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40 最弱聖女、大司教の教義を聴く

 アリスたちが出たのは、倉庫のような部屋であった。

 埃を被った本棚が隠し扉になっており、四人は地下通路から出るなり、本棚を元に戻した。

 倉庫から出れば長い廊下が四人を迎えた。外に面した廊下からは中庭が見え、よく手入れされた庭園が窺える。


「曇っているな……」

 空は分厚い雲が覆い、陽光を遮っていた。今にも雨が降りそうな天気だ。

 太陽が見えないと不安になる。

 表情を陰らせるアリスであったが、ユーロンが肩を叩いた。

「手でも握ってやろうか?」

「いや……、大丈夫だ」

「いつもならもっと素っ気ないのにな。手を握るのは冗談として、ちょいと心配だぜ」

「……ユーロンは平気なのか?」

 からかうユーロンに、アリスは問う。ユーロンの顔から、冗談っぽい表情が失われた。

「残念ながら」

 ユーロンは誤魔化すことなく、素直に不安を漏らす。

「じっくりと話し合いたかったんだがな。この状況でどの程度聞いてもらえるかわからねえ」

「そう……だな。クレアの言ったことが本当なら、国王は魔族を滅ぼそうとしている……」

「そいつが俺以外の勢力に聞かれる前に、どうにかしなくちゃな」

「ああ……」

 人間が攻めようとしていると悟られた時点で戦争は避けられない。アリスは、クレアが言うことが間違いであってほしかったが、クレアがアリスたちを欺こうとしているとは思えなかった。


 アリスは大聖堂の中心を目指しながら探索をする。六神の像や意匠は全て取り払われ、代わりに豪華絢爛な六枚の翼の意匠が掲げられていた。

「王都の大聖堂ってからには凄いと思っていたけど、ここまでとは思わなかったな……。下手すると、国王様の城よりもお金がかかってるんじゃないか?」

 ラルフが、物珍しそうに辺りを見回す。

「権力の象徴ってやつじゃない? デウス派の連中、きっと自分たちの強さを誇示しているのよ」

 ジギタリスは、吐き捨てるように言った。

「なるほど……。って、なんかおかしくないか?」

「なにが?」

「それって、国王様よりも強いって主張してるみたいじゃないか。てっきり、国王様が中心になってデウス派を推進しているのかと思ったけど……」

「……確かに、妙だな」

 不自然な点を見つけたラルフにアリスが頷く。


 そうしているうちに、一行の前に大きな扉が立ちはだかった。

 豪奢な扉の前には二人の神官兵が立っていた。白銀の甲冑と槍で武装しており、警備は厳重だった。

「君たち、どうしたんだ」

 神官兵はアリスたちに尋ねる。

「えっと、あまりにも広くて道に迷ってしまって……」

 とっさに答えたのは、ジギタリスだった。

 彼女は猫なで声を使い、神官兵に助けを求めるように縋る。神官兵の顔に下心が過ぎるが、すぐに首を横に振って煩悩を打ち消した。

「そ、そうか。最近入信した者だな。礼拝堂はこの扉の先だ」

 神官兵は扉を開けようとしてくれる。

「わぁ、ありがとうございますぅ」

 媚びた演技を続けるジギタリスに、もう一人の神官兵が咳払いをする。

「くれぐれも静かにするように。大司教ガブリエラ様の説教が始まっているからな」

「はぁい」

 ジギタリスはにこやかに返事をするが、視線だけはアリスたちに向いていた。

 大司教とは、司教の更に上の人物だ。王都の大聖堂の大司教となると、聖職者の中でも最も位が高いと言っても過言ではない。


 礼拝堂への扉が厳かに開かれる。

 その瞬間、眩い光がアリスの視界を塗り潰した。陽光よりも鋭く、そして圧倒的な光。闇を打ち払い、光を嫌うものを焼き払う光だ。

 その光は、祭壇からだった。

 目が慣れたアリスは、恐る恐る祭壇の方を見やる。

 すると、巨大で荘厳なステンドグラスを背景に、輝ける金の髪の女性が佇んでいた。

 重厚な法衣に身を包み、圧倒的な威厳に満ちたその女性が何者なのか、一目でわかった。

 大司教ガブリエラである。

 異教徒とした六神の聖職者を排除した後に君臨する、デウス教のトップだ。


「なぜ、争いが起きるのだろうか」

 ガブリエラは低く厳かであり、よく通る声でそう尋ねた。

 アリスがいた教会なんてすっぽりと入ってしまいそうなほど大きな礼拝堂の中、大勢の人々がガブリエラの言葉に耳を傾けていた。

 美しい衣服に身を包んだ裕福そうな人も、やせこけた貧しき人々も、一様にガブリエラのことを見つめていた。まるで彼女自身を崇めるかのような眼差しで。

「それは、相容れない者たちが同じ世界に暮らしているからだ。多様な思想があれば、その中に受け入れられないものも出来よう。価値観の不一致が、争いと悲劇を生み出している」

 ガブリエラは長い睫毛を伏せて憐憫の表情を作る。人々は争いや悲劇の中で傷ついたことを思い出したのか、中には涙を見せる者もいた。

「ならば、どうすれば世界から争いと悲劇がなくなるのか」

 アリスもその答えを知りたかった。

 聴衆の期待に応えるように、ガブリエラは続けた。

「多様性が争いと悲劇を齎すのならば、多様性を無くしてしまえばいい。人によって別々の物差しを持っているから争いになる。皆が一つの物差しを使い、一つの価値観を持てば、価値観の不一致による争いが失われるだろう」

