4 最弱聖女、《即死魔法》を得る
「起きろ」
冷ややかな声とともに、アリスは目を覚ました。
彼女を迎えたのは、漆黒の空間であった。
「ここ……は? エラトゥスのもとか……?」
「いつまで寝ぼけているつもりだ。貴様は、かの従神のもとに行ける器ではない」
辛辣な声がアリスに降り注ぐ。
アリスが身体を起こすと、目の前に、仮面の人物が佇んでいた。
「……何者だ? 私は、死んだはずでは……」
「そう。貴様は死んだ。そして私は、死神だ」
「死神……だと? 自らが神と名乗るか。ふざけたやつだ。死者を救済するのはエラトゥスだけだ」
死神と名乗った人物は仮面のみならず全身を隠すマントもまとっており、正体は全く分からなかった。
だが、不思議と不気味さや不快感はない。
態度こそ不遜そのものであり、アリスは腹立たしさを感じたものの、それと同時に、妙な懐かしさを覚えていた。
「貴様の言う通り、私は死者を救済しない。屍を積み上げるしか能がない存在だ」
屍。
死神の口からそう紡がれた瞬間、アリスは反射的にミレイユのことを思い出した。
「ミレイユは、みんなは……!」
「死んだ。それは貴様も見ただろう」
「みんなが、死――」
自分のことよりも、ミレイユや教会の人々、そして、村人たちや冒険者たちが命を喪ってしまったことの方が堪えた。彼らには、未来があったはずなのに。
よりにもよって、あの下賤な輩に善なる魂が奪われるとは――!
「取り戻したくはないか?」
「なんだと……?」
「貴様の取り戻す力は、奪う力にもなる」
取り戻す力とは、蘇生魔法のことだろう。しかし、奪う力とはどういうことか。
「貴様は奪われる悲しみを知った。他の者にその悲しみを味わわせないためにも、奪う者から先に奪ってやるといい」
死神は、アリスにそっと手を差し出す。
漆黒の手袋をはめた、男のものか女のものか、それとも人間かもわからない手だ。
しかし、気付いた時には、アリスは手を差し伸べていた。
死神の手に触れた瞬間、身体の奥で何かが弾けた。閉ざされていた扉が開き、自分の中で何かが目覚めるのを感じる。
「なんだ……この感じは」
「奪う力――即死魔法を使えるようにした」
「即死魔法……だと!?」
あまりにもさらりと言われた不穏な響きに、アリスは手を引っ込める。だが、もう遅いことは重々承知であった。
「命を救おうとした私を、他人に死を齎す存在にしたのか!」
「貴様が愚かならば、奪うだけの存在になるだろう」
死神は冷ややかに言った。
「世界には、多くを奪う輩がいる。そいつらに終わりを齎せば、結果的に、奪われずに済む者も現れるだろう」
「……そう……か」
盗賊団さえいなければ、とアリスの胸に暗い炎が宿る。
彼らの襲撃が防げれば、教会人々や村人、冒険者たちも死ななかったはずだ。
そして、ミレイユも。
「奪っていい命はない。だが、守らなくてはいけない命がある……」
アリスはぐっと拳を握り締める。
守るもののためであれば、命を奪うという禁忌を侵そう。
善なる魂を守るためならば、どんな罪や罰を背負っても構わない。
「覚悟が決まったのならば、貴様を帰そう」
死神の言葉に、アリスは目を丸くした。
「帰すって、何処へ……?」
「貴様がいるべき世界だ。私はこれから、貴様の時間を奪って襲撃の前に戻す。新たなる力を駆使して守るべきものが守れるか。私は遠くから観察させてもらう」
「そんなことが……? それじゃあ、ミレイユたちは……!」
「彼女らを生かすも殺すも貴様次第だ、死神よ」
「私も……死神に……」
死神の言葉に、アリスは自らに宿った絶対的な力を自覚する。
盗賊団への怒りとともに身体中を駆け巡るその力は、自己を強く保たなくては身体の内側を食い破ってしまいそうだ。
「武運を祈る」
死神がそう告げた瞬間、目の前の闇は光に塗り潰され、奇妙な浮遊感に包まれる。
死神の別れの言葉がやけに悲痛に思え、アリスは胸に棘が刺さったような感覚のまま意識を手放した。
アリスは、ハッと目を覚ました。
「アリス、あなたは大役を果たしてくれました。失うはずだった命を一つ救済したのですから。あなたの働きにクレアティオは満足されているでしょう。しばしの間、ゆっくりとお休みなさい」
