1 最弱聖女、《蘇生魔法》の無力さに苦悩す
「緊急救済だ!」
辺境の村パクスにある質素な教会に、けたたましい鐘の音が響いた。
村の者が寝静まる深夜であったが、常駐の司祭や当直の聖女は、教会裏の搬送口に駆けつける。
荷馬車で運ばれてきたのは冒険者二名。剣士とシーフだ。付き添いの女性ソーサラーは半狂乱で泣きじゃくっている。
フェンサーは全身に大火傷を負っており、シーフに至っては身体の半分が原形を留めていない。
いずれも死亡判定を免れないだろう。
「解析魔法で症状確認! 脈を測って!」
「はい!」
聖女たちのリーダーである聖女長が指示すると、見習いと思しき聖女が頷き、運び込まれた二名に解析魔法を施す。彼らの状態が即座に可視化され、他者への共有が可能になった。
「何があったのです?」
司祭はソーサラーを宥めるように、やんわりと尋ねる。ソーサラーは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら答えた。
「うぐっ……ひぐっ……盗賊団の……アジトを壊滅させようと思ったら……罠があって……」
シーフの状態が酷いことから、シーフが罠を解除し損ねたことがわかる。司祭はソーサラーについてやりつつ、解析魔法を使った見習い聖女の方を見やった。
「解析結果は」
「両名とも心停止しています。しかし、フェンサーさんは蘇生可能です」
「わかりました。蘇生儀式の準備は」
「できています」
教会の奥から、凛とした声が響いた。
烏羽玉の黒髪をボブカットに切り揃えた、美しい少女であった。
他の聖女と同じ純白の法衣を身にまとっていたが、あまりにも凛々しいラベンダー色の双眸は、責任感に燃えている。
場の空気が一変する。他の聖職者とは一線を画した雰囲気。
事実、彼女が現れた瞬間、聖職者らからは安堵のため息が漏れた。
「アリス・ロザリオ」
司祭にアリスと呼ばれたその少女は、「はい」と返事をした。
「あなたの救済が必要です」
「我らが神クレアティオの名にかけて、必ずや」
冒険者一行は、アリスとともに奥の部屋に通される。
豊穣神クレアティオの聖像が見守る、救済措置のための儀式部屋である。聖女らは各々の配置につき、結界を展開して儀式に不要な魔力を遮断した。
「お願い……助けて……」
ソーサラーは床にひれ伏さんばかりに懇願する。そんな彼女に、アリスは言った。
「顔を上げてください。救済可能な方を救済します。クレアティオに代わって善なる人々に尽くすのが、我ら聖女の役目です」
アリスの言葉に、聖女一同は頷く。
フェンサーは部屋の中心のベッドに横たえられ、アリスがその前に立つ。
フェンサーの全身はひどく焼けただれ、もはや、男女の判別すらできない。同パーティーのソーサラーがいなければ、身元不明の遺体として処理されていることだろう。
アリスは解析魔法の鑑定結果を見やる。
呼吸なし。心機能停止。
生き物としては、死んでいる。
ここから少しずつ時間をかけて、肉体が崩壊していき、それにともなって魂も散り散りになっていき、死が身体を蝕んでいく。
だが、心機能が停止してから間もない。
忍び寄る死を振り払うように、アリスは高らかに唱えた。
「クレアティオの代行、アリス・ロザリオが行使する! 生命を繋ぐ扉を開放し、かの者の死を退けよ!」
刹那、室内が力強い光に満たされる。
あまりの眩さにソーサラーは目を細めた。聖女らは結界を維持しながら、司祭は祈りながらアリスの魔法――いや、奇跡を見守った。
危篤状態であったフェンサーの焼けただれた身体は清浄な光に包まれ、損傷した組織が急速に回復する。焼け落ちたはずの皮膚も再生し、フェンサーが力強い男性であったことが明らかになった。
フェンサーの肉体の隅々まで奇跡が行き渡ったのを確認すると、司祭は一糸まとわぬ彼に貫頭衣を着せてやる。
ソーサラーは奇跡を目の当たりにし、唖然としていた。
だが、フェンサーの瞼がピクリと動き、唇から呻き声が零れた瞬間、ソーサラーの痛ましかった涙は喜びの涙に変わった。
「生き……返った……?」
「蘇生魔法です」
司祭が間髪容れずに解説した。
「当教会に所属しているアリス・ロザリオは、王国デルタステラ内でも数えるほどしかいない蘇生魔法の使い手なのです。彼女の力なくしては、彼は蘇らなかったでしょう」
「蘇生魔法!? そんな高度な魔法を使える方が辺境の地にいるなんて!」
ソーサラーは驚嘆しながらアリスを見やる。
だが、アリスは目を伏せるだけであった。
「ううっ……」
フェンサーはゆっくりと上体を起こそうとする。ソーサラーは慌ててそれを手伝った。
「ああ、目が覚めたのね……!」
ソーサラーは感極まってフェンサーの手を取る。剣を握るための厳つい手は、力強さをすっかり取り戻していた。
「……俺は……盗賊団のトラップで死んだはずじゃ……」
「聖女様が蘇生してくれたのよ! 真っ黒こげになったあなたを!」
「そいつは、マジか……。死者蘇生なんて噂くらいしか聞いたことがなかったが、まさか、行使できる聖女様がいるとは……!」
ソーサラーに促され、フェンサーはアリスの方を見やる。
だが、アリスの表情は優れなかった。
他の聖女たちもそうだ。司祭もまた、神妙な面持ちで頭を振る。
部屋の一角に、静かに横たえられた遺体があった。見るも無残なその遺体は、フェンサーとともに運び込まれたシーフのものだった。
「あいつは……これから蘇生してくれるのか?」
