5 最弱聖女、盗賊団を粛正す
エラトゥスの光が夜の街道を静かに照らし、街道についた轍の跡を浮かび上がらせている。
村の周りには山や森林があり、遠くからは見つけにくい。アリスは村の方を振り返ったが、白煙は上がっていなかった。
アリスの言いつけ通り、弔いの儀式を執り行っていないのだろう。
しかし、彼らがアリスを追って来る可能性がある。
その前に、片付けなくては。
街道の向こうから、松明の灯りとともに荒々しい足音が聞こえる。人間のものと、馬のもの、そして、下卑た笑い声がアリスの耳に届いた。
「来たか」
アリスは道の真ん中で立ち止まり、仁王立ちになる。
やって来た集団もまた、アリスの前で停止した。松明の灯りに舐められるように照らされたのは、紛れもなく、村を蹂躙した盗賊たちであった。
「なんだぁ? 女が一人でこんなところに。娼婦……じゃねぇみたいだな」
松明を持った盗賊が、アリスをじろじろと見つめる。
「そいつは聖女だ」
禍々しい装飾が施された黒馬に乗った盗賊団のリーダーが、訝しげにアリスを眺めた。
「せ、聖女!? 教会に閉じこもってお高くとまってる聖女様が、こんなところにいるったぁ。俺たちに相手して欲しいってことか、ん?」
松明の盗賊は、ニヤニヤ笑いながらアリスに歩み寄る。
だが、アリスは眉一つ動かさなかった。
「やめとけ。聖女に手ェ出して酷い目に遭ったやつを見たことがある」
「ゲェ~! こいつ、強いんすか!?」
リーダーに止められた松明の盗賊は、わざとらしく震えてみせた。
「純潔が神に守られてるんだよ。だが、純潔にさえ触れなきゃ問題ねぇ。世間では上級職だが、実戦ではレベル1の最弱職だ」
「ギヒヒィ! レベル1!? えらそうな顔してレベル1っすか~」
「おい」
茶化す松明の盗賊を無視して、アリスはリーダーに問う。
「貴様らは雁首揃えて何をしに行くつもりだ?」
「ああ? 俺たちを見ても眉一つ動かさない度胸は褒めてやるが、口の利き方には気を付けるんだな」
「答えろ」
凄むリーダーに対し、アリスは怯まない。アリスが睨み返すと、下っ端たちが一歩退いた。
「な、なんかこいつ、怖いっすよ」
「ピリピリしたものを感じる……。これは、殺気か……?」
一方、リーダーは不機嫌そうに鼻を鳴らしつつも、ふんぞり返ってみせた。
「面白い小娘だ。俺は寛大だから答えてやろう。先刻、冒険者ギルドから依頼を受けた間抜けな冒険者がアジトにおいでなすった。だが、そいつらはアジトの前の罠で返り討ちにしてやったのさ」
「ほう?」
「たいしてレベルが高くない三人パーティーでよ。あれくらいならばまとめて消し炭にしてやれるはずだったんだが、シーフのやつが二人を庇っちまいやがって。フェンサーの野郎も、ソーサラーを罠が届かねぇところに突き飛ばして、台無しになっちまった」
「なるほど」
それで、シーフの遺体の損傷が最も酷く、逆に、ソーサラーは無事に生き延びられたということか。
「結束力が強かったんだな……」
だからこそ、シーフを蘇生できないと知ったフェンサーは、あそこまで動揺したのか。己が無力を感じるアリスに、盗賊団のリーダーは嗤った。
「そう! お涙ちょうだいだったわけだ!」
ガハハハと大笑いをするリーダーに、盗賊どもはつられるように笑った。
実に耳障りであった。アリスの右拳に、自然と力が入る。
「……何がおかしい」
「おかしい? いいや、楽しいのさ! 仲間に命を拾われて逃げおおせた獲物を追い詰め、徹底的に奪ってやることがなぁ!」
「なんだと……!」
「人生は、奪うか奪われるかだ! そして人間は、奪われる奴と奪う奴の二種類しかいない! 俺は奪う奴! わかるか、嬢ちゃん!」
「アリスだ」
「そいつが、嬢ちゃんの名前かい。ならば、アリスちゃんよ。俺たちはお喋りに来たんじゃねぇ。間抜けな冒険者を狩りに来たのよ。村か何かに逃げ込んだのなら、村ごと奪っちまうけどなァ」
凄むリーダーであったが、アリスは微動だにしない。
いつの間にか、エラトゥスの光が雲に遮られていた。ひんやりとした風が、一触即発の街道を駆け抜ける。
「貴様らに一つたりとも奪わせない。そのために、私が来た」
「正義の味方気取りってか? たった一人でどうしようって言うんだ、聖女さまぁ~?」
松明の男がアリスの顔を覗き込み、頬を舐めんばかりに舌を出す。だがその舌が、アリスに届くことは永遠になかった。
「触れるな」
アリスの血塗られた瞳が、冷ややかに男を映す。
その瞬間、男の上半身と下半身は泣き別れになっていた。
「おげぇぇぇ! 俺の足が! 下半身が離れちまったぁぁ!」
男の上半身は宙を舞ったかと思うと、呆気なく地に落ちる。
一瞬のことであった。
