31 最弱聖女、内海に出る
用意された漁船は、古い木船だった。
しかし、一行が余裕で乗れるほど広く、立派ではある。
船には何人かの漁師が乗っていた。彼らが船を漕いでくれるというのだ。復路の漕ぎ手が必要なため、アリスは彼らの厚意に甘えることにした。
碇をあげて帆を張って、漁船はマーメイドヘイブンの港を出る。
「風神ウェントゥスも背中を押してくれるようだな。有り難い」
追い風が漁船を押してくれる。潮風が一行の船出を祝福するように、髪を優しく撫でた。
そんな中、漕ぎ手の漁師たちは軽快なリズムで歌い始める。
「その歌は……?」
「ウェントゥス様に捧げる歌だ。風神は音楽を奏でるのが好きだからな。もっと調子を上げてもらおうっていうのさ」
「そうそう。バーシウム様の腕の中からさっさと逃れられるようにな」
漁師たちは笑いながらそう言った。
風神ウェントゥスは、若くて美しい男として描かれることが多い。彼は他の神々の祝福を行き渡らせる幸福の象徴で、勝負をする者たちから絶大な支持を集めていた。
「ウェントゥス様もバーシウム様にキスをされるのが怖いんだ。だから、海の上はさっさと駆け抜けるのさ。俺たちはそれに便乗するために帆を張るってわけだ」
「そうか。この町では水神に手を出さないように祈り、風神の力を借りているわけだな」
「バーシウム様には大漁も祈るけどな。どっちも俺たちの生活には欠かせない神様だ」
「そうか……」
神々を大切にする民を前に、信心深いアリスもまた微笑む。
「昔は、バーシウム様が人恋しくて荒れ狂ってる時に、若くてイイ男を婿にやったらしいけどな。でも、これだけ大きな身体を持つ女神が、たかが人間一人で寂しさが埋まるわけないんだよなぁ」
漁師は遠い目でぼやく。
内海とはいえ、ひとたび港から出れば四方は海に囲まれて、急に心許なくなってしまう。これが大海原ならば、より顕著なことだろう。
「風神の力が借りられるのならば、そちらの方が断然いいだろう。神には神でしか対抗できない」
アリスは追い風を受ける帆を眺めながら言った。
昔は、海が荒れた時に若い男性を人身御供にしていたのだろう。信仰のためとは言え、命が失われるのは耐え難い。古い慣習がなくなったと聞き、アリスは心底安堵した。
「あの、手伝いましょうか?」
ラルフは自らも腕まくりをしながら、船を漕ぐ漁師たちに声をかける。だが、彼らはやんわりと首を横に振った。
「大丈夫。俺たちの方が慣れてるからよ。あんたたちは、大船に乗ったつもりで向こうに着くのを待てばいい」
「いや、そうはいかないみたいだぜ」
後方を眺めていたユーロンが、そう言った。
「えっ?」
一行はつられるように後方を見やる。
すると、何隻かの小舟が物凄い勢いで追いかけてくるではないか。
無駄に棘が付いたプレートメイルで身を固めた者もいれば、『仏恥義理』という謎のペイントを施した船に乗っている者もいる。
「いたぞー! お尋ね者だ!」
「待てーッ! 賞金首!」
誰もが武装をしていて、血眼になって漁船に追いすがろうとしている。
「冒険者じゃない!」
「いや、賞金稼ぎもいるんじゃねぇか?」
ジギタリスは悲鳴をあげ、ユーロンは目を凝らして追っ手を見やる。
「どっちにしたって、アリスの命を狙っているんだろ!? なんだよ、賞金首って!」
ラルフは非難の声をあげながら、身を乗り出した。
「おーい、誤解だ! アリスは悪いことなんてしてないってば! だから――」
ラルフが言い終わらないうちに、後方の小舟から矢が飛んでくる。アリスはラルフの首根っこを引っ掴み、強引に引き戻した。
「わっ……!」
ラルフの目の前に刺さる矢。追っ手からの宣戦布告の証。
ラルフはアリスの方を見やる。すると、アリスは頭を振った。
「無駄だ。彼らにとって私が無実かそうでないか関係ない。恐らく、賞金が必要なんだ……」
「もう、ぶっ飛ばすしかないでしょ! 私の魔法で一掃してやるわ!」
ジギタリスは風の元素を集め始める。
「いや、駄目だ! 彼らは誤解で私を追っているのだから!」
「じゃあ、一方的にやられてろって言うの!? あいつらが追いついたら、こんな船、木っ端みじんよ!」
「くっ……」
