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27 最弱聖女、港町に着く

 目指すは王都。

 王都へ行くには、内海を船で渡らなくてはいけない。

 そこで、一行は乗り合いの馬車に乗り、港町マーメイドヘイブンまで向かった。



 馬車から降りると、潮風がアリスの黒髪を撫でた。

「おお……!」

 アリスの唇から感嘆が漏れる。


 なだらかな石畳の下り坂が続き、煉瓦や木で造られた建物がずらりと並んでいた。

 その先には、水平線がはっきりと見えた。海は太陽の光を受けてキラキラと輝き、船は真っ白な帆を張って進みゆく。


「アリス。お前さん、海は初めてかい?」

 ユーロンに問われ、アリスは頷いた。

「ああ。書物で見たことはあったんだが」

「知識として取り入れたモノと、実物は違うだろ」

「そうだな。風が不思議なにおいを運んでくる。まるで、命を煮詰めたような……」

 アリスは鼻を鳴らし、磯くささを感じた。

「あの中では、生物が生まれて死んでいく。命の終着点にして始まりの場所だから、命のにおいがするんだろうな」

 ユーロンは遠い水平線を眺め、しみじみとそう言った。

 ラルフもまた、長い馬車旅ですっかり固まった身体をほぐしながら、辺りを見回す。

「水神バーシウムの領域だもんな。俺は何度か来たことがあるけど、港町は雰囲気が独特だよなぁ」


 水神バーシウム。

 水の元素を司る女神だ。街の入り口に、彼女を模した銅像が建てられている。

 下半身は魚、上半身は美しい女性の姿をしたバーシウムの像のそばでは、熱心に祈る海の男たちがいた。

 船旅の無事を祈っているのか。それとも、大漁を願っているのか。

 美しくも恋多き魔性の水神は、多くの生命を育み、多くの恵みをもたらしてくれるが、それと同時に、恐ろしい側面も持っていた。

 彼女は惚れっぽく、惚れた相手は老若男女問わず水の中に引きずり込んでしまうという。ゆえに、水死した者は、「バーシウムにキスをされた」のだと言われることもあった。


「おっかない女神様よね。彼女が恵みをくれるのは有り難いけど、私は苦手」

 ジギタリスは、青い顔をして震える。

「まあ、確かに。炎神サピエンティアも激しい神だが、バーシウムも適切な畏れをもって接しなくては痛い目を見るからな」

 アリスは頷く。だが、ジギタリスが妙に怯えているのが気になった。

「君は確か、風魔法の使い手だったな。属性的には相反するわけでもないような……」

「私は濡れるのが嫌いなのよ」

 ジギタリスは、ずいっと詰め寄る。

「猫だからな」

 ユーロンが付け加えた。

「ああ、そういう……」

「私にとって、水は大敵なのよ! 濡れると渇きにくいし、体温が奪われるし…‥。泳ぐなんてもってのほかだからね!」

「大丈夫だ。船を使う」

「頑丈な船にして! とにかく、強そうなやつ!」

 ジギタリスは拳をギュッと握りしめて強調する。

「そうしたいところだが、資金が潤沢というわけでは……」

「換金できるものならある!」

 ジギタリスは、自らのバッグの中身を見せつける。中に入っているのは、瓶入りの魔法薬だった。

「なるほど。魔法薬は何処でも喜ばれるからな」

 アリスは目を輝かせた。しかし、その表情はすぐに曇ってしまう。

「だが、君の主人と調合したものだろう? 換金するのは勿体ない気もするが……」

「んー。確かにそうだけど、背に腹は代えられないしね。魔法薬は消耗品だし、ずっと取っておくわけにもいかないから」

「それもそうか……」

 アリスは、ジギタリスの言い分に納得する。

「それじゃあ、この町の冒険者ギルドに相談してみよう。道具屋が何軒かあるから、魔法薬を高額で買い取ってくれるところを紹介してもらうんだ」

 ラルフはそう言って先行する。


 歩き出すと、潮風が心地よかった。陽射しが強く眩しかったため、アリスは目を細めて進む。

 スタティオも栄えていたが、このマーメイドヘイブンも活気に溢れていた。

 筋骨隆々の海の男たちや、快活な海の女たちが行き交う。老人は足取りがしっかりしていて、子どもは笑顔で溢れていた。

 通り沿いに食事処が散見されたが、魚の看板を掲げている店が多い。港町だけあって、魚介類をメインにしている店が多いのだろう。

 焼いた魚のにおいが、ふわりとアリスの鼻孔をくすぐった。

「お腹が空いたな……」

「馬車に乗ってるのが長かったしね。私もお腹空いたー」

