2話
雨野 朔灯。今年で17歳になる高校二年生。
これといった長所はないが、短所は人並み以上にある。趣味、特技も自信を持って言える程のものはなく、どうにも張りのない日々を淡々と過ごしている。
そんなどうしようもない人間である俺が────
「雨野くんってどこらへんに住んでるの?」
「んー……俺特定のテリトリーは持ってなくて」
「あぁ、◯ビルジョーみたいな感じなんだ」
「イ◯ルジョー知ってるんすね……」
……あの望月先輩から誘われて、一緒に下校しているだなんて。きっと今朝の俺に言っても信じないだろう。なんなら、彼女と並んで歩いている現時点の俺でさえまだ若干信じていないのに。
当然だが、今までこんな風に誘われた事なんて一度も無い。一体どういう風の吹き回しだろうか。
……何か目的があっての事だろうが、今のところ望月先輩に変わった様子は見受けられない。会話も至って普通の内容だし、むしろ訝しんでいる自分とは反対に、彼女自身はどことなく機嫌が良さそうにさえ見える。
「ていうか、雨野くんと二人っきりで喋るのって……結構久しぶりだよね」
「そう、ですね。そもそもあんまり二人にならないし」
「まぁそれもあるけどさ……キミ、最近私のこと避けてたでしょ?」
ギクッ、みたいな反応を極力隠しつつ望月先輩の方へ視線を飛ばせば、彼女は不敵に微笑みながら、全てを見透かしたようなジト目でこちらを覗いていた。
……バレていたのか。そこまで分かりやすく態度や行動に出していた訳ではなかったのだが。
というか、俺みたいな小粒モブ男の存在を先輩が認識していたという事実がそもそも予想外だった。
「……や、マジでごめんなさい。不快にさせるつもりは無かったんですけど」
悪意は無かったとはいえ、意図が伝わっていなければ不愉快な気持ちにさせてしまう事には変わりない。手を合わせて謝ると、彼女はふるふると首を振った。
美しい絹糸のような長い髪が微かに揺れた後で、優しい声が耳朶に触れる。
「ううん、分かってるよ。キミのことだから、ただ私に気を遣ってくれてたんだろうけど」
どこまでも俺の浅はかな思考を見抜いているような科白の後、
「……私は、ずっとキミと話したかったのにさ」
望月先輩は少し俯いて、小さな声でそう呟いた。
流石に身長は俺の方が一回り高い為、その表情までは伺えないが……それは普段クールな先輩からはあまり想像できない、やや感情的な仕草だった。
「望月先輩……」
かなり心苦しくなりつつも、ぶっちゃけそんな嬉しいことを言われたら軽率に勘違いしてしまうのが悲しき男の性というものだ……が、ここであまり調子に乗ってはいけない。
伊達に“天邪鬼”なんて呼ばれていないのだ。これが単なる思わせぶりな発言である事くらい理解している。多分なんか生徒会の業務についての連絡の話をしたかったとかに違いない。期待するだけ無駄である。
「……それで、なんだけど」
「はい」
「……雨野くんって、彼女とか……いたりする?」
業務連絡の線は消えた……?
いや、しかしこれも勿論理解している。
この一見それっぽい質問もどうせただの雑談の切り口に過ぎず、少しでも変な様子を見せれば『何勘違いしてんの? きも……』と一蹴されるのだろう。
先輩から『きも……』なんて言われたら俺はショックで当分立ち直れないので、努めて冷静を装ったまま答える。
「いないっすね」
「じゃあ、好きな人とかは?」
「大体みんな好きっす」
「違くて……その、好きな女の子は?」
「女性は全員うっすら好きですね」
「きも……でもとにかく、恋してる人とかはいないんだね」
「……今のところは、いませんね」
……質問が、やけに多いし具体的じゃないか?
