6.閣下の語弊(深刻なものではない)
それから熱々のスープが届き、エリーは空っぽの胃を満たした。
「次の食事から固形物が出るから。少しずつ、ゆっくり慣らしていくといいよ」
「ありがとうございます、サイラス様」
「あー、可愛い女の子に名前で呼ばれるのっていいね。俺もエリーって呼んでいい?」
もちろんですと頷くと、サイラスはぱっと笑顔になった。
「じゃあエリー、早速だけど聞いていいかな」
「はい」
「……なんでうちの閣下のこと全力で避けてるの?」
「そ、それは……っ」
先ほどの言葉を聞いた直後、エリーは完全に硬直した。
たっぷり三回分の呼吸の後、ずざざざっと後ずさる。
ベッドの上なので、離れる距離に限度はある。だが、それはどうでもいい。とにかく少しでも離れなければと思い、エリーは彼から距離を取った。
彼は不思議そうな顔をして、そんな様子を眺めていた。
「……どうした?」
「ど、どうしたと言われましてもっ……」
もしやそのつもりで連れ帰ったというのだろうか。
あんな小汚い恰好だった自分を?
痩せっぽちでみっともなくて、肌も髪もぱさぱさの自分を?
野良犬の方がましなくらい、ぼろぼろだった自分の事を?
(……駄目だ、まったく理解できない)
目をやると、アーヴィンもちょうどこちらを見ていた。
「もしかして、解剖の心配をしているのか? そんなことはしない。ただ、君のことが気になるだけだ」
「わ……私の、何がでしょうか?」
「すべてだ」
す。
「すべて……ですか……」
「ああ、すべてだ」
それはどういう意味に捉えたらいいのだろうか。
硬直したまま時間が過ぎ、そこに現れたのがサイラスだったのだ。
「なるほど。そういうことか」
先ほどの話をすると、サイラスは納得したように頷いた。
「まず言っとくけど、解剖じゃないよ」
「……で、でしょうね」
「それから、色恋でもない」
「でしょうね……」
「ちなみに、体の関係とかいう話でもないから。その点は安心してほしい」
「私も理解できませんでした」
大丈夫ですと言えば、なんとも言えない顔をされる。
「いや、エリーは可愛いと思うよ? もう少し太った方がいいとは思うけど。ひどい恰好をしているだけで、素材は別に」
「姉の方がはるかに美人でしたので。身の程はわきまえています」
「そうなんだ……」
ちなみにアーヴィンはスープを食べ終えるのを見た後、すぐにいなくなっている。仕事が溜まっているらしい。
久々に温かいものを食べ、たっぷり睡眠を取ったせいか、いつもよりも体が軽い。
ふと手足を見ると、あちこち包帯が巻かれていた。
「ああ、君が寝ている間にね。魔力欠乏の治療と、打撲と擦過傷の手当てだけ。本当は何か口に入れてからの方がよかったんだけど、一刻の猶予もなくてさ」
「大丈夫です」
久々に身体が楽なのはそのせいか。
先ほどの言葉も、変な意味はなかったらしい。それは分かっていたけれど、さすがに動揺してしまった。
「あの……ここ、公爵家なんですか?」
「そうだよ。といっても、ここは別邸かな。閣下の仕事場も兼ねてるから」
「お仕事?」
「魔導具の研究」
ざっくりとした説明だが、エリーはすぐに頷いた。
高位貴族は高い魔力を持つ者が多く、彼らは魔法関係の仕事に就く。王宮に仕える魔術師を始め、魔法陣の解析、魔石の調査、新たな魔法の開発など。
その中でも特に魔力の高いラッセル家は、魔導具の研究を行っているらしい。
魔導具とは、魔石や魔法陣を使用した魔術具の一種で、魔力を付与する事で動く。どれだけの魔力を付与するかで、魔導具の能力も変わってくる。古代魔導具と呼ばれるものになると、莫大な魔力が必要になる。
ちなみにと見せられたのは、エリーも見覚えのあるものだった。
「氷魔法と水魔法を合わせた冷却魔導具ですね。あとは……《保存》?」
「よく分かったね。その通りだよ」
少し驚いた顔をしたものの、サイラスがにこやかに答えてくれる。
「前に見たことがあって……。これ、すごくいい出来ですね」
「閣下が作ったんだよ。あの人、器用だからね」
「アーヴィン様が?」
「魔導具を研究するなら、そもそも魔導具を作れなきゃ話にならない、とか言ってさ。今じゃ半分技術者だな。貴公子みたいな見た目に反して、ゴリゴリの職人気質だよ」
「な、なるほど……」
「その閣下が最近興味を持ったのが、君を拾ったブランシール工房。店主のジャクリーン・ブランシールが夜会に登場するようになってから、一気に名前が広まった。彼女の美貌と抜群のスタイルに加え、素晴らしい魔力付与の才能にね」
「……なるほど……」
どんな表情をしたらいいか分からない。
「試しにとひとつ取り寄せてみたら、これがまあいい出来で。何の変哲もない魔石や魔導具に、高レベルの魔力が付与されてる。すっかり閣下が興味を惹かれて、早速店を訪ねることにしたんだけど、店は引っ越した後だったってわけ」
「店の中、何も残ってなかったんですか?」
「塵ひとつ残ってなかったね」
では、自分の荷物はすべて捨てられてしまったらしい。
大切な品などなかったから、それについてはどうでもいい。良いものがあっても大抵は姉に取られたし、渡さなければ壊された。エリーは着るもの以外、ほとんど私物を持っていない。
「そういえば、君が転がっていた場所だけど。近くに服が散乱してたよ。ボロ布かと思ったけど、一応回収してあるから。他にも色々転がってたけど、どれもガラクタだったかな」
「あ、ありがとうございます……」
「君、古着に埋もれて倒れてたんだよ」
では、あの後エリーの私物をまとめ、文字通り叩き出したらしい。
今さら戻っても無駄だろう。売ると言ったからには、姉はそうする。あそこに戻る事はできない。
奴隷のようにこき使われた最後がこれかと、もはや笑いも出なかった。
「あのー……。エリー?」
「大丈夫です。ちょっと、気が抜けちゃって」
手のひらを見つめ、エリーはそっと目を伏せた。
魔力禁止と言われたが、そもそも魔力の気配がしない。
魔力付与の仕事を続ける事はもうできない。かといって、他の仕事にも自信がない。
この先どうしたらいいのか、自分でもさっぱり分からなかった。
「心配しないで」
目を上げると、やさしい顔がエリーを見ていた。
「うちの閣下は面倒見がいいからね。拾った生き物は最後まで面倒を見るんだよ」
「……私、動物ですか?」
「まあまあ。とにかく安心していいから。今はゆっくり休むといいよ」
まだ不安だったが、エリーはおとなしく頷いた。
元々、人に命じられるのは慣れている。言う通りにした方が心が落ち着く。
「おやすみなさい、サイラス様」
ベッドに横たわると、すぐに眠気がやってきた。
いつものような、泥のような眠りとは違う。
もっとやさしくてあたたかい、陽だまりのような心地よさ。
(もう少しだけ……味わってたい、のに……)
眠るのがもったいないと思うのは、ここ数年で初めての事だった。




