6 最弱聖女、自称旅人と道を交える
街道沿いを、人目を避けるようにアリスは往く。
即死魔法。
その威力を改めて思い出し、今更我が身を震わせる。
アリスが生み出した大鎌は、即死魔法の具現化だ。あの刃に斬られた者には、速やかに死が訪れる。
だが、あまりにも制御が難しく、反動が強かった。
アリスの頭は割れるように痛く、一歩歩くだけでも茨の冠で絞めつけられるような激痛を覚える。内臓がひっくり返りそうなほどの違和感が残り、既に、二、三度吐いていた。
「水か……」
川が流れる音が聞こえる。
東の空からは太陽――太陽系の中心の恒星とは異なるが、それに相当するものを比喩的にこう呼ぶ――の光が窺える。もうすぐ日の出だ。
最高神にして豊穣神のクレアティオは、太陽のことを指す。
クレアティオを信仰するアリスにとって、陽光は何よりも救いとなった。
日が昇れば、人通りが多くなる。
その前に、この返り血まみれの身体を洗わなくては。
人間の血と脂の、酷い臭いだ。狼に見つからなかったのが幸いだろう。
「狼ですら私に近づきたくないのかもな」
アリスは自嘲の笑みを零す。
忌まれるべき死の力。
それを背負ったアリスは、今や生き物から疎まれる存在だ。
朝焼けによってうっすらと明るくなった空の下で、アリスは流れが緩やかな小川を見つけた。
岩陰に隠れ、死が充満するその身を清める。
禊ぎによって血肉の穢れは祓われたものの、纏っていた衣の血染めは取れない。血は酸化して黒くなり、純白だった法衣は漆黒へと変わっていた。
「……この穢れた法衣こそ、今の私に相応しいのかもしれないな」
「手を汚したからって汚れたもんを着たままだと、お前さんの魂の純潔まで汚れちまうぜ?」
不意にした第三者の声。
アリスは驚き、清めたばかりの肢体を法衣で隠しながら、辺りを見回す。
「不埒者!」
「安心しな。成人したばかりのガキの身体に興味はねぇさ」
声とともに、アリスの頭に何かが放り投げられる。
服だ。
漆黒であったが、血で穢れた色よりもはるかに気高い、夜の闇のようだ。
「やるよ。お前さんの高潔な心身は清らかな衣をまとってこそ、より輝くってモンだ」
アリスが見上げると、岩の上に男が座っていた。
曙に照らされた金色の髪が、ひんやりとした風になびく。
日の出の逆光を浴びるその男は、東方の民族衣装である長衫にも似た服をまとい、暗がりだというのにラウンド型の色眼鏡をかけている。
胡散臭いことこの上ないが、アリスはこの男から得体の知れないものを感じ取っていた。
この男、強い。そして、隙が無い。
冒険者ではないアリスは、相手のレベルを知るタリスマンを持っていなかったが、アリスが今まで出会った人物の誰よりも強いと確信していた。
「着な」
男は、アリスに与えた衣服を顎で指したかと思うと、背中を見せる。
有無を言わさぬ横柄な態度。だが、紳士的ではある。
見知らぬ男から渡された服を着るのは気が進まなかったが、法衣はもう、使い物にならない状態だ。
アリスは渋々と男から渡された服を身にまとう。
それは、女性冒険者用のワンピースであった。
フリーサイズなのかピッタリとは言い難かったが、あちらこちらをベルトで調整して身体に合わせる。マントもついているし、旅をするのに最低限の防御力は期待できそうだ。
「終わったかい?」
気付いた時には、男は岩から降りて寄りかかっていた。
近くで見ると、凄みが増す。ピリピリした空気をアリスは肌で感じていた。
男は若く、すらりと背が高かった。色眼鏡越しでも、その容姿が妖艶なまでに優れていることがわかる。しかし、男の目つきは狼よりも鋭く、瞳は輝くような金色であった。
何者だ、とアリスは男を探りたくなる。
だが、それよりも先に言うべきことがあった。
「その……、服を提供してくれたことには感謝する。しかし、このように上等な衣服を渡されても、支払う金銭が……」
そのまま村から飛び出してきたアリスは、一文無しだった。
そんな彼女に対して、男は「ふはっ」と噴き出した。
「な、なぜ笑う!」
「悪い、悪い。真面目過ぎたからよ」
男はひとしきり声を押し殺して笑ったかと思うと、色眼鏡越しに金色の瞳をアリスへ向けた。
「俺は、話す相手からクソみてぇな盗賊団の血の臭いがしてるのが我慢ならねぇだけさ」
「!?」
盗賊団、と聞いたアリスは、とっさに構えた。
この男は、知っている。アリスが窮鼠団と相対したことを。
「貴様……!」
「ユーロン」
何者だ、と問う前に、男が答えた。
「そいつが俺の名前さ」
「なっ……、わ、私は……」
「アリスだろう? アリス・ロザリオ。死神の名を冠する者よ」
アリスはすっかり、ユーロンと名乗った男のペースに呑まれていた。
この男の目的は何か。
一体、どこからどこまで監視されていたのか。
「警戒しなさんな。お前さんを悪いようにはしない。ただ、聞きたいことがあるだけだ」
ユーロンはアリスの前に立ちはだかる。
地平線から顔を出した太陽を背に、金色の髪を気だるげにかき上げながら。
「あの盗賊どもをぶち殺したのは、即死魔法だろ? その力、どこで手に入れた」
「……お前には教えない――と言ったら?」
「そうだなァ……」
ユーロンが動く。
刹那、アリスもまた動いた。
