9.食べ物につられる
***
――と、いうわけで。
(おぉ……)
エリーの目の前には、おいしそうな朝食が並んでいた。
目玉焼きにハムとチーズ、新鮮なサラダ、焼き立てのパン。スープも熱々で、白い湯気を立てている。こんなにまともな朝食はいつぶりだろうか。思わず喉が鳴ってしまい、エリーは赤面した。
「構わない。好きなだけ食べてくれ」
「ほ、本当によろしいんですか?」
「大丈夫だと、サイラスが言っていた。今はきちんと食事を摂って、栄養をつけることだ」
「いただきます……」
パンを手に取ると、まだほわっと温かかった。
ジャムやバターも添えられていたが、あえて何もつけずに一口齧る。途端、口の中に香ばしい甘みが広がって、思わず頬がゆるんでしまった。
(お……)
おいし――――いいぃ……っ。
「口に合ったか。お代わりもあるから、たくさん食べるといい」
「は、はいっ」
思わずがっつきそうになったが、その言葉に我に返る。
昨日のスープのおかげで、どうにかなりそうなほどの空腹感は収まっている。パンを一口、また一口と食べながら、エリーは必死に自分を抑えた。
(落ち着かなくちゃ)
大丈夫、このパンは取られたりしない。
お代わりも食べられる。他にも食べるものがたくさんある。
彼も取ったりしないだろう。その証拠に、自分の食事にはほとんど口をつけていない。
だから、大丈夫。
パンを食べ終えると、目玉焼きにフォークを刺す。
とろりとした黄身が流れ出て、思わず「ああっ」と声が出る。すると、彼はパンを差し出した。
「これにつけて食べるといい。とてもおいしい」
「な、なるほど……!」
この人は天才か。
言われるまま黄身をすくって食べると、確かにとてもおいしかった。尊敬のまなざしで彼を見る。相手は平然とした顔をしていたが、少しだけ楽しそうだった。
「そんな目で見られたことは何度もあるが、目玉焼きが理由だったのは初めてだ」
「指ですくうのはお行儀が悪いと思ったのですが、見ていないなら可能かと考えてしまいました。でも、パンの方がずっとおいしいです」
「目の輝きが昨日とは違うな。理由が理由だが、いいことだ」
ひとつ頷き、「もっと食べるか」と自分の皿を差し出す。
エリーは思った。この人はとてもいい人だと。
「ありがとうございます、閣下……!」
「アーヴィンだ。サイラスのが移ったな」
呆れた顔になりながらも、アーヴィンはパンをひとつ取った。
「なら、この食べ方は知っているか」
そう言うと器用にパンを割り、中に軽くバターを塗る。そこにハムとチーズを挟み、サラダの野菜をたっぷり入れると、エリーの方に差し出した。
「試してみるか。いい味だ」
「あ、ありがとうございます……!」
かぶりつくように指示されて、少し迷ったが言う通りにする。
次の瞬間、エリーは大きく目を見張った。
(こ……)
これは。
(ものすごく、おいしい……!!)
