第一話
『美和子、紫色の帽子の年配の女性注意して。』
「了解。」
午前10時、先輩からトランシーバーを介して聞こえてくる声は今日も力強かった。
この時間帯であれば客も少ないし、紫帽子のおばあちゃんはすぐに見つかるだろう。
注意深く探す必要もなく、缶詰コーナーにしゃがみこんでいた。
この店のグリーンのかごを持ちながら、紫帽子の後ろを通る。
おばあちゃんのしわしわな手は、商品棚から取り出したサバ缶を、地面においたかごではなく、その体より一回り大きい服に隠した。
「紫帽子の女性、やりました。今、出口に向かっています。」
おばあちゃんの背中を目で追いながら、先輩が出口前に向かうのも確認。
出口に向かって歩いていく足取りは、このスーパーに来ている客と同じだ。
違うのは、商品を「買う」か「盗む」かだけである。
ああ、間違いだったと、戻ってきてくれないかなと思ってはみるけど、その願いが通じたことはこの10年間で一度もない。
気づいたら、おばあちゃんが先輩と話しているのが店のガラス越しに見えた。
10年も一緒にいる先輩だから何を話しているかはだいたい分かる。
他の客とは違う、はやい足取りで出口に向かって歩いていく。
出口の自動ドアのボタンを押したとき、先輩が決まり文句を言ったのが分かった。
『あなた、万引きしましたね。』
私より5年長く働いている白鳥楓先輩は、ついさっきまで強い口調で話していたが、仕事が終わると人が変わったかのようにのほほんとした優しい雰囲気になる。途中まで道が同じなので、仕事終わりはいつも先輩と帰っている。
『午前中に捕まえた紫帽子のおばあちゃんね、今日息子さんが来るみたいで子供の頃に食べさせていたサバ缶を夕食に出そうと思ったんだって。だけど、財布を忘れたことに気づいてつい万引きしちゃったんだって。今まで、一度もやったことがなかったけど財布を取りに家に戻るのがめんどくさかったって、そんな事考えもしないくら優しそうなおばあちゃんなのにね。』
「いや、でも万引き犯は犯罪者です。いくら優しくても、やってしまったらおしまいです。」
私は、思った通りのことを言った。これくらいの気持ちでないとこの仕事はやっていけないからだ。
『そうかあ、美和子ちゃんはしっかりしてるなあ。』
先輩らしい、予想通りの回答だ。先輩はいつも私のことをしっかりしていると言う。
先輩を今住んでいる部屋に案内したらしっかりしているなんてすぐに言われなくなるだろうけど。
そんなことを考えていると、予想外の質問をしてきた。
『美和子ちゃんは、子供欲しいなあとかないの?』
へっ、と間抜けな返事をしてしまった。先輩が結婚していたのは知っていたが、恋愛とか結婚とかそういう話を先輩としたことはなかったので驚いた。いやあ、実は・・・と答えようとしていると先輩が口をあけた。
『美和子ちゃん、実は私、子供ができました!!』
ぶへへっ、とさっきと比べ物にならないくらい気持ち悪い声が出てしまった。先輩はもうすぐ35歳の誕生日を迎える。子供ができたことにはなんら驚かない年齢だが、本当にそんな話をしたことがなかったし、そんな気配もなかったためさらに驚いてしまった。
「おめでとうございます。」
最低限の返事をすることができた。と、安心していたら先輩がさらに口をひらいた。
『それで、育児に集中したいから、この仕事辞めることにしたの。美和子ちゃんとは長い間一緒にやってきたからすんごく寂しいけど、これからは友達として仲良くしましょ。安心して、私のかわりに新人が入るみたいだから。万引きGメンとして、つらいこともあるだろうけど応援してるから。今まで、本当にありがとう。これからもよろしくね。』
ジャブ、ジャブ、ストレートをもろにくらった私は今にも倒れてしまいそうだったが、なんとか、
「よろしくお願いします。」
と言えた。子供できてたんかい、仕事辞めるんかい、さみしいよって、言いたいことはたくさんあったけどまあこれは先輩の歩む道なので何も言えない。これからは、万引きGメンとして入ってくる新人を先輩として育てる番だ。
先輩と別れたあと、自分ひとりの帰路についた。
「明日も頑張るか!」
少し涙が出た帰り道、万引きGメンとしての明日へと進む。
続く