2 最弱聖女と見習い聖女の安らぎのひと時
「アリス先輩、ごめんなさい……。私がちゃんと説明できなかったせいで、アリス先輩の綺麗な顔がこんなことに……」
見習い聖女は震える声で言った。
彼女の名はミレイユ。数週間前に聖女の資格を得、パクスの教会に所属することになった。
「いいんだ。気にするな」
「あの、治癒魔法を……!」
「冷やしておけば治る。この程度で奇跡を行使しなくていい」
アリスは、申し訳なさそうなミレイユを視線でやんわりと包み込んだ。
外に出ると、夜の風がひんやりと頬を撫でた。
空はよく晴れていて、彼女らの世界を公転する衛星――いわゆる、月に相当するものだ――がぽっかりと浮かんでいる。
夜の闇を照らすその衛星は、エラトゥスという名の神として崇められていた。
エラトゥスは夜を往く人々を闇から守り、死者の魂を向かい入れるという。
ゆえに、弔いの儀式はエラトゥスが顔を出している時に行う。死者の遺体に火を放って火葬し、煙とともに魂を天まで届けるのだ。
エラトゥスの姿は欠けているが、雲一つない。シーフの魂は迷うことなく然るべき場所に行けそうだ、とアリスは少しだけ安堵する。
アリスは井戸水で頬を冷やすと、しょんぼりしているミレイユの頭をそっと撫でてやった。
「後輩を守るのが先輩の役目だしな。ミレイユが気にすることはない」
「でも、私があの時、しゃしゃり出なけば……」
「ミレイユは正しい説明をしようとしただけだ。それに、私を庇おうとしてくれたんだろう?」
「そ、それは……」
アリスが微笑むと、ミレイユは照れくさそうにうつむく。
「君は優しい。いい聖女になる」
「あわわ、憧れのアリス先輩のお墨付き……!」
「大袈裟だ」
「大袈裟じゃないです!」
アリスの否定に、ミレイユは目を見開いて反論した。
「アリス先輩はみんなの憧れです。美人で頭も良くてカッコいいですし、正義感が強くて優しいですし! 村の『旦那さんにしたいランキング』一位ですよ!」
ミレイユは興奮気味に拳を振り上げるが、アリスは苦笑を漏らした。
「生憎と、聖女は未婚である必要がある。そして私は、この仕事を辞めるつもりはない」
「くっ……! 私たちの戯れみたいなランキングに真面目に答えちゃうところと、仕事第一のストイックさが素敵なんですってば……!」
ミレイユは両手で顔を覆って悶絶する。
聖女とは、教会に所属して奇跡を起こす女性のことを指す。
聖女の資格は、特定の神の敬虔なる信徒であることと、処女であり未婚であること、そして、厳しい資格試験に合格したもののみに与えられる。
その後、彼女らは奇跡を求める人々のために働くことになる。
怪我や病気をした者に治癒魔法を施し、出産に立ち会って母子の無事を守り、死者の魂が正しき道を辿れるように弔いの儀式を行う。
聖女が多い地域は医療体制が充実していると言っても過言ではなく、住民の平均寿命が延び、出産率が上がり、必然と栄えるようになる。
だから、聖女の需要は高く、アリスらがいる辺境の村パクスも、村ぐるみで聖女の誘致に力を入れていた。
「シーフの方は……本当に残念でした。解析魔法で心肺停止してからの時間がわかったんですけど、蘇生可能範囲を超えていて……」
「そう……だな。私は自分の無力さを思い知らされたよ」
「そんなことない!」
声を張り上げるミレイユに、アリスが目を丸くする。
「先輩は凄いです! 超難易度が高い蘇生魔法を会得しているし、助からないはずの冒険者さんを助けたんですよ! それなのに、あの人……!」
フェンサーの無礼を思い出したのか、ミレイユはぶるぶると拳を震わせる。
「私たちがレベル1なのは当たり前じゃないですか。レベル制度は冒険者のためのもの。冒険に出て経験を積まなければ上がらないのに!」
この世界には、レベル制度というものが存在していた。
冒険に必要な技術をレベルとして可視化したもので、それらは冒険者に支給されるタリスマンが解析してくれる。
もともとは、世界各地に巣食う魔物と戦う際、冒険者が無謀な挑戦をしないよう配慮して導入されたシステムだが、いつの間にか、それが格差を齎すこととなってしまった。
ミレイユが言ったように、飽くまでも冒険者に対して最適化されたシステムなので、冒険に出ない聖女や司祭はレベル1――最弱判定になるのである。
「冒険者――か」
アリスは遠い目で呟いた。
「私がなぜ、蘇生魔法を習得するに至ったか知ってるか?」
「えっ、知らないです。っていうか、アリス先輩の秘密エピソードが聞けちゃうんですか?」
ミレイユがずいっと迫る。だが、アリスは自嘲めいた笑みを漏らした。