 ジギタリスも頷く。それを聞いたラルフは、顔だけ振り向いた。

「それじゃあ、冒険者ギルドに行った後に飯にしようか。焼き魚が美味しいところ、知ってるからさ」

「やったー、ごはん!」

「ラルフは頼もしいな」

 ジギタリスは諸手を挙げて喜び、アリスはラルフを称賛する。

 そんな中、最後尾でマイペースに歩くユーロンがぽつりと呟いた。


「刺身を食いてぇな」


「サシミ?」

 アリスたちは鸚鵡返しに尋ねる。

「東方の料理さ。生の魚を捌いたものだ」

「生魚を食う……だと? それは大丈夫なのか?」

 アリスは怪訝な顔をする。

「恐れながら、魚は焼いた方が美味しいので……。私も、マスターが調理したものを御馳走してくれてからは、焼き魚を食べるようにしておりますゆえ……」

 ジギタリスは、魔王であるユーロンに及び腰になりながら意見した。しかし、ユーロンはにやりと笑う。

「分かってねぇな。刺身にわさびと醤油、そして白米が最強なんだぜ?」

「ワサビとショーユって、東方の調味料だよな。そんな高級品、この町にあったかな……」

 ラルフは記憶の糸をたぐり寄せる。

「スタティオに東方料理の料亭があるんだ。港町にあるだろ。刺身を食うなら奢ってやるぜ」

「おお、太っ腹……」

 奢りと聞いて、ラルフとジギタリスが目を丸くする。しかし、アリスだけが浮かない表情だった。

「そのサシミだが、我々が食べても平気だろうな?」

「はっ、確かに!」

 ラルフは気付く。

 ユーロンは人間の姿をしているが、ドラゴンの血族らしい。当然、消化器官も丈夫だろう。

「東方の人間も食ってるぜ。安心しな」

「そ、そうか。それなら……」

「ただ、たまに寄生虫がいるらしいけどな」

「文明の火を通せ! 加熱しろ! 生で食うな!」

 アリスは目を剥き、即座にツッコミを入れる。

「野蛮なことを言うなって、刺身は美味いんだよ」

「野蛮はどっちだ! 寄生虫を体内に入れるリスクを冒してまで食うものか!? 炎神サピエンティアに浄化をしてもらえ!」


 炎神サピエンティアの浄化――すなわち、火を通す。大抵のものは、それで安全に食べられるようになる。それこそ、サピエンティアの恵みにして英知だ。


「リスクを冒してまで食うもんさ。イーストランドにいる東方人に聞いてみろよ。というか、お前さんの奇跡で寄生虫の駆除くらいできるだろ?」

「珍味のために我らがクレアティオの奇跡を行使しろと!?」

 アリスはのけぞって憤慨した。

「そもそも、クレアティオの光は全ての生命に平等に降り注ぐもの。寄生虫も生き物だ。駆除はできない」

「だが、寄生虫に腹を食い破られそうになったら、流石のクレアティオも助けてくれるだろ」

 二人のやり取りを聞いていたラルフとジギタリスは、青い顔でお腹を押さえる。どうやら、寄生虫に食い破られるところを想像してしまったらしい。

「排出の助けならばできそうだが……」

 アリスは渋い顔だ。

「じゃあ、粛清の力で何とかならねぇか?」

「即死魔法は目視できないと使えない……。それに、目視できるくらいなら手作業で排除する」

「よし、それでいこう」

 ユーロンの中で話がまとまったらしい。彼は一行から離れ、食事処が集まる区画へと足を向ける。

「おい、勝手に……!」

「冒険者ギルドに行くんだろ? 俺は刺身が食える飯処を探して合流するからよ。先に行っててくれ」

 ユーロンはアリスの返答も待たずに、さっさと立ち去ってしまった。


「自由な奴だ……」

「というか、グルメなんだろうな。スタティオの料亭で食べた料理もめちゃくちゃ美味しかったし……」

 また食べたい、とラルフは夢見心地になる。

「諸国漫遊されてたみたいだしね。あの方なりの目的があったみたいだけど、各国の名物を食べたいっていう理由もあったりして……」

 魔王がいなくなって緊張がほどけたのか、ジギタリスは深々と息を吐いた。


「いずれにせよ、我々の言い分は聞いてくれないだろうな。サシミとやらを食べることになったら、解析魔法で寄生虫がいないか確認しよう」

「助かるよ、アリス。生魚を食うなんて、文明の火が使えない者のやることだと思ったのに……」

 眉間を揉むアリスと、溜息を吐くラルフ。

 魔王に振り回される一行は、情報を得るべく冒険者ギルドに向かった。

食通魔王に振り回されるアリスたち。

果たして、アニキサスの脅威から逃れられるのか――!?

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