 なるほど、と呟く人々がいた。アリスは、違うと抗議したい気持ちを押し殺し、黙って耳を傾け続けた。アリスのように、戸惑う様子を見せる人もわずかにいた。

 だが、ガブリエラの話は終わっていない。

 彼女は輝ける双眸で聴衆を見回すと、一点の曇りもない声でこう言った。

「人の子たちよ。あなたたちは自らを過小評価している」

 ガブリエラの断言には、力があった。全く揺るがない声が彼女の言葉に説得力を与える。

「人一人は弱々しいが、文明の炎を得て以来、この世界に生きる者として存在感を増した。その軌跡を築いたのは他ならぬ、自分たちであると自覚せよ。人は本来、あらゆるものを支配して従わせる力があるのだ」

 聴衆の何人かが、信じられないと言わんばかりに目を丸くする。

 そんな様子を見て、ガブリエラは静かに頭を振った。

「あなたたちは太陽を始めとする自然に神々を見出し、それらが人類を支えてくれたことで今日までやってこれたのだと思うのだろう。しかし、それは違う」

 いいや、違わない。

 アリスは心の中で断言する。六神の力がなくては、人間は今日まで生きて来られなかった。それは人間のみならず、黄龍族もグリマルキン族も同じだ。

 しかしアリスの心に反して、ガブリエラはすらすらと続ける。

「人の子は自然を支配すべきなのだ。人の子の知恵と技術を以って、自然を意のままに操ればよい。自然とは神として崇めるものではない。支配するものなのだ」


「馬鹿な……」

 アリスの口からかすれた声が漏れる。

 しかし、聴衆は納得したように目を輝かせる。傲慢な思想が、六神への信仰心を拭い去ってしまった瞬間だった。

「いつまでも自然になされるまま災厄を受け入れ、多様な思想を持つがゆえにぶつかり合っていては何も進まない。自然が支配して多様な思想を持つ時代はもう終わった。これからは、唯一の価値観を以って次の時代を担うべきなのだ」

 聴衆は頷く。最初は戸惑い気味だった者も、いつの間にか目に希望を輝かせながら聞いていた。

 富める者は更なる富を。貧しき者は苦しみから脱するための富を。自然を支配することができれば、次の時代は今よりも明るいものかもしれない。

「自然を支配するだなんて、そんなこと……できるのか?」

 ラルフが小声で呻く。

「多少はできるんじゃない? あんたたちが道具を使って火を起こすようにね」

 ジギタリスは、ガブリエラを睨みつけたままラルフに答えた。

「でも、自分で起こした火にまかれて命を落とす者もいる。自然を――六神を人間が支配できるとは思えない」


「人の子よ、力を合わせるのだ」

 ジギタリスを否定し、ラルフの疑念を拭うように、ガブリエラは言った。

「自然を支配できないのは、多様な価値観がゆえに人の心が一つになっていないことが原因だ。人の心を一つにし、互いに手を取り合えば、何者にも侵されぬ楽園を得ることができるだろう。絶対神デウスならば、あなたたちを次の時代に導くことができる」

 聴衆が期待にざわつく。

 ガブリエラの背後にある真新しいステンドグラスには、六枚の翼が描かれていた。六神の聖職者を追い出した後、絶対神とやらを誇示するためにこしらえたものなのだろう。

「人の子よ、不可侵の聖域を作るのだ。異端なるものを赦すな。異端はあなたたちを分断し、堕落させ、生きとし生ける者のヒエラルキーの最下位に落とそうとするのだ。そのような愚行を赦してはいけない。この世界で唯一無二になるのだ」

 全てを押しのけ頂点に君臨する。それこそ、絶対神デウスの教義だという。


 しかし、そんなことができるのだろうか。

 アリスは自らに問う。

 火を支配し、水を抑え、風を操り、地を掘り起こすことができたとしよう。積極的に人類に働きかけない衛星エラトゥスのことも置いておこう。

 だが、太陽を意のままに操ることなどできるのだろうか。

 ガブリエラの主張に希望があり、人々を導く光になるのはわかる。しかし、あまりにも傲慢ではないだろうか。

 過小評価しているのは、デウス派の方ではないだろうか。太陽――クレアティオの輝きはどのような生き物であろうと侵すことはできない。火や水、風や地もそのはずだ。彼らが手を取り合うことで世界を生み出していて、人間を始めとする生物は、その副産物で生かされているに過ぎない。

 アリスの中に、デウス派への怒りが生まれる。自分の心の中を、土足で踏み荒らされているような気すらした。

 クレアたちもそんな気持ちだったのだろうか。

 それ故に、デウス派に抗議をしたのだろうか。

 それなのに、追放されてしまった。彼女たちは間違っていないというのに。


「さて、この神聖なる大聖堂に、異端が混ざっているようだ」

 ガブリエラの冷ややかな一言に、アリスは冷水を浴びせられたような心地になる。ラルフが息を呑み、ジギタリスが小さく唸り、ユーロンが静かに周囲を見回す。

 アリスたちの周囲には、多くの聴衆がいる。デウス派のフードもあり、姿は完全に隠れているはずだ。


 しかし、ガブリエラの美しい人差し指は、迷うことなくアリスたちを指した。

アリスたちの目の前に現れたのは、デウス教を牛耳る大司教ガブリエラだった。

敵地のど真ん中で、アリスたちは――。

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