聖女長の労わるような言葉。震えてうつむくミレイユ。
儀式部屋の天窓からはエラトゥスの光が射し込み、室内を柔らかく照らしていた。
「時間が……戻った?」
紛れもなく、襲撃前の儀式部屋での光景だ。
「アリス……先輩?」
ミレイユが不思議そうにアリスの顔を覗き込む。
彼女は生きている。再会の抱擁をしてやりたいのを、アリスはぐっと堪えた。
今はそれどころではない。
この場にいる皆を、惨劇から守らなくては。
「聖女長、皆さん、お待ちください」
アリスはとっさに、広場へと向かおうとする一同を引き留める。
「今、弔いの儀式をしてはいけない。二人を探している盗賊たちに見つかることでしょう」
「なっ……!」
フェンサーとソーサラーの顔が青ざめる。
襲撃の際、弔いの儀式によって白煙が天に昇っていた。盗賊たちはそれを目印にしたため、到着が早かったのだろう。
「まさか、連中が俺たちを探してるっていうのか!?」
フェンサーは身構え、ソーサラーもまた杖を構える。
二人は責任感が強い。我が身を犠牲にしてでも村を守るつもりだろう。
だが、現実は残酷だ。
盗賊どもの結束力は二人を凌駕し、村はあっという間に陥落した。
「荷馬車はどの道を辿りましたか?」
アリスが尋ねると、ソーサラーはハッとする。
「街道沿いを真っ直ぐ……! いけない……。轍の跡が……!」
「街道沿いですね。わかりました」
アリスは二人の前を通り過ぎ、教会の外へと向かおうとする。
「待ってくれ!」
アリスの背中を、フェンサーが引き留めた。
「盗賊どもの襲撃に備えるのなら、俺たちも行く! いいや、あんたたちみたいな教会の連中に荒事なんてさせられない! これは俺たちの問題だし、冒険者がやるべきことだ!」
「そうです! 聖女様はお下がりください!」
フェンサーとソーサラーが申し出るものの、アリスは首を横に振った。
「相手は数が多い。加えて、致死トラップを躊躇いなく仕掛ける外道どもです。冒険者二人では荷が重い」
「なっ……」
フェンサーは抗議しようとするが、アリスの視線に射竦められた。
「アリス先輩……目が……」
ミレイユが震えながら、アリスの双眸を指さす。
ラベンダー色だった美しい瞳は、血のように赤く染まっているではないか。
その目に込められた決意、闘志、そして、不穏な感情。
それらを察した一同は、それ以上アリスを引き留めることができなかった。
「では――」
「ま、待ってください」
及び腰になりながらも、司祭が声をあげる。
「申し訳ございません。私は行かなくては」
「きょ、教会の責任者は私です。責任者の私が、危険な場所に行くあなたを止めなくては……!」
「では、私は追放してください」
「追放!?」
司祭のみならず、聖女長やミレイユたちが目を丸くする。
追放とは本来、教会にとって問題行動を起こした聖女から資格を剥奪し、永久に教会に関われないようにすることなのだから。
「パクスの教会にとって、私は不名誉な存在になるでしょう。私は追放の了承をしておりますので、そちらの任意で追放して頂いて構いません」
「そんな、自ら追放をしてくれと頼むなんて聞いたことがない! あなたの覚悟はそれほどまでに強いというのですか……!」
「二言はありません」
アリスはきっぱりと言い放つなり、教会を飛び出した。
「アリス先輩! 先輩がいなくなったら、私……!」
司祭たちの声に交じって、ミレイユの悲痛な声が聞こえる。
だが、アリスは振り向かず、声を振り切るように走った。
「君は私がいなくても大丈夫だ、ミレイユ。さらばだ、みんな……!」
自分が救った人々は立ち直って、その分、他の誰かを救って欲しい。
村のみんなに健やかに生きて欲しい。
ミレイユには出世をしてもらって、親孝行をして欲しい。
そんな願望が浮かび上がる胸の奥に、今までなかったものが燃えているのに気づいていた。
死神と対峙した時に感じた、暗い炎である。
彼女の強い正義感を焦がすその感情の名前を、アリスは薄々理解していた。
殺意。そして、憎悪。
殺さなくては。弱き者を踏みにじり、善なる者を欺く愚か者たちを。
彼らから、一つたりとも奪われてはならない。
そのためなら、死神にだってなってやる。