フェンサーの問いに、アリスは首を横に振った。
「なんでだよ! 俺なんかよりあいつを蘇生してくれよ! あいつがレベルに見合わないトラップを解除しようとしたのは、俺が無理矢理やらせたからなのに……!」
フェンサーは、アリスの胸ぐらを掴もうとする。
「あのっ……!」
両者の間に、見習い聖女が割って入った。
「あちらの方は、心機能が停止してから時間が経っていたんです。蘇生不可能だったんです!」
「蘇生不可能だと? 死んだやつを生き返らせるのが、蘇生魔法なんじゃねーのかよ!」
フェンサーの怒りに満ちた拳が、見習い聖女に向けられる。
だが、フェンサーが殴りつけたのは、見習いをかばったアリスだった。
ゴッと鈍い音が響く。
「アリス先輩!」
見習い聖女の悲鳴があがる。
「そんな……! 私の代わりに殴られるなんて……!」
「気にするな。それよりも、彼らには説明が必要だ」
事の次第を見ていた者たちの顔が青ざめ、フェンサー本人ですら気まずい顔をするが、ただ一人、アリスだけは怯まなかった。
白絹で編まれたかのような右頬を殴打されても尚、彼女はフェンサーを真っすぐ見つめていた。
「蘇生魔法とは、心停止して間もない対象の生命活動を正常に戻す魔法です。心機能が停止すれば、時間経過とともに肉体が維持できなくなり、魂が散らばっていく。生命が崩壊した者を呼び戻す手段はありません。少しずつ生命活動が停止したあなたとは違い、シーフの方はトラップで即死され――」
「う、うるさい!」
アリスの説明を、フェンサーが遮る。
「難しい御託なんてどうでもいい! あいつを蘇らせてくれって言ってんだよ! 金が足りないなら、金を積む。だから!」
フェンサーの悲痛な叫びが響く。彼も、頭ではアリスの説明を理解しているのだ。しかし、感情が追いつかず、ただ、悲しみに翻弄されるままになっていた。
状況を見かねた司祭が、フェンサーを止めに入る。
「可能ならば、我々も蘇生したいのです。しかし、蘇生魔法というのは迫りくる死を退けるものであり、完全に死に蝕まれた方は救済できないのです。我々にできるのは、魂に正しい道をしめすことくらいしか――」
「俺の言うことが聞けないっていうのか……! お前ら全員、レベル1で最弱のくせに!」
フェンサーの悲しみは怒りになり、八つ当たりをするように叫ぶ。
「俺はレベル10なんだ! お前らが束になっても勝てねぇんだ! だから……っ!」
「やめなさい!」
ソーサラーの平手が、フェンサーの頬を叩く。
痛々しい音が室内に響いた。
「どんなにワガママを言っても、あの人は帰ってこないの! それどころか、助からないはずだったあなたを助けてくれた聖女様に手を上げるなんて! 一つの大きな奇跡を得た私たちは、聖女様に感謝すべきだわ!」
ソーサラーの怒りに対し、フェンサーは沈黙する。彼は頬を押さえ、ぐっと堪えた。
「分かったよ……。お前はレベル12だもんな。レベルが上の奴には従うさ」
「そんなこと言ってる場合じゃ……」
抗議するソーサラーをよそに、フェンサーはアリスたちに向き直る。
「……悪かったよ。俺のミスであんたらに手間をかけさせたし、その上、女であるあんたを殴っちまって……。本当に……悪かった」
「女だから殴ってはいけないとか、男だから殴っていいというものではありません」
アリスは毅然とした態度で応じた。
「……すごいな、あんたは。痛くないはずないのに、眉一つ動かさねぇ……。聖女様っていうより、歴戦の戦士みたいだ……。それに比べて俺は、仲間まで喪って……教会の連中に迷惑をかけて……本当に……カッコ悪いよな」
フェンサーの腕は力なくだらりと下がり、両眼からはポロポロと涙がこぼれる。失意の彼に、ソーサラーがそっと寄り添った。
「聖女様、司祭様。仲間を弔ってやりたいんです。仲間が夜を照らす従神エラトゥスのもとへ行けるよう、儀式をお願いできますか……?」
「勿論ですとも。今すぐ、儀式の準備を致しますので」
司祭がソーサラーに応じ、聖女長が他の聖女を促す。
フェンサーは生きる屍のような足取りで司祭に案内され、ソーサラーもまた、それに続こうとした。
「聖女様」
「はい」
ソーサラーに呼ばれ、アリスが応える。
「彼のことは、本当にごめんなさい。そして、彼を生き返らせてくれて有り難うございます」
「私は自分の役目を全うしただけです」
「そう……。でも――」
ソーサラーはそう言いかけて、言葉を噤んだ。
彼女は深々と一礼したかと思うと、弔いの儀式に参加すべく教会の外へと向かう。
――でも。
その後に続く言葉を、アリスは察していた。
もう一人の仲間も、蘇生できれば良かったのに。
ソーサラーも、フェンサーもまた、それが不可能だということはわかっているのだろう。だが、頭でわかっていても、心が納得するとは限らない。
アリスもまた、同僚の聖女とともに儀式へ向かおうとしたが、聖女長が目で制止した。
「あなたたちは残りなさい。弔いの儀式であれば、私たちだけでも充分だから」
「しかし……」
「アリス、あなたは大役を果たしてくれました。失うはずだった命を一つ救済したのですから。あなたの働きにクレアティオは満足されているでしょう。しばしの間、ゆっくりとお休みなさい」
やんわりと労わるような視線。その先に、泣きそうな顔で震えている見習い聖女と、腫れたアリスの頬があった。
「わかりました」
アリスは聖女長を見送り、見習いとともに教会の裏手にある井戸へと向かった。