7 最弱聖女、冒険者ギルドの町に到着す
朝日が街道を照らし始めると、行商人の荷車や馬車、旅人とすれ違うようになった。
陽光が温かく、草木の緑の香りが心地よい。小鳥の歌が時折聴こえ、殺伐としていたアリスの心を穏やかにする。
そのせいか、緊張が解けたアリスの腹の虫が鳴いた。
あまりにも大きな声であったため、ユーロンは目を丸くしていた。
「す、すまない……! 丹田に力を入れて耐える」
恥じらいながらも気合いで空腹を吹き飛ばそうとしたアリスであったが、ユーロンが何かを放った。
干し肉だった。
「これを、私に……?」
「悪いな。洒落たモンを持ってなくてよ」
「い、いや。それよりも、おま……いや、あなたの貴重な食糧だろう?」
「お近づきの印に、ってやつだ。どうせ、町でもっといいモンが買える」
「恩に着る」
アリスは干し肉を頬張る。
硬くてしょっぱい。乾燥しているので瑞々しさはない。
しかし、口の中に広がるのは紛れもなく、命の味だ。
「お?」
ユーロンが目を瞬かせる。
だが、アリスにはよく見えなかった。視界がぼやけていたのだ。
その代わりに、頬に生暖かい感触が伝った。
「あれ……?」
アリスは、泣いていた。
頬を濡らす涙が唇をなぞり、しょっぱさが一層増した。
「すまない、見苦しいところを見せた……」
アリスは急いで涙を拭う。
ユーロンはそんなアリスを気遣ってか、目を背けた。
「気にすんな。今まで気を張ってた分、反動が来たんだろ」
ユーロンのその言葉は、アリスの中で腑に落ちた。
緊張がようやく解れ、あらゆる感情が押し寄せてきたのだ。
初めて人を殺め、親しかった人たちとは別れることになった。
覚悟を決めていたこととは言え、身を裂かれるような気持ちだった。
蓋をして押し殺していた苦しみや悲しみが、一気に溢れ出してしまったのだ。
ユーロンはそれっきり、黙って見ないふりをしてくれていた。
だから、アリスは涙が流れるままに任せることにした。
自らの感情を噛み締めるように干し肉を咀嚼し、全てを呑み込む。
干し肉が口の中からなくなる頃には、アリスの涙は乾いていた。
「おお、良い食べっぷり」
いつの間にか、ユーロンが口角を吊り上げて笑いながらアリスのことを見ていた。
「馳走になった。有り難う」
アリスの瞳に、ようやく輝きが戻った。
「私のしたことが、何から何まで世話になりっ放しだな……」
他人に涙を見られたのは、何年ぶりだろうか。あまりの気恥ずかしさに、アリスは穴があったら入りたい心情になる。
「……この借りは、どうにかして返さねば」
「んなもん、世話したうちに入らねぇよ。まあ、お前さんみたいな人間に会えたのが、一番の収穫だ」
「私に会えたことが?」
訝しげなアリスに、ユーロンは笑って返す。
「俺は、強いやつを探してんだ」
ユーロンの金色の瞳が、妖しく光る。
魔的でいて吸い込まれそうなその輝きに、アリスは反射的に警戒した。
「強者を探して、何をする気だ?」
戦闘に長けたものを探す理由など、明確この上ない。
その先にあるのは、戦いだ。それが、善良な民の生活を脅かすモンスター退治ならばいいのだが。
「戦争――ではないだろうな」
「さてな」
ユーロンは不透明な笑みを浮かべる。
「ユーロン、あなたは何者なんだ?」
「さあ。旅人とでも答えておくか」
ユーロンは露骨にはぐらかす。
「……そんな派手な格好をした旅人がいるか。東方の装束だが、東方出身なのか?」
「どうだろうな。そういうことにしておくか?」
「あなたは……肝心なところではぐらかすんだな」
「それはおあいこだろう。お前さんも俺に即死魔法のことを教えちゃくれない」
ユーロンの言葉に、アリスは何も返せなかった。
その後は、無言だった。
アリスは目の前の男の真意を測りかねていたし、自分の身に起きたことを得体の知れない相手に話す気になれなかった。
それでも、アリスはユーロンに恩がある。それを何らかの形で返したいと、この義理堅い聖女は思案していた。
一方、ユーロンはそんなことを気にした様子もなく、アリスの苦悩など知らないと言わんばかりに、鼻歌まじりで街道を歩いていた。
しばらくすると、自分たちがいる小高い丘のふもとに町が見えた。
パクスの村よりもずっと大きく、色鮮やかな屋根が連なっている。石積みの外壁に守られ、多くの行商人が出入りしていた。
その町の名は、スタティオ。
街道が交わる場所にある、交易の町だ。
ちょっとした大きさの市場があり、あちらこちらに露店が窺える。客引きをしている宿も多く、遠路はるばるやって来たであろう商人たちが吸い寄せられるように入っていった。
「話に聞いていたが、立派な町だな。ここに冒険者ギルドが?」
「ああ。この町を拠点にして、各地から寄せられる依頼や未知の領域への冒険に行く連中は多いようだ」
ユーロンは、人通りが多い大通りの奥を指さした。
ひときわ立派で背の高い、赤い屋根の建物が目に入る。そこが、冒険者ギルドだ。
「それじゃ、あとは達者でやんな」
ユーロンは手をヒラヒラと振る。
「ん? ユーロンは行かないのか?」
「なんだ? 寂しがってくれるのか?」