まさか本当に──いやそんなはずはない。落ち着け。過去言われて“効いた悪口”を思い出して落ち着くんだ……空虚……偽善者……弱そう……誰からも一番仲良い友達だとは思われてなさそう……。
「そっか…………。じゃあさ、」
「……良かったら、私と付き合ってくれない?」
ほらな。結局────
「あら? ん? え?」
「私ね、キミのこと好きなんだ」
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いや、望月先輩が俺なんか好きになる訳が無いだろ。学校傾ける人だぞ? 交友関係も広いだろうし、望月先輩ならもっと優れた男性からも引く手数多だろう。こんな何もない人間に自ら告る必要など無いはずだ。
全く理解ができない。なにせ理由が無さすぎる。接点が無さすぎる。それに、あまりに突然すぎる。
直近でなにかきっかけがあったとかならまだ分かるが、我々は今日久しぶりに二人で話した程度の距離感のはずだ。
それなのに、今日に限ってわざわざ告白する為に一緒に帰ろうと誘ってきたのだろうか? なんだか話が突飛すぎるような……あぁいや、なるほど。大体分かった。
つまりこれが俗に言う“嘘告白”というやつか。
罰ゲームなどの悪ノリから始まるという嘘告白は、文字通り本心でない嘘の告白をすることで、相手の反応をからかったり笑いものにしたりするという胸糞悪い文化だ。
最近はSNSが発達した事もあり、された側は冗談では済まない程の、一生モノの傷を負ってしまう事もある。
現実で遭遇するのは初めてだし、その上まさかそれが自分に仕向けられるとは思わなかった。
ぐぬぬ、となればさっき生徒会室を出ていく時、森本先輩がやけに囃し立ててきたのにも合点がいく。彼女もグルだったに違いない。
「……なんで俺なんですか?」
探りを入れる目的で、一度立ち止まって彼女の様子を伺う。
正直信じたくなかったのだ。信頼していた生徒会のメンバーからそんな事をされるだなんて思いたくなかったし、何より望月先輩はもっと優しくて思慮深い立派な人だと思っていたから。
「なんでって……」
恐る恐る、といった風に彼女は振り返る。
意図せず睨むような目付きになってしまったせいか、先輩は目を合わせた途端にふいと逸らしてしまった。
「…………それは、さ? なんでもいいじゃん」
先輩は顔を背けながら、誤魔化すようにえいえいと肘で小突いてくる。
────あぁ、クロかもしれない。
俺を選んだ理由を言えないのはきっと、心にも無さすぎて咄嗟に何も浮かばなかったのだろう。最悪だ。
いいもん。長所一つもないって自覚してるもん。
「……先輩がそういう事する人だとは思ってなかったです。マジで尊敬してたんすよ、俺」
「え、あ、ごめん……痛かった?」
「いや肘は違います。肘はすごい良かったですよ^^」
「そ、そっか……で、返事は?」
たたっと数歩前に出て、彼女は目の前に立ち塞がる。進路を断たれた為、もはや沈黙を貫き通してこの場を去ることは叶わない。
彼女の明眸が、今度はまっすぐに俺の瞳を捉えている。先輩も今更止まる気は無さそうだ。
俺がこの告白を受け入れてしまえば、今学期一の笑い者になることは間違いない。とはいえ断ったら断ったで、あの望月先輩の告白を断る理想クソ高自惚れ陰キャとして今学期一の嫌われ者になる事も間違いない。
あぁ詰みだ。じゃあどうするか。
「……どうすれば盛り上がると思います?」
「盛り上がる……? 分かんないけど、OKしてくれたら私はすごく喜ぶよ」
「そうですか……じゃあ一旦無回答で」
「えっ」
こういった悪ノリをなるべく穏便に済ませる方法。それは早急に飽きさせ、風化させる事だ。
結局ノリはノリなので、面白くならなければ冷めるし、冷めれば彼らはすぐ次の楽しみを見つけに行くだろう。要は一過性の流行なのだ。忘れさせれば無かったことにできる。
それまでどれだけ長期戦にもつれてもかまいません。どこまでも付き合ってやりますよ、先輩。
「ちょっと待って……無回答ってそんなの酷いよ……」
早足で帰路を進む俺を、望月先輩は悲しそうな、心底悲しそうな顔をして追いかけてくる。
なんという役者。本当に悲痛な表情で、見ているとこっちが申し訳なくなってくる。
「えっと……俺も先輩のことは素敵な人だと思ってますけど、でももう少し時間をかけて考えてみませんか。僕達はまあまあ仲が良いです。とはいえ深く喋ったことはないしお互いについてあんまり知らないですよね?」
「え、うん……」
「じゃあ、もっと色々お話をして……お互いの事を理解してからにしませんか? 多分ゆっくり考えたらだんだん俺のこと好きじゃなくなってきますから」
「そ、そんなことないよ!」
「そんなもんですよ……では僕はこの辺で。気を付けて帰ってくださいね。また明日」
ひらひらと手を振った後、振り返る事なく一心不乱に歩みを進める。嘘だと理解してもなお早鐘を打つ愚かな心臓を宥めるよう、夜闇の差す夕空を見上げながら。
────今日から、俺の孤独な戦いが始まる。
誰も幸せにはならないのかもしれない。
味方はほとんどいないのかもしれない。
ワンチャンもしかしたらガチかもしれない……いやそれはないか。それはない。
とにかく何が何でも、俺は負けるわけにはいかないのだ。
望月先輩の嘘告白には騙されない。
この日、俺はそう固く決意したのだった。
◇◇◇◇◇
「行っちゃった……」
一人取り残された少女は、一度深呼吸をした後で先ほどの告白と、それに対する彼の答えを反芻していた。
お互い理解を深めてから、という彼の言葉は正しいと思う。それは彼なりの配慮だろうし、慎重さは彼の魅力の一つだ。それは自分もよく分かっている。
分かっているけど。
「結構、勇気出して告白したのにさ。ズルいよそれ」
彼のそういう所が、今になってじれったくて仕方ない。
「……好き、だよ。雨野くん」
早鐘を打つ心臓に手をやって、確かめるように呟く。
憧れの彼女が、自分を思って静かに頬を赤らめているなど、今の雨野には知る由もなく。