騒がしかった男は、真っ二つの躯となって沈黙している。
盗賊たちは、何が起こったのかわからなかった。
その中で唯一、アリスだけが状況を理解していた。
自分の中に燃える暗い炎。
その身を焦がさんばかりの勢いのそれを、アリスは理性で制御する。
奇跡は信仰と知識で行使するものだが、これは違う。
荒ぶる感情に形を与え、強力な理性を以って矛先を向ける。
一歩間違えれば、自分も吹き飛んでしまいそうな強い力だ。
しかし、これを御さなくては誰も守れない。
アリスの右手には、巨大な漆黒の鎌が携えられていた。
魂を刈り取る死の象徴。その禍々しき姿に、盗賊たちは慄いた。
「ひぃぃ! なんだこいつ、強ぇぇ!」
「やりやがったッ! 一撃で殺しやがったーーッ! こいつは、死神だッッ!」
死神。
その響きに、アリスは自嘲の笑みを浮かべる。
もはや、自分は聖女でも何でもない。死を齎す者なのだ。
街道に冷たい風が吹き荒れる。それは自然のものではない。
アリスがまとった空気だ。
「私はアリス・ロザリオ」
大鎌を構え、アリスは名乗りを上げる。
「死神のアリスだッ!」
「は、はははっ! おもしれぇ!」
盗賊のリーダーは額に大粒の脂汗を浮かべて目を剥きながらも、辛うじて空勇気を振り絞る。
「俺は窮鼠団のティモシー様だッ! 手下をぶっ殺した借りは、テメェを切り刻んで返してもらうぜぇ!」
ティモシーは大斧を掲げ、馬をいななかせてアリスに突進する。
「お前ら、一斉にかかれ! 妙な術を使うようだが、物量で攻めれば問題ねェーーーッ!」
「お、押忍ッッッ!」
硬直していた盗賊団もまた、ティモシーに揮い立てられて一斉に飛びかかった。
得体の知れない力への恐怖、そして、一人の小娘に舐めた真似をされたという怒りがない交ぜになり、彼らの目からおおよそ理性と呼ばれるものを伺うことができなかった。
「くたばれッ! 死神ッッッ!」
「八つ裂きにして、ぶちまけてやるぜーーーッ!」
一人減ったとはいえ、二人の冒険者を惨殺し、暴力の限りを尽くして村を滅ぼした連中だ。レベル1の最弱聖女では相手にならない。
だが、アリスは退かない。
彼らを見据えてこう叫んだ。
「貴様らは、私が処すッ!!」
アリスは咆哮とともに大鎌を振るう。
不思議と、盗賊たちの動きがよく見えた。彼らの命が、濁った魂が、アリスの瞳にはよく映るのだ。
アリスの大鎌の一閃。
それは一陣の風となって盗賊たちを横なぎにする。
風が、止まった。
「ん? 何ともねぇぞ?」
「なんだ、こけおどし――」
拍子抜けと言わんばかりの盗賊たちに、大きな亀裂が走る。
「粛清、完了だ」
「じゃ、ね、ねっ、たわばっ!」
ティモシーの巨体が、盗賊たちの身体が、ぐにゃりと歪み爆発四散。
断末魔の叫びとともに返り血が降り注ぐのを、アリスは避けようともしなかった。
雲が途切れ、街道にやわらかい光が戻る。
逃げ出した馬とすれ違いに、心配した冒険者や教会の司祭や聖女たちが駆けつける。
だが、彼らを待っていたのは、血の海にたたずむ返り血まみれのアリスであった。
あまりの惨状に司祭は顔を覆い、冒険者たちすら顔を強張らせてアリスを見ている。
「な、何ということ……このような惨劇、前代未聞です……!」
「こんな酷い有り様、見たことがない……。モンスターが滅ぼした村ですら、こんな惨状じゃなかったぞ……!」
「一体、どんな術を行使したらこんな地獄みたいになるの……?」
恐怖。その場の皆が、アリスにその感情を向けていた。
まさに、死神となった者に相応しい扱いだ。
だが、その中で唯一、ミレイユだけがすがるような眼差しをアリスに向けていた。
「きっと、アリス先輩は私たちを救おうとして――」
ミレイユはアリスを信頼し、理解していた。アリスが、相手が悪党と言えど悪戯に殺めないということを。
修羅に身を落としたアリスにとって、それだけが癒しになった。そして、ミレイユが皆とともに生きていることが救いになった。
「アリス先輩、村に戻りましょう……。先輩は盗賊団から村を救ってくれた英雄です。村長やみんなも、アリス先輩のことを褒めたたえてくれますよ……」
「いいや。私の手はもう、汚れてしまった。向けられる顔もない」
大事な人々。だからこそ、死を誘う力を持った自分から遠ざけたかった。
きっとこれから、自分には平穏が訪れないだろう。
アリスは、修羅の道にミレイユたちを巻き込みたくはなかった。
アリスはミレイユの、そして息を呑んで見守る人々に背を向けたまま、村とは反対方向へと去って行った。
物語の序盤を読破して頂きまして有り難う御座います!
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