安息―場末の酒場―
ペースが遅くてごめんなさい。2話目です。
助けられた元被害者が無事家にたどり着き、破邪の銀弾の煌めきに思いを馳せていた頃―。
街角、哄笑と怒号が飛び交う猥雑な空間。
ここは場末の酒場。入口の扉を開けた先ではどこかで聞いたことがあるようなジャズが流れ、これまた酒場としては月並みなラウンドカウンターの向こうでぎっしりと並べられたキープボトルを背にマスターがワンオペで酒類の提供を行っている。
カウンターの少し後ろに規則性無く置かれたスタイリッシュに黒光りする角ばった机には一台につき二つ、さながらダイナーのような椅子―申し訳程度にクッションが付いており天辺がくるくると回転するアレ―が置かれ、スーツの男やゴシックロリータに身を包んだ少女、果てはサイボーグにしか見えない厳しい外見の男といった片手で数えられるほどの客がときに陽気に笑い合いながら、ときに同じ皿をつつきながらめいめいにグラスに口をつけている。
錆びた蝶番特有の耳障りな音を立てて扉を開け、歩くことすらも億劫だという様子で入ってきたのは目許を覆うマスクを外しマントを下ろしたことを除いて先程破邪の銀弾と名乗った人影と同じ格好をしている男。カウンターに近付きコリンググラスでモヒートを煽る白衣の女の隣に腰掛けると、
「マスター、ウィスキーのレッドブル割り一杯」
およそ健康に良さそうとは思えない注文をした。
マスターとは随分と打ち解けていると思しく、その口調はたいへん気安さの滲むものである。
「どうぞ。」
コトリとカウンターに置かれたロックグラスの中にはエナジードリンク由来の気泡がうずまき、アルコールの芳香も手伝ってハイボールなどよりもずっと上等な酒に見える。
グラスを男に差し出すと同時、マスターはこれみよがしに鼻を鳴らしてみせ、顔をしかめて言った。
「おや、硝煙の香りがしますね。ヤスターさん、いつも言っておりますがね。荒事のあとにうちに寄るのやめてもらえませんかね?匂いが染み付いたらどうするんですか。」
どうやら破邪の銀弾と名乗る男、名をヤスターというらしい。
何事か言い返そうという雰囲気のヤスターを尻目に、白衣の女が口を開いた。
「いやぁ、君も好きだねぇ、正義の味方ごっこ。いい加減働いたらどうだい?」
呆れたことにヤスターとやらは手に職ない状態で暴力的な人助けを行っているらしい。女の就職しろという指摘も真っ当に思える。その証拠に、自身が定職についていないという点に関しては何ら触れることなくヤスターが答える。
「ごっこじゃない、シルヴァレットは正義そのものなんだよ。…あとここでカフェインとアルコールを一杯ぐっと行くのが癒やしなんだ、匂いに関しては酒代払ってるんだから顔なじみのよしみってことで勘弁してくれよ。」
諦めと親愛が半々に入り混じった雰囲気で肩をすくめるマスター。一応言ってみただけで匂いに関しては勘弁することに決めている。
「ユーベル、また銃のメンテ頼めるか?」
ユーベルと呼ばれた白衣の女がヤスターから差し出された回転式拳銃を受け取ろうとした、まさにその時。
ここでは珍しくないことだが、乱暴に―アメコミならばちょうどSLAM!とでも形容されんばかりの勢いで―ドアが開いた。何に怯えているのか、異常に背広が似合う男が非常に震え上がった様子で中に入ってくる。
「た、助けてくれ!」
またもや何かの事件の被害者のお出ましである。この街は呪われているのだろうか。しかしどうか安心して頂きたい。この街にはそう、彼がいる。
「やれやれ、酒煽ってるときくらい勘弁してほしいもんだな。」
言葉とは裏腹に満更でもなさそうなヤスターの一言に、
「「そう思うならやめれば良いんじゃないのかい(ですか)?」」
ステレオでユーベルとマスターから言葉が返される。
このやり取りも幾度となく繰り返されていると思しく、3人は一呼吸おいて示し合わせたかのように同じタイミングで顔を見合わせ微笑む。
「いや。シルヴァレットは困ってるやつは見捨てない。
マスター、トイレ借りるぞ?」
「ご自由にどうぞ。」
何かを恐れて助けを求める背広の男を放置してトイレへと駆け出すヤスター。
数十秒の後。
そこには先程路地で悪漢を退治していた男の姿があった。
そう、賢明な読者諸兄はすでにお気づきのことと思うが、先程まで酒場で飲んだくれ、定職にもついていない一見してろくでなしに思えるこの男、ヤスターこそ仮面で目許を隠し、月光にマントを翻らせて両手に携えた回転式拳銃で悪を討つ、ちょっぴりダークな正義のヒーロー、シルヴァレットなのであった―!
(地の文からして隠す気ないだろという指摘は尤もだが野暮というものである。何を隠そう筆者はこのような読者への語りかけを一度行ってみたかったのだ。平にご容赦願いたい。)
「おいそこの男、何があった。私に話してみろ。」
マスターやユーベルと会話していたときと比べて明らかに"作っている"とわかる低い声音でヤスター、もといシルヴァレットが背広の男に話しかける。
「あ、ああ。化け物、化け物が!こ、こ、殺される!外に化け物がいるんだ、早く扉塞げ!入ってくる!ここにいる全員殺されちまう!」
背広の男の声音からは強い焦燥が伝わってくる。しかしここは酒場。そして普通に考えて化け物など現実世界に存在しようはずもなく、されば酔いどれの世迷い言と受け取られるのも無理からぬことである。
「化け物?貴様、まさか泥酔しているのではなかろうな?やれやれ。無辜の叫びに耳を傾けることはあっても、酔っぱらいの戯言に貸す耳はないのだが…」
ヤスt…シルヴァレットは肩透かしを食らったような呆れとともにそう口にする。たしかに彼が救済の対象とするのは邪悪の毒牙にかかろうとする善なる無辜であって、決して酩酊して妄言を口走る会社帰りの誇大妄想狂ではない。だがこのわずか数秒後、このシルヴァレットの判断が誤りであると非難するようにドアがまたもや乱暴に開く。
入ってきたのは―白い奇妙な仮面を被った、黒い全身タイツを着た人間とでも形容すべきナニカ。其れも2体である。人間味を感じさせない、否、寧ろ非人間味を感じさせるとでも言ったものか、ともかく奇妙に不安感を煽る様子でこちらに向かってくる。
テーブルで酒類を嗜んでいた人々は例外なくカウンターの方へと逃げ、背広の男に至っては尻餅をつきカウンターにもたれかかっている。シルヴァレットだけがナニカと真っ正面に対峙していた。