「大した話じゃないさ。司祭様も聖女長も知ってる。私は元々、冒険者になりたかったんだ」
「冒険者に!? そりゃあ、冒険者は表舞台に出れて華やかですし、一獲千金が狙えて夢がある仕事ですけど、聖女の方が生活が安定してるのに……」
「華やかで一獲千金が狙えるからじゃない」
アリスは、やんわりと否定した。
「冒険者は常に、死と隣り合わせだからだ。危険地帯に赴き、時に強力な魔族と戦い、そのまま帰ってこない者たちが後を絶たない。蘇生魔法を会得した聖女がいる教会も限られているし、運び込んだ時には手遅れということも多い」
「そう……ですね。さっきのシーフの方みたいに……」
ミレイユは、教会の方を見やる。
教会前の広場からは、白い煙がゆるゆると上がっていた。今ごろ、司祭や聖女長たちが弔いの儀式を行っているのだろう。
「もし、私が現場にいたら……全員助けられたかもしれない。そうは思わないか」
「それは……!」
ミレイユは答えに困る。それは、肯定しているも同然だった。
「蘇生魔法は、心肺停止になった時点から間もなければ間もないほど成功率が高い。だから私は、常に冒険の最前線に出て、彼らとともに戦い、彼らの命を一つでも多く繋ぎ止めたいと思ったんだ……」
「それでわざわざ、蘇生魔法を会得して冒険者になろうと……」
悔しげなアリスに、ミレイユは絶句する。
「た、たしかに、アリス先輩が言ってることは正しいです。けど、蘇生魔法を習得するには猛勉強をして厳しい修行もしなきゃいけないじゃないですか。それなのに、冒険者は一瞬で死ぬかもしれないんですよ!?」
理解が出来ない、と言わんばかりのミレイユに、アリスは諭すように問う。
「君は何故、聖女に」
「それは……、聖女としての実績を積めば、いつか、王都の大聖堂にスカウトされて、故郷に錦を飾れるんじゃないかと思って……」
「なるほど。強かな理由だな」
「私、本当にダメなやつで……。幼いころから両親に迷惑ばっかりかけて……。だから、出世をしたら、両親に仕送りをいっぱいして、美味しいものをいっぱい食べてもらいたいんです」
しどろもどろにそう言うミレイユを、アリスは眩しそうに見つめていた。
「アリス先輩も……冒険者よりも聖女の方がずっと、ご両親は喜ぶのではないでしょうか」
「……私の両親は、とうに死んだ」
「あっ……」
ミレイユはとっさに口を噤む。
「別にいい。死別して久しいし、もう、慣れてしまった」
「アリス先輩は……どうして聖女に?」
ミレイユは遠慮がちに尋ねる。
「スカウトだよ。蘇生魔法会得後に司祭様からスカウトされて、村長に背中を押され、聖女になった。ここの教会は、蘇生魔法が使える聖女が欲しかったらしい」
「確かに、蘇生魔法が使える聖女なんて、王都かそれに匹敵する大都市じゃないといないですし……」
アリスたちがいるパクスという村は、辺境にあるので交易が盛んではない。
気候がいいので自給自足が可能で、生活していくぶんには問題ないが、村が発展して町になることで、人々は更に豊かになるはずなのだ。
そこで、聖女である。
蘇生魔法が使える聖女がいる村であれば、冒険者が拠点にしやすい。そうすれば、冒険者相手に商売ができて経済が回るし、物資に多様性も生まれるだろう。
アリスの肩には、村の発展計画が重くのしかかっていた。
「私はアリス先輩とお会いできたのは嬉しいですし、アリス先輩に危険なことをして欲しくないですけど、アリス先輩的には……聖女をやってるってどうなんですか?」
「村長は身寄りが無くなった私を援助してくれた。司祭様もだ。その恩には応えたい」
「でも、冒険者には未練があるんですよね」
「……そうだな」
「抜け出しちゃいます?」
ミレイユは、悪戯っぽく言った。
「なっ……! それは、駄目だろう。あまりにも無責任すぎる……」
「ですよね。真面目なアリス先輩が乗ってくれるわけないかぁ」
ミレイユは溜息を吐く。
「当たり前だ。なにを考えているんだ、まったく」
「でも先輩」
ミレイユは、間髪を容れずに続けた。
「私、アリス先輩には幸せになって欲しいんです。だって先輩、いつも眉間に皺を寄せてるし。先輩が笑ってくれるなら、私、何だってやりますもん」
「私は――幸せだよ。今でも、充分」
「えー、うそうそ!」
抗議するミレイユであったが、彼女の頭に、アリスはそっと手のひらを載せた。
「君のような優しい後輩に親切にしてもらえるのだから、幸福者だよ」
アリスの桜色の唇に微笑が添えられる。凛々しくも美しい、極上の笑みであった。
それを見たミレイユは、声にならない悲鳴をあげそうになる。
「ぎゃああああっ!」
だがそれは、断末魔の悲鳴にかき消された。