アリスは葛藤する。
船が大破したら仲間のみならず、漕ぎ手の漁師たちまで巻き込んでしまう。
「おい! やべぇぞ!」
全力で漁船を漕いでいた漁師が叫ぶ。
進行方向に、二隻の船があった。
そこそこ大きな一隻は帆船だ。貨物を積んでいるのだろう。アリスはその船の特徴を眺め、自分たちが護衛として乗るはずだったものだと悟る。
だが、先行していたはずのその船は、もう一隻の船に取りつかれて停まっている。帆船に勝らずとも劣らない規模のそれは――。
「海賊船だ!」
漁師が慄き、船を漕ぐ手に迷いが見られる。
「海賊船……だと!?」
「そうだ。あいつらは内海を根城にしてる海賊の一つだ! 最近、王都から追い出されたならず者の集まりだ!」
どうやら最近、王都で大規模な摘発があったらしい。そこから逃れた者たちが、内海で暴れているという。
よく見れば、海賊船から海賊たちが帆船に乗り込んでいるではないか。逃げ惑う船員は海賊たちに捕らえられ、海賊と戦う者たちも片っ端から斬り捨てられていた。
「私たちが乗っていれば、こんなことには……」
アリスは嘆く。
しかし、漁師は首を横に振った。
「いいや。どんなにあんたらが強くても、あの規模の海賊を相手にするのは無謀だ。命拾いをしたと思った方がいい」
「そうだ。あの海賊どもはヤバい。護衛の冒険者を何度も海に沈めてる。だから、俺たちも迂回するしかねぇ」
漁師たちが口々に言う中、アリスは沈黙していた。
前には海賊船、後ろからは追っ手。生き残るためには、海賊船を迂回するしかない。ただし、帆船を見捨てることになる。
「いいや。このまま真っ直ぐに行こう。帆を畳み、二隻の船の間を走るんだ。この船の大きさならできる」
アリスは決断し、前を見据えた。
「いやいや! できないこともねぇが、海賊たちに乗り移られたらどうするんだ! こんな船じゃなすすべもないぞ!」
「海賊は、私が処す」
「なんて?」
漁師のみならず、ラルフとジギタリスも目を丸くする。唯一、ユーロンだけが口角を吊り上げた。
「いいじゃねぇか。やろうぜ」
「ええ!?」
漁師たちは耳を疑った。
一方、ユーロンはアリスに問う。
「勝算はあるんだろう?」
「やるしかない。それだけだ」
「いいね。万が一の時はフォローするから、好きにやんな」
「いいのか……?」
「万に一がない方が一番いい」
「それもそうだ」
ユーロンは強い。強過ぎる。
しかし、魔王という彼の立場上、うっかり人間の命を奪ってしまうと人間と魔族の戦争の原因になってしまう。そのジレンマが、彼が迂闊に動けない理由となっていた。
それなのに、ユーロンはアリスの保険になるという。
その覚悟に、アリスは背中を押された。
「俺は何をすればいい? 船上の戦いなら、多少の経験があるけど」
ラルフも手伝う気満々だ。彼の真っ直ぐな心根に、アリスは勇気づけられる。
「君は漁船に残って、みんなを守ってくれ」
「それじゃあ、海賊船にはアリス独りで!?」
「いいや」
アリスは、ジギタリスの首根っこをひょいと掴む。事の成り行きを見守っていたジギタリスは、きょとんと目を丸くした。
「へ?」
「ジギタリスを連れて行く。彼女の風魔法があれば、帆船までひとっ飛びだ」
「なるほど!」
ラルフが納得し、ジギタリスが目を剥く。
「えええっ!? 無理無理! 風魔法であんたを運ぶって!? その後はどうするのよ!」
「私がどうにかする!」
アリスはずいっとジギタリスに詰め寄る。
使命感と正義感に燃える瞳を前に、ジギタリスはなすすべもない。
「ううう……。どうなっても知らないし、私が危なくなったら大魔法で一掃するからね!」
「そうならないようにする!」
ジギタリスの魔法は強力だが、帆船の船員や護衛を巻き込む可能性がある。海賊だけを確実に、そして、速やかに排除する必要があった。
ジギタリスはグリマルキンの姿に転じると、アリスの背中にしがみついた。
「ええい! どうにかなれーっ!」
ジギタリスの叫びとともに、集束した風の元素が解き放たれる。
風は漁船を大きく揺らしたかと思うと、ジギタリスもろともアリスの身体を跳躍させた。
次回、海賊船との決戦!?
そして、追っ手の賞金稼ぎ達は――?




