28 最弱聖女、刺身を食す
マーメイドヘイブンの冒険者ギルドはスタティオほど大きくなかったが、受付にはカジキの立派なレリーフが飾られていた。
冒険者ギルドに寄せられる依頼は、やはり海の魔物の退治が多い。反社会的勢力の討伐もあるが、相手は盗賊団ではなく海賊だ。
「この辺りでは海賊が出るのか」
ギルドに貼られた依頼書を見るアリスに、「勿論」とギルドの職員は言った。
髪をベリーショートにした、気風のいい女性スタッフである。日焼けをしていて、肌は健康的な小麦色だった。
「貿易船の往来も多いからね。そいつを狙ってくるのさ。ウチの町には自警団もいるけど、手が足りなくてね」
「それで、外部から来た冒険者に頼むということか」
「そういうことさ。あんたたちもどうだい?」
スタッフは歯を見せて笑う。しかし、アリスは申し訳なさそうに目を伏せた。
「手伝いたいのは山々だが、これから船に乗って王都に向かわなくてはいけないんだ……」
「ああ、それなら仕方がないね。何日か滞在するようだったら頼みたかったけど」
「だが、我々が海賊と遭遇した際は、必ずや仕留める」
アリスは、責任感たっぷりに答えた。
「ははっ、頼んだ。と言っても、自分の命優先で頼むよ。ここのところ海賊が増えていることだし、たった三人のパーティーには荷が重いからね」
「えっ、私もパーティーに入れられてる?」
ジギタリスは目を丸くした。
それに対して、アリスとラルフはキョトンとしてしまう。
「君は貴重な戦力の一つだ。当たり前だろう」
「でも、冒険者じゃないし……」
「仲間ってことさ」
戸惑うジギタリスにラルフがそう言い、アリスが頷いた。
「仲間……か。なんかむず痒いわね」
ジギタリスは三角帽子のつばを掴むと、ぎゅっと帽子を目深に被って表情を隠す。照れているのだ。
それを見ていたスタッフは、微笑ましげに笑っている。
「青春だねぇ。王都に行くなら、いいタイミングだ。明日、王都方面行きの船が出るからね。紹介しようか?」
どうやら、王都方面に向かう船が護衛を募集しているらしい。冒険者が護衛として乗るならば、乗船料を免除してくれるという。
「おお、助かる!」
アリス達は目を輝かせた。ジギタリスの貴重な魔法薬を換金せずに済みそうだ。
「三人って先方に伝えておいていいかい?」
「いや――、四人だ。うち、二人は冒険者ギルドに登録していないが、大丈夫だろうか?」
「一人は、そこにいる魔女のお嬢ちゃんだろ? もう一人は?」
「サシミが食える店を探している」
アリスは、ユーロンのことを思い出しながら答えた。
「ああ。あの東方の料理だっけ? その仲間は、イーストランドから来たのかい?」
「……恐らく」
アリスはユーロンのことをよく知らないので、曖昧に頷く。
「まあ、どこの出身かはどうでもいいけどね。レベルはどれくらいなんだい?」
「計測不能だ」
「ふぅん? アンチアナライズの使い手ってことかね。あれは高度な技術らしいし、問題なさそうってことにしておくわ」
「助かる」
本当は魔王で、土石流を砂の雨に変えるほどの天災的実力の持ち主だとは口が裂けても言えなかったし、信じてもらえるとも思わなかった。
それに加え、ユーロンは魔王という立場上、手出しができない。万が一、魔王が人間を殺したとなっては、人間が魔族の領域に攻め入る理由を与えてしまうからだ。
スタッフはさらさらと書類を作成し終え、後ほど船の船長に申請すると約束してくれた。
全てがスムーズに済み、ギルドを後にしようと一行が踵を返した瞬間、出入り口の前にたたずむ金髪の胡散臭い男が目に入った。
「ユーロン、いつの間に」
「さっきからいたぜ。おおよその話は聞いた。船は確保できたみたいだな」
「ああ。護衛という条件付きでな」
アリスの言葉を聞き、壁に寄りかかっていたユーロンは身体を起こす。
「いいんじゃねぇの? ギブアンドテイクってやつだ。俺は守るくらいなら出来るから、万が一の時は防御に回るぜ」
「それは助かる」
守ってくれるのならば、頼もしいことこの上ない。
聖騎士団との戦いの際も、ユーロンはアリスを守ってくれた。即死魔法が効かない魔王が盾になってくれるというのなら、それだけで攻勢に専念できるというものだ。
「それで、サシミの店は見つかったのか?」
「ああ。市場にある大衆食堂で提供してるとさ。料理人に東方人がいるんだ」
ユーロンはどことなく嬉しそうであった。
「やっぱり、グルメなんだな……」
浮かれる魔王を前に、ラルフは苦笑する。
「そりゃあ、美味いもん食った方が元気になるだろ。いいもんを食ってこそ、いい旅ができるってモンだ」
