52 最弱聖女、兄を喪う
大聖堂のホールが一行を迎えるが、人一人おらず、がらんとしている。燭台の炎だけがユラユラと揺れていた。
「誰もいない……。神官兵すら……」
「いや、あれを見ろ!」
アリスが目ざとく倒れている人影を見つける。それは、神官兵たちだった。町の人たちのように衰弱して動けなくなっている。
「何があった!」
オーウェンが神官兵に尋ねる。すると、神官兵は口をパクパクさせながら、奥を指さした。
ホールの奥は中庭に通じていて、更に先には礼拝堂に通じる扉がある。
「礼拝堂か……!」
「神が……」
神官兵は呻いた。
「神が……降りてきました……。邪にして異端なる者たちが審判によって一掃され……真の平和が訪れるんです……」
神官兵はそう言い切ると意識を手放す。オーウェンがどんなに揺さぶっても、双眸を固く閉ざしたままであった。
「真の平和……だと? この有り様が……?」
オーウェンは声を震わせる。
他の神官兵も蝋人形のように真っ白な顔で倒れていた。その様子は、まるで躯の山だ。
「バージェス卿、いや、オーウェン。……行こう。見過ごしてはおけない」
「勿論だ。大聖堂の全ての鍵は私が持っている。君たちを導こう」
中庭に出ると、空が今にも落ちてきそうだった。雷鳴が獣のように唸り、町を食らい尽くさんとしているかのようであった。
暗雲に睨まれながら中庭を抜け、礼拝堂へと続く扉の前に到着する。
恐ろしく静かであった。自分たち以外、世界から消えてしまったのかと錯覚するほどだった。
「……行くぞ」
アリスが言い、オーウェンが鍵を開ける。ユーロンとラルフが扉を開け、ジギタリスは礼拝堂に何がいるのか見極めんと目を凝らした。
するとそこには、人影が一つあった。
割れたステンドグラスから、外界の光がわずかに射している。時折、雷光が礼拝堂を眩く照らし、その人物の影を壁に大きく映し出した。
純白の片翼。中性的で美しい貌。そこにいるのは――。
「エミリオ!」
ユーロンが叫ぶ。
礼拝堂でただ一人佇んでいたのは、エミリオであった。その貌に表情らしいものはなく、彫像のように立っている。
ユーロンはエミリオを見るなり、大股で駆け寄る。
「お前さんが無事でよかった……! 早く避難するぞ!」
アリスもまた、エミリオが見つかったことに安堵する。
だが、胸のざわつきは止まらない。それどころか、吐き気にも似た感覚に襲われる。
なぜ、エミリオがこんなところにいるのか。なぜ、他に誰もいないのか。
「ちょっと、アリス。なんか変よ」
ジギタリスがエミリオの方を見て目を凝らす。アリスもまた、彼女に倣った。
「あれは……」
エミリオの身体から、魔力の高まりを感じる。異様に威圧的で排他的な魔力には、覚えがあった。
「ユーロン、離れろ!」
ユーロンは既にエミリオの細い腕を取り、ともにその場から離れようとしている。アリスの声を聞き、虚を衝かれたように振り向いた。
「そいつが……そいつがデウスだ!」
どす、と重々しい音が響いた。
無表情のエミリオが生み出した光の熱線が、ユーロンの胸を貫いていた。
その場にいた一同は、声を失う。
金色の目の魔王の胸には、大穴が開いていた。
「エミ……リオ……」
ユーロンの口から血液が逆流する。魔王の血が再び礼拝堂の床を濡らした。
見紛うことなき致命傷。いくら黄龍族の血を受け継いでいるとはいえ、その大穴は塞げないだろう。
ユーロンの気配が、急速に希薄になる。
「う、嘘でしょ……?」
ジギタリスが愕然とする。
「こ、こんなことって……」
ラルフの声が震える。
「ユーロン……」
アリスはその場に頽れそうになる。
そんな彼女に、ユーロンは弱々しくも口角を吊り上げた。
「悪いな……。俺は……」
「喋るな! 今、奇跡を行使するから……!」
だが、蘇生魔法を使うには下準備が足りない。それに加え、デウスの影響下では発動すら難しい。
ユーロンの金色の瞳は、それすらも悟ったようであった。
「いいんだ……。俺は半分が黄龍。肉体の滅びは死じゃねぇ……。お前さんを見守ってるぜ……妹よ」
「ユ……」
アリスはユーロンの名を呼ぼうとする。しかし、込み上げる感情のせいで声がつっかえてしまう。
それでも、彼女は無理矢理に叫んだ。
「兄さん!」
アリスの声を満足そうに受け取ると、ユーロンの身体が力なく地に伏せる。金の髪が床に散らばったのを目の当たりにし、エミリオの表情が揺らいだ。
「ぼ、僕は……」
「目ぇ覚めたか……」
ユーロンの言葉に、エミリオは弾かれたように正気に戻る。
「僕は何を……!? ユーロン!」
エミリオは地に膝をつき、自らの行いを悔いるようにユーロンのそばに這いつくばる。しかし、エミリオの涙にぬれた頬を、ユーロンの血の気が失せた手がそっと撫でた。
「大丈夫……」
「そんなわけない……」
エミリオからとめどなく涙が溢れる。しかし、悲しみの雫を拭うユーロンの指先は、弱々しくもあったが優しかった。
「俺は……平気だから」
魔族の王は、自らに似た出自の少年の行いを許し、力尽きた。
ざあっと風がざわめく。
室内だというのにユーロンの周りを風が囲み、やがて、開け放たれた扉から引き潮のように去っていった。
その場にあった何かが、急速に失われた。
一同がそれを自覚した瞬間、天井に亀裂が走る。
「天が落ちるぞ!」
オーウェンが叫ぶ。
割れたステンドグラスから、徐々に迫る暗雲が窺えた。
「魔力のバランスが崩れたのか……」
黄龍族は準神族にして、東方では神として崇められる存在。ユーロンは半神と言っても過言ではない。
デウスの影響下で弱体化していたとはいえ、彼が王都にいたことで辛うじてバランスが保たれていたのだろう。
だが、ユーロンはいなくなった。
彼は王都に着いてから、今にも落ちそうな空を支えていたのだが、それも崩れてしまったのだ。
「みんな、伏せろ!」
アリスは叫ぶ。せめて、ユーロンが守りたかったエミリオを守らなくてはと手を伸ばそうとする。
だが無情にも、天井には大きなひび割れが走り、音を立てて崩壊した。
瓦礫が雨のように注ぎ、その隙間から迫りくる雷雲が窺える。
世界の終わりの始まりにして、審判の時。
アリスは瓦礫に埋もれながら、ガブリエラの高らかな笑い声を聞いた気がした。
魔王喪失。世界崩壊。
これは一つのターニングポイント。




