5.公爵閣下に拾われました
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夢の中で、誰かの声を聞いていた。
――仕事を頼みに来たんだが……どうやら、引っ越した後のようだな。
静かで心地いい、落ち着いた響き。
おそらく、まだ若い男性だ。
近くに別の人間の気配もする。
――この店の魔力付与は質が高い。他のところでは難しいな。
――でしたら、引っ越し先を調べますか?
――そうだな……おい、待て。何かいる。
その言葉とともに、視界が一気に明るくなった。
「……子供?」
「いや、十四、五くらいにはなってるんじゃないですか。家無し子かな?」
頭の上で交わされる会話を、エリーは目を閉じたまま聞いていた。
(違う……私、この家の人間です)
「それにしては着るものが汚れていないし、臭くもない。……家があるにしてはひどすぎる服装だが……それに、痩せすぎだ」
「あ、嫌な予感がする」
「ここで見つけたのも何かの縁だ。連れて行こう」
「予感が的中したー!!」
軽薄な口調と、どこか品のある落ち着いた口調。異なる二つの声が、エリーの上で話をしている。
「寝床と食べるものが必要だな。あとは服と靴と、それから薬と飲み物も」
「いや我が主、それは多分誘拐です」
「親か保護者がいるのか。いるならなぜ放っておく」
「うわぁ正論」
「いないなら連れて行っても問題ない。いるならこんな目に遭わせる時点でろくでもない。よって私が連れて行く。何か問題が?」
「どっちにしても連れて行くのは確定なんですね」
「一応確認を取ろう。君は我々と行きたいか、それとも行きたくないか。行きたくないならそう答えろ。五秒待つ。五、四、三、二、一。……よし、了承は取った。連れて行く」
「すごい詐欺師の手口を見た」
軽薄な声が言うより早く、ふわりと体が浮く感じがした。
「軽いな。家に着いたら食べ物を出そう」
「せめて俺に運ばせてもらえませんかね、閣下」
「必要ない。そして閣下と呼ぶな」
「ではアーヴィン様」
茶目っ気たっぷりに告げた名前を、エリーは意識の端につなぎ留めた。
「サイラスお前、本当にいい性格をしているな」
「お褒めに預かって光栄です」
「別に褒めたつもりはない。そして子供を受け取ろうとするな」
やいのやいのと言いつつ、エリーはどこかに横たえられた。
正確に言えば、肩にもたれるようにして座らされ、その後膝枕するように倒された。さらりとした感触に、上等な布地だと分かる。
(私、昨日もお風呂に入ってないし、髪も洗ってないから、申し訳ないです……)
内心の思いは言葉にならず、吐息となって消えていく。
ふわ、と何かが髪に触れた。
「ゆっくり休むといい。目を覚ましたら食事だ」
それは彼の指先だった。
丁寧な手つきで、やさしく髪をなでられる。
その心地よさに、エリーはふたたび眠り込んでいた。
***
***
次に目を開けると、そこは知らない部屋だった。
「あ、目を覚ました?」
軽薄な声に振り向くと、笑みを浮かべた男性が立っていた。
年齢は二十代半ばほどだろうか。明るい茶色の髪をした、感じのいい青年だ。彼は躊躇なく歩み寄り、エリーの額に手を伸ばした。
「んー、熱は下がったかな。顔色も悪くはないし。食事は?」
「え、あ……」
「食べられそうなら何か出すよ。と言っても、軽いものだけど」
答えるより早く、クウッと腹の音が鳴る。
「了解。すぐ準備する」
「……すみません……」
「こっちこそ。君、寝言でもしきりに謝ってたよ」
「……へ?」
「あれ、覚えてない? 逐一確認取ってたんだけど。君、重度の魔力欠乏を起こして倒れてたんだよね」
食事の用意をしようと背を向けた彼を、エリーは慌てて引き留めた。
「私、魔力枯渇じゃないんですか?」
「魔力枯渇? 違う違う、あれとは全然別物だよ」
詳しい話は後でと言って、青年が部屋を出て行ってしまう。ぽかんとしていると、別の声がした。
「……もう起きて大丈夫なのか」
「は、い――」
答えようとしたエリーはそのまま固まった。
目の前にいたのは、見惚れるほど容姿の整った男性だった。
つややかな黒髪に、ため息が出そうな藍色の瞳。
年齢は先ほどの男性と同じくらいだが、醸し出す風格が明らかに違う。仕立てのいいシャツから、ふわりといい匂いがした。
「同意を得た上で連れてきたつもりだが、改めて聞こう。君の希望は?」
「……はい?」
「あの場所がいいと言うなら、食事の後で連れて行く。着替えと手当ては済ませておいたが、必要なものがあったら言ってくれ。ただし、君が同じ目に遭うと言うなら帰せない」
真面目に言う彼は、この上なくまともな顔をしている。
けれど、夢の中で聞いた話が現実なら、同意……取ったっけ?
「あ、あの……閣下」
「君までその呼び名で呼ぶな。我が家は公爵家だが、普通でいい」
アーヴィン・ラッセルと名乗った彼は、呆れるほど綺麗な顔でこちらを見た。
その距離が近い。とても近い。
「……君の名前は?」
「エリーです」
「年は?」
「十六です」
「失礼だが、未婚?」
「もちろんです」
「だとすると、保護者は?」
「保護者は……あのう……」
近い近い近い近い。
ほとんどキスをする距離まで顔を近づけられて、エリーは限界までのけぞった。
「ああ、すまない。君の目に魔力反応があったから、興味深くて」
「魔力反応、ですか?」
「たまにいる。目の中に宿る魔力が輝いて、星のように見えるんだ。私の目もそうだ」
ほら、と顔を近づけられたが、それどころじゃない。
初対面の男女とは思えぬ距離に、エリーが激しくうろたえる。
(理由が分かっても、近い……!)
完全に硬直しているエリーの横で、アーヴィンと名乗った人物は首をかしげた。
「どうかしたのか、エリー嬢」
「い、いえ……あの、呼び捨てでいいです」
「ではエリー、君はあの店の従業員か何かか?」
「え……あの」
「魔力欠乏を起こすほど忙しい店とは思わなかったが、君は過労死寸前だった。親がいないなら、保護者は店主か。ずいぶんひどいことをする」
「いえ、あの、それは……」
「とはいえ、店の外で倒れていたくらいだ。君は店に愛着があるのかもしれないが……」
いえ全然ありません。
内心の声を口に出せず、あいまいに笑う。
「できれば別の店を探した方がいい。従業員を粗末にする店は長続きしない」
「そ、そうですね」
「しばらくは魔力禁止だ。きちんと薬を飲んで、休養すれば回復する。それまではここにいるといい」
「私……治るんですか?」
不安な思いが、つい表情に出てしまったらしい。青年はもちろんと頷いた。
「心配ない。時間はかかるが、必ずよくなる。ただし、魔力が元に戻るかは分からない。あくまでも体調の話だ」
魔力は駄目でも、体は問題ないという。
それだけでも安心して、ほっと吐息がこぼれた。
「助けてくださってありがとうございます、ラッセル様。このご恩は忘れません」
「構わない。私のことはアーヴィンと呼んでほしい」
それと、と彼は付け加えた。
「私は君の体に興味がある。ぜひ、隅々まで調べさせてほしい」
お読みいただきありがとうございます。タイトル回収できました。