「それは一理ある! 美味しいものを食べると元気になるしな!」
ラルフは全面同意した。
「ついてきな。案内するからよ」
ユーロンはそう言って、悠々と冒険者ギルドを後にした。
ユーロンが一行を連れて来たのは、大衆食堂であった。
古びた木造で、あちらこちらに修繕の跡がある。スタティオの料亭とは打って変わった庶民くささに、アリスとラルフは目を丸くした。
食堂の近くにある港には、木製の漁船がずらりと並んでいる。磯の香りが一層強くなっており、波が打ち寄せる音がよく聞こえた。
大衆食堂に足を踏み入れると、ずらりと並んだごつい男たちが一斉にアリスたちの方を見やる。どれも冒険者に劣らぬ筋肉の持ち主だ。
日焼けをしている彼らは、漁業を営む海の男たちなのだろう。アリスは自分たちが場違いなのだと自覚する。
だが、ユーロンが「連れてきたぜ」と声をかけると、一同の表情が和やかになった。
「なんだ、どこの面倒くせぇ冒険者どもかと思ったら、あんたの仲間か。それなら歓迎だ」
カウンター席の向こうには、頭を丸めた髭の濃い男がどっしりと構えていた。
食堂の主人なのだろう。その背後では、料理人たちがせわしく調理している。
主人は白い歯を見せて笑いながら、一行をカウンター席へと促した。
「冒険者が、何か問題でも?」
アリスはまず主人に頭を下げてから、そう訊ねた。
「つまらねぇ話さ。郷に入っては郷に従わない連中が多くてね。海では俺たちみてぇな人間の言うことを聞いて欲しいんだが、レベルがどうのと言って聞かねぇ奴が多いんだ。だから、ウチは冒険者お断りにしてるわけよ」
「なるほど……。そんなことが……」
「思い当たる節があるって顔だな。冒険者のお嬢ちゃん」
「私は冒険者になったばかりだ。冒険者になる前に、色々な人間を見てきた」
パクスに運ばれてきた冒険者たちや、スタティオのギルドでスタッフに狼藉を働いた三人組。いずれも、自分たちのレベルの高さを誇示してきたことを思い出す。
「冒険者になると、序列が明確になるからな。飽くまでも冒険者の中での物差しに過ぎないのだが、それに気付かない者も多い」
アリスは眉間に皺を深く刻む。
「勿論、そういう人間ばかりではないけどな。ラルフのように正しき心の持ち主もいる」
アリスはラルフの方を見やり、頼もしい仲間のフォローを忘れなかった。しかし、肝心なラルフの表情は晴れない。
「どうした?」
「いや……、どうだろうと思って。俺は、自分の方がレベルが高いから偉いとは思わないけど、レベルが高い自分が低い人たちを守らなきゃって思ってるな……と」
「ラルフ……」
「アリスが俺を高く評価してくれるのは有り難いけどさ。根本的なところは、きっと同じなんだよ。レベルが低い人を弱者だと思ってる。アリスみたいに、そうとは限らないのに……」
ラルフは真剣に悩み出す。そんな彼の背中を、力強く叩く者がいた。
「いたっ!」
「なーに辛気臭い顔してんのよ。ご飯を食べるところなのにさ」
ジギタリスだった。
「限られた範囲の物差しかもしれないけど、レベルが高ければ戦いにおいて強いってことだから、全面的に間違ってるわけじゃないのよ」
「そ、そうかな……」
「そういうもん。私は高レベルらしいし、低レベルで生意気な連中にはマウントしちゃうかも」
ジギタリスは悪戯っぽく笑った。
「まっ、私は郷に入っては郷に従うタイプだけどね。水神の領域を進むには、水神の扱いに慣れてる連中の言うことを聞くのが一番。自分勝手に行動して、バーシウムにキスされるなんて御免だわ」
「要は、物差しの使い分けが必要ということだな」
アリスがそうまとめると、ラルフが納得したような顔をし、ジギタリスが頷く。
「冒険者の連中は戦い慣れてるし、頼もしいんだけどよ。それが全てじゃねぇって俺たちは思うわけよ」
主人はそう言いながら、四人にお冷を出した。
「そもそも、ここは地元の人間の憩いの場らしいしな。郷の中の郷だ」
ユーロンは水を啜りながら言った。
「そ、そうなのか。そんな場所に、我々のような余所者がお邪魔してしまってすまない……!」
アリスは主人に頭を下げる。だが、主人は首を横に振った。
「いいってことよ。そこの兄ちゃんは食通らしいし、腕っぷしも強いから気に入った。何せ、俺との腕相撲に買ったんだからな」
主人は笑いながら力こぶを作る。めきっと硬さを増す上腕二頭筋を前に、アリスは主人とユーロンを交互に見やった。
「腕相撲をしたのか?」
「それが郷のやり方だっていうから、従ったまでさ」
