53 最弱聖女、死神と再会す
アリスが目を覚ましたのは、漆黒の空間であった。
頭がひどく痛い。
どちらが空でどちらが地だかわからない場所で、アリスは緩慢に身体を起こした。
「みんな……は?」
「みんなは死んだ」
無情なる声がアリスに浴びせられる。
そちらを振り返ると、仮面で顔を隠し、マントで身体を覆った人物が佇んでいた。
『死神』だ。
アリスに即死魔法を与えた存在だ。
しかし、その存在はやけに希薄になっていた。死神のところどころが闇に溶け、声は遠くなっている。
「私は……また失ったのか……? そんな……」
目の前で散った兄、ユーロンを思い出す。
彼が守りたかったエミリオも、ラルフやジギタリス、オーウェンまでも命を落としたというのか。
あまりにも無力。
蘇生魔法も即死魔法も、肝心な時に役に立たない。
「命を落としたのは、あの場に居たお前の仲間だけではない。あれは崩壊の序曲だ。秩序の世界のために、混沌が排除される。王都は物理的に陥落し、それを皮切りに人間の世界が壊れていく」
それを聞いたアリスは打ちのめされる。
王都の人々も、港町にいるミラやクレアたちも、マーメイドヘイブンの漁師たちやスタティオの人々、パクスに置いてきたミレイユたちもあの崩壊に巻き込まれるというのか。
「私は……っ!」
アリスは漆黒の空間に拳を打ち付ける。きつく握った拳からは、血が滲んでいた。
「取り戻したいか?」
死神が問う。
「当たり前だ!」
アリスは答える。
「あと一回、お前から時間を奪うことはできる。だが、あと一回で成功するとは限らない。私は次の可能性に賭けようとも思っている」
成功。次の可能性。
死神の真意が理解できないアリスであったが、これだけはハッキリしていた。
「私は、何が何でも取り戻したい……! それがどんな代償を払おうと構わない! 兄はあの場所で死ぬべきではなかったし、エミリオや私の仲間たち、出会った人々もだ!」
「理不尽な死は、誰にでも訪れる可能性がある」
死神は淡々と答えた。そんな相手に、アリスは掴みかかる。
「それでも、何か方法があるのならば私は彼らの未来を切り開きたい! そのためなら、私の命や魂がどうなっても――」
アリスが掴みかかった衝撃で、死神の仮面が外れる。
仮面は漆黒の空間に音を立てて落ちた。
明らかになった死神の顔を見て、アリスは口を噤んだ。
「お前……!」
それは、アリスだった。
死神の顔も、背格好も、アリスそのものであった。
まるで鏡を見ているかのような、奇妙な感覚に囚われる。
死神が見せる幻覚か。
いや、違う。アリスは目の前の人物もまた、自分だという感覚があった。
「わたし……か……?」
「そうだ」
死神は頷いた。
「天の崩壊、王都陥落を生き延びたアリス・ロザリオだ」
「まさか、多元宇宙の私……か……?」
母マチルダが遺した書物で読んだことがある。
世界は多元であり、今自分が知覚している世界と並行して、別の可能性の世界が存在しているということを。
俄かには信じられないが、信じるしかない。そうでなくては、自分の目の前にいる人物の説明がつかない。
「王都陥落を生き延びたということは、仲間は……」
「死んだよ」
死神は遠い目で言った。
「ユーロンの肉体が滅びて魂が霧散し、デウスが完全に顕現した。エミリオの肉体を器とし、物質界に影響を及ぼす災厄となったんだ」
「エミリオはそのために連れ去られたというのか……?」
「ああ。人の信仰を受け入れ、秩序の神を降ろす。その儀式に、人間と天人の血を受け継ぐ器は最適だった」
それ故に、ガブリエラが目を付けたのだろうと死神は言った。
エミリオの意思は、ガブリエラによって完全に封じられていたという。彼の中の不当に迫害された怒りの記憶が、デウスの原動力として利用されたそうだ。
奴隷として迫害されていた彼は何度も、この世界を理不尽だと思い、否定して来ただろう。それが、地上を断罪という名のもとに蹂躙しようというデウスの矛先と一致したそうだ。
「仲間を喪っていながらも、私は生き延びてデウスに蹂躙される世界を見た。失意の私は、このような事態を招いた天人への復讐心と、断罪の名のもとに人々を消し去るデウスへの憎しみだけで立ち向かった」
「たった一人で……か?」
「たった一人で、だ。仲間はもう、いなかったからな」
死神の真紅の双眸は、ひどく遠くを見つめていた。
