マニピュレーターの直下の床にはそこが作業場であることを激しく主張するイエローのテープによる区画分けが為されている。総じて激しくサイエンスをフィクションする光景であると言える。
「ようこそヤスター君、僕の研究所、LAB=01へ。君を歓迎するよ。
コーヒーでも飲むかい?長いことその辺に転がってたやつだから味は保証できないがね。」
そう言って本当に床に転がっていたコーヒーの袋を手に取るユーベルに対して苦笑を滲ませながら答える。
「なんつーもん飲ませようとしてんだよ、飲むわけねーだろ。」
さて。正直研究室の内装を見ていたい気持ちで一杯だが、話したいことがあると言われている手前それは聞かなければまずいだろう。渋々ユーベルの話を聞くこととする。
「それで?話ってなんなんだよ。」
するとユーベルは厭味ったらしく顎の下で手を組んで見せ、深刻ぶった声音で言った。
「ああ。君は、地底人って信じるかい?」
「地底人ンン?よく映画とかで地表の人間に侵略戦争仕掛けてくるアレか?」
「ああ。概ねその通りの存在だと思ってくれて構わない。地底人は実在するんだ。」
何を話すかと思えば言うに事欠いて地底人?しかし、酒場の化け物は明らかに人間ではなかった。地底人と考えれば少なくとも人間ではないわけだしひとまずのところは辻褄が合うような気がする。何よりこちら側には何ら知識はないので、とりあえず話を聞く他ない。
「それで?」
「随分とあっさり信じるんだね。」
流石にこのような与太話にも聞こえる話がすんなり信じられることはないと思っていたのか、無理もないことだが虚を突かれたように戸惑いを孕んだ声音である。
「そりゃまあ実物見てるからな。」
ヤスターの言を受け、硬い声でユーベルが続ける。
「僕は十数年前から奴らの存在を予見し、侵攻に備えてきた。
僕が君に声をかけたときのことを覚えているかい?」
そう。どこまで行っても所詮ただの無職に過ぎないヤスターがヒーロー活動をここまで続けてこれた理由がそれだ。まだ粗末な銃と拙い動きで悪漢退治に精を出していた頃、偶々助けたのがユーベルで、出会いと同時に協力を持ちかけられた。もとより失うものは何もない身、騙されていたところで構わないとその申し出を受け入れたが、それが大正解であったと充分に手入れされた高性能な二丁拳銃で夜の街を人助けに駆けるシルヴァレット自身が証明している。以前からその申し出の理由を考えたことがないわけではなかったが、とりあえずは当面協力が得られそうだから別にいいかと保留にしていたのだ。
「俺の活動を支援したいってやつか?覚えてるぜ。」
「君に声をかけたのも地底人に備えるためだったんだ。」
話の流れからなんとなく予想できる答えではあったが、こうも一気に捲し立てられてはいまいち事実の整理が追いつかない。そもそも地底人とは何なのか、いかなる理由で人間を害そうとしているのか。地底人に備えるためにヤスターに声をかけたとはどういうことなのか。詳細な説明が望まれる。
「何のことやらさっぱり話が見えてこねぇんだが…?」
「ああ、すまない。最初から説明する。
君がさっき戦った地底人、奴らがなぜ人間を襲うか、というと、
どうも奴らが人類を滅ぼそうとしているからのようなんだ。
これは僕が昔偶然手に入れた地底人のサンプルからわかったことでね。
さらにそのサンプルを元に研究したところ、奴らはどうやら地球と繋がっているらしい事がわかった。」
日常では中々お目にかからない表現だ。地球と繋がっているとはどういうことなのか。
「地球と繋がってる?」
「地球の意思―そんな物があればの話だがね―を受けて活動する尖兵とでも言うべきものだというわけだよ。そして、奴らは地球からのバックアップを受けて現実をある程度改変する結界のような力場を展開 する能力を持っている。つまり、地球の力で現実を好きなように変え放題というわけさ。
例えば当たるはずの銃弾を当たっていないことにしたり、とかね。
僕は地底人のこの能力を《改変》と名付けた。厄介な能力だよ、本当に。
ま、奴らも一般の人々に正体を知られたくはないんだろうね、
今まで奴らと接触した人々は例外なく奴らの記憶を持っていない。
その御蔭で今まで奴らの存在が明るみに出ず、僕も人知れず暗躍できる、と考えれば悪いことばかりではないのかもね。」
長々として説明が一息に続いたが、簡潔にまとめるならば人類を滅ぼさんとする地球の意思に従って行動する使徒たる存在が地底人で、目的のために地球からサポートを受けて限度はあれど好き勝手に現実を改変している、ということか。
「じゃあ、弾丸がすり抜けたのは…」
「地底人の《改変》のせい、ということになるね。」
「道理で…」
「そして、僕は地底人の《改変》に抗う兵装を開発した。
だが地底人はその名の通り地底に潜伏しているからね、大規模兵器は使えない。街を破壊してしまう。
だから個人単位で地底人と戦う存在が必要だったんだ。そこで君さ。君の存在は渡りに船だった。」
ようやく話が繋がった。点が線になった気分だ。靄が晴れたような喜びを感じる。
「なるほど、俺にその兵装を使って地底人共と戦えというわけだな。」
「そういうことさ。どうだい、頼めるかな?」
ここまで話しておいて律儀にも承諾を取るらしい。何より今までシルヴァレットとしての活動を助けてくれたのは他ならぬユーベルなのだし、シルヴァレットとして正義を執行することが空虚だったヤスターの人生においてどれほどの価値を持ったか、どれほどの救いになったかを考えればユーベルが協力を請うこの問いへの答えなど刹那の懊悩さえも莫迦らしい。
「おいおい、わかりきってることを聞くなよ、傷つくぜ。」
その言葉とともにユーベルに手を差し出す。この二人の仲であればそれだけで返事には事足りる。どこか肩の力が抜けたように、しかし最初からこの結末を予見していたかのように、ユーベルは現在シルヴァレットが使用している目元を覆う黒いマスクに酷似したデバイスを手渡す。
「よろしく頼むよ、ヤスターくん。ちなみに指揮は僕が取らせてもらうからね、これからもよろしく。」
「おう…んだこれ、俺がいっつも使ってるマスクじゃねぇか。」
「なに、長きに渡り君を観察してきた成果というやつさ。君にアジャストさせてもらったよ。
ああ、それでその兵装の使い方だがね…」