右手から出現させたのは漆黒の大鎌。もはや、反射的な行動だった。
ユーロンからほとばしる殺気。それが、アリスを危機回避行動へと走らせたのだ。
殺さなくては、殺される。
アリスは大鎌をユーロンに目掛けて解き放つ。
電光石火。教会にこもっていたとは思えないほどの速さとセンス。
しかし、アリスの鎌はユーロンの右腕が防いだ。
ギィンと金属音のような音がする。
服の下に金属の籠手でも仕込んでいたのかという固い感触だ。
いや、それよりも――。
「即死魔法が、発動しない……?」
ユーロンは無傷であった。窮鼠団たちは、無事では済まなかったのに。
ユーロンが右腕を振るう。刃が押し返され、アリスの勢いが戻された。
たたらを踏むアリス。集中力が切れて消失する大鎌。
その眉間に、ユーロンの手刀が振り下ろされた。
ぴたり、と手刀は止められる。
手刀はアリスの前髪を掠めただけだったが、アリスの全身から大粒の汗が噴き出した。
もし、ユーロンが武器を持っていたら。もし、ユーロンが自分を殺す気であったら。
間違いなく、額を叩っ斬られて死んでいた。
「レベル差」
アリスの恐怖を見透かすように嗤いながら、ユーロンは言った。
「即死魔法は、レベルが開き過ぎている相手には効かない」
「つまり、私とお前のレベル差は……」
歴然ということか。
「レベル差って一言で言っちまったが、単純に実戦経験を積むことが大事ってやつだ。その中で戦い方を学べば学んだだけ強くなる。お前さんの即死魔法は、殺気を叩き込んでるだけでまだまだ粗削りだ。俺ほどであれば、元々持っている魔法耐性と反作用魔法を組むことで防げる」
「……なぜだ」
「ん?」
「なぜ、お前ほどの力を持ったものが、私にわざわざアドバイスをする。お前に……何の見返りがある」
アリスは警戒した眼差しでユーロンを見つめる。
だが、ユーロンは色眼鏡をかけ直すと、にやりと笑った。
「面白いから」
「面白い?」
「そりゃそうさ。滅多なことでは得られない即死魔法。そいつが、レベル1の人間の聖女が会得していて、盗賊団を皆殺しにしちまったんだぜ?」
皆殺し。
アリスは村を救うために、盗賊団を壊滅させた。しかし、どんなに悪逆非道な彼らもまた、一つ一つの命であった。
命を救うはずの自分が、命を奪う側に回ってしまった。その罪悪感が、アリスの胸を深く突き刺す。
「やっちまったもんは仕方がねぇだろ。腹を括れ」
ユーロンはアリスの背中を軽く叩く。励ましているつもりなんだろうか。
「お前さんだって、虐殺したかったわけじゃねぇんだろ?」
「……村を、救いたかった」
アリスは絞り出すように言った。
「んで、村は救えたのか?」
「ああ……」
「じゃあ、良いじゃねぇか。なんでも奪おうとする奴からは、なんでも奪っちまえばいい。自業自得。文句は言えねぇだろ」
「……」
アリスはうつむく。
「真面目だねぇ。罪悪感なんて覚える必要ないのによ」
鼻でせせら笑いながら、ユーロンは肩を竦めた。
「これからどうするんだ?」
「……わからない」
村には帰れない。それだけは、よくわかっていた。
仮に、村に受け入れてもらったとしても、手を汚した自分が聖女としてのうのうと仕事をするのは耐えられない。
「その力を持て余してるなら、冒険者にでもなって実戦経験を積んだらどうだ? そしたら、お前さんのやりたいことも見つかるだろうし、実現できるだろ」
「私の、やりたいこと……」
それは、冒険者が落としそうになった命を救うこと。
そして、弱き民と善なる魂を守ること。
ミレイユたちのように、悪しき行為に蹂躙される者をなくしたかった。
自分を慕ってくれた愛しい後輩の顔を胸に、アリスは腹をくくった。
「そうだな」
アリスは前を見据えて、キッとユーロンをねめつける。その勇ましい眼差しに、ユーロンはにやりと笑った。
「いい目つきじゃねぇか。もっと面白そうなやつになった」
「面白いの基準が気になるところだが、いつまでも立ち止まっていられないからな」
「この先の町に冒険者ギルドがある。俺もそっちに用があるし、案内してやるよ。馬車はないが、くたびれたらおんぶくらいはしてやるぜ?」
「不要。案内だけ頼みたい」
「いいね」
ぴしゃりと跳ねのけるアリスに、ユーロンは楽しそうに笑った。
皮肉なものだ。
アリスが切望した冒険者への道が、まさか、こんな形で実現してしまうとは。
もう、後戻りはできない。
アリスは力強い足取りで、街道を歩き出す。
「迷いのない歩きっぷりだな。こりゃあ、案内すら要らないんじゃねぇか?」
ユーロンはからかうようにそう言うと、アリスについて行こうと歩き出そうとする。
だが、彼は右腕に違和感を覚えた。
「へぇ」
アリスの大鎌を受けた右腕の袖が、ぱっくりと切れていたのだ。その下からは、わずかに血が滴っている。
たしかに、反作用魔法を構成して、彼女の即死魔法を無効化したはずだった。それでもなお、余波が彼を襲ったというのか。
「本当に面白いやつ」
ユーロンは右腕をさっと押さえ、長い舌で唇をなぞると軽い足取りでアリスを追った。
0章の物語とアリスの物語がついに交わる!
次回、ユーロンが目的を語る!?
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