「い、いや、そういうわけでは……」
ニヤニヤと笑うユーロンから、アリスは目をそらす。
「私に興味があるようだったから、てっきり、しばらくは一緒にいるものかと」
「調べ物があるんだよ。ま、そのうちまた、会うことになるさ」
ユーロンは意味深に微笑むと、今度こそ手を振ってその場から立ち去る。
彼の背中は人込みにあっという間に掻き消されてしまう。
見知らぬ土地の見知らぬ人々のど真ん中で、アリスはぽつんと取り残された。
「どうも、調子が狂うな」
村で育ち、村の教会で働いていた彼女は、常に馴染みの顔とともにいた。
街を行く人はたくさんいるのに、アリスは誰一人として知らないし、あちらもアリスを知らない。
胸に穴があいたような感覚だ。これが、孤独か。
「……とにかく、冒険者ギルドに行くか。路銀を稼がねば何も始められない。それに、こんな私の手でも必要としている者がいるかもしれないからな」
登録料が無料か後払いであることを祈りながら、アリスは冒険者ギルドへと向かった。
冒険者ギルドの建物は、間近で見ると風格があった。
二階建ての建物に尖塔の屋根を添え、自らの存在を誇示している。壁には真新しい漆喰が塗られているが、定期的に手入れをしているのだろう。
ギルドが活発で、資金が潤沢にある証拠だ。パクスは教会すら素朴であったため、アリスもまた圧倒されてしまう。
だが、気圧されていては始まらない。
これからアリスは、死神から与えられた奪う力で、奪われる者たちを救済しなくてはいけないのだから。
「たのもーっ!」
アリスは両開きの扉を開け放ってギルドに踏み込む。
真っ先に目に入ったのは、受付であった。
そして、依頼書を掲示するための掲示板。
その奥には、冒険者用の休憩所がある。休憩所には複数の冒険者パーティーがたむろしていた。どうやら、情報交換を行う社交場らしい。奥にはバーカウンターもあり、酒も提供しているようであった。
「いらっしゃいませ。冒険者ギルドにようこそ」
受付の向こうから、スタッフの若い女性がにこやかに声をかける。荒くれ者ばかりのギルドかと思っていたアリスは、面食らってしまった。
「ど、どうも……」
「当ギルドは初めてですよね。ご依頼でしたら二階の窓口で承っております。冒険者登録及び、依頼の受注と報告でしたら、当窓口で――」
「冒険者登録だ」
「かしこまりました」
スタッフは慣れた様子で手続きを始める。
「まず、最初に説明をさせて頂きます。冒険者とは、冒険者ギルドが斡旋する幅広い依頼をこなす、いわば、何でも屋です。薬草の採取や荷物の運搬や護衛など。それぞれに納期が設けられているので、お引き受けされた依頼は納期内に完了し、ギルドまで報告してください」
納期までに完了報告がなされなかった場合、違約金が発生して報酬から引かれることもあるという。一文無しのアリスは、そのことを深く胸に刻んだ。
「そして、冒険者という職業で皆さまが最も連想されるのは、討伐依頼です。主に魔物の討伐が依頼されるのですが、盗賊団などの反社会的な勢力の排除もあります」
スタッフはそう言って、依頼書のサンプルを見せてくれた。
「推奨レベルというのがあるんだな」
「ええ。レベルに関しましては後に説明しますが、この推奨レベルというのも、目撃者や関係者の報告から導き出した目安に過ぎません。常に余裕を持たせて見積もっているのですが、我々の想像をゆうに超える相手もいるので……」
「なるほど。そこまで正確ではないのか」
「冒険者登録をした方には、冒険者専用のタリスマンを支給させて頂きます。タリスマンで相手のレベルを測定することも可能ですが、解析に時間がかかるのと――」
「と?」
アリスが尋ね返すと、スタッフは言葉を詰まらせながら続けた。
「時には、妨害魔法を身にまとって解析できない相手と、計測不可能なほどにレベルが高い相手がいます。そういった相手に出会った時は……逃げてください」
「……ああ、そうしよう」
アリスは神妙に頷いた。
「特に、高い知能を持った魔物――魔族についてはわからないことが多いですから。彼らは、炎神サピエンティアが人類に文明をくださった時から我らを妬み、文明の炎を絶やそうと攻めてくると言われています。魔王が王都を襲う計画を画策し、軍を集めているという話ですし……」
「軍を集めている? その噂は、どこから?」
「あちらこちらで囁かれている話です。各地の魔物が活発化しているんですよ。領内では魔族の目撃情報が増えましたし、何かが、起ころうとしているのではないかと」
「ふむ……」
自分が出会った死神の出現と、何か関係があるのだろうか。
そして、仲間を募っているというユーロンのことも気になる。
彼には器の大きさと気遣いが見て取れたし、悪い人間ではないとアリスは思いたかった。
だが、あまりにも胡散臭すぎるし、本心が分からない。
そもそも、なぜ、強者を集めようとしているのか――。
アリスは不穏な予感を拭えなかった。
最弱聖女アリス、冒険者ギルドに到着!
次回、悪質冒険者を断罪!?
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