ユーロンは、何ということもないようにヒラヒラと手を振った。海の男たちの土俵の上で勝負をし、尚、相手を負かしたことで気に入られたのだろう。
「で、サシミの盛り合わせだったな。ほら、出来てるぜ」
ユーロンが既にオーダーを済ませていたらしい。主人は問答無用で、四人の前に刺身の盛り合わせを出してくれた。
「おお……!」
花のように美しい盛りつけに、アリスたちは目を輝かせる。
新鮮な生魚の切り身の一つ一つが、花弁のように並べられている。紅白に彩られたそれは食堂の控えめな明かりに照らされて輝き、水神が恵んでくれた宝石のようであった。
あまりにも美しい。解析魔法を使うのは、もはや、野暮のように思えた。
「い、頂きます……!」
アリスは手を合わせると、ぎこちない動作で箸を持ちつつ刺身を取る。
解析魔法を使わないのが礼儀だ。しかし、未知の料理を毒見する必要はある。そう思って、先陣を切ったのだ。
「醤油につけて食いな。ワサビも付けると更に美味いが、そこはお好みってところだな」
「それなら、まずはショーユだけつけてみるか。生魚を食すのは初めてだが……」
アリスは刺身に醤油をつけると、恐る恐る口にする。
「アリス……」
隣に座っているラルフは不安げだ。
そんな彼の前で、アリスの目がカッと見開かれた。
「な、なんだこれは……!」
「アリス、大丈夫か!?」
ラルフはアリスに声をかける。だが、その言葉はアリスの耳に届いていなかった。
アリスはわなわなと震えると、こう叫んだ。
「美味い、美味過ぎる……! この魚、捌かれても尚、舌の上で弾けているぞ!」
「そんなに!?」
感動に打ち震えるアリスに、ラルフは目を丸くする。
それに対して、ユーロンはご満悦だ。
「お、気に入ってくれたか」
「なぜだ……。文明の火を使っていないのに、こんなに美味いとは……。このショーユは魔法薬の一種か……?」
「大豆と小麦を麹にして、発酵させたものですね」
カウンターの向こうから、シンプルな顔立ちの料理人が声を投げる。
「大豆と小麦で、こんな調味料が…‥?」
「そうです。自分、イーストランドから来たんですよ。東方の料理の美味しさを知って欲しくて」
どうやら彼は、東方人らしい。
やけに腰が低く、アリスに何度もぺこぺこと頭を下げている。
「いやはや、どうして文明の火を使わないのかと思ったが、生魚特有の美味さが引き出せる調味料を使っているとは……。東方の料理は奥が深い……」
アリスは感心しながら二切れ目を食べようとする。
だが、その横でラルフとジギタリスが呻いた。
「うぐっ」
「ぎにゃっ!」
「どうした、二人とも! 寄生虫か!?」
焦るアリス。だが、ユーロンと料理人は訳知り顔で笑っていた。
「ワサビだ」
「えっ?」
見ると、二人は刺身に大量のワサビを付けていた。
どうやら、ワサビの辛さが鼻に来たようで、ラルフは目頭を押さえ、ジギタリスはフレーメン反応のまま固まっていた。
「めちゃくちゃツーンとする……。こんなの、初めてだ……」
ラルフは涙目である。
「ワサビはほどほどにしておいた方がいいですよ。自分やマスターはガッツリつけちゃうんですけどね。慣れてない人は少しずつの方がいいかと……」
料理人は二人を同情の眼差しで見つめたかと思うと、追加のお冷を出してくれた。
「東方の料理は……奥が深いな」
アリスも慎重にワサビをつけてみるものの、ピリッとした刺激に顔をしかめた。まだ、自分にも早いらしい。
そんな中、ユーロンは平然として大量のワサビを醤油に溶かし、いつの間にか頼んだ麦飯で刺身を食らっていた。
「はー、うめぇ……」
刺身をじっくりと咀嚼すると、ユーロンはしみじみと息を吐く。そんな彼の横顔を、アリスはぼんやりと見つめていた。
「ん、どうした? ワサビの味わい方でも教えてもらいたいのか?」
アリスの視線に気づいたユーロンは、にやりと笑う。
「いや、結構。私もまだまだのようだからな……」
「そいつは残念」
ユーロンは肩を竦め、再び刺身に意識を戻す。
ユーロンの正体が魔王だとわかっても尚、胡散臭く、内心が読めない男だ。彼が戦争ではなく和平を望んでいると知っても、アリスは彼のことを警戒していた。
だが、美味しいご飯を味わっている時のその表情だけは、彼の本心から来るものなのだろう。包み隠すことなく晒される至福の顔は、嫌いではないとアリスは思った。
(また、彼の食事に付き合うのもいいかもしれないな)
もう少しだけ、彼の素顔が見たい。
アリスはそう感じながら、控えめにワサビをつけつつ、刺身の盛り合わせを味わった。
刺身を囲んでのひと時の安らぎ。
だが、魔の手は確実に迫っていて――。