少し甘みのあるパンに、ハムとチーズが抜群に合う。バターの風味に加え、添えられたサラダのドレッシングがアクセントになって、とんでもない幸福感が口に広がる。
今まで口にしたものの中で、間違いなく一番おいしい。
これを発明した人は天才だ。つまり目の前の彼が天才だ。やっぱり彼はすごい人だ。こんなにおいしい食べ方を知っているなんて。
エリーの顔つきに気づいたのか、彼は「別に私が考えたわけではない」と言い添えた。
「目玉焼きや肉料理を挟んでもいいし、魚を挟むのもおいしいらしい。行儀が悪いので、人前ではやらないが。気に入ったなら、色々試してみるといい」
「ありがとうございます……!」
この人はいい人だ。
出会って一日ですっかりエリーの心をつかんだ美貌の麗人は、マイペースに自分の食事を終えた。
「――さて、落ち着いたところで、君に話がある」
食後の紅茶まで飲み終えてから、アーヴィンはおもむろに切り出した。
「君の体に興味があるといったが、別に裸というわけではない」
「はい、それは聞きました」
「君の体はいつ死んでもおかしくないほどぼろぼろで、なんなら昨日死んでも不思議はなかった。それほど君は重症だった」
「そ、そうだったんですか」
中身はともかく、外側がぼろぼろだったのは姉の仕業だ。魔力以前に、姉の暴行も原因のひとつだったのでは…という気がする。
「だが、魔力欠乏の応急処置をすると、君の体はすぐに回復を始めた。それも尋常ではない早さで」
「ああ……多分、早く回復しないとまずいと思ったんじゃないでしょうか」
「普通はそう思っても回復できない。君の回復速度は異常だ」
「もともと丈夫なので。それと……いえ、なんでもないです」
回復しなかった場合でも、ジャクリーンが仕事を免除してくれるはずはない。そのため、無茶でもそういう体質になった気がする。
それとは別に、魔力欠乏の治療をしてくれたおかげもあるだろう。聞けば、あの状態の患者に回復魔法は使えないので、薬草や塗り薬を使ってくれたという事だった。
身体の痛みが少なかったのも、丁寧な処置の結果らしい。
「とはいえ、一応は重病人だ。このまま放っておくことはできないし、今後の体調も心配だ。回復するまで、ぜひ君の体を隅々まで調べさせてもらいたい。上から下まで満遍なく」
「閣下、語弊があります」
「何がだ」
本気で分かってなさそうだったので、「いえ別に」と目をそらす。
(天然だろうか……)
「君がよくなるまで、私は君の面倒を見るつもりだ。嫌なら今ここで言ってくれ。十秒待つ。十、九、八、七、六、五、四、三、二、一。よし分かった、了承だな」
「え……ええと……?」
「話がまとまったところで(※まとまってない)、治療の方針だが。君の体は違法な薬やポーションに冒されている。まずはそれを抜く必要がある。何を飲んだか覚えているか?」
「名前までは……。全部お姉さまが用意していたので」
「お姉さま?」
「あ」
慌てて口を押さえたが、彼はなるほどと頷いた。
「では、やはり君の体を調べる必要があるな。血液と唾液、皮膚の一部を採取して照合しよう」
「は……」
「排泄物は必要ない。できれば髪も数本欲しい。汗もあった方が望ましいな。他に必要なものがある場合は、その都度協力を願うことになる。それは理解してもらいたい」
何か質問はあるかと聞かれ、エリーはおずおずと問いかけた。
「閣下が私を治してくださるんですか?」
「アーヴィンだ。私は魔導具の研究をしているが、元は王宮魔術師だ。仕事には治癒関係もあったから、君を診ることに問題はない」
「そうではなくて……。私、平民なので」
いくらなんでも、公爵家の人間が平民を治療するなんて考えられない。だがアーヴィンは平然と言ってのけた。
「私は公爵だが、治療に爵位は関係ない。ついでに言うと、魔力持ちに身分の差はない。さらに言うなら、君には一刻の猶予もない。進行を止めるための応急処置は施してあるが、長くは保たない。早急に治療を始める必要がある」
「でも……」
「ここで治療するなら、毎日あの食事が食べられるぞ」
ぴくり、とエリーが反応する。
あの食事を、毎日?
ふわふわのパン、生み立ての卵、舌を焼くようなコンソメスープ。サラダのドレッシングは絶品で、パンに挟むと最高だった。ハムは柔らかく、チーズはとろけるようにおいしかった。
あれを――毎日?
「体の回復には、休息と滋養のある食事が一番だ。君は甘いものが好きだろうか。食後のデザートにつけてもいい。毎食だ」
「ち……ちなみにそれは、どういったもので……?」
「イチゴのゼリー、桃のコンポート、たっぷりのフルーツを使ったタルトに、砂糖衣のかかったケーキ。焼き立てのパイにアイスクリームを添えて。君はチョコレートを口にしたことはあるか? なんとも芳しい味わいだ。一口含むと口の中で溶けて、濃厚な味わいが……」
「お世話になります」
エリーは深々と頭を下げた。
お読みいただきありがとうございます。あれ、どっかで見たなこの光景……(※『根絶やし伯爵と枯れ枝令嬢』)。