「デウスを滅ぼさなくては天人以外が排除されるという状況だった。だから私は、先ほどのお前のように命と魂を賭して、デウスを滅ぼそうとしたんだ」
「……滅ぼせたのか?」
アリスは息を呑む。
死神は、空虚な表情で頷いた。
「蘇生魔法の逆転構成を使った。私がお前に教えた、即死魔法だ。しかし、憎悪に身を焦がしていた私は、負の奇跡を制御し切れなかった。制御を喪った即死魔法はデウスを食らって天人を呑み込み、残っていた人類と魔族を巻き込みながら私自身を食らい尽くした」
「そんな……!」
「そして私は、多元宇宙の外に弾き出された。それがここだ。この場所は、特定の条件が揃えば全ての多元宇宙に干渉することができるが、全ての多元宇宙と交われない場所でもある。ここで私は、何度も死にゆく仲間と自分自身を見ていた……」
「……そう……だったのか……」
「そういう意味で、私は『神』になった。それは人々に崇められ、人々に手を貸す存在ではなく、概念の中でしか生きられない全知にして無能な存在だ。私は、永遠に概念の牢獄に囚われることになったのさ」
死神は、自嘲の笑みを浮かべる。
もう二度と、大地を踏みしめて旅をすることができない。ただ、多元宇宙の自分が仲間とともに旅をするのを眺めているだけの存在になってしまった。
アリスは、死神の苦痛を始めて理解した。彼女は一体、どれだけの自分の人生を見て、どれだけの悲劇を目撃していたのか。
「私は、その多元宇宙のひとりということか。そして、お前はそれぞれの私に手を貸していた――と」
「ああ。しかし、なかなか天人ガブリエラの策略から逃れることができない。私が知恵を与えても、彼女はその次の一手を打ってくる。デウスを殺せたのは、私だけだ」
死神が『アリス』に干渉できるのは、アリスに死が訪れた時のみだ。
だが、干渉できる回数には制限がある。死神の存在が希薄に見えるのは、その制限が近いからだ。
「やり直しは、これが最後だ。私はこれから、お前の時間を奪って兄が奪われる前に戻す。エミリオに神下ろしの儀式を行っているのは天人ガブリエラだ。お前の宇宙ではオーウェンが手を貸してくれている。彼に儀式部屋の鍵を開けさせるんだ。私の宇宙ではそれができなかった」
「ああ、わかった……」
アリスは神妙に頷いた。
「私は数多の宇宙を見てきた。お前はその中で、最も多くの仲間を得ている。私は、お前に一番の可能性を見出している」
「私に、可能性が……」
アリスは、ぎゅっと拳を握る。怒りや悲しみではなく、決意の表れだ。
人生は選択の連続だ。アリスは度々葛藤してきたが、その時に別の決断をした自分もいるのだろう。
ラルフが仲間にならなかった宇宙もあるかもしれないし、ジギタリスを倒してしまった宇宙もあるかもしれない。オーウェンの命を救えなかった宇宙もあるかもしれなかった。
恐怖がないと言ったら嘘になる。正しい選択肢を知りたいという気持ちもある。
しかし、死神はそれ以上語らなかった。
正しいと思われる選択を教えたこともあったのだろう。だが、相対するガブリエラにだって選択肢はある。彼女が自身にとって更に最良の選択をしたら、アリスは負けてしまうのだ。
正しい選択なんて、誰も分からない。自分と仲間を信じるしかない。
「死神アリス」
アリスは死神を正面から見つめる。死神もまた、アリスを見つめ返した。
「お前は……ずっとここにいるのか?」
「ああ。私はそういう存在だからな」
死神は静かに頷いた。既に、覚悟は決まっているようであった。
「だが、お前が死神ではなく、別の概念で名を轟かせることがあれば、概念としてのアリスが変化し、私にも影響が現れるかもしれない。そしたら、また違った形で会うことがあるかもしれないし、違った干渉の仕方ができるかもしれない」
「……心に留めておこう」
「そんなことより。自らの死の運命から逃れる方に尽力してくれ」
死神は最後まで素っ気ない。
だがそれは、アリスが自身に対して厳しいからだということを、アリスは気付いていた。自身を甘やかすのは、自分らしくない。
死神の姿が揺らぐ。アリスの悲しみに満ちた時間が奪われ、現世に戻るのだ。
「元気で」
アリスは、別れの挨拶の代わりにそう言った。
死神は頷き、そこでアリスの視界は闇に塗り潰された。
二度目のやり直し。アリスは彼女が”正しい”と思